12.脇差の斬れ味(四)
ここまで、関ヶ原から現代までの約400年間に造られた脇差の斬れ味に関連する幾つかの項目についての個人的な印象を述べてきた。脇差の長さや時代による斬れ味の二アンスの違い、脇差独特の断面形状の多様性と斬れ味についても触れてみた。
しかしながら、読んで頂いている多くの方は読後の満足感よりも不満の方が多く残っていらっしゃるのでは、無いだろうか?
その第一は、『懐宝剣尺』や山田浅右衛門の著者、『古今鍛冶備考』に記載されているような、業物や大業物の脇差の体験談を期待していたのに、代表的な新刀、新々刀脇差の斬れ味はおろか、在銘の中上作の脇差の斬れ味の記述も無いことへのご不満ではないだろうか!
この点に関しては、深く頭を下げて、お詫び申し上げるしか方法が無い現状です。
使用した脇差の殆どが傷身の脇差か錆身を研磨する前に使用した脇差で、最上大業物は一振も無く、大業物でさえ近江大掾忠廣と二代越後守包貞で斬った経験がある程度ですので、改めて文章にまとめるような体験を持っておりません。
その様な訳で、皆様が期待されるような新刀最上大業物の虎徹や肥前忠吉、大坂の初代助広、会津の三善長道に関しても、一行も触れられない寂しい実情ですので、どうぞ、ご容赦頂きたい。
そこで、『脇差の斬れ味』(一)~(三)の内容に若干付加する形で、まとめに入りたいと思っております。
始めの項で脇差の使い易い長さに関して個人的な意見を少し述べさせて頂いたが、あの文章を読まれて、きっとニヤリと笑った師範クラスの方も多かったのではないかと考えている。
何故かというと熟練の師範クラスの方であれば、刀もそうだが、脇差も長短関係なく使用して、存分に仮標を斬られているからである。
試斬の上級者の方々であれば、ある程度、(三)で述べた脇差の各種断面形状も良く理解されていて、ご使用の脇差の長短と断面形状を最大限に生かして、仮標を鮮やかに両断されている。
しかし、個人的には長年、脇差での試斬を行う過程で、多くの矛盾や悩みに遭遇して、色々と考え試行錯誤を繰り返してきた。居合や抜刀の先生方にとっては、何でも無い事だと思うが、日本刀による試し斬りに入門間近の人もいらっしゃるかと考えるので、初歩的な体験談をお話ししよう。
まず、脇差の差す位置だが、大小を差せる人は、当然ながら脇差を差しても正確に一度で位置を決めており、差してから位置を調整などされないことは、もちろんである。
差した瞬間、脇差の鍔は身体の体中心、所謂、臍の前に来る。問題はそれからで、抜き付けの段階で、どうしても大刀の抜刀時の帯の位置(左腰に近い位置)に脇差を移動してしまう傾向に、小生の場合、初心者の頃に良くあった。
そうすると、対峙する相手に、こちらが脇差を抜く前動作に入った事実を直感的に悟られてしまう結果となる。当然ながら、敵は警戒動作に入る。
その点、相手から見て、脇差の鍔や柄が通常位置と何ら変化がなく、こちらの右手も左手も平常な位置にあって、鞘にも柄にも手が掛っていなければ、警戒する兆候は全く存在しない訳である。
緊急時の脇差抜き打ちのケースでは、相手に抜くことを感じさせずに、瞬速で抜くことが重要であるのは言うまでもない。
もう少し付け加えると昔の武士は、緊急が迫った場合、脇差の鯉口を事前に軽く切って事前準備を怠らなかったと聞く。更に加えると良い家の脇差には、鞘の栗型の少し後ろに、『返角』が付いている場合が多い。返角があれば、左手が誰かに押さえられていても、右手一本だけで脇差を抜き、相手に斬り付けられる可能性も高い。
その様な諸点を考えると初心者の頃から、帯の通常位置に脇差を指して、自然に抜き打ちするように練習してきた。しかしながら、未だに修練の足りない私は、斬れない短めの脇差で抜き打ち水平を行おうとすると悲しいかな、抜く瞬間に脇差を左腰に移動させて抜き初めてしまう。これは、無意識に普段練習している刀の通常位置に脇差を移動させて、抜き始める為である。
初心者の頃からの悪い癖は、長年練習しても直らない場合が多いものだ。(笑い)
話は変わって、現在の剣道や制定居合、古流居合の多くの流派で、正対の姿勢を重要視しているケースが多い。反対に薙刀や杖道では、半身が基本なので、正対姿勢を主に練習を重ねた人は、半身が下手な場合が多いし、半身を主とする武道出身者は正対が苦手だと聞くことも多い。中には器用な人もいて、正対、半身を瞬時に入れ替えて流れるような演武を行う猛者もいる。
両手を使う大刀の場合、正対しての使用方法が主だが、脇差のケースでは片手使いのため、半身でのウエイトが高い。更に、半身の不利を補うため、左右の半身を瞬時に入れ替える技も多いので、刀とは一風異なる修練も必要になる。
その中でも、最大の欠点が、仮標を両断しようとする余り、藁や竹を斬った瞬間の切っ先が大きく流れてします欠点である。
相手を斬り伏せていれば重畳だが、大きく空振りして、無傷で後退した相手の前面に無防備な姿を晒せば、次の瞬間、こちらが斬殺される窮地に陥る。絶体絶命の状況とは、このような死地であることは、言うまでもないだろう。
昔から、『居合の名手には、抜かせて勝て』との名言があるようだから。
色々と脇差に関連して雑感を申し上げたが、長年、脇差を用いた試斬を行ってきて、気楽なことが多かったと感じている。
まず、第一に、刀に比較して容易に気に入った物が手に入りやすく、費用的負担も軽微な場合が多いこと。
第二に大刀では修練する機会の少ない半身の入れ替え等の古流の技の修練が出来ること。
そして、最大の長所が演武会等で斬り損じても刀での試斬と違って、周囲から非難される度合いが少ないこと等であろうか(笑い)
最後に、今まで試斬に用いて印象の残る脇差を挙げて終りたい。
江戸新刀の斬れ味は、安定、虎徹など斬れ味で有名な刀工の脇差で斬った経験が無いので、二流以下の刀工の作の全般的な印象でいうと新刀前期に諸国から江戸を目指して集まってきた手利き、例えば神田住兼常等の初期作には、作風に未だ、江戸新刀らしい華やかさが少ないものの優秀な斬れ味を示す例が多かった。
大坂新刀では、「有名工よりも二流工、三流工の作に斬れる刀が多い」と古くから言われてきたが、どうもそんな感じがする。紀州石堂の二流の作者の脇差でも良く斬れ、現在、愛用している。また、越前や加賀の新刀前半の脇差も良かった物が多い。伯耆守汎隆や播磨大掾重高、兼若の長男の景平の斬れ味も好ましかった。但し、越前新刀は若干、刃味が硬めの気がする。
肥前刀も良いが、高価なので省略して、九州の新刀では藤原高田物もしっかり選択すると良い物が多い。その他の地方刀工で印象に残っているのが尾張新刀で、信高など、身幅が広く、地金がキレイで、平肉が少ない脇差が多く、しかも、斬れ味も悪くない脇差に出会っている。
狭い経験の範囲だが、全般に新刀、特に前期の新刀で銘を切ってある程の脇差の斬れ味は悪くなかった。新々刀になると新刀よりも切れ味の劣る脇差の比率が若干増えているように感じたし、それ以上に斬った瞬間の印象だが、良く斬れている割に、刃味が固く感じる脇差の割合が新刀よりも多いような個人的印象だった。