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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
砂漠スタートの異世界転移

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6/14

採掘場に投下されたSE

 翌朝、怒号と足音で叩き起こされた。

 身体が、痛い。全身の筋肉がセメントで固められたように軋んでいる。

 衛兵に腕を掴まれ、引きずられるように外へ出た。久しぶりに見る太陽が、眼球を焼くように眩しい。目が慣れるまで、しばらくかかった。



 おや、これは……ようやく釈放??



 そんな淡い期待は、一秒後に粉砕された。

 連れていかれた場所は、すり鉢状の広大な採掘場だった。

 岩山が削られ、無数の穴が蜂の巣のように開いている。そこには、数百人の囚人らしき人々が蟻のように群がっていた。

 岩を砕く音、土を運ぶ音、そして鎖の擦れる音。ボロ布をまとった人々は皆、痩せこけ、目は死んだ魚のように虚ろだ。生気というものが完全に欠落している。



 ピシャリ、ピシャリ――。

 空気を裂く鞭の音が、BGMのように絶えず響いている。

 私の手首には、錆びた鉄の足枷ならぬ手枷がはめられた。ずしりと重く、冷たい。これは「お前は家畜だ」という証明書だろうか。

 衛兵と、現場監督らしき老人が何か話している。老人は顎に手を当て、私の身体をじろじろと睨め回した。

 値踏みする視線。使えるか、使えないか。あるいは、どのくらいで壊れるか。やがて商談が成立したのか、衛兵が私の背中をドンと押した。老人は無言で私の腕を引き、他の囚人がやっている作業を顎で指した。

 そして、私の体重の半分くらいありそうな、粗末なツルハシを押し付けてきた。



 ピシャリ――!!

 すぐ近くで、鞭で打たれた男の悲鳴が上がった。

 ……これ、やらないと物理的に叩かれるやつ……では。私は震える手でツルハシを握り、見よう見まねで石を砕き始めた。

 砕く。破片を拾う。籠に入れる。運ぶ。

 砕く。拾う。入れる。運ぶ。息をする。

 単純作業。無限ループ。腰が割れそうだ。背中が焼けるように熱い。手の皮が剥けて血が滲む。あの、私、システムエンジニアなんですけど……。

 一日中空調の効いた部屋で、ゲーミングチェアに座って、軽いキータッチで世界を構築するのが仕事なんですけど。

 こんな、筋力全振りみたいな重労働、スペック的に無理すぎる。エラー吐いて強制終了するぞ、この体。



 周りの囚人たちは、腕っぷしの強そうな大柄な男ばかりだ。筋肉質な身体、日に焼けた肌。彼らですら苦悶の表情を浮かべている仕事を、インドア派のもやしっ子にやらせるなんて、人事配置ミスも甚だしい。

 体中が悲鳴を上げ、息が切れる。汗が目に入り、涙と混ざって視界が歪む。何度か膝から崩れ落ちそうになったが、そのたびに背後で鞭が鳴った。

 打たれたくない。その一心だけで、私はボロ雑巾のように身体を動かし続けた。隣で作業していた痩せた男が、突然糸が切れたように倒れた。

 見張りの男が近づき、無慈悲に鞭を振り上げる。



 ピシャリ――。



 男は喉から声を絞り出して悲鳴を上げた。でも誰も助けない。誰も作業の手を止めない。

 私も――何もできなかった。目を逸らし、自分のツルハシを振るうことしかできない。自分が打たれたくないからだ。その事実が、身体の痛み以上に心を抉った。

 喉が渇く。太陽が殺意を持って照りつける。頭がぼうっとしてくる。これ、熱中症待ったなしじゃん……。

 でも、水はもらえない。休憩もない。労働基準法なんて概念は、この異世界には存在しないらしい。



 日が傾き、空が紫色に染まるころ、ようやく終了の鐘が鳴った。

 その場にへたり込む。立ち上がる気力もない。配られたのは、泥水のように濁った液体と、石のように硬いパンの欠片。

 歯を立てると、ジャリ、という音がした。砂が混じっている。それでも、私はそれを咀嚼し、飲み込んだ。何も食べないよりはマシだ。そう思わないと、精神が崩壊しそうだったから。



