仲間はどこだ
あれから二週間が経った。
私は毎日ギルドに通い、ソロでこなせる依頼を片っ端から受けた。
薬草の採取、フォレストラットの討伐、荷物の護衛(ただし依頼主とは必要最低限の会話のみ)。
FランクからDランクの、地味で危険の少ない依頼ばかりだ。地味で、孤独で、効率の悪い日々。
でも、着実に経験値と貯金は積み上がっていった。
「……うん、だいぶ冒険者っぽくなってきた」
宿の小さな鏡で、自分の姿を確認する。
穴だらけだった服は新品に買い替えた。深い藍色の生地に、魔力伝導率を上げる銀糸の刺繍が施された、そこそこ良い品だ。
我ながら、異世界に来た頃のみすぼらしさが嘘のようだ。
……まあ、鏡に映る顔の目の下の隈は相変わらずだけど。人間不信からくる睡眠の質の低下は、装備では解決できないのだ。
称号も手に入れたし、そろそろ独り立ちしないと。
——そう思って姉の家を出て、この宿に移ったのが一週間前のこと。
……正直、あの温かい家が恋しくないと言えば嘘になる。でも、いつまでもぬるま湯に浸かっているわけにはいかないのだ。
さて、私が借りているこの宿の部屋だが、控えめに言って「独房」だ。
扉を開けると、そこにはベッドの側面がある。以上。嘘ではない。扉を開けると即ベッドなのだ。つまり、部屋の中に入るには一度ベッドによじ登らなければならない。靴を脱ぐスペース? 廊下です。誰かに盗まれたら裸足で冒険しろというスパルタ仕様である。
収納? 天井からぶら下がってる網のことかな?
「……機能的、だね」
震える声で呟く。
一週間かけて、最適な着替え手順は編み出した。まず、ベッドに座ったまま上半身を着替える。立つな。立ったら天井に頭をぶつける。初日に学んだ。次に、壁に背中を預けて片足ずつズボンに通す。このとき絶対にバランスを崩してはいけない。昨日はここで足がつり、ベッドと壁の隙間に挟まって十分ほど身動きが取れなくなった。
助けを呼ぼうにも、壁が薄すぎて私のうめき声を聞いた隣人が壁ドンしてくる始末だ。
で、今朝。
手順通り、上着を羽織るところまでは完璧だった。
最後にベルトを締めようとした時、ベルトの端がテーブルの上のコップを弾いた。コップが落ちる。足に水がかかる。冷たい。反射的に身を引く。後頭部が壁を直撃。
「っっ……!」
痛みで仰け反る。仰け反った先にテーブルの角。足の小指が激突。
「あ゛っ……!!」
テーブルを蹴る。テーブルが反対側の壁に激突。ドンドンドン。隣人激怒の壁ドン三連打。
違うんです。テーブルが悪いんです。
私はベッドに倒れ込み、痛む足を抱え、痛む後頭部を押さえ、どちらを先に治療すべきか本気で悩んだ。
……結論。この部屋が全部悪い。
というか、部屋にテーブルを置いた設計者が悪い。ベッドだけでもう床面積の九割を消費しているのに、残り一割にテーブルと私の足と私の後頭部が共存できるわけがないだろう。
一泊銀貨三枚。東京のネカフェ並みの価格で、設備は東京以下。安い分を装備に回せたのだから、正解だったはずだ。
……はずだ。住めればどこでも良いと思った結果がこれだ。一応、私魔法協会認定の魔法使いなんだけどな……。肩書きに見合った依頼を受けてこそ、なのかもしれないけど。
ふと、親指の循環の指輪が目に入った。
ミスリル銀製。国宝級。城が買えると師匠は言っていた。
……城は要らないけど、もうちょっとマシな宿には住みたい。質屋に持っていったら銀貨何枚になるんだろう。
——駄目だ。師匠にバレたら「泣き言を言えば即座に破門」どころの話じゃない。物理的に消される。私は邪念を振り払い、指輪を親指の奥に押し込んだ。
今日の依頼は、Eランクの「レキエの森」での薬草採取。報酬は銀貨五枚。
戦闘のリスクがない分、報酬は控えめだ。でも、確実にこなせる依頼を選ぶのが今の私のスタイルだ。
私は装備を整え、宿を出た。森に入って一時間ほど。
目の前の茂みに、依頼対象の薬草――青い葉脈が特徴的な「月光草」が群生しているのを見つけた。
「ラッキー。こんなにまとまって生えてるなんて」
しゃがみ込んで、丁寧に採取を始める。
根を傷つけないように、周囲の土ごとそっと掘り起こす。ソロンに教わった通りのやり方だ。
「よし、これで依頼分は確保……」
その時、背後で枝を踏む音がした。
「っ!」
私は反射的に振り返った。
心臓がバクバクと跳ねる。魔族か? 魔物か? それとも――。
「おっと、すまない。驚かせたか」
声の主は、革鎧を着た中年の男性冒険者だった。
人の良さそうな顔で、両手を上げて敵意がないことを示している。
「君と同じ薬草採取の依頼でね。この辺り、良い群生地があると聞いて……おや、もう採り終わったのかい?」
「……はい」
「そうか。じゃあ、俺は別の場所を探すとするよ。邪魔したね」
