13.『古刀』は曲がる
長年、試し斬りをしている先輩の何人かの方に、昔、お聞きしたことがあった。
「先生が一番愛用されている試し斬りの刀は、どの様な刀ですか?」
答えは、当時、古刀、新刀、昭和軍刀、現代刀と四振の刀を愛用していた自分にとって、意外な回答だった。
「何と言っても現代刀だね!」
その先生は、全部で十振以上の刀をお持ちであり、時代も室町時代の古刀から現代刀まで幅広くお持ちだったからである。日本刀の斬れ味に関しても、古刀、新刀、新々刀の各々時代毎のご意見をお持ちの先生だったので、余計、従来聞いていたお話の内容と差異を感じた訳である。
そこで、早速感じた疑問をお聞きしてみた。
「先生、斬れ味は、古刀が最高で、新刀が次と前におっしゃっておられたではないですか?」
すると、その先生は、
「古刀は良いが、初心者に使わせると、直ぐ、曲げちゃうからね!」
確かに、門人の多い先生は、常に数人の初心者が周囲にいて、我々でも、あの初心者連中に古刀や新刀は危なくて、とても使わせられないお気持ちは良く分かった。
先生愛用の現代刀は、昭和、それも戦後に活躍した斬れ味では高名な刀匠の刀で、斬れ味の優秀さと共に腰の強い事でも知られていた。相当な剛力で、刃筋を合わせて斬れことが出来ない初心者でも、先生のその刀を試斬で曲げる瞬間を見たことがないので、もっともな、ご意見だったと記憶している。
確かに、現在、友人を含めて試斬用の古刀や新刀を十数振所持しているが、初級者に使用させることは通常無い。
中級のメンバーには、我々が所持する新々刀や新刀での試し斬りも時には行わせるが、古刀となると刃筋をきっちりと合わせられる上級者にしか使わせない場合が多い。
何故かというと、先に挙げた先輩の先生が昔おっしゃったように、
「古刀の場合、曲がりやすい刀が多いからである」
言い訳を先にさせて頂くと、以前にもお話ししたように、試し斬りに使用できる刀は、大きな傷が出た欠陥品や研ぎ減って刀身が痩せてしまって、刀屋さんで商品にならないような安価な刀が多く、酷い場合には俗に言う、「腰が抜けた」状態になっている場合の刀がある為である。
腰の抜けた刀で、上手に斬れるほどの上級者は別だが、刀身に大きな「しなえ」は出ていて、過去のいずれかの段階で、大きく刀身を曲げてしまった刀は想像以上に多いので、初心者や中級者向けに、腰の抜けた刀や曲がり癖がついてしまった刀は向かない。
人間もそうだが、
『大事なここ一番の時に、腰の抜けた役立たずの、人も刀も無用な存在なのである』
それでは、新刀や新々刀ならば、腕力に自信のある初心者に貸し与えて良いかというと、若干、微妙な心境の先輩達や指導者の方も多いのではないか、と想像する。
実は、新刀の刀身が健全で丈夫そのもののような刀を力自慢の初級者に、昔、半年ほど使わせた経験があった。
同じような体験もお持ちの方も多いと思うが、見事にその初級者は、半年後に試斬が上達したものの、大事な愛刀を完全に腰の抜けた刀に作り変えてくれたのであった。
身幅も広く、重ねも厚く、地の傷と無銘以外は欠点の無かった寛文新刀の腰が完全に抜けてしまい、誰が斬っても簡単に曲がる理想的な腰抜け刀が出来上がったのである。(苦笑)
師範クラスの方々の中には、このような経験をされた方も多いと思うが、その他の理由もあって、現代刀、それも曲がりにくい現代刀を愛用されている剣士が多い気がします。
現代刀の場合、試斬によって、曲げても、傷を造っても古刀や新刀と違って、再生産が効き、日本特有の古美術品である刀を毀損する心配も無いわけであるので、当然ながらの帰結であろう。
では、日本刀の曲がりやすい順番はというと、刀身が全く同じ条件下の場合でも、古刀が最も曲がりやすく、次が新刀、新々刀、続いて、前に昭和刀の項でも申し上げたが昭和刀になるのではないかと個人的に思っている。
更に、歴史的な製作年代からの経過時間を考慮するとその差はもっと大きくなるような気がしますが、如何であろうか?
