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帰りたすぎるアラサーSEの異世界ハッキング  作者: 風丸
砂漠スタートの異世界転移

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4/14

異世界語が通じないので捕まりました

「……うぅ」



 暴力的なまでの眩しさで、私は目を細めた。

 夜が明けていた。

 世界は容赦なく金色に塗り替えられ、太陽が地平線の上から傲慢に顔を出している。

 熱い。皮膚の上をじりじりと焦がすような光線が、物理的な圧力を持って降り注いでいる。



「生きてる」



 ――夢だと思いたかった。



 けれど、口の中のじゃりつく砂の感触が、丸くなって寝たせいでバキバキに固まった背中の痛みが、あまりにも現実的だった。

 昨日の夜は極寒の冷蔵庫だったのに、今は灼熱のオーブンの中だ。息を吸うだけで、乾いた熱風が喉の奥を焼く。

 見渡す限り、やはり砂漠。朝日に照らされた砂の波紋は、美術品のように美しい黄金色をしていた。



「……あっつ」



 額から汗がとめどなく流れ落ちる。スウェットの中が蒸れて気持ち悪い。

 身体を起こそうとした瞬間、頭の奥がぐらりと揺れた。視界の端がチカチカと明滅する。おそらく脱水の初期症状だ。喉が張り付くように痛い。唇が干からびてひび割れているのが分かる。

 水を……水をくれ……。

 ぼやけた意識の中で、昨日見た遠くの光景を思い出した。



 ――街の灯り。

 あれは夢ではなかったはずだ。なら、まだ希望はある。とにかく人のいる場所に――。

 足を引きずるように立ち上がる。頭がくらくらして、足元の砂がぐにゃりと歪んで見えた。

 空は抜けるように青く、雲ひとつない。だからこそ、逃げ場のない日差しが私を殺しにかかっている。遠くにかすかに見える、蜃気楼のような揺らめきを目印に、私は歩き出した。

 一歩進むたびに体力が削られる。私の足跡は、砂の上に浅く刻まれては風に消えていく。まるで、私の存在そのものが風化していくようだった。



「……コンチクショー。まじここどこなん? いい加減にしろや」



 誰に向けた言葉か分からない。でも、声に出して悪態をつかないと、自分の気力を保てそうにない。

 だから私は、ひび割れた唇を動かし続けた。

 水を求めて、街を目指して、ただ前へ――。



 どれほど時間が経っただろう。

 気がつけば、あの蜃気楼のように遠かった街が、手を伸ばせば届きそうな距離に見えていた。

 数百メートル先――高い外壁に囲まれた巨大な都市。

 石造りの堅牢な城壁。巨大な門の両脇には、銀の鎧を身にまとった門番らしき人影が立っている。陽光を反射して、鎧の表面がギラギラと光っているのが見えた。



 ――人がいる。

 その顔立ちは明らかに日本人ではなかった。大きな体格に肌は少し浅黒く、彫りが深い。完全に異国の人間だ。

 門番の一人がふと視線を上げた気がして、私は咄嗟に近くの岩陰に身を潜めた。心臓がうるさい。早鐘を打っている。

 そもそも言葉は通じるのか? 私が行ったところで助けてもらえるのだろうか。敵なのか、味方なのか?

