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罰ゲームで告白してきた幼馴染を振った翌日、彼女が学校に来なくなった――そして俺以外の全員が彼女を忘れていた

作者: 雨城 光
掲載日:2026/09/16

罰ゲームで告白してきた幼馴染を振った翌日、彼女が学校に来なくなった――そして俺以外の全員が彼女を忘れていた


 幼馴染を振った翌日、彼女の席がなくなっていた。


「……なあ」


 朝の教室。


 俺は自分の隣に広がる、不自然な空白を見つめながら、前の席に座っている男子生徒の肩を叩いた。


「七瀬は?」


「七瀬?」


「七瀬結愛。俺の隣の席の」


 名前を出せば、すぐに通じると思っていた。


 七瀬結愛は、校内でもそれなりに有名だ。


 肩より少し長いミルクティーブラウンの髪。大きな蜂蜜色の瞳。小柄で、愛想がよくて、自分がどう笑えば一番可愛く見えるのかを熟知している。


 歩いているだけで男子の視線を集め、ひとたび笑えば女子まで「可愛い」と騒ぐ。


 そんな結愛を知らない人間なんて、このクラスにはいない。


 ――そのはずだった。


「誰、それ」


 前の席の男子――山岸は、本気で分からないという顔をした。


「誰って……昨日までここに座ってただろ」


 俺は隣を指さす。


 だが、そこに机はない。


 俺の机と窓際の壁との間に、ちょうど一人分の空間だけが空いている。


「いや、篠宮の隣は入学したときから空いてるけど」


「そんなわけあるか」


「なんで俺が嘘つくんだよ」


 山岸は気味の悪いものでも見るように、わずかに身を引いた。


 その反応に、背中が冷える。


 教室の前方では、担任が出席簿を開いていた。


「先生」


「どうした、篠宮」


「七瀬から、何か連絡は来てませんか」


「七瀬?」


 担任が眉をひそめる。


「七瀬結愛です。このクラスの」


「うちのクラスに、そんな生徒はいないぞ」


 ざわりと教室が騒めいた。


 冗談を言っている顔ではない。


 担任は出席簿をめくり、俺にも見えるように広げた。


 出席番号七番。


 そこにあるべき名前が、ない。


 六番の次は八番へ飛んでいる。


「……何だよ、これ」


「どうした、篠宮。顔色が悪いぞ」


「そんなはず……」


 俺はスマートフォンを取り出した。


 結愛とのメッセージアプリを開く。


 昨日まで毎日のように交わしていたやり取りが、そこには残っていた。


『律くん、おはよ』


『今日も先に行ったら浮気認定します』


『三分待ってやる』


『短い! 女の子の三分は、体感三秒だよ!』


『知らん』


『冷たい彼氏だね』


『誰が彼氏だ』


『未来の?』


 間違いない。


 このふざけた文面は結愛だ。


「ほら、これ……」


 山岸に画面を見せようとした、その瞬間だった。


 メッセージが一つ消えた。


「え?」


 さらに一つ。


 一番上から順番に、結愛との会話が消えていく。


 まるで、最初からそんなやり取りなど存在しなかったかのように。


「おい、待て……!」


 画面を押さえても意味はない。


 夏祭りに行った約束が。


 定期試験の答えを教えろと駄々をこねた言葉が。


 俺の誕生日を祝ったメッセージが。


 一つずつ、消えていく。


 最後に残ったのは、昨日の朝に送られてきた一文だった。


『律くん、今日の私も可愛い?』


 その文字も淡く滲み――消えた。


 トーク画面には、無機質な表示だけが残る。


『メッセージはありません』


 そんなわけがない。


 七瀬結愛は、確かに存在していた。


 昨日まで、俺の隣にいた。


 昨日の放課後。


 俺は、彼女を振ったのだから。


     ◇


「律くん、おはよう。待たせた罰として、今日の私を褒めてください」


 昨日の朝。


 玄関を開けると、結愛が門柱に背を預けて立っていた。


 肩から提げたスクールバッグ。短すぎない程度に整えられたスカート。毛先を柔らかく巻いた髪。


 唇には薄く色が乗り、右側の髪には白い花を模したヘアピンが留められている。


 校則の範囲を絶妙に守りながら、最大限自分を可愛く見せる。


 七瀬結愛は、そういう女だった。


「勝手に待っておいて罰を与えるな」


