「目を覚ました場所は、地獄だった」
「おはようございます!」
少し大きめの声で挨拶をする。
児童福祉施設の朝は、いつも通り忙しい。
「悠聖くん、今日も元気だね」
職員が苦笑する。
「元気じゃないとやってられないですからね」
軽く返すと、また笑われた。
でもそれでいい。
子どもたちは、元気な大人の方が好きだ。
「おはよー!」
小さな男の子が駆け寄ってくる。
寝癖のついた頭のまま、眠そうな目をこすっている。
「お、いいねその髪型。芸術点高いわ」
「げいじゅつってなに?」
「なんか、すごいやつ」
「じゃあぼくすごい!」
ぱっと笑う。
――こういう瞬間が、好きだ。
保育士を目指して通っている専門学校。
その実習先が、ここだった。
大変なこともある。
正直、楽な仕事じゃない。
それでも。
ここに来るのが、嫌だと思ったことは一度もなかった。
「せんせー!」
別の子どもが呼ぶ。
まだ先生じゃない、と言いかけて、やめる。
呼ばれたなら、応えればいい。
「はーい、どうしたー?」
そんな、いつも通りの朝。
――のはずだった。
ガンッ、と鈍い音が響く。
「え?」
振り向いた瞬間、入口のガラスが割れた。
悲鳴。
そして、男。
何かを手に持っている。
理解が追いつかない。
けれど、身体は勝手に動いていた。
「みんな、こっち来い!!」
近くの子どもを抱き寄せる。
泣き出す子、動けない子。
男が、こちらを見た。
目が合う。
走ってくる。
――逃げる時間はない。
「大丈夫、大丈夫だからな」
子どもを抱きしめる。
せめて、守る。
衝撃。
身体の奥に、熱が走る。
「……あ、これ……」
刺された。
そう理解したときには、もう遅かった。
視界が揺れる。
力が抜ける。
それでも、腕だけは離さない。
「……こわい」
小さな声が震える。
「大丈夫」
嘘でもいい。
「大丈夫だから」
最後まで、そう言い続けた。
――そこで、意識は途切れた。
◆
「……っ」
目を開ける。
知らない場所だった。
天井は崩れ、板がむき出しになっている。
湿った空気と、腐ったような臭い。
「……どこだよ、ここ」
身体を起こす。
痛みは、ない。
刺されたはずなのに。
代わりに感じるのは、違和感と――
「おい、起きたぞ」
低い声。
振り向くと、数人の子どもがこちらを見ていた。
痩せ細った体。
汚れた服。
そして、強い警戒の目。
年齢はバラバラだが、共通していることがある。
――飢えている。
「……なんだよ、その目」
思わず呟く。
怖いわけじゃない。
助けを求めているわけでもない。
ただ、生きることに慣れきった目。
「ここ、どこだ?」
問いかけても、誰も答えない。
代わりに、一人の少女が口を開いた。
「……あんた、知らないの?」
「ああ、全然」
「スラムだよ」
あまりにもあっさりと。
「捨てられたやつが来る場所」
その言葉が、静かに落ちる。
周囲を見渡す。
ゴミの山。
崩れた建物。
遠くから聞こえる怒鳴り声。
そして、目の前の子どもたち。
「……はは」
乾いた笑いが漏れる。
「マジかよ」
理解したくないのに、分かってしまう。
ここは――
「地獄じゃん」
小さく呟いた。
その地獄の中で。
自分は、また子どもに囲まれている。
「……なあ」
気づけば、口が動いていた。
「お腹、空いてるか?」
一瞬の沈黙。
そして――小さく、頷く。
その瞬間。
胸の奥で、何かが決まった。
「……そっか」
ゆっくりと立ち上がる。
「じゃあ、飯、なんとかするか」
強さはない。
力もない。
それでも。
――関わることだけは、やめない。
それが、自分だから。
この日、スラムの片隅で。
何も持たない一人の男の、小さな一歩が踏み出された。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
これからスラムでの生活と、子どもたちとの関わりを書いていきます。
よければ感想などいただけると嬉しいです。
第2話もすぐ更新します




