赤き不変花
数日後。
家に、協会から正式な「魔法協会登録証」が届いた。
身分証代わりにもなる銀色に輝くプレート。そこには燦然と例の不名誉な称号『蟲使い』が刻まれている。
「……見なかったことにしよう」
私は称号の部分を親指で隠すようにして、プレートを懐にしまった。
話によると、この登録証を冒険者ギルドに持っていけば、協会の評価に応じて冒険者ランクが決まるらしい。新人はDランクが相場だと聞いている。
私は気を取り直し、冒険者ギルドへと向かった。
今日は「世を忍ぶ仮の姿」として地味な灰色のローブを纏い、髭の形を変えた変装済みのソロンも付き添ってくれている。
ギィィ、と重い扉を開けると、ムワッとした熱気と酒の匂い、そして屈強な男たちの怒号が飛び交っていた。
あぁ、前にも来たけどやっぱり怖い。筋肉モリモリのマッチョたちが昼間からジョッキをぶつけ合っている。
でも……私はもう一人前の魔法使いだ。胸を張って良いはずだ。ポケットの中の相棒、アルミ玉の名に懸けて。
私はカウンターへ進み、ギルドへの新規登録の旨を伝え、協会の登録証を提示した。
「魔法協会からの認定証ですね。少々お待ちください」
受付嬢がプレートを裏表確認し、何かの帳簿と照合している。少し間があった。
「おめでとうございます、Cランクからのスタートとなります!」
「C……!? Dじゃなくて?」
「はい! 協会の評価が高い方は、飛び級でCランクからのご登録となります。新規の方では珍しいんですよ」
マジか。評価された部類だったのか、私。ちょっと嬉しい。
受付嬢が手早く手続きを進め、真新しい冒険者プレートを差し出した。銅に近い色合いの金属板に「C」の刻印。これが私の冒険者としての身分証になるわけだ。
「では、冒険者ネームはどうされますか? 本名でも構いませんが」
「えっと……じゃあ『ユズリハ』でお願いします」
アオイって名乗っても噛まれる未来しか見えないし……。魔法協会でもユズリハで登録されてるっぽいし……。もうこれでいいや。
「かしこまりました。ユズリハ様ですね」
手続きを済ませ、新品の銅色のプレートを受け取って振り返ると――。
「おい、姉ちゃん」
強面の男に声をかけられた。
全身傷だらけの革鎧を着た、いかにもベテランといった風情の戦士だ。
「……はい?」
「魔法使いだろ? しかもいきなりCランクスタートかよ。すげぇな」
男は私のプレートを品定めするように見て、ニカっと笑った。
「どうだ、俺のパーティに入らねぇか? 魔法使いは引く手あまたなんだ。報酬は弾むぜ?」
「え、あ、その……」
「俺らなら前衛は足りてる。後ろからデカいのを一発撃ってくれるだけでいいんだ。悪い話じゃねぇぞ」
勧誘だ。
日本じゃキャッチセールスか宗教勧誘くらいしか声をかけられなかった私が、ここでは「戦力」として求められている。魔法が使えるというだけで、周りの視線が違う。侮りではなく、畏敬と、打算を含んだ熱っぽい視線。
なるほど、これが技術職《スキル持ち》の特権か。需要があるというのは悪い気分ではない。
ただ、いきなり誘われても……。「後ろからデカいの」かぁ。私の魔法、どっちかっていうと「隙間に嫌がらせを千回叩き込む」タイプなんだけど。
集団での行動や戦闘に関してはまだ私は経験不足だし、まずは郊外に出て弱い魔物を狩るところからだと思っていたが……。
「すみません、まだ登録したばかりで……」
「そうか。まあ気が向いたら声かけてくれや」
男はあっさりと引き下がった。
意外と紳士的で助かった。ホッとして受付嬢の方を向くと、彼女が補足説明をしてくれた。
「ユズリハ様はギルドのクエストを受注されるのは初めてですよね? Cランク以上の冒険者様には、推奨されている制度がございます。『バディ制度』です」
「バディ?」
「はい。Cランク以上が受けられるクエストの依頼は難易度が高く、単独行動での生存率は極めて低くなります」
生存率が低い。さらっと怖いことを言う。