 もしあれが蛮族の砦で、見つかった瞬間に矢で射抜かれたら? 考える余裕もなく、ただ呼吸だけが荒くなる。極度の緊張で、喉の渇きが一層ひどくなる。唾液すら出ない。

 どうする。出るべきか、隠れるべきか。じっとしていても体の痛みと脱水で死ぬ。出れば殺されるかもしれない。

 思考が熱射の中でぐるぐると空回りしていると――。



「……?」



 耳に、鈴を転がしたような声が届いた。

 驚いて振り返ると、岩の向こうからこちらを見下ろす人影があった。深くフードを被ったひとりの女性だ。

 逆光の中でも分かるほど、肌は陶器のように白く、すらりと伸びた長身はモデルのように洗練されている。フードの縁からこぼれているのは、白に近い金色の髪。

 そして影の奥で、燃えるような紅い瞳と視線がかち合った。



「……赤い、目?」



 その鮮烈な色に、私は乾きも忘れて一瞬息を呑んだ。

 溶けたルビーみたいな赤い瞳。綺麗なのに、温度がない。悪役の目の色ですよねこれ……。

 彼女は感情の読めない顔で、私の全身をじろりと観察している。彼女は眉をひそめ、短く何かを言った。

 聞き取れない――耳慣れない言語。音の並びもイントネーションも、地球のどの言語とも違う気がする。

 敵意は……たぶん、ない。ただ、関わり合いになるのを躊躇しているような、品定めするような気配を感じる。喉の奥が張り付いて声が出ない。私は最後の力を振り絞った。



「Water, please……」



 英語。とっさに出たが、彼女は怪訝そうに小首をかしげただけだった。

 ああ、通じてない。ここは英語すら通じないのか。焦りながら、私は必死に水を飲む仕草をしてみせる。女性はそんな私をしばらく無言で見下ろしていたが、やがて、やれやれとでも言うように深いため息をついた。

 次の瞬間、彼女は腰のカバンを探り、金属製の水筒のようなものを取り出して、無造作に突き出してきた。

 その拍子に、ふわりと鼻先を甘い香りが掠めた。

 砂と乾いた風の匂いしかしないこの灼熱の世界で、そこだけ鮮烈に異質な香り。上品で、どこか薬草や花を煮詰めたような、不思議な香油の匂い。



「……っ」



 けれど、今の私にはその香りの正体を考える余裕なんてなかった。

 礼儀も遠慮もなく、水筒をひったくるように掴み、口をつけて喉に流し込む。冷たさが食道を通り、胃に落ちていく感覚。



 うまい。あぁ、うまい。水ってこんなに美味いものだったのか。

 夢中で飲み干した瞬間、呼吸を忘れていたことに気づき、激しくむせた。

 彼女は一瞬だけ目を見開き、それから――ため息みたいに息を吐いて、私の背中を軽く撫でた。



 ……なんだこれ、女神か。



 涙と咳でぐしゃぐしゃになりながら、私はようやく呼吸を整える。

 けれど、手の中の水筒が軽くなっていることに気づき、血の気が引いた。



 ――あ。

 ――やばい。

 ――空っぽだ。

 この人の飲み水、全部飲んじゃった――!?



 最悪だ。灼熱の砂漠で他人の貴重な水を奪うって、これ、殺人未遂に近いんじゃないか?

 謝罪をしようにも言葉が通じない。私はせめてもの気持ちで空になった水筒を両手で捧げ持ち、深く頭を下げた。土下座したい勢いだった。



 女性は、かすかに鼻で笑った。

 そして指先をこちらに向け、何かを小声で唱える。

 透明な水が噴き出し、空中で一瞬だけ形を変えながら、水筒の中へと吸い込まれていった。

 まるで生き物みたいに滑らかで、当たり前みたいに。



 私は目を疑った。



「……は?」



 女性は満タンになった水筒を軽く振り、もう一度こちらへ差し出してくる。



 これっていわゆる異世界名物の魔法……?

 いや、そんな。CGでもVRでもない、本物の物理現象としての水生成。質量保存の法則はどうなっている? エネルギー源は?