「女の子を待たせた男子には、褒める義務があるんだよ?」


「今作っただろ、その法律」


「バレた?」


 結愛が舌先を少しだけ出す。


 わざとだ。


 こいつは自分がどんな仕草をすれば可愛く見えるのか、全部分かっている。


「じゃあ質問を変えます」


 結愛は後ろで手を組み、わざわざ俺の視界へ回り込んだ。


 少し腰を折り、上目遣いにこちらを覗き込む。


「今日の私も可愛い?」


「昨日と顔は変わってないだろ」


「つまり、昨日からずっと可愛い?」


「そういう意味じゃない」


「でも、可愛くないとは言わないんだ?」


「朝から面倒くさいな、お前」


「ふふっ」


 結愛は満足そうに笑い、俺の制服の袖をつかんだ。


「律くんって、私のこと好きすぎ」


「その自信はどこから湧いてくるんだ」


「鏡?」


「見習いたくない自己肯定感だな」


 歩き出すと、結愛は当然のように隣へ並んだ。


 家が近い俺たちは、小学生の頃からほとんど毎日一緒に登校している。


 高校二年生になった今も、それは変わらない。


「ねえ、律くん」


「なんだ」


「今日の私、いつもと違うところが一個あります」


「間違い探しか」


「当てられたら、何でも一つお願いを聞いてあげる」


「じゃあ、静かにしてくれ」


「まだ当ててません」


 結愛が頬を膨らませる。


 分かりやすい演技だった。


「ヘアピン」


「……え?」


「右側の。昨日はつけてなかった」


 結愛が足を止めた。


 俺も数歩進んでから振り返る。


「どうした」


「ううん」


 結愛は白い花のヘアピンに触れ、どこか眩しそうに目を細めた。


「ちゃんと見てるんだなって思って」


「お前が当てろって言ったんだろ」


「そうだけど。律くん、他の女の子の変化には気づかないじゃん」


「比較できるほど、他の女子のこと知らないだろ」


「それもそうだね」


 結愛は小走りで追いつくと、先ほどより少しだけ強く俺の袖をつかんだ。


「じゃあ、お願いは放課後に使います」


「ろくなことじゃなさそうだな」


「大丈夫。律くんにしか頼めないことだから」


 その声に妙な響きを感じて、俺は結愛の横顔を見た。


 いつもの笑顔。


 けれど、握られた袖の向こうで、彼女の指先が微かに震えていた。


「結愛?」


 思わず名前で呼ぶと、彼女が目を丸くする。


 学校では、いつも七瀬と呼んでいる。


 幼い頃からの名前が口をついたのは、何かがおかしいと思ったからだ。


「今、結愛って呼んだ?」


「呼んだが」


「もう一回」


「嫌だ」


「えー。減るものじゃないでしょ?」


「お前が喜ぶから嫌だ」


「何それ。可愛い」


「男に言うな」


「じゃあ、格好いい?」


「それもわざわざ確認するな」


 結愛はくすくす笑った。


 しかし、しばらく歩いたところで、不意に袖を引く。


「ねえ、律くん」


「今度はなんだ」


「私が突然いなくなったら、寂しい?」


「朝から縁起でもないこと言うな」


「仮定の話だよ」


 結愛は笑っていた。


 けれど、俺の袖をつかむ手は離れない。


「そうだな……探すんじゃないか。たぶん」


「たぶんなんだ?」


「お前なら、俺を驚かせるために隠れてる可能性もあるからな」


「そのときは?」


「見つけて説教する」


「そっか」


 結愛は一瞬だけ、泣きそうな顔をした。


 俺が何か言うより早く、いつもの笑顔に戻る。


「じゃあ、ちゃんと見つけてね」


     ◇


 学校での結愛は、いつも輪の中心にいる。


 教室に入った途端、女子数人から声をかけられ、男子からも他愛のない質問を投げられる。


「結愛、そのヘアピン可愛い!」


「でしょ? 律くんも一発で気づいてくれたんだよ」


「えっ、篠宮が?」


「違う。こいつが当てろとうるさかっただけだ」


「照れてる照れてる」


「律くん、顔は怖いけど私のこと大好きだから」


「余計な一言を足すな」


 クラスメイトたちが笑う。


 こういうやり取りも日常だった。


 結愛が俺をからかい、俺が否定する。


 誰も本気にはしない。


 俺たち自身も、それでいいと思っていた。


 少なくとも、俺はそう思っていた。


「では出席を取るぞ」


