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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
姉のいる異世界で生きる

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7/15

異世界でもコネは最強だった

 簡単な手続きの後、私は無事に釈放された。

 そしてそのまま、姉の住む家に連れていってくれるという。気がつけば私は馬車に押し込まれていた。

 なぜかあの「コンニチハ」の看守もついてきている。

 なんで? なんでこの人も平然とついてくるの? 姉の護衛?

 疑問は尽きないが、聞けるような空気でもない。大人しく従うしかないのが現状だ。



 この異世界には車なんてものは存在しないようで、採掘場から初めて乗る馬車に揺られ、心地よい夜風に吹かれながら――気づけば、私は眠りに落ちていた。

 無理もない。ここ数日、まともに眠れていなかったのだ。硬い石の床、湿った藁、いつ何が起こるか分からない緊張感。姉の顔を見て、ようやく糸が切れたのだろう。

 馬車の揺れが止まった衝撃で目を覚ますと、窓の外の景色は一変していた。木造の粗末な家々から、石造りの立派な建築物へ。道も石畳で舗装されていて、さっきまでいたスラムのような場所とは別世界だ。



 そして――馬車が停まった場所に建っていた家を見て、私は思わず声を上げそうになった。

 家は、思っていたよりもずっと立派だった。

 いや、「立派」なんて言葉では生ぬるい。堅牢な石造りの二階建て。窓には高価そうな硝子がはめ込まれ、玄関には彫刻が施された重厚な木の扉。手入れの行き届いた庭まである。

 数日前まで砂漠で野垂れ死にかけ、ついさっきまで石を運んでいた人間には、目が潰れそうなほど眩しい光景だ。

 この世界で、姉はそれなりの地位にいるらしい。というか――。玄関を開けたのは、メイド服を着た若い女性だった。

 マジで。本物のメイド。クラシカルなロングスカートのやつ。現実で見たの初めてなんだけど。



「……メイドだ」



 思わず呟くと、隣にいた姉が少し恥ずかしそうに笑った。



「驚くよね。私も最初びっくりしたから」



 応接間のような部屋に通され、ふかふかのソファに座らされる。

 お尻が沈む。沈みすぎる。数時間前まで冷たい石の床や湿った藁の上に座っていたのが嘘のようだ。天国かここは。

 メイドさんが温かいお茶を運んできてくれた。薄く繊細な陶器のカップ。美しい植物の模様が描かれている。

 カップを持つ手が震える。温かい。本当に、温かい。ゆっくりと一口飲む。

 ――美味い。

 泥水でもなく、砂混じりの水でもない。芳醇なハーブの香りがする、ちゃんとした飲み物。人間らしい生活って、こういうことだったんだな……。涙が出そうだ。

 姉が向かいのソファに座り、「コンニチハ」の看守はその隣に腰を下ろした。

 ……え、なんで普通に座ってるの、この人。めっちゃくつろいでるんだけど。まるで自分の家みたいに。看守の制服着たまま、この豪華な応接間でくつろぐ姿が、シュールすぎる。

 聞きたいことは山ほどあった。でも、真っ先に口をついて出たのは――。



「ねえ、なんで私が捕まってるって分かったの?」



 姉は隣の男性に視線を向けた後、私に向き直った。



「さっき彼から言われたんだ、『君と容姿が似ている人を見かけたから日本語で挨拶をしてみたら反応があった。君と同じ言語を話す人を見つけたかもしれない』って……」



 姉の声が少し震えた。



「この世界に来てから、日本語を話す人なんて見たことなかったから。どんな経緯で来たのか、どんな人なのか――どんな人でもいいから、まず会ってみたかったの。すぐ彼と一緒に馬車で刑務所に向かった。そしたら、蒼で……」



 姉の目が潤む。私も、また泣きそうになった。

 あの時の「コンニチハ」。カタコトの、でも確かに日本語だった挨拶。あの一言がなければ、私は今もあの地獄にいたかもしれない。



「あそこって、一体なんだったの? 私、なんで捕まってたの?」



 ずっと分からなかった疑問を口にする。姉が少し考えるような顔をしてから、答えた。



「蒼が収容されてたのは、『騎士団』っていう組織が管理してる施設だよ。この国の秩序を守る治安組織で、刑務所の運営も担ってる」


「騎士団……」


「身元不明の不審者は、とりあえず収容されちゃうみたい。蒼は言葉も通じないし、身分を証明するものも持ってなかったでしょ?」



 なるほど。不法入国者扱いか。



「採掘場での強制労働は、軽犯罪者や身元不明者に課される刑罰なんだって。本当は、もっと早く気づいてあげられたら良かったんだけど……」


「でも、よく釈放なんてできたね。身元不明のままなのに」



 私の身分が証明されたわけでもないのに、あっさり出てこられたのは不思議だった。

 姉がちらりと看守を見て、少し照れたように笑った。



「彼のおかげ。彼はこの国で結構な立場にあるみたいで……身元引受人になってくれて、特例で釈放が認められた感じだよ」



 なるほど。コネか。異世界でもコネは最強なんだな。

 ……しかし、なんでそこまでしてくれるんだ? 看守が囚人の身元引受人になるなんて、普通じゃないだろう。この人、一体姉の何なんだ?