また、同じ製作年代でも五ヶ伝毎の流派上の相違や新刀での製作地や流派の違いによる曲がりやすさの違いも大きい。
例えば、室町期の相州伝と備前伝と美濃伝を比較すると個人的な狭い経験の範囲内だが、最も末相州物が曲がりやすく、刀身に「しなえ」を残している古刀も多い。
室町前期の備前物はそうでも無いが、末備前と末関を比較すると両者ともに曲がらず、良く斬れる刀を目指して量産化を進めた気がする。しかしながら、伝法が大きく異なる結果、折れず、曲がらずには、ある程度答えられた気がするが、斬れ味では、平均的に末関に軍配が上がると思っている。末備前の斬れ味は、注文打ちと数打ちで大きく差があるのに対し、美濃伝の刀は、注文打ちと数打ちの斬れ味の差異が少ないように、経験から感じる。
また、刀身の戦場での曲がりに関して、古刀中、最も細心の配慮をしているのが、末備前の注文打ちである。数物の備前長船の重ねが一般的な2分(6mm)位なの対して、所持銘のある注文打ちでは、重ねが3分(9mm)を越える、断面が三角形に近いように感じる重ね厚の刀身がまま存在するのである。
また、戦場での斬れ味で人気の高い有名な「同田貫」一門についてだが、個人的には高名な正国辺りを除くと斬れ味は中の上位の刀工群で、一般に聞く高評価の大業物の刀工達では無いように感じている。
しかし、戦場での使用を考えた刀身の丈夫さ、折れや曲がりに良く耐え得る実戦向きの鍛冶集団だったのでは、と思っている。
そのようなことは、もちろん出来ないが、戦時中の軍刀試験のような屈曲試験を行ったなら、「同田貫」一門の刀は、相当上位に位置するように個人的には思っている。
同様に、全く私人の印象で申し訳無いが、豊後高田の古刀、新刀の刀工群も折れには強いように感じられる。古刀の平高田、新刀の藤原高田についても、過去に十数振斬ってみたが、実用刀として十分な実力を持った刀が多かった。
それに対して、古刀で比較的曲がりやすい刀が、北国物の諸工の刀である。裏日本を主とする刀工の刀は、寒冷地での折れ難さと斬れ味を第一に作刀している印象があり、極寒の中での破損防止を最優先している関係か、曲がりに関しては若干、他の表日本の刀鍛冶の刀よりも劣るのではないかと思う。
参考例を少し挙げると室町期の藤島友重や加州清光、加州行光の刀を昔所持していて、幾度か試したが、斬れ味はどれも好ましい斬れ味だった。特に、加州清光の斬れ味は優れていて、後ろで試斬を見ていた友人にも清光は斬ったときの音が他の刀と全く違って、小さな音しか聞こえなかったといわれた。
しかし、刀身を熟覧すると鎬地に「しなえ」が出ていて、過去に戦場かどうかは分からないが、曲げた、或いは曲がった来歴が刀身に刻まれていた。また、永正頃の加州則光の脇差にも「しなえ」は十カ所出ている物があった。
あまり古い日本刀(室町期以前の太刀)では、残念ながら斬った経験が少ないので、感単に触れる程度にしておきたいが、平肉の十分残った太刀は、意外に刃筋を合わせるに苦労するものである。刃筋が合わせにくい条件の一つに平肉以外にも刀身の反りがある。
応永以前の太刀になると反りが深く、斬る際、特に上段からの左右袈裟のケースでは、初心者も中級者も普段使用している現代刀との反りの差に戸惑ってしまう場合が多い。過去の経験では、上段からの左右袈裟を太刀で何回も初心者に試させると最後には、結構深く貴重な在銘の太刀を曲げられた苦い記憶がある。
しかし、意外な事に左右逆袈裟や水平斬りでは、余り苦労せずに巧く刃筋を合わせられるらしく、初級者も綺麗に斬っているから不思議である。
その不思議を解くヒントの一つが、太刀の先身幅にあるように直感する。新刀に比較して古刀、それも古い太刀は先身幅が元身幅に比べて狭く、その分、手持ちが良く振り抜き易い。身幅の極端に広い、現代作の健全な刀よりも失敗が少ないケースも逆にあるのだなと、そう思った。
現在、手元に「備前住人」銘のある鎌倉最末期から南北朝前期の乱れ映りが立った太刀がある。長さ2尺3寸余の刀身の割には、反りは8分(約2.4cm)と深い。この太刀では、まだ試斬をしていないが、研磨に出す前には一度、斬ってみたいと思っている。