 ホームルームが始まり、担任が出席簿を開く。


 順番に名前が呼ばれていく。


「相沢」


「はい」


「井上」


「はい」


「篠宮」


「はい」


 俺は返事をしてから、眉を寄せた。


 担任は何事もなく次の名前を呼んでいる。


「先生」


「どうした、篠宮」


「七瀬を飛ばしてます」


「ん?」


 担任が出席簿へ目を落とす。


 結愛は笑いながら手を挙げた。


「先生、私、ついに存在感まで小さくなりました?」


「ああ、悪い。七瀬」


「はい。今日も可愛く出席してます」


「余計な報告はいらん」


 教室に笑いが起きる。


 担任も単なる見落としだと思ったのだろう。そのまま出席確認を続けた。


 けれど、結愛の笑顔はどこか硬かった。


 昼休みには、また小さな異変が起きた。


「……あれ?」


 鞄の中を探っていた結愛が、困ったように首を傾げる。


「どうした」


「お弁当がない」


「忘れたのか?」


「たぶん、お母さんが作り忘れたみたい」


「自分で用意してないのかよ」


「朝は律くんに可愛いって思ってもらうために忙しいので」


「その努力を別のところに使え」


「でも、おかしいな。昨日も私の分だけなかったんだよね」


「二日連続?」


「お母さん、疲れてるのかも」


 結愛は笑っていたが、声が少し震えていた。


 俺は購買で買ったパンを一つ差し出す。


「食うか」


「いいの?」


「腹減ってるんだろ」


「律くんの食べかけ?」


「未開封だ」


「私、律くんの食べかけでも全然平気だよ?」


「俺が平気じゃない」


「照れ屋さん」


 笑いながらパンを受け取った結愛は、包装を開ける前に小さく呟いた。


「よかった」


「何が」


「律くんには、ちゃんと見えてるんだなって」


「……さっきから何を言ってるんだ?」


「気にしないで」


 結愛はパンを一口かじる。


 それから、思いついたように俺を見る。


「私の名前、言ってみて」


「は?」


「いいから」


「七瀬結愛」


 即答すると、結愛が目を細めた。


「フルネームで即答。愛が重いね」


「自分で言わせたんだろ」


「じゃあ、忘れないでね」


 その声だけは、冗談に聞こえなかった。


     ◇


 放課後。


 帰ろうとした俺のスマートフォンに、結愛からメッセージが届いた。


『朝のお願い、今使っていい?』


『内容による』


『屋上で待ってます』


『聞け』


『女の子を待たせたら嫌われちゃうぞ』


『もう待ってるのかよ』


『五分前行動のできる可愛い女なので』


 仕方なく鞄を持ち、屋上へ向かう。


 階段を上っている途中、踊り場の先から女子の話し声が聞こえた。


 結愛と仲のいい女子たちだった。


「本当に今日、告白するの?」


「もし断られたら、罰ゲームだったってことにするんでしょ?」


 俺は足を止めた。


 心臓が一度、大きく鳴る。


 告白。


 罰ゲーム。


 その二つの言葉だけで、誰の話をしているのか理解してしまった。


 朝からの結愛の妙な態度。


 放課後の呼び出し。


 律くんにしか頼めないこと。


 馬鹿みたいに期待していた自分に気づき、胸の奥が冷たくなる。


 そうだ。


 結愛が、本気で俺を好きになるはずがない。


 俺は踊り場を離れた。


 だから、続く言葉を聞かなかった。


「結愛、そんなに怖いなら、無理しなくてもいいんじゃない?」


「駄目。今日言わないと、もう間に合わないかもしれないから」


 それを知ったのは、ずっと後だった。


     ◇


 屋上では、結愛がフェンスの前に立っていた。


 夕陽が彼女の髪を薄い金色に染めている。


「遅いよ、律くん」


「五分も経ってない」


「女の子を待たせた一分は、体感一時間です」


「朝より悪化してるぞ」


「恋する乙女の時間は貴重なの」


 結愛は笑っていた。


 いつもの、計算された可愛い笑顔。


 けれど、右耳のあたりの髪を何度も触っている。


 結愛が嘘をつくときの癖だ。


「それで、お願いって何だ」


「せっかちだなあ」


 結愛は俺の前まで歩いてくる。


 いつもなら遠慮なく踏み込んでくるのに、その日は一歩分の距離を残した。


 後ろで組んだ両手が震えている。