男性はにっこり笑って、踵を返した。
……普通の人だ。普通の、良い人だ。たぶん。でも、私の脳内では警報が鳴り止まない。
『あの笑顔、作り物じゃない?』
『革鎧の下に角を隠してるかも』
『「別の場所を探す」って言って、実は私を尾行する気では?』
「…………」
私は男性が完全に見えなくなるまで、その場を動かなかった。微動だにせず、しゃがんだ姿勢のまま、採取ナイフを握りしめて。
私は念のため来た道とは全く別のルートで帰路についた。
四十分の遠回り。効率は最悪だが、命には代えられない。
「……はぁ。疲れる」
病気だ。完全に病気。
でも、ラークとミナだって「普通の善良な冒険者」に見えたのだ。疑わなかった。信じた。その結果があれだ。
……これが私の日常だ。人間不信ここに極まれり。治療法は不明。
帰り道、森の中で魔物と遭遇した。
魔狼が一頭。灰色の毛並みに、額から突き出した黒い角。通常の狼の倍以上の体躯で、牙からは涎が垂れている。
Cランク相当の魔物だ。群れでなかったのは幸運だった。
「……来たか」
私はポケットの中のアルミ玉を、衣服越しに強く握りしめた。
手のひらの奥で、銀色の球体がほんのりと熱を帯びる。周囲の魔力がアルミ玉に吸い込まれ、私の体内を駆け巡る感覚。この世界に来てから、すっかり馴染んだ感覚だ。
「羽虫の群れ」
短く呟く。
アルミ玉が白く輝き、指先から無数の火の粒子が放たれる。それは瞬く間に羽虫の群れとなり、魔狼に襲いかかった。
「ギャイン!?」
蟲に全身を覆われた魔狼が、悲鳴を上げてのたうち回る。
数秒後、地面に倒れ伏した。額の角だけが、黒く艶めいている。
「……討伐完了」
だいぶ戦い慣れてきた。最初の頃は一匹の魔物にも必死だったのに、Cランクの魔狼を単体とはいえ倒せるようになった。
成長している。確実に。ただ、油断はしない。私は長い木の枝を拾い、倒れた魔狼を念入りに突っついた。
棒で突く、反応を見る、もう一回突く。二週間のソロ活動で、死体の安全確認は完全にルーティン化していた。
我ながら、こんなマニュアルを作る日が来るとは思わなかった。
私はナイフを取り出し、魔狼の額から角を切り落とした。
魔物の角は素材として価値がある。依頼外の討伐でも、ギルドに持ち込めば買い取ってもらえるのだ。魔狼の角なら、一本あたり銀貨二枚程度。
……最初に角ウサギを狩った時は、死体の前で号泣していたっけ。
今は違う。魔物は魔物だ。割り切れるようになった。
夕方、ギルドで薬草採取の依頼を完了し、報酬を受け取る。
銀貨が五枚、手のひらに乗った。続いて、魔狼の角を買取カウンターに持ち込む。
「魔狼の角、一本ですね。状態も良好です。銀貨二枚になります」
薬草採取の報酬と合わせて、今日の稼ぎは銀貨七枚。
「……まあ、悪くはないか」
角ウサギを狩ってた頃に比べればマシだ。でも、偶然の魔狼頼みでは先が見えない。
普段はFランクやDランクの依頼で、一日銀貨十枚稼げれば良い方。宿代と食費で八枚が消え、貯金は一日二、三枚がせいぜいだ。
『虚ろの迷宮』に挑むには、ランクを上げて、装備もそれなりのものを揃えないといけない。今のペースじゃ、いつになることやら。
間違ってはいない。間違ってはいないけど、このままじゃ干からびる。
私は受付カウンターの横にある掲示板を眺めた。
依頼書がずらりと並んでいる。ランク別に色分けされていて、上の方に行くほど報酬も跳ね上がる。
Fランク依頼:荷物運搬……報酬・銀貨三枚
Eランク依頼:薬草採取……報酬・銀貨五枚
Eランク依頼:角ウサギ討伐……報酬・銀貨八枚
Dランク依頼:フォレストラット討伐……報酬・銀貨十五枚
Cランク依頼:魔狼の群れ討伐……報酬・銀貨五十枚
Cランク依頼:角熊単体討伐……報酬・銀貨八十枚
……EからCで、報酬が十倍違う。危険度も十倍だが。
私は今、Cランク冒険者だ。
でも、実際に受けているのはEランクやDランクの依頼ばかり。
Cランクの依頼は危険度が跳ね上がる。ソロで挑むには、正直まだ不安がある。
だから、安全な低ランク依頼で経験を積んでいるのだけれど……。
溜息が漏れた。
宿に戻り、質素な夕食と向き合う。
本日のメニュー:硬いパンと、具の少ないスープ。昨日と同じ。一昨日とも同じ。たぶん明日も同じ。
まず、パン。
齧る。硬い。全力で噛む。顎の関節がギシギシと悲鳴を上げる。ようやく欠片がひとつ、ボロリと崩れた。
もはや食事ではない。採掘作業だ。試しにテーブルをコンコンと叩いてみる。次にパンでテーブルをコンコンと叩いてみる。
……同じ音がした。
建材だ。これで小屋が建てられる。
戦闘では鈍器の代わりになるかもしれない。魔狼の角より硬い気がする。さっきのダイアウルフにこれを投げつけていたら、魔法を使うまでもなかったのでは?
