響鈴と藍猫
春は好きだ。
春休みがあるからってわけじゃない。
好きな日に好きなだけ休む俺にとって、春休みも何もない。
春の花が好きってわけでもない。
まぁ桜とかは好きだけど、花はやっぱ牡丹でしょ。
春の気候が好きってわけでもない。
俺ってば花粉症の気があるし。
春が好きな理由なんてただ一つ。
君がいるから。
「かわいいよなぁ、ホントもう……」
中二、春。建物裏手の桜の木の下。現在所属する『蛟』のメンバーは知らない、俺的穴場。教えるわけにはいかない。教えてしまえば、ここに集う美人が皆喰われてしまう。
「大丈夫……君らは俺が守るから」
ニャァ?
疑問のようなその声さえ、いとしくて堪らない。
そう。俺こと大橋圭介は、自他ともに認める『猫好き』なのだ。
「ホラ、猫じゃらしー」
ニャー
ニャー
ニャー
あああかわいい! 一度に三匹もじゃれて来た。もう俺が猫じゃらしになりたい!
末期だ。
一心不乱に猫を愛でる。昼時に現れて、野良猫の食事の世話などをしているのだ。春が好きな理由もこの辺り。春は捨て猫が多いから。大方子猫が生まれたけれど、これ以上は飼えないわ。なんてノリだ。飼えないんなら初めからこどもができないような処置をしておきなさい。
そういうわけで春が好きな俺。捨て猫を見つけてはこの桜の木の下に連れて来ているわけなのだ。
家で飼えばいいのに。とか言ったのは同グループの琴也。家なんて閉塞的な場所でいとしい天使を養えるかっての。
それに、だ。
「あ、また来てたんだねぇ」
ここを訪れる人が、いるらしいから。
「ちょっといいキャットフードになってるし」
夕方以降に来ているらしい人。詳しくは知らない。会ったことがないから。
猫たちが食べ終わるまでいられないのか、それとも俺が来ることを知っているからか。容器やキャットフードの箱が置いてある。いつしか、餌の容器やキャットフード自体を共有するようになっていた。
「まぁた買い足しさせちゃったなぁ」
膝に猫を座らせて、喉をくすぐる。
ああもうかわいい! ゴロゴロいってる!
好きなだけ猫と戯れて、陽が落ちる頃にはその場を後にする。
夜は蛟に帰るのだ。
「お帰り、圭ちゃん」
「ただいま、コトヤン」
出迎えてくれたのは、井山琴也。お互い幹部まで昇った身。同中、同学年も相まって今一番仲がいい。
「リーダーいる?」
「今出てる。でもやることはあるよ」
来たら大将にあいさつ。あいさつは基本だ。
けれどいないとなれば、帰るか待つか。他の奴から言伝をもらえれば、その通りにすればいい。
「今日からしばらく『釣り』してろって」
「? 何の?」
『釣り』は所謂『囮捜査』。滅多にすることじゃない。
「『美人局』」
「サイアク」
確かに最近何件か耳にした。あくまでも噂レベルでだけど。
被害者は普通の学生さん。蛟にそんなことする輩はいないから、余所者が入り込んでるのは間違いない。
「複数犯らしいよ。美人局流行ってんのかな」
「流行ってんじゃね? マンガでやってたから、それで」
雑誌派だから、マンガは結構本数を読んでる。好きなマンガが載ってる雑誌に、美人局の出るマンガが載っていた。
「ああ、あれか。たっく、真似するバカは滅べばいいのに」
「マジ殺意湧くよな。真似して問題起こすから規制かけるべきだとか騒がれんのに」
言いながら、二人して外へ出て行く。
釣りは嫌いだ。喧嘩する方がよっぽど好き。
まぁこの釣りの後、大きな喧嘩があるだろうけどさ。
猫たちに会いたい。でも、このまま行ったら嫌われる。猫って鼻がいいもんな。
獲物はあっさり俺らの針にかかった。二日目のこと。一週もせずに、バックの野郎が出て来るはずだ。それまでの辛抱。
「ねぇ」
ああ、今の声が猫の鳴き声に聞こえた。相当末期。
声の主は女の子。少し年上みたい。
「なぁに?」
「嫌いよ、あなたみたいな人」
突然。
「複数、香水の臭いがする」