「食にありつけなくて辛いから、刑務所で普通の暮らしがしたいと思った。だからやった」



 被告がそんなことを口にしたというニュースを日本で見たことがある。

 ふざけるな、と言いたい。こちとらろくに食にもありつけず、自由もなく、ただ摩耗していくだけだ。まるで生き地獄。脱獄できたらどんなに良いか。

 あぁ、帰りたい。

 お風呂に入りたい。柔らかい布団で寝たい。

 誰か、助けて。

 心の中で叫んでも、返ってくるのは乾いた風の音だけだった。



 その後、数日間、同じような地獄が続いた。

 もう思考することを諦めた。言われるがまま従うだけの、肉の塊になった。なぜこんなことをしているのか。私は何者なのか。そんな哲学的な問いは、空腹と疲労の前では無意味だ。

 ただ手を動かす。ただ石を運ぶ。機械のように。感情を殺すこと。それが、この世界で生き延びる唯一の方法だった。



「……コンニチハ」



 いつも通り、死んだ目で石を運んでいると、ふと声をかけられた。

 え?

 今、聞き覚えのある言語が聞こえたような。

 顔を上げると、鉄格子の向こうから、背の高い若い看守がこちらを見ていた。

 三十代後半くらいだろうか。整った顔立ちで、他の粗野な看守たちとは雰囲気が違う。理性的で、優しそうな目をしている。



 ――今、「こんにちは」って言った?

 暑さで脳がバグったのか? 幻聴?

 いや、でも確かにイントネーションが日本語だった。



「え……こ、こんにちは」



 乾いた唇を震わせ、恐る恐るそう返すと、その男は口元を緩め、にっこりと笑った。

 通じた。



 通じた!!



「え、日本語分かるんですか!?!? こんにちは!! こんにちは!! こんにちはぁぁぁぁ!!!」



 声が裏返る。感情がダムの決壊のように溢れ出す。看守はぎょっと目を丸くして、一歩後ずさった。

 あ、ごめん、驚かせちゃった? 距離感バグってごめん!

 でも、でも――日本語が通じるかもしれない。この地獄から抜け出せるかもしれない! 希望の光が、レーザービームのように差し込んできた気がした。

 私は鉄格子にしがみついた。



「あの、日本語分かるんですか!? 私、ここに来た理由も分からなくて――なんでここにいるのか――ただ砂漠に落ちて――助けてください!!」



 まくしたてる私を見て、看守は困ったように眉を顰めた。そして――何も言わず、静かに首を振った。

 え?

 その人は何か思いつめたような顔をした後、くるりと背を向け、去っていこうとする。



「待って――! 行かないで! 言葉わかるんでしょ!?」



 私は手を伸ばしたが、すぐに別の看守が鞭を構えてこちらを睨んだ。

 足がすくむ。若い看守の背中が遠ざかっていく。

 ――なんで。

 挨拶だけ? 気まぐれ?

 希望が一瞬で絶望に塗り替えられ、涙が滲んだ。



 その日の夜、私は手を引かれて房を移された。

 そこには、採掘場で顔を合わせたことのある女囚たちが数名いた。

 女性専用の房。私がいた世界と同じように、最低限の性別管理はされているらしい。

 だが。

 部屋の奥に、どう見ても男のような体格の人物がいた。目を凝らしてみると、胸が少しある。髪は短く刈り込まれ、腕は丸太のように太いが――確かに、生物学的には女性のようだ。いわゆる「ボス」的な存在なのだろうと推測。



 嫌な予感が背筋を走る。

 看守が鍵を閉めて去った直後、そのボス女はにやりと口角を上げ、周りの取り巻きに何かを耳打ちした。

 下品な笑い声が響く。獲物を見る目。私が、新入りで、弱そうで、言葉も通じない異物だから。

 すると――私の両腕が、ガシリと掴まれた。

 複数の手。逃げられない。手足を押さえつけられ、冷たい床に押し倒される。ボス女が、舌なめずりしながら私の上にのしかかってきた。獣のような息遣い。汚れた手が、私の服をまさぐる。



「やめ!!!」



 叫んだ。喉が裂けるほど叫んだ。でも、誰も助けに来ない。

 周りの女たちは笑っている。手を叩いて喜んでいる。弱者がさらに弱い者を嬲る、地獄の縮図がここにあった。



 あぁ、もう終わった。



 何もかも。

 そう絶望して目を閉じた、その瞬間だった。



 ガチャンッ――!!