「そのため、ギルドでは二人一組、あるいはそれ以上のパーティを組むことを推奨しております。単独で受けられる依頼は限られているためバディ登録をしていただくと、高難易度クエストの受注がスムーズになりますよ」
なるほど。ソロプレイお断りのコンテンツが解放されたわけか。きっとクエストで命を落とした人は少なくないんだろう、おっかない。
確かに、私の魔法は強力だが防御面に不安がある。前衛で敵を止めてくれる相棒がいれば、より安全に「固定砲台」として立ち回れるだろう。
「相棒、かぁ……」
そんなこといきなり言われても。ここで仲間だのコミュニティを形成するなんて、コミュ障気味の私にできるんだろうか。
一人の方が楽だし、まずは近場で薬草採取のクエストでも……。
そんなことを考えながら、私はどれにしようかと依頼掲示板の方へ目を向けようとした。高ランクのクエストは報酬が嵩む関係で人気だ。そうなると、ギルド役員と面接で候補者が絞り込まれることもあるという。
就活かよ。
まずは実績を作らないと面接になった場合のアピールポイントが作りづらいからな……比較的に簡単なやつからがやはり無難だろうか。
掲示板には様々な依頼が貼られている。
「薬草採取:報酬・銀貨五枚」
「護衛任務(商隊):報酬・銀貨十五枚」
「魔狼の群れ討伐:報酬・銀貨五十枚」
やはり最初は無難に薬草採取あたりから……。
その時だった。
カラン、コロン……。入り口のベルが鳴り、ギルドの重厚な扉が開かれた。
途端に、喧騒に包まれていたギルド内の空気が一変した。
まるで冷水を浴びせられたかのように、男たちの馬鹿騒ぎがピタリと止む。全員の視線が、入り口の一点に吸い寄せられていた。
「ん? なんだ?」
私もつられて入り口を見た。
逆光の中に、一人の影が立っている。深紅の裏地がついた、高級な純白のローブを纏った人物だ。
その人物は静かにギルドの中へと足を踏み入れた。
歩くたびに、得も言われぬ芳香が漂ってくる。酒臭いギルドの空気が、そこだけ別世界のように塗り替えられていく。
彼女は周囲の男たちなど視界に入れる価値もないとばかりに、鬱陶しそうに被っていたフードを払いのけた。
ファサッ……。
「っ……!」
その瞬間、ギルド中の時間が止まった気がした。
現れたのは、この世のものとは思えない美貌だった。透き通るような白磁の肌。薄い金の髪は、窓から差し込む陽光を受けて神々しいほどの輝きを放っている。
そして何より目を引いたのは、髪の間から伸びる長く尖った耳と、宝石のように鮮烈な「赤」い瞳。
「エルフ……っ!?」
私は思わず声を漏らした。
間違いない。あの赤い目。この甘い香り。
砂漠で遭難した私に水を恵んでくれた、あの時の彼女だ。あの時はフードで耳が隠れていて分からなかったけれど、彼女、エルフだったんだ。
けれど、あの時とは雰囲気がまるで違う。砂漠での彼女が旅人の姿だとしたら、今の彼女は森を支配する女王そのものだ。
――命の恩人であると同時に、腹痛の元凶でもある。
あの時貰った水が魔法で作った水だったせいで、その後私は盛大にお腹を壊して死にかけたのだ。彼女に悪気がなかったことは分かっている。いつか「水魔法の水は飲ませたらあかんやろ」と一言文句を言いつつ、ちゃんとお礼を言いたいと思っていた相手が、まさかこんなところで……。
身長は160cmの私よりずっと高い。170cm以上はあるだろう。すらりと伸びた手足に、華奢でいて均整のとれた体躯。
全身から漂う、芳しく、脳を直接揺さぶるような、高貴で危うい香油の香り。
反則だろ。一人で空間ごと支配するとか、存在感のリミッターが外れている。
同性の私ですら一瞬フリーズした。心臓が早鐘を打っている。
畏怖すら覚えるような、魔性の美。ギルドにいた荒くれ者たちが軒並み石像と化している。
「……」
彼女は赤い瞳を細め、周囲をぐるりと見渡した。
その視線は氷のように冷たい。まるで路傍の石ころを見るような、あるいは汚いものを見るような目だ。
