編集者と風穿ちの裂谷
《風穿ちの裂谷》――一階層。
ごう、と音を立てて、裂谷を抜ける風が吹き荒れていた。
岩肌を削るような冷たい風が、絶え間なく身体を叩く。
フェンは、短剣を握ったまま、肩で息をしていた。
「……はぁ……はぁ……」
足元には、倒れ伏した魔物の影。
裂けた羽、砕けた嘴。
鳥類の魔物たちが、岩場に点々と転がっている。
「……やっと、終わった?」
絞り出すように呟く。
最後の一体が崩れ落ちてから、少し時間が経っていた。
だが、風の音に紛れて、次の気配が現れないか――
フェンは、まだ気を抜けずにいた。
その横で、ルシアが大きく息を吐く。
「ふぅ……」
額の汗を拭い、周囲を見回してから、苦笑した。
「さすがDランク最上級ダンジョンだね」
「敵も手強いし……魔物の数も多い」
フェンは、短く頷く。
「……そうだね」
ゆっくりと息を整えながら、
血の付いた刃を布で拭い、鞘に収めた。
金属音が、風に消えていく。
「一階層で、これか……」
裂谷の奥を見上げる。
切り立った岩壁の向こうから、さらに強い風が吹き下ろしていた。
そのとき。
「……あれ」
ルシアが、視線を一点に向ける。
裂谷の壁際。
岩の陰に隠れるようにして――階段があった。
人工的に削られた、明らかにダンジョン内部へ続く道。
フェンは近づき、下から上を見上げる。
「……階段」
一段、また一段。
それは、上へ――上へと続いていた。
「このダンジョン……」
フェンは、少しだけ眉をひそめる。
「上に、上がっていくのか」
ルシアも階段を見上げ、首を傾げた。
「作りが逆になってる……」
「普通、ダンジョンって下に潜るよね」
裂谷の上空を、風が唸りを上げて通り過ぎる。
「……構造、どうなってんだろ」
「……それじゃあ2階層行こうか」
フェンが短くそういうと
「…うん」
ルシアが強くうなづき
二人は並んで、階段を上り始めた。
《風穿ちの裂谷》――二階層。
階段を上りきった瞬間、
視界が、ふっと開けた。
「……」
フェンは、思わず足を止める。
二階層は――
“通路”というより、崖だった。
細く削られた岩の道が、裂谷の壁に沿って続いている。
だが、その外側には――何もない。
ただ、底の見えない闇。
下を覗き込んだ瞬間、
冷たい空気が、腹の奥を撫でる。
「……暗っ」
ルシアが、思わず呟いた。
裂谷の下は、夜よりも深い闇に沈んでいる。
どれだけ落ちているのか、距離感すら掴めない。
風が、吹き抜ける。
ごう――っと、
崖の下から吸い上げるような音。
フェンは、無意識に一歩、内側へ寄った。
(……下に、落ちたら)
そう思った瞬間だった。
裂谷の風を裂くように、
黒い影が舞い降りた。
「――来る!」
フェンが声を上げた瞬間、
鋭い風切り音とともに、猛禽型の魔物が崖上から滑空してくる。
羽根に、淡い風がまとわりついている。
鉤爪は異様に長く、岩肌を掴んだまま、ぎちりと音を立てた。
「……ウィンドクロウ」
フェンは、喉を鳴らす。
風を纏った鉤爪の猛禽。
この《風穿ちの裂谷》では、定番とされる魔物――だが。
(……数値が、おかしい)
視界の端に浮かぶ、情報。
⸻
ウィンドクロウ
HP:250
MP:80
A:200
D:150
MAT:100
MDF:86
S:300
(グラウルフとは……比較にならない)
速さ。
鋭さ。
そして――落とすための立ち回り。
2階層でこれか……
「だけど、僕の速さは760負けるはずがない」
言い切ると同時に、
鞘から剣を引き抜く。
澄んだ金属音が、裂谷に響いた。
ウィンドクロウが、風を裂いて突っ込んでくる。
鉤爪が、一直線に喉元を狙う――
だが。
「負けるはずがない」
フェンの足元で、魔力が弾けた。
――《疾走》。
一瞬、姿が掻き消える。
次の瞬間。
「《疾牙の加護》――」
剣が、低く唸った。
「――牙走」
突風が、爆ぜる。
フェンは、地を蹴り――
獣の牙のような軌道で、裂谷を駆け抜けた。
一閃。
二閃。
三閃。
剣筋は、風そのものだった。
「――――ッ!!」
ウィンドクロウが、悲鳴を上げる間もない。
羽が裂け、胴が断たれ、
鉤爪が宙を舞う。
切り刻まれた魔物の身体は、
勢いのまま――
崖の外へ、放り出された。
ごう、と風が唸る。
闇の下へ、
ウィンドクロウの残骸が、吸い込まれていった。
そして――
フェンは、
何事もなかったかのように、細い岩道へ着地する。
足音は、軽い。
「……」
一瞬の静寂。
「フェン……!」
ルシアが、目を見開いた。
「すごいよ!」
「あんな……あんな強そうな魔物を、一瞬で倒すなんて!」
興奮した声。
だが、フェンは剣を下ろさなかった。
視線は、前。
「……いや」
静かに、言う。
「これだけじゃない」
風が、変わった。
裂谷の上空から、
ばさり、と重なる羽音。
一つ、二つ――
いや。
「……来る」
崖の縁に、影が現れる。
風を纏った鉤爪。
鋭い視線。
ウィンドクロウ。
さらに、その背後。
次々と、
同じ影が舞い降りてくる。
「……うそ」
ルシアが、息を呑む。
裂谷の空を埋め尽くすように、
大量のウィンドクロウが、円を描いて旋回していた。
ごう、と風が唸る。
まるで――
この裂谷そのものが、襲いかかってくるかのように見えた。
続く