「……ありがとうございます」



 疑問は残るが、まずは感謝だ。私は改めて、深々と頭を下げた。この人がいなければ、私は今もあの地獄で石を運んでいたかもしれない。感謝してもしきれない。

 彼は首を傾げながらも、優しく微笑んで頷いてくれた。

 私は色々なことを聞いた。聞かずにはいられなかった。姉がここに来た経緯、この二年間のこと、この世界のこと――。

 やはり姉もここに来たきっかけは、あの『Black Magic』の本に書かれていた呪文をノリで唱えたからだという。ノリってなんだノリって。こっちは一世一代の覚悟を決めて唱えたってのに。

 なんとも奇妙な話だが、私たちが共通の方法でここに来ているとなると、あれは本物の「黒魔術書」だったということになる。そもそもあの本、作者は誰だ? まさか、こっちの世界の人間?



「で、姉ちゃんも最初は砂漠に出現した感じ?」


「ううん、違う違う。気づいたら、王都の路地裏にいた」


「路地裏……?」



 なんでそんなに差があるんだ。

 私は砂漠のど真ん中、姉は王都の路地裏。初期スポーン地点のガチャ運が悪すぎる。



「言葉が通じなくて、途方に暮れてたの。お腹も空いてたし、どうしようって泣きそうになってた時に――」



 姉の視線が、隣に座る男性に向けられた。



「彼が助けてくれた。自分の知らない言葉を喋る私に、すごく興味を持ってくれたんだって」



 それから――姉はその男性の庇護のもと、この世界で生きる術を学んでいった。言葉を覚え、文化を学び、適応していった。

 そして、二年の月日が流れた。



「へぇ……」



 姉のざっくりとした話を聞き終えて、私はため息をついた。長いため息。肺の中に溜まっていた砂埃ごとの空気を全部吐き出すような。

 そして今度は私が経験したことの全てを話した。



「本当、大変だったね蒼」


「うん……。全部、姉ちゃんの彼氏に鼻毛が生えたせいだ。生えてなかったらこんなところに来ずに済んだ」



 我ながら、どうしようもない八つ当たりである。でも言わずにはいられなかった。姉が優しく微笑む。昔からのあの笑顔。懐かしくて、少し切ない。



「私は……あの人に鼻毛が生えてくれて良かったって、今は思う、かも」


「は?」


「蒼。私ね、先週結婚したの」


「えぇっ……」



 お茶を飲みかけて、むせた。盛大に。

 気管に入ったハーブティーが鼻に逆流する。ゲホゲホと咳き込む私を、姉が慌てて背中をさすってくれる。



「だ、大丈夫?」


「ちょ、ちょっと待って。結婚ってまさか――」


「彼と」



 姉の視線の先には――「コンニチハ」の看守。



「まじか」



 視線に気づきその男性が、少し照れたように笑った。

 優しそうな笑顔だ。青い瞳がキラキラしている。姉を見る目が、本当に慈愛と愛情に満ちている。

 いや――なんとなくそれっぽい雰囲気は感じてはいたが……。まさか結婚までしてるとは。



「この人が私のこと助けるきっかけになったことは、まじで感謝する。姉ちゃんを助けてくれたのも」



 私は真顔で言った。



「でも、姉ちゃんに手出しやがったか」


「まあまあ」



 姉が苦笑しながら、隣の男性に視線を向ける。



「改めて紹介するね。エイラン・トレヴァ。私の夫。王立学術院の主席研究員で、学者なの」


「夫……」



 その言葉の重みが、ずしりと響く。夫。旦那。ハズバンド。姉の。

 自分が紹介されたことを察したのか、青い目の彼――エイランは私に握手を求めてきた。ゴツゴツした、でも温かい手。そっと握り返す。強く握り返してくる。ああ、ここは握手の文化なのか。 

 私はエイランの顔を下から覗き込むようにして、さりげなく、しかし徹底的に彼の鼻孔をスキャンした。――異常なし。清潔感あふれるその鼻元を確認し、私はようやく安堵の吐息を漏らした。姉は二年前の悲劇を繰り返してはいない。それだけで、義兄としての合格点は出せそうだった。


 