 扉が勢いよく開いた。金属音が静まり返った房に響き渡る。硬い、軍靴の音。

 私を押さえつけていた女たちが、弾かれたように飛び退き、壁際へ蜘蛛の子を散らすように逃げた。さっきまでの嘲笑は消え、恐怖に怯えた顔で床にひれ伏している。



 入ってきたのは、あの「コンニチハ」の看守と見慣れた看守の2人だった。

 彼らは氷のような冷たい目で房内を一瞥し、服がはだけて床に倒れ込んでいる私を見つけると、静かに近づいてきた。

 そして無言で手を差し伸べる。私は震える手でその手を掴み、立ち上がった。膝に力が入らない。

 看守は私の肩を支え、房の外へと連れ出した。囚人たちは誰も顔を上げない。息をするのも忘れているようだ。



 廊下を歩く。石畳の冷たさが、素足に伝わってくる。どこに連れていかれるんだろう。

 助けてくれたのか? それとも、また別の尋問?

 不安と安堵が入り混じり、胸が張り裂けそうだ。やがて、看守は上層階にある一つの部屋の前で立ち止まった。

 重厚な木の扉をノックする。中から、静かな声で返事があった。看守が扉を開け、私に入るように促す。

 おずおずと足を踏み入れると、そこは清潔で広い執務室のような場所だった。柔らかい絨毯、暖炉の火、そして窓から見える月明かり。

 そして――。



「……蒼?」



 聞き覚えのある声。

 脳の深層に刻まれた、懐かしい響き。部屋の奥、窓際に立っていたのは――姉だった。

 姉、だった。

 間違いない。あの少し垂れた目尻、柔らかな輪郭。2年前、突然消えた姉。探しても探しても、痕跡すら見つからなかった姉。

 もう二度と会えないと思っていた姉が、目の前にいる。姉は、この世界の服を着ていた。深い青色の、貴族のような上品なドレス。髪は長く伸び、優雅にまとめられている。ジャージ姿でピースしていた頃より、ずっと大人びて、綺麗に見える。



「姉ちゃん……」



 声が震える。涙腺が崩壊した。

 堰を切ったように、涙が頬を伝い、止まらなくなる。姉は驚いたように目を見開き、私を凝視した。数歩、近づいてくる。

 そして――夢ではないことを確かめるように、そっと私の顔を覗き込み、信じられないという表情で呟いた。



「……本当に、蒼なの? どうして……」



 私は頷いた。何度も、何度も。言葉にならない。喉が詰まって、嗚咽しか出てこない。

 姉も、大きな瞳を潤ませていた。そっと、私の泥だらけの頬に手を伸ばす。

 温かい。人の温もりだ。姉の体温だ。



「どうしてここに……」



 姉の声も震えている。



「わかんない……っ。姉ちゃんのPCの履歴から変な本見つけて、羞恥心と戦いながら呪文っぽいものを唱えて……気づいたら砂漠にいて……捕まって……石運ばされて……っ」



 言葉がぐちゃぐちゃだ。でも、姉は深く頷いた。すべてを察してくれたように。

 姉は静かに私を抱きしめた。優しく、強く。石鹸のような、良い匂いがした。



「……もう大丈夫。ごめんね、怖かったね」



 その言葉を聞いた瞬間、私の中で張り詰めていた最後の糸が切れた。声を上げて泣いた。子供みたいに、わんわんと泣いた。恥ずかしいとか、大人のプライドとか、そんなものはどうでもよかった。味わったことのない理不尽と絶望の中にいたのだ、これくらい許してほしい。



 どれくらい泣いただろう。

 ようやく呼吸が落ち着き、顔を上げると、姉がハンカチで私の涙を拭いながら、優しく微笑んでいた。女神だ。いや、聖母だ。

 私は鼻をすすりながら、真っ赤な目で姉を見つめ返した。



「姉ちゃん……」


「なに? お腹すいた?」



 姉の優しい声。

 私は真顔を作って、言った。



「アルミ玉、返して」



 姉の表情が、一瞬で凍りついた。



「……再会して第一声がそれ?」



 それは、呆れ果てたような、でもどこか懐かしんでくれているような、最高に優しい顔だった。

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