こんなものを食べ物として売るな。
パンは諦めて、スープに希望を託す。
お湯に緑色の絵の具を溶かしたような色をしている。
スプーンでゆっくりかき混ぜてみる。何か沈んでいないかと、期待を込めて。
……底が見えた。むしろ透き通っている。
いや待て。何か浮いている。
キャベツの切れ端。一枚。二枚。三枚。以上。
この店の料理人は、三枚入れるところまでは頑張ったのだろう。四枚目で力尽きたか。あるいは三枚が彼の美学なのか。
私はスプーンでキャベツを一枚掬い上げ、目の高さまで持ち上げた。
煮込まれすぎてほぼ透明になっている。向こう側が透けて見える。
「……仲間はどこだ」
キャベツは答えない。
「お前の仲間……ニンジンやジャガイモはどこに行った。白状しろ」
キャベツは沈黙を守っている。なかなか根性のある野菜だ。
「庇っているのか? ……いいだろう。では聞き方を変える」
私はスプーンを傾け、キャベツをスープに沈めた。ゆっくり引き上げる。
「主犯を吐け。肉だ。肉はどこにいった」
再び沈める。引き上げる。沈黙。
私は残りの二枚に目を向けた。
「……そこの二枚。お前たちの仲間が黙秘を続けている。知っていることがあるなら今のうちだぞ。先に喋った方を最後に食べてやる」
三枚とも沈黙。結束が固い。あるいは全員グルだ。
……何をやっているんだ、私は。
分かっている。分かっているけど、一人で食べる夕食なんてこんなものだ。この世界はスマホもテレビもない。話し相手がキャベツしかいない。キャベツに司法取引を持ちかける魔法使いは、たぶんこの世界でも私だけだ。
ふと気づいた。今朝はテーブルを蹴っただけで壁ドン三連打してきた隣人が、今は何も言ってこない。
壁の薄さは実証済みだ。「仲間はどこだ」も「主犯を吐け」も、間違いなく聞こえているはず。
……聞こえた上で、黙っているのか。
なんだろう。朝より静かだと、逆に怖い。
「……お前の覚悟は分かった。敬意を表して、食べてやる」
口に含む。……薄い。煮込まれすぎて繊維だけになっている。
あぁ、少し塩の味がする。これは私の涙かもしれない。
肩書きだけは立派なのに、現実はキャベツ三枚のスープ。どこの世界も下っ端は辛い。
……私は自分で選んだのだ。この道を。文句を言っても仕方ない。
でも言いたい。キャベツもう一枚くらい入れてくれ。頼むから。
食後、窓辺に腰かけて外を眺めた。王都の夜景が広がっている。
魔法の灯りがぽつぽつと街を照らし、どこかの酒場から陽気な歌声が聞こえてくる。賑やかな通りには屋台が並び、人々が楽しそうに行き交っていた。
……私はさっきまで、キャベツを尋問していた。
ふと、夜空を見上げた。
星が瞬いている。地球から見る星座とは、全然違う配置。当たり前だ。ここは異世界なのだから。
「……綺麗だな」
素直にそう思った。
でも、ここは私の世界じゃない。
コンビニの明かり。終電間際の駅のホーム。深夜残業後のカップラーメン。あの忙しい日々が、今は懐かしい。
「……このままじゃ、ダメだ」
このままじゃ、いつまで経っても『虚ろの迷宮』には届かない。あの掲示板の上の方に、手を伸ばすしかない。
怖い。正直、怖い。でも、立ち止まっている暇は私にはない。
「……よし」
私は拳を握りしめた。
「明日から、Cランクの依頼を受けよう。ソロで」
誰かと組む気はない。人を信じるのは、まだ無理だ。でも、一人でできることを、一人でやる。それなら、私にもできる。
強くなるんだ。一人で生きていけるように。地球に帰るために。
私は窓を閉め、ベッドに潜り込んだ。……というか、部屋が狭すぎて「潜り込む」というより「隙間に体をねじ込む」感じだが。
明日からは、新しい挑戦が始まる。
不安はある。命にかかわるかもしれない。でも、やるしかない。目を閉じる。
久しぶりに、少しだけ前向きな気持ちで眠れそうだった。
……ただし、決意を新たにした直後、寝返りを打った瞬間にベッドから転落して床に激突したのは、また別の話である。




