編集者と小さな妖精
翌日。
フェンの家のリビングには、朝の柔らかな光が差し込んでいた。
簡素な木のテーブルの上には、飲み終えた薬のカップ。
窓際の椅子には、毛布を肩に掛けたリィナが座っている。
「……じゃあ、ちょっと依頼で出かけてくる」
フェンは装備を整えながら、そう切り出した。
「迷いの森ってところでさ。
少しの間、家を空けるけど……大丈夫か?」
リィナはきょとんとした顔をしてから、すぐに笑った。
「うん。大丈夫だよ」
そう言って、胸に手を当てる。
「今日は調子いいし、ちゃんとご飯も食べられてるから」
フェンは、その様子をじっと見つめ――
小さく息を吐いた。
「……そっか」
少しだけ、肩の力が抜ける。
「無理するなよ。
何かあったら、すぐ近所の人に頼むんだ」
「分かってるってば」
リィナは少しだけむくれてから、にっと笑った。
「フェンも、気をつけてね」
「ああ」
フェンは頷き、扉へ向かう。
その背中に、リィナの声が飛んだ。
「いってらっしゃい!」
「……行ってくる」
短く返して、フェンは家を出た。
⸻
家の前では、すでにルシアが待っていた。
「お待たせ」
「リィナちゃんに、ちゃんと言った?」
「うん。もし悪くなったら、
ご近所の人に頼れって言ってきた」
「そっか……リィナちゃんのためにも、
早く終わらせないとね」
「うん……そうだね」
「じゃ、いこっか!」
ルシアがそう言って歩き出し、
二人は街の外れへ向かった。
◆
迷いの森の入口。
フェンは御者の男に移動費を支払い、頭を下げる。
「ありがとうございます」
「気をつけなよ。
あそこは、森に嫌われると戻ってこれないからな」
冗談めかした声だったが、どこか本気も混じっていた。
フェンは小さく頷く。
「フェン! 早く行くよ!!」
少し先で、ルシアが大きく手を振っている。
「分かった」
フェンは軽く走って、その背中を追った。
背の高い木々が生い茂り、
内部は昼間だというのに薄暗い。
風が吹くたび、葉擦れの音がざわりと広がる。
「……ここか」
フェンが呟く。
「楽しみ!」
ルシアは目を輝かせて言った。
二人は顔を見合わせ――
無言で頷き合う。
そして。
一歩、踏み出した。
◆
迷いの森の中は、思った以上に暗かった。
木々が密集し、空を覆い隠しているせいで、
昼間だというのに光がほとんど届かない。
風が吹くたび、
葉と枝が擦れ合い、ざわざわと不規則な音を立てる。
フェンは、無意識のうちに周囲へと視線を走らせていた。
「……やっぱり、暗いな」
少し緊張した声で呟く。
その横で、ルシアが腕を組んだ。
「うん……思ったより暗いね。
ちょっと、不気味かも」
「え?」
フェンはちらりとルシアを見る。
「ルシア、もしかしてオバケとか怖いの?」
「ち、ちがうわよ!!」
ルシアは即座に声を張り上げた。
「ここが思ったより暗くて怖いって言ってるだけ!!
誰もオバケが怖いなんて言ってないじゃない!!」
やけに必死だ。
フェンは一瞬だけ黙り込み、
それから小さく「そ、そう……」とだけ返した。
そのとき――
上から、低く響く声が降ってきた。
「……この森に、立ち入る者は……」
二人の足が、同時に止まる。
「……ひゃっ!?」
ルシアが短く声を上げ、
反射的にフェンの腕にしがみついた。
「ちょ、ルシア――」
フェンは言いかけて、口を閉じる。
声の方向へ、素早く視線を向け――
腰の剣に手をかけた。
「……誰だ」
フェンが低く問いかけた、その直後だった。
ざわり、と。
森の影が、不自然に揺らぐ。
一本の木の根元。
その影が、ゆっくりと盛り上がり――
現れた。
黒い体躯。
狼の形をしているが、毛並みはなく、
輪郭は煙のように曖昧だ。
赤く光る眼が、闇の中で浮かび上がる。
一体。
……二体。
さらに、左右の木陰から、同じ影が滲み出す。
「……増えてる」
ルシアが小さく呟いた。
最終的に、
五つの赤い眼が、二人を囲むように配置された。
「シャドウウルフ、か」
フェンが冷静に言う。
霧のように揺れる黒い体躯。
赤い眼を光らせ、シャドウウルフが一斉にこちらを睨む。
フェンは、相手を見た瞬間に理解する。
(シャドウウルフ)
HP180
MP40
A80
D40
MAT50
MDF30
S100
数値を頭の中で並べ、即座に評価を下す。
(攻撃力はそこそこ。
素早さもある)
(でも――)
(防御が低い)
(総合的に見て、
あまり強くはない)
「来るよ!」
ルシアの声と同時に、
シャドウウルフたちが地を蹴った。
フェンは一歩、前に出る。
(……僕たちは、もう前とは違う)
脳裏に浮かぶのは、
少し前に得た“編集”という力。
職業を、編集できるようになった。
(僕は――)
フェンの足が、地面を弾く。
(S特化型の、盗賊)
シャドウウルフの動きが、はっきり見える。
S100。
確かに速い。
だが――
こちらは、それ以上だ。
懐へ潜り込み、
牙が届く前に剣を振る。
一閃。
影が、抵抗する間もなく霧散した。
「はやっ……」
ルシアが一瞬だけ目を丸くする。
(そして、ルシアは)
別のシャドウウルフが飛びかかる。
「――攻撃特化の、戦士!」
ルシアが踏み込み、
迷いなく拳を叩き込む。
衝撃音。
D40程度の防御力では、
その一撃を受け止めきれない。
影は吹き飛び、
そのまま消えた。
「やっぱり、こういう方がやりやすい!」
ルシアが楽しそうに笑う。
フェンはその横を駆け抜け、
背後から迫っていた一体を斬り捨てる。
(役割が、はっきりしている)
(だから、迷わない)
それぞれの個性に合った戦い方。
それができるようになっただけで――
戦闘は、驚くほど楽になった。
最後のシャドウウルフが、
怯えたように距離を取る。
だが、逃げる暇はない。
フェンが回り込み、
ルシアが正面から叩く。
連携は一瞬だった。
影は完全に消え、
森に静寂が戻る。
「……全滅、だね」
ルシアが肩を回す。
フェンは剣を収め、
周囲を見渡した。
――そのとき。
「……あれ?」
間の抜けた声が、どこからともなく聞こえた。
「え?え?
もう……終わり?」
探索スキルを展開した。
次の瞬間――
フェンの視界に、
赤い光が浮かび上がる。
距離は、近い。
木の枝の上。
二人のすぐ頭上だ。
「姿を隠してるつもりなら、無駄だ」
フェンは、上を見上げて言った。
「出てきたらどうだ」
一瞬の沈黙。
「……えっ」
戸惑った声。
「え、見えてるの?
うそでしょ?」
枝が、がさりと揺れる。
そして――
ひょい、と。
小さな影が、ふわりと宙に降りてきた。
掌に乗りそうなほど小さな身体。
透き通る羽を揺らし、
淡く光る姿。
それは――
小さな妖精だった。
続く