そして、彼女はまっすぐに受付カウンターへと歩を進めた。
周囲の男たちが道を開ける。誰も声をかけられない。その圧倒的な気配に、冒険者たちすら気圧されている。
「依頼を」
透き通った声がギルド内に響く。受付嬢が慌てて姿勢を正した。
「は、はい! ど、どのようなご依頼を……」
「Aランク以上。単独遂行可能なもの」
「えっと……それですと北のギルダロウの森の――」
ザワ……とギルド内がどよめいた。
Aランク。それは熟練パーティでも全滅のリスクがある、超高難度のクエストだ。
ゾクリ、と背筋が凍る。
「せ、先生……あの人は?」
「ふむ……。以前、次元転移魔導書の情報を集めにここに来た時、妙な噂を耳にした」
ソロンはフードの下で目を細め、彼女を油断なく見据えながら小声で言った。
「『近頃、ルミナリエルフの女性が冒険者ギルドに降りてきている』――あれが、その当人だろうな」
「ルミナリエルフ……? それって何です?」
「エルフの中でも極めて稀な血統でな。エルフの王族ですらひれ伏す、生ける伝説のような種族だ。魔力、身体能力、美貌、全てにおいて生物としての格が違う。特徴としては薄い金の髪、そして赤い目」
確かに、彼女の瞳は血のように鮮烈な赤だ。
「名をセリアンディエル・アークシア・ヴィレス・アマラン=ルミエル。ルミナリエルフの中でも純血の『エンシェントアマランス』――別名を赤き不変花という」
やはりエルフは名前が長い……。その上で色々な呼び名があるんだな……。
「彼女がギルドに登録したのは、ほんの2年前のこと。それまで誰も彼女の名を知らなかった」
「2年で……Aランクまで?」
「そうだ」
ソロンは顎髭を撫でながら、低い声で続けた。
「……ここ数年、魔物や魔族の動きが活発化しているらしい。出現頻度が増え、組織だった行動の報告もあるようだ」
「それと、あの人が関係あるんですか?」
「分からん。だが、時期が重なるのは確かだ。……何を探しているのか、何を目指しているのか」
ソロンの声には、珍しく困惑の色が混じっていた。
「興味深いが、深入りは禁物だ」
私は彼女に見とれていた。
腹痛の恨みも、お礼の言葉も、一瞬だけ頭から吹き飛んでいた。それほどの圧倒的な存在感。
……なんでそんなすごい人が、冒険者ギルドなんかにいるんだろう。
「……」
一瞬、目が合った気がした。
けれど、彼女の表情はピクリとも動かなかった。
驚きも、喜びも、あるいは嫌悪すらなく。ただ景色の一部として私を認識し、そのまま興味なさげに視線を外して歩き去っていく。
砂漠で会ったことなんて覚えていないのか、それとも取るに足らないことだと思っているのか。彼女の赤い瞳には、私の姿など最初から映っていないようだった。
「あの人、実は私が砂漠で遭難した時に水をくれたんです。お礼を言いたい……」
「やめておけ」
ソロンが低く警告する。
「人間に好意的なエルフもいるが、あれは見るからに違うだろう。善意で施した行為を恩着せがましく感謝されることを嫌う。それに……」
ソロンがチラリと周囲を見る。
ギルド中の男たちが、獲物を狙う獣のような目でセリアンディエルを見つめている。
「今は下手に関わらない方がいい」
分かっている。分かってはいる。
けれど――。
あの一杯の水がなければ、私は今ここにいない。
ソロンに出会うこともなく、翻訳魔法をかけてもらうこともなく、砂漠で干からびて死んでいた。
彼女にとっては、道端の石ころに水をかけた程度の出来事かもしれない。
でも、私にとっては命を繋いでくれた恩人だ。
――認識すらされていない。
さっき、彼女の視線が私の上を通過した時。
そこには何の感情もなかった。驚きも、親しみも、嫌悪すらも。ただの景色として、私は処理された。
それが――妙に、悔しかった。
迷惑かもしれない。
でも、「ありがとう」を言わないまま終わるのは、私の中で区切りがつかない。
「すみません、先生。でも、ちょっとだけ……」
私の足は、ソロンの制止を振り切って動いていた。