 頬は赤く、蜂蜜色の瞳は落ち着きなく揺れていた。


「律くん」


「何だ」


「私たち、ずっと一緒にいるね」


「家が近いからな」


「小学生のときも、中学生のときも、今も」


「そうだな」


「これからも、一緒にいられるかな」


 俺は答えられなかった。


 いつもの冗談なら、適当にあしらえた。


 けれど、結愛は笑っていない。


「私ね、律くんのこと――」


「悪い」


 その先を聞くのが怖かった。


 本気にして、後から笑われるのが怖かった。


 だから俺は、結愛が言い切るより先に遮った。


「そういう罰ゲーム、付き合えない」


 結愛の表情が止まった。


 瞳が見開かれる。


 唇が、かすかに震える。


「……え?」


「聞こえたんだよ。お前の友達が話してるの」


「そっか」


 短い沈黙。


 結愛は俯いた。


 何かを堪えるように唇を噛み、やがて顔を上げる。


 そこには、いつもの笑顔があった。


「……あは。バレちゃった?」


「悪趣味だぞ」


「ごめんね。律くんなら、笑って付き合ってくれるかなって思って」


 笑顔は完璧だった。


 けれど、目の端に浮かんだ涙までは隠せていない。


 俺はそれを見ても、自分が傷つけられたと思い込んでいた。


「俺、帰るから」


「うん」


 結愛が道を空ける。


 俺が横を通り過ぎても、引き止めなかった。


 屋上の扉に手をかけたとき、背後から声が届く。


「ねえ、律くん」


「何だ」


「今日の私も……可愛かった?」


 振り返る。


 結愛は夕陽の中で笑っていた。


 今にも泣き出しそうなくせに、それでも俺に一番可愛い顔を見せようとしていた。


「いつもと同じだよ」


 俺は、それだけ答えた。


 結愛が少しだけ安心したように目を細める。


「そっか」


 白い花のヘアピンに触れながら、彼女は笑った。


「よかった」


 それから、小さく手を振る。


「じゃあね、律くん」


 それが最後だった。


     ◇


 俺は学校を飛び出した。


 向かったのは、結愛の家だ。


 俺の家から数軒しか離れていない、白い壁の一戸建て。


 何度も遊びに行った。結愛の母親には夕飯をご馳走になったこともある。


 それなのに、表札には見覚えのない名字が記されていた。


 インターホンを押して出てきたのも、知らない女性だった。


「あの、七瀬さんは」


「七瀬?」


「ここに住んでいるはずなんです。七瀬結愛っていう、俺と同い年の女の子で」


「うちは十年以上ここに住んでいますけど、そんな方は知りません」


「そんなはずない!」


 声を荒らげた俺に、女性は怯えた表情を浮かべる。


 謝って、その場を離れた。


 近所の人間に聞いても、誰も結愛を知らなかった。


 自宅へ駆け込み、母親に尋ねる。


「母さん、結愛は?」


「結愛?」


「七瀬結愛! 昔から一緒に遊んでただろ!」


「律、あなた……大丈夫?」


 母親は本気で心配していた。


「あなたに幼馴染なんていないでしょう?」


「写真がある」


 リビングの棚から、アルバムを引っ張り出す。


 小学校の入学式。


 運動会。


 家族同士で行った夏の旅行。


 そのすべてに、結愛が写っていたはずだった。


 だが、どの写真にも結愛はいない。


 俺の隣だけが、不自然に空いている。


「嘘だろ……」


 記憶まで揺らぎ始める。


 結愛は、どんな声で笑っていた。


 好きな飲み物は何だった。


 いつから髪を伸ばしていた。


 昨日つけていたヘアピンは、何色だった。


「違う」


 俺は自分の部屋へ飛び込み、ノートを開いた。


 忘れる前に、覚えていることをすべて書き殴る。


 七瀬結愛。


 身長は百五十三センチ。


 ミルクティーブラウンの髪。


 蜂蜜色の瞳。


 甘い卵焼きが好き。


 炭酸は苦手。


 嘘をつくと、右耳の髪を触る。


 自分が可愛いと知っている。


 俺をからかって、毎朝同じ質問をする。


『今日の私も可愛い?』


 文字が涙で滲んだ。


 いつの間に泣いていたのか、自分でも分からなかった。


 そのとき、制服のポケットから何かが落ちた。


 白い花のヘアピンだった。


 昨日、結愛がつけていたもの。


