第五章(第一部):力[チカラ]
――グーン帝国領タニアリーズ――
平原の北部に位置するグーン帝国、その領の中でも比較的大きく、栄えている街である。
街の中央には壮大な大きさを誇る城が堂々とそびえ立ち、城下を見下ろしている。
この街をカイサル達四人は辺りを物色するように歩いていた。
これまでに訪ねた村や町では未だに何の情報も得られていない。四人に少し焦りの色が見えていた。
「この街なら何らかの情報が得られるだろう。ここからは手分けして探る。日が暮れるまでにはこの宿屋に集まれ」
応、四人はそれぞれの方向に歩みだし、人混みの中へと消えていった――
「なんで、なんで兵隊なんかになったの??」
幼さが残る声で怒鳴る声がするが、たかが子供の喧嘩だとしか思っていないのだろう、周りの人は気にとめる様子もない。むしろ気づいてすらいない。
おそらく姉弟と見える少年と少女の二人が言い争いをしている。
ここは、タニアリーズの外れにある貧困地域、スラム街。
ここに住んでいる者は既に他人のことに気をとられている暇はない状態になっている。誰もが食べ物を求め、職を探し、酷いときには殺し合いも起きる。
さらに城の兵士はこの街に全く関与しないため、止めさせようとすることもなく、街の住民ですら殺し合いが起きても何事もないかの様に気にすることはない。完全に放置されているのである。そんなところでは姉弟関係が続いているのも珍しいほどだ。
腰に帯刀している少女の名は、レン。
そして、そのレンに対して怒りを露にし、十代前半と見える少年の名前は…無い。
このスラム街の住民のほとんどは名前を持っていない。名前など有っても、他人との交流がないここでは必要が無いのだ。
城下町に出て、職を手にするとき、雇い主などから名前を貰うようになっている。レンは、帝王に仕え、街の治安を守る役割も果たしている騎士団に入隊し、部隊隊長から名前を貰った。そのことを弟に知らせに来たのだった。
姉からそのことを聞いた弟は、急に表情を変えた。よりによって何で兵士に、弟の心の内に強く刻み込まれている出来事の記憶が蘇る。
――四年前、二人の両親が殺し合いに巻き込まれ、その時近くにいた兵士に助けを求めた。
「たかがスラム街の醜い争いを何故止めに行く必要がある」
そう相手されず、姉弟は両親を失った。
あの時に兵士が止めに行っていれば両親は死なずに済んだ。
姉弟には兵士に殺されたも同然であった。
それ以来兵士を心の底から憎み、世の中で最も嫌いな者として扱ってきたのは姉本人だった。
それなのに姉は兵士になった。弟には姉の考えが理解できなかった。
ひどく憤り、軽蔑の眼差しを送る弟に、姉、レンは落ち着いた様子で
「あなたの為なの」
そう答えた。
「何が僕の為なんだよ」
そう言って自分の腕を掴んでいる姉の手を払い除けた。その勢いで横を通っていた男に手をぶつけてしまった。
「小僧、痛えじゃねえか」
男は弟を突き飛ばし、刀を抜く。そして、弟に見定めた。
弟は恐怖の表情を浮かべている。レンも抜刀し、止めに入ろうとするが、もはや振り下ろされ始めた刀を止めるのに間に合うものはない。二人の脳裏に最悪の映像が浮かんだ。
――刹那
弟に当たる寸前で男の両腕が刀と共に宙に飛んだ。男は一瞬自分の身に起こったことがわからず、しばらくして、苦痛に悶え始めた。
姉弟にも何が起こったのか理解出来ないでいる。突然何処からか弟と男の間に一人の青年が入ってきていた。
レンは少しの間呆然と立ち尽くしていたが、弟が無事であることに胸を撫でおろした。しかし、その安心も長くはなかった。さっきの男の仲間が大人数で三人を囲んでいる。レンはさっきの男の重要さをこの時になって気付いた。
男は騎士団も手を妬いている、ゼムノス一味の仲間だった。
レンは、自分達の味方であろう青年はかなりの腕がたつ者であることは予想がつくが、今回の敵の数からして、無理だ、と諦めかけている。
それでも弟を守ろうと刀を構える。
しかし、直ぐに青年からそれを制止させられた。
青年が一歩前に踏み出す。
「なんだ、兄ちゃんがやるのかい??」
周りを囲んでいる一味は数の差から余裕さを感じ、青年を嘲笑っている。
「満足か??」
そう一言だけ問うと、背中にある布で巻かれた棒の様なものに手をかけた。
次の瞬間――
斬音と共に悲鳴が上がった。何人かを残して取り囲んでいた一味が皆倒れている。
レンは目に映るものが信じられなかった。
あまりにも長すぎる刀身を持つ刀。尋常ではない斬り込みの速さと刀を動かすスピード。全てがレンの想像を凌駕している。
弟も目の前に起きていることが未だに信じられない様子でいる。
「て、てめえ何者だ」
恐怖に脅えながら一味の生き残りは青年に対して強気な態度を示そうとしている。
青年は威厳を込めて答えた。
「我が名はライル帝国《北斗聖団》隊長、カイサル・オルグニル。死にたくなければ早々に立ち去れ!!」
圧倒的な差、歴然とした力の差だった。一味は最後まで言葉だけは強気なことを吐き捨てて逃げていった。
レンはやっと安堵の息を肺一杯吐き出した。
「あ、あの、ありがとうございました」
深々と頭を下げ、少しして頭を戻し青年を見上げた。その時初めて青年の顔を見た。
そこには数秒前に目の前でしていた闘い方からは想像もできない優しい目があり、こちらの不安を一気に吹き飛ばすのに十分な雰囲気をかもし出している。レンはその一瞬で自分の目の前にいる青年は悪い人ではないと直感的に思った。
しかし、弟は青年と顔を合わせようとしないでいる。
「ほら、あんたもお礼を言いな、この人がいなかったらあんたは――」
嫌だ、の一言で姉の言葉を切り、頭を押さえ付けられているレンの手を払い除けた。
「こいつも軍人なんだ。軍人なんて人を殺しても何とも思っちゃいないんだ」
言葉を吐き捨てるようにして、自分の家がある街の方へと走っていった。
青年はどこか淋しそうな目で、走り去る弟の背中を見ていた。
レンは弟の予想もしなかった突然の行動に慌てた。
「ご、ごめんなさい。弟はひどく軍人を嫌っていて、その…」
と、申し訳なさそうにして、口籠っているレンに、青年は直ぐに言葉を返して来た。
「君はどうなんだい??」
そう聞かれ、この人には嘘はつけないと直感的に知り、素直に話した。
自分も軍人が嫌いなこと、弟と共に嫌いな理由、軍人になった理由、ありのままを青年に話した。
さっき会ったばかりで何処の誰かも判らないような青年に、何故か話せた。話したいと思った。
自分がこんな気持ちになったのは、青年の優しさ故になのか、別の何かなのか、その時はわからなかった。
レンは最後に青年に問掛けた。レンが最も知りたいこと。
「あ、あの、どうしたらそんなに強くなれますか」
青年は微笑み掛け、レンに一言だけ言うと、また、人混みの中に消えていった――