「そして私の名字も今はトレヴァ。トレヴァ・ミドリになっちゃった」


「トレヴァ・ミドリ……」



 なんかそれっぽい名前だ。異世界の人っぽい響き。

 とうとう人妻。見知らぬ土地で。私の姉である杠葉翠ゆずりは・みどりが、どこか遠くに感じられた。こんなに近くにいるのに。

 この世界《異世界》でユズリハなのはこの私だけ、と……。

 なんだか、姉が手の届かないところに行ってしまったような気がした。置いてけぼりを食らったような、寂しさ。



「それよりさ……彼はなんで看守の格好してたの? 学者なんでしょ? ……ダブルワーク?」



 寂しさを紛らわせるように、疑問を口にする。



「ああ、それね」



 姉が説明してくれる。



「彼、採掘場の遺跡調査もしてるの。だから看守の制服を着て現場に入ってたみたい。正式な看守じゃないんだけど、調査のために制服を着ることが許可されてるんだって」


「……つまり看守のコスプレをした学者?」


「まあ、そうなるね。ほら、このバッジが調査員としての通行証なんだって。これがないと採掘現場の奥までは入れないらしくて」



 彼が制服の胸元を指すと、そこには見慣れない紋章が刻印された銀色のバッジが光っていた。

 ややこしいにも程がある。職業詐欺じゃん。いや、詐欺ではないのか。でも紛らわしすぎる。



「遺跡好きなんだって。古代文明とか、失われた言語とかそっち系の分野に」


「へぇ……」



 なるほど、言語オタクか。それで姉に惹かれたわけか。

 まあ、確かに姉は真面目だし、コミュ力もあるし……。この状況でちゃんと言葉を覚えて、適応して、異国の人と愛を育んで結婚までするなんて、さすがだよ。エイランさんはなんだかすごいところの主席研究員さんらしいし、道理でこんな立派な家に住んでいるわけだ。メイドまでいる生活。姉は玉の輿に乗ったということか。



「……まさかこの二年でそんなところまで進んでたなんてね」



 言葉が少し棘を含んでいたかもしれない。自分でも気づいている。でも、止められなかった。

 姉はここで幸せそうだ。

 温かい家、立派なソファ、メイドまでいる生活。愛する夫と、穏やかな日々。それは良かった。本当に良かった。姉が無事で、幸せでいてくれて――心からそう思う。

 でも、同時に。

 私は砂漠に放り出されて、死にかけて、不当逮捕されて、牢屋に入れられて、強制労働させられて、暴行されかけた。

 なんで私だけこうなるねん。

 そんな黒い感情が、心の隅に小さく、でもヘドロのようにこびりついている。比べちゃいけないって分かってる。姉は姉で苦労したんだろう。でも――羨ましい、って思ってしまう自分がいる。



「ここに来てから何も分からない私を、ずっと彼は支えてくれた。言葉も、文化も、全部一から教えてくれて。私が泣いてるときも、ずっと側にいてくれた」



 姉の声が、少し遠くに聞こえる。



「……私みたいに砂漠に放り出されたわけでもなく、捕まって労働させられたわけでもなく、ね」



 言った直後、空気が凍った。姉の表情が、一瞬曇った。

 しまった――そんなつもりじゃなかったのに。私、何言ってるんだ。助けてもらった恩人に……。最悪だ、私。



「あ、ごめん。そういう意味じゃなくて……あはは、本当に無事でいてくれて良かった。もう会えないんじゃないかと思ってたから……」



 乾いた笑いで誤魔化そうとする。

 姉の目が潤んでいる。ああ、やっぱり姉は優しい。こんな嫌味な妹のことを、怒るどころか心配してくれている。



「ううん。蒼が辛い思いをしたのは事実だし。私だって、もし逆の立場だったら同じこと思うよ。不公平だって」


「……姉ちゃん」


「でも、これからは大丈夫。一緒にいられるから」


「あの……元彼のことは良いの? 鼻毛。あの人とも結婚するとか話してたじゃん」



 話題を変えた。これ以上、自分の惨めさを露呈させる空気は耐えられない。



「もう鼻毛に未練はないかな」



 姉がくすりと笑う。



「元彼のこと鼻毛って言うなよ……」


「蒼だって今言ったじゃん」


「それは……まあ、そうだけど」



 エイランが何か言った。この国の言葉で。姉が答える。

 流暢ではないけれど、確かに会話が成立している。二人は自然に言葉を交わし、笑い合っている。

 私には、何も分からない。

 姉は、もうこの世界の人になっている。言葉を話し、文化に馴染み、結婚までして。私は、まだ何も分からない。異邦人のままだ。

 同じ場所にいるのに、姉と私の間には、見えない透明な壁がある。大きな、埋められない距離が。



「……蒼、大丈夫?」



 ふと視線を戻した私を、姉が心配そうに覗き込んでくる。



「うん、大丈夫」



 笑顔を作る。でも、きっと上手く笑えていない。頬が石膏のようにこわばっているのが自分でも分かる。



「ねぇ……帰る方法は知らない?」



 聞かずにはいられなかった。

 この温かい場所は、私の居場所じゃない気がしたから。



「……分からない。私たちみたいにこうして異世界から来た人って基本いないみたいだから。エイランにも聞いてみたけど、文献にもそういう記録はほとんどないって」


「いつか帰れるのかな……」



 姉は何か言いかけたが、やめた。

 その表情が、全てを物語っていた。

 姉は――もう帰る気がないのかもしれない。ここに、新しい家族と居場所を見つけたから。

 代わりに、そっと私の手を握って言った。



「これから、ゆっくり教えるから。言葉も、この世界のことも。もう一人じゃないから」



 その言葉に、少しだけ救われた。

 でも――やっぱり、どうしようもなく寂しかった。

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