 どうして俺が持っているのか分からない。


 拾い上げた瞬間、遠い記憶が蘇る。


 幼い頃。


 河川敷。


 泣いている結愛へ、俺は白い花を摘んで渡した。


『結愛がいなくなっても、律くんは平気?』


『いなくならないだろ』


『もしもの話』


『だったら、俺が見つける』


『本当に?』


『絶対に見つける。大きくなっても、ずっと一緒にいる』


 朝の結愛の声が重なる。


『じゃあ、ちゃんと見つけてね』


「……待ってろ」


 ヘアピンを握り締め、立ち上がる。


「今度こそ、絶対に見つける」


     ◇


 河川敷の古い公園。


 陽は傾き、空は燃えるような茜色に染まっていた。


 錆びたブランコが風に揺れ、甲高い音を立てている。


 そこに、結愛はいた。


 一番端のブランコに座り、力なく俯いている。


 その身体は薄く透け、向こう側の景色が見えていた。


「結愛!」


 俺が名前を呼ぶと、結愛がゆっくり顔を上げる。


 泣き腫らした目を丸くして、やがていつもの笑顔を作った。


「本当に見つけちゃった」


 立ち上がろうとした結愛の身体が揺れる。


 俺は駆け寄り、その肩を支えようとした。


 けれど、指先が身体をすり抜ける。


「触れないんだ」


「みたいだね」


「何が起きてる」


「分かんない」


 結愛は困ったように笑う。


「少し前から、みんなに忘れられてたの。最初は店員さんに注文を飛ばされるくらいだった。次は友達が約束を忘れて、それからお母さんが私のお弁当を作らなくなった」


「どうして黙ってた」


「言ったら、律くんに心配かけるから」


「心配くらいさせろよ!」


「そんなに怒らないでよ」


 結愛はブランコの鎖へ手を添える。


 その手も輪郭が曖昧になり、金属をすり抜けかけている。


「でも、律くんだけは忘れなかった」


「当たり前だ」


「毎朝、ちゃんと私を見つけてくれた。髪型が変わったら気づいてくれたし、お弁当がなかったらパンをくれた。私が名前を聞いたら、すぐに答えてくれた」


 結愛の瞳から、涙がこぼれる。


「だから私、毎朝聞いてたの」


『今日の私も可愛い?』


「あれは……」


「可愛いって言ってほしかったのも本当だよ?」


 結愛が涙を拭いながら笑う。


「律くんに可愛いって言われたら、その日はずっと幸せだから。でも、それだけじゃないの」


 震える声で続ける。


「今日も私が、律くんの目に映ってるって確かめたかった」


 胸を掴まれたように、息が詰まる。


「昨日の告白も、本気だったのか」


「うん」


「罰ゲームじゃなかった?」


「友達にお願いしたの。もし振られたら、罰ゲームだったことにしてって」


「どうして、そんなことを……」


「だって、本気で好きだったって知られる方が恥ずかしいじゃん」


 結愛は右耳の髪へ手を伸ばしかける。


 けれど、そこにあるはずのヘアピンはない。


「それに、律くんを困らせたくなかったから」


「だったら、今までのも全部……」


「『好き』も、『付き合う?』も、『お嫁さんになってあげようか』も、半分は本気」


「半分?」


「残り半分は、ほぼ本気」


「全部じゃないか」


「バレた?」


 いつものように舌を出そうとして、失敗する。


 涙が次々と溢れ、笑顔が崩れていく。


「本当は、怖かった」


「結愛」


「振られるのも怖かった。でも、それより……律くんの中から私まで消えるのが、一番怖かった」


「消えない」


「もう遅いよ」


 結愛の脚が光の粒となって、少しずつほどけ始める。


「たぶん、律くんとの約束が最後だったの」


「約束?」


「覚えてない?」


 結愛が河川敷へ視線を向ける。


 記憶が蘇る。


 小学生の頃。


 増水した川へ落ちた結愛の手を、俺は必死につかんだ。


 冷たい水に身体を引かれ、泣き叫ぶ結愛へ、何度も言った。


『絶対に離さない』


『結愛を一人にしない』


『大きくなっても、ずっと一緒にいる』


「あの日から、私は律くんとの約束で、ここにいたのかもしれない」


「そんな……」


「でも昨日、律くんに拒絶されて、約束が終わっちゃった」


 俺が終わらせた。


 結愛の存在を世界につなぎ止めていた最後の縁を、自分から切った。


「ごめん」