苦々しく言う女の子。よく見たら、結構な美人さん。長い黒髪は、大和撫子って言うのかも。
「うん、俺も嫌い」
「あなたまだ中学生でしょう? 早く足を洗いなさいな」
大きな目。よく見たら、朱色。かつて見たあの人みたい。
けど、あの人は不良側。この人は堅気者だ。
「もうすぐ終わるよ。後は引き上げるだけなんだ」
笑ってその人に背を向ける。追っては来ない。
関わっちゃダメだよ。俺らは喧嘩が大好きで、ひどく汚れているんだから。
「オイコラ、そこの兄ちゃん」
後ろから、こんにちは。
「よくもまァ、人様の女に手出しやがったなァ」
釣れたよ、リーダー。早く来て。
「手前もなのか? 俺のとこもだ」
ワオ、二匹目。一度にかかんないでよ。助けてリーダー。援軍プリーズ。
「中坊の分際で二又ですかい。こりゃもう仕置きじゃ済まないねぇ」
路地裏は勘弁してよ。転んだ後が大変だから。
グループの根城にご招待された。俺って結構ピンチかも。
琴也にこっそりコールして、今は無言電話継続中。雑音を拾って、場所を特定してもらうのが目的。
「何か言うこたぁないか? 少年」
あ、女の子と目が合った。香水振り撒いて、部厚く化粧した醜女。
俺が、釣った女。
いいカモを見るみたいに俺を見るから、めちゃくちゃ腹立ってた。
にっこり笑ってみせる。そしたら驚いて、見下す笑みを見せて来た。大方、『信じてる』とかいう類の笑みだと思ったんだろう。
ケホ
携帯から聞こえた咳の音。続けるように、隠すために咳をした。
早いね、皆。もうこいつらを包囲したんだ。あの咳は準備完了の合図だから。
「じゃあ、一言もらいます」
たっぷり間をもたせる。
観客を魅せる。これが一流。
「ここは手前らの領地じゃねぇ」
両手を掲げる。これも合図。展開する、仲間たち。
「俺らの領地だ」
釣れた獲物は、大物が二つ。どうだい、リーダー。
「お疲れ圭介! 愛してんぜェ!」
一歩前へ出る。格好いいな。やっぱあんたが大将だよ。
「今度何か奢ったる!」
「最高リーダー! 男前!」
さぁ、喧嘩の始まりだ。
喧嘩は好き。すっきりする。何かモヤモヤを抱えていても、それを忘れさせてくれるんだ。
溜まり場に使う仲間の家で服を替えた。シャワーくらい浴びて出たから、香水臭いのは服だけなのさ。
朝から喧嘩して、今は結構疲れてる。あんま寝てないんだよ。
睡眠。
癒し。
不等号は、睡眠より癒し。
かわいいあの子たちに会いに行こう。
前にキャットフードを買い足してもらったから、今回は俺が買い足して行こう。
ついでに買って行く。喧嘩の後だから財布があったかい。
もう桜は散るころか。
桜吹雪。
人の気配。
……人の気配。
もしかしてもしかすると、中々会わないあの人か。
やべ、女の子だったらどうしよう。やだな。同じ年頃の男がいい。
そして不良側だとなお良し。猫繋がりの仲間が欲しいから。
ドキドキしながら、桜の木へ。
奇跡ってあるかも。
少し上っぽいけど同じ年頃の男。雰囲気が不良側っぽい。
実は猫好きのほどがすぎて、ちょっと琴也にヒかれてた。
しかし。これからは違う。猫トークができる。
俺が喜びに浸っていると、その人は気配に気づいたらしい。
「げ」
「第一声それ?」
結構ひどい。あ、でもこの人美形だ。
「ちわっす。いつもここに来てる人っしょ?」
「……悪かったな。こんな野郎で」
若干気まずそう。きっとあれだ。散々猫好きをからかわれたんだ。
「俺は嬉しいけどなぁ。同じ年頃の男で猫好きに会えて」
「……仲間か」
疑ってる疑ってる。
「餌やってる時点で。ホラ、買って来た」
いつも俺が買うのと同じキャットフード。ランクを上げるとこれからが厳しい。なんせ量が半端ないからね。
「お、サンキュ」
丁度空になったらしい箱を小さく畳んでた。几帳面かな。
「喧嘩か? ケガしてる」
「平気。慣れてる」
嘘じゃない。ひどいときは刃物が出て来たりするから。
猫を膝に抱きながら隣に座れば、立ち上がってしまう。嫌われた?