 SEとしての理屈っぽい脳が混乱を起こしたが、今この喉の渇きには勝てない。



 私は迷いながらも受け取り、再び一口――そして、また止まらなくなった。

 胃の中がたぷたぷになるまで飲み、ようやく息をつく。

 女性はそんな私を見て、口の端を優雅に持ち上げ、ふわりと微笑んでみせた。

 その笑みはどこか艶やかで、それでいてすべてを見透かすような神秘的な響きを帯びていた。

 ……本物の女神だ、この人。



 どうしよう、ここまでしてもらって、お礼のひとつも言えない。何かお返ししたいのに、何も持っていない。ポケットを探ったが、出てきたのは砂だけだった。

 お礼に砂を渡すか? ――「砂漠」の中で? しかも、私の手汗で少し湿った砂を。頭のおかしい奴だと思われるだけだ。



 そう考えてうろたえていると、女性はそんな私の様子がおかしかったのか、ふっと口元を緩めた。

 嘲笑なのか、それとも気まぐれな優しさなのか。

 どちらとも取れるミステリアスな笑みを残し、彼女は無言できびすを返した。

 ――行ってしまうのか。

 私は慌てて、去りゆく背中にもう一度深く頭を下げた。

 ちょっと待って、私を置いて行かないでという思いが込み上げてきたが、言葉の通じない異邦人がついて行っても迷惑なだけだ。彼女の親切にこれ以上甘えるわけにはいかない。



 女性が去った後、水のおかげで、ようやく頭がはっきりしてきた。

 だが次の瞬間、腹が鳴った。ぐぅぅぅぅ、と。ひどく、長く。それも二回。

 強烈な空腹感が襲ってきた。



「呪文の効果が切れたのかな……」



 効果は一時だって書いてあったもんな。

 あれだけ歩いてエネルギーを使い果たした後だ、反動が一気に来たらしい。胃袋が空っぽだと叫んでいる。

 とにかく、街に入って食べ物を探さないと。

 さっきの人はとても親切だった。言葉は通じないかもしれないが、困っている素振りをしていたら、この街の人たちも何かしら助けてくれるのではないか。

 そんな甘い期待を胸に、私は勇気を振り絞り、砂を踏みしめながら門へと近づいた。



 視界の中で、銀の鎧が朝日に反射して眩しく光る。

 近づくにつれて、門番の輪郭がはっきりしていく。肩幅の広い体格に、顔を覆う無骨な兜。重厚な槍の穂先が、鋭く光っている。

 門番のひとりが私を見つけ、何かを叫んだ。低く響く、威圧的な声。言葉はまったく分からないが、歓迎されていないことだけは分かる。

 自分の心臓の音ばかりがやけに大きく聞こえる。



「え、えっと……」



 必死に両手を上げて、敵意がないことを示そうとする。でも、言葉が出ない。何を言えばいい?



 「異世界から来ました、お腹が空いてます」なんて、どう説明するんだ。

 それに、もう立っているだけで限界だ。

 空腹で頭がぼうっとする。膝が笑う。スマホもない。地図もない。ここがどこかも分からない。

 ――かわいそうすぎるでしょ? 私。目で訴える。

 門番は再び何かを怒鳴った。その口調が、さっきより鋭い。威嚇だ。

 次の瞬間、二人目の門番が無言で歩み寄り、私の腕を荒っぽく掴んだ。



「待っ……!」



 声を上げたが、腕力の差は圧倒的だった。肩を掴まれ、身体が引きずられる。抵抗しようにも、体力が残っていない。足が砂に沈み、靴下が脱げかけた。



「私は、悪い人じゃ――!」



 必死に訴えるように見上げるが、兜の奥の目は無機質で、話を聞く気配など微塵もない。まるで害獣でも駆除するかのような手つきだ。

 槍の柄で背中をぐいと押され、そのまま街の中へと連れ込まれた。



 ――異世界転生した主人公って、最初は大体歓迎されるよね?



 「勇者様ですか!?」とか「お待ちしておりました!」とか。

 なのに私、しょっぱなから砂漠に放り投げられ、命からがら歩いてきたは良いものの、なんか逮捕っぽいことされてませんか。おかしいだろ、シナリオライター誰だよ。



 街の中は、外から想像していた以上に人であふれていた。

 肌の黒い人、白い人。耳の尖った人――エルフ? 体毛の濃い人――獣人?

 見たことのない恰好の人々が行き交っている。石畳の道、レンガ造りの建物。漂ってくるスパイスの香り。ここはやはり異世界……。



 みんな、連行される私を一瞬だけ見て、何かを囁き合う。汚れたジャージ姿の不審者を見る目だ。好奇心、警戒、そして哀れみ。

 通り抜けるたび、ざわめきが生まれる。私はただ、さらし者のように引かれるまま歩くしかなかった。



 たどり着いたのは、石造りの建物の奥――薄暗い、湿気を帯びた空間。

 鉄格子が並び、奥からは水滴の音が絶えず響いている。カビと錆の匂いがした。



「……牢屋?」



 答える者はいない。門番は無言で私の口元に粘着テープのような布を貼り、両手を背中に回して拘束具をカチャンと嵌め、そのまま檻の中に押し込んだ。

 ガチャン、と重い扉が閉まる。金属が軋む音とともに、外の光が遮断される。

 残されたのは、石の冷たさと、自分の心臓の音だけだった。



 ――異世界転移。

 現在のステータス:囚人。

 所持金:ゼロ。

 所持品:砂まみれのジャージのみ。

 スキル:特になし



 いきなりハードモードすぎませんか。

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