「謝らなくていいよ」


「よくない」


「だって、律くんは悪くないもん。私がちゃんと本当のことを言わなかったから」


「それでも――」


「最後まで、可愛い幼馴染でいられたなら、それでいいかな」


 結愛は笑った。


 消えかけているのに。


 怖くて仕方がないはずなのに。


 俺に涙を見せないために、最後まで可愛い笑顔を作ろうとしている。


「だから、律くん」


 輪郭の薄くなった手を振る。


「今度こそ、じゃあね」


「よくない」


「律くん?」


「俺は、お前がいない世界で生きたくない」


 結愛の目が見開かれる。


「……何、それ」


「俺も怖かったんだ」


 ずっと認めなかった気持ちを、初めて言葉にする。


「お前が俺を本気で好きになるはずがないと思ってた。告白を信じて、後から冗談だって笑われるのが怖かった」


「笑わないよ」


「分かってる。今なら分かる」


 消えかけた結愛の手へ、もう一度手を伸ばす。


 今度は、すり抜けなかった。


 冷たい指先を、確かにつかむ。


「七瀬結愛」


「……うん」


「身長百五十三センチ」


「百五十四だよ」


「この前、靴下を履いたまま測ってただろ」


「見てたの?」


「甘い卵焼きが好きで、炭酸が苦手」


「うん」


「嘘をつくと、右耳の髪を触る」


「……うん」


「自分が可愛いと分かってて、毎朝俺をからかってくる、面倒くさい幼馴染だ」


「ひどいなあ」


 結愛の輪郭が、わずかに濃くなる。


 俺は覚えている。


「小学校の運動会で転んで、一位を逃した」


「それは忘れて」


「中学の文化祭でメイド服を着て、俺にだけ写真を売りつけた」


「律くんが欲しそうだったから」


「高校の入学式では、違うクラスになったと思って泣いた」


「泣いてない。目に桜の花びらが入っただけ」


「あの日、俺と同じクラスだと分かったとき、誰より喜んでた」


「……うん」


 忘れるものか。


 世界中の人間が忘れても、俺だけは覚えている。


 泣き虫だった結愛も。


 強がる結愛も。


 あざとく笑う結愛も。


 本当の告白だけは怖くて言えなかった結愛も。


「俺は、お前を忘れない」


「律くん……」


「世界がお前を忘れても、俺が全部覚えてる」


 結愛の手を強く握る。


「だから、俺の前から消えるな」


 逃げずに、その瞳を見る。


「好きだ、結愛」


 結愛の笑顔が、初めて完全に崩れた。


「ずるいよ」


 子供のように泣きながら、俺の胸へ飛び込んでくる。


 今度は、確かな重みがあった。


「今さらそんなこと言われたら……消えたくなくなっちゃうじゃん」


「じゃあ、残れ」


「命令?」


「告白だ」


「もっと可愛く言ってよ」


「一生、俺のそばにいてくれ」


「そんなの……」


 結愛の腕が、俺の背中へ回される。


「断れるわけないじゃん」


 夕陽の中、結愛の身体を覆っていた光が弾けた。


 透けていた髪に色が戻り、冷たかった身体に温度が宿る。


 俺たちは、幼い頃に交わした約束を結び直した。


 幼馴染としてではなく。


 互いを選んだ、恋人として。


     ◇


 翌朝。


 教室へ入ると、俺の隣に机が置かれていた。


 ホームルームの時間になり、担任が一人の女子生徒を連れてくる。


「今日からこのクラスに加わる、七瀬結愛さんだ」


 教室が騒めいた。


 誰も結愛を覚えていない。


 世界に結愛は戻った。


 しかし、失われた過去までは戻らなかった。


 家族もいない。


 幼い頃の写真もない。


 七瀬結愛は、昨日突然この世界に生まれた転校生として扱われている。


「七瀬結愛です」


 黒板の前に立った結愛が、完璧な角度で微笑む。


「まだ分からないことばかりなので、優しく教えてくださいね?」


 男子たちから、感嘆の声が漏れる。


 女子たちも「可愛い」と囁き合っている。


 相変わらず、自分の見せ方を分かっている。


「席は篠宮の隣だ」


「はい」


 結愛は俺の隣へ座る。


 教科書を机へ入れながら、他人行儀に頭を下げた。


「よろしくね、篠宮くん」


「ずいぶん他人行儀だな」


「転校初日から男の子を名前で呼んだら、付き合ってるって思われちゃうでしょ?」


「実際、付き合ってるだろ」