「動くなよ」
カバンから出したのは、消毒液。手当てしてくれるのか。
「なんでそんなん持ってんの?」
「ツレが昔荒れてたからな。その名残だ」
シミる。地味にキツい。
「名残? じゃあその人、もう止めたの」
「止めさせた。女が不良側にいると色々危ないからな」
元々大したケガじゃない。
消毒さえすれば、絆創膏は必要ないのがほとんど。
でも結構貼られた。外気に晒してると痛いから助かったけど。
「女の子でケガしてたんだ。変な男に引っかかったのかな」
すぐに手が出る男ってのはいるもんだ。俺はそういうの嫌いだけど。
「違ーよ。喧嘩だ、喧嘩」
珍しい。女の子はあんま喧嘩しないのに。女の不良っていえば大体がグルーピー。
「疑ってんな?お前」
「まぁ……」
仕方ないでしょ。現実の汚さを知ってんだから。
「喧嘩だよ。処女だったから」
爆弾発言。
「彼女?」
「うん」
あ、素直。たぶんあれだ。ダチも中々見れない素直さ。いいもん見た。
「そっか。今度紹介してよ、兄弟」
「誰がだ」
ツッコミ。こいつ常識人なんだ。
「猫好き皆兄弟」
こいつに浮かんだのは苦笑い――と見せかけて、優しい笑み。
いい人。
「お前が足洗ったらな」
珍しい日かも。一日に二回も足を洗えと言われるなんて。
「しばらくは無理かな」
「そうか」
やっぱいい人。追求しないでいてくれる。
俺らみたいな奴をわかってる。
知ったかぶりなわけでもなく。
「気長に待ってて」
「了解」
今日はいい日。集まってる猫も多いし。
たぶん俺を敬遠してた猫が、こいつを慕って寄って来たんだ。
「これからよろしく、藍猫」
俺の知ってる藍猫は、めちゃくちゃかわいくてめちゃくちゃ強い女の子。だけどこいつにこの名はよく似合う。
「藍かよ。俺はどっちかっつーと瑠璃だよ」
しかも藍猫って女じゃねーか。
付け足した言葉。うわ、めちゃくちゃ話合う。
「俺が藍猫なら、お前は紅猫か」
「ホン?」
中国読みは詳しくない。よく知ってるなぁ、こいつ。
「紅。お前髪赤いから」
「あー、そう言えば今赤いのか」
色はコロコロ変える。だからかなり痛んでる。
「いいんじゃねーの? 色男が薔薇色に着飾る姿は最高らしいからなぁ」
「そ? じゃあしばらくこれでいく」
色男なんて柄じゃないんだけどね。薔薇色ってわけでもないけど。
「よろしく、紅猫」
ま、いっか。
「俺は休校日なわけだけど、お前は?」
「サボり! ちなみに中二」
「高一。敬語はなしでいい」
「おけ。本名――は、なしでいいな」
「ああ。その方が面白い」
「気が合うな、藍猫」