「……律くん」


 結愛が固まる。


 やがて頬を赤くし、机の下で俺の袖を引いた。


「急に強くなりすぎじゃない?」


「誰かさんが消えそうになったせいだ」


「反省してます」


「本当に?」


「三割くらい」


「少ないな」


「だって、律くんがようやく告白してくれたから。少しくらい消えかけた甲斐はあったかなって」


「もう二度とするな」


「はーい」


 楽しそうに笑う結愛の右側の髪へ、白い花のヘアピンを留める。


「これ」


「あ」


「昨日、落としただろ」


「律くんが持ってたんだ」


「俺のところに残ってた」


 結愛はヘアピンに触れ、柔らかく目を細めた。


「ねえ、律くん」


「何だ」


 結愛が少しだけ身を寄せる。


 毎朝繰り返していた、いつもの問い。


「今日の私も可愛い?」


 俺はもう、誤魔化さなかった。


「結愛」


「なに?」


「今日も可愛いよ」


 結愛が固まった。


 頬だけでなく耳まで赤くなり、視線を泳がせる。


「……それ、反則」


「言わせたのはお前だろ」


「そうだけど、律くんはいつも答えてくれなかったから……」


「これからは言う」


「毎日?」


「毎日」


「本当に?」


「お前が忘れられないようにな」


 結愛は俯いた。


 机の下で、俺の手にそっと指を絡める。


「じゃあ、私も毎日聞くね」


「面倒くさいな」


「駄目。律くんが忘れたら、私、本当に消えちゃうかもしれないんだから」


「忘れない」


「私、結構重いよ?」


「知ってる」


「律くん以外に覚えてもらうつもり、あんまりないかも」


「それは少し努力しろ」


「だって、律くんが私の世界になってくれるんでしょ?」


 結愛はいつもの、あざとい笑顔を浮かべる。


 けれど、その瞳には隠しきれない愛情が宿っていた。


「責任取って、一生私を覚えていてね」


 絡めた指へ力を込める。


「彼氏くん」


     ◇


 放課後。


 下駄箱を開けると、一通の黒い封筒が落ちた。


「何それ?」


 隣にいた結愛が覗き込む。


「差出人はない」


 封を切る。


 中に入っていたのは、古びた一枚の写真だった。


 見知らぬ学校。


 見知らぬ制服を着た、数人の生徒。


 その中央に立つ少女の顔だけが、黒く塗り潰されている。


 写真を裏返す。


 そこには、赤い文字で二行だけ記されていた。


『世界から消された人間を取り戻した篠宮律へ』


『君だけが覚えている少女は、七瀬結愛だけではない』


 顔を上げる。


 誰もいないはずの廊下の奥に、一人の少女が立っていた。


 この学校とは違う制服。


 長い黒髪。


 助けを求めるように、こちらへ手を伸ばしている。


 瞬きをした次の瞬間、その姿は消えた。


「律くん」


 結愛が俺の腕へ抱きつく。


 その声から、いつもの余裕が消えていた。


「今の子……誰?」


 答えられない。


 ただ一つだけ、分かったことがある。


 世界から忘れられた人間は、結愛だけではない。


 そして、俺には彼らが見える。


 俺が結愛を取り戻したことで、何かが始まってしまった。


 結愛の手を強く握る。


 今度こそ、絶対に離さない。


 たとえこの先、世界そのものを敵に回すことになったとしても。

最後までお読みいただき、ありがとうございます!


「面白かった」「結愛が可愛かった」と感じていただけましたら、下にある☆☆☆☆☆から評価していただけると、とても励みになります。


反響が大きければ、世界から忘れられた人々をめぐる長編版も執筆したいと思っています。


【以下、追加】

!連載版のお知らせ!


たくさんの方にお読みいただけたことを受け、本作の連載版を開始しました。


恋人になった律と結愛のその後、世界から消された人々、そして黒髪の少女と「忘れ花」の謎を描いていきます。


連載版は下記リンクからお読みいただけます。


『罰ゲームで告白してきた幼馴染を振った翌日、彼女が学校に来なくなった――そして俺以外の全員が彼女を忘れていた【連載版】』


https://ncode.syosetu.com/n7157mt/1/

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