蟲使い
全受験者の実技が終了し、審査員が合議のために席を立った。
結果発表までの待ち時間が、地獄だった。
会場の隅で壁にもたれながら、「受かったかな」「落ちたかな」を脳内で無限ループしている。審査員たちの引きつった顔が脳裏にこびりついて離れない。技術は認めてもらえた……はずだ。ただ、「気色悪ッ」という声も確実に聞こえた。あれは減点対象なのだろうか?
周りの受験者も、そわそわと落ち着かない様子で結果を待っている。ソロンは審議に立ち会うため特別席の奥へ消えた。去り際に「心配するな」とだけ言い残して。……あの人の「心配するな」ほど信用できないフラグはない。
やがて、審査員たちが戻ってきた。試験官が壇上に立ち、手元の書類に視線を落とす。
息を止めた。
「合格者、受験番号7番。ユズリハ!」
試験官の声が響いた瞬間、私は思わず「よしっ!」とガッツポーズをした。合格者がフルネームで呼ばれる中、私だけ名字だけで呼ばれたがそんなことはもう気にしない。
周りの受験者からの視線は痛かったが、知ったことではない。勝てば官軍、受かればこっちのものだ。
名前を呼ばれた合格者は、私を含めて3人。
一人は、実技で五本の氷の槍を精密に操っていた眼鏡の女性魔導士。もう一人は、石柱でゴーレムを包囲してみせた背の高い少年。――どちらも「派手さ」より「制御力」が光るタイプだ。なるほど、協会が求めているのは一発屋の花火師ではなく、実戦で使える魔導士ということか。
金髪巻き毛のグラン・フレア君の姿はなかった。あの火力で落ちたのは気の毒だが……処理速度の遅い激重プログラムは、本番環境では使い物にならないのだ。
3人で壇上に上がり、協会幹部から記念品ならぬ「認定証」を受け取る。
渡されたのは、銀の鎖がついたペンダントだった。中央には、深い青色の魔石が埋め込まれている。
「それは『魔導通信石』だ。協会本部からの緊急招集や、重要な指令がある時、その石が光り、熱を持ち、メッセージが脳内に直接響くようになっている」
「脳内に直接……」
「肌身離さず持っておくように。風呂に入る時もだ。呼び出しを無視し続ければ、資格剥奪もあり得るからな」
説明を聞いて、私の顔が引きつった。
これって、あれだ。ブラック企業社員に支給される「24時間365日通知が止まらない社用スマホ」だ。風呂でも手放すなとか、完全に社畜の首輪じゃないか。
異世界に来てまで「緊急呼び出し」に怯える生活が待っているとは。私はペンダントを握りしめ、遠い目をした。
「……おめでとう。素晴らしい魔法だったよ」
ふいに、背後から声をかけられた。
振り返ると、見上げるような長身のエルフが立っていた。
――さっき、特別席でソロンの数席隣にいた人だ。
黒髪を束ね、紫水晶のような瞳。至近距離で見ると、顔面の造形が完璧すぎてCGにしか見えない。これで性格まで良かったら、この世界のキャラ設定はバグっている。
だが、見た目に惑わされるな。この人、新人の私にわざわざ声をかけてきた。何か目的があるはずだ。
纏っているローブは他の審査員より明らかに格が違い、胸元には見覚えのない紋章が光っている。
「僕はキリヤ。この王都支部の副支部長を務めている」
副支部長。つまり、支部長に次ぐナンバー2だ。支部長が政治や対外交渉を担当するのに対し、副支部長は実務――つまり魔導士の選抜や育成、そして「有望な人材の発掘」を統括する立場だと、事前にソロンから聞いていた。
そんな偉い人が、なぜ新米の私に直接声をかけてくるんだ?
「あ、はい。初めまして、ユズリハです……」
彼がスッと差し出してきた手を、私は恐る恐る握り返した。ひんやりとした、しかし力強い握手だ。
うわぁ、エルフと初めて握手した……!
「本名は『キリヤンサス・エル・ヴィオレ・シルヴァリウス』だが、人間たちには覚えにくいらしい。君もキリヤと呼んでくれればいい」
「キリヤさん……」
エルフは名前が長いと聞いてはいたが、本当だった。
「アルテシアに住んでいるのか?」
「あぁ、えっと、そうです」
「見たことのない術式だ。構成も、魔力の質も、この国のセオリーとは根本的に異なる。……君は、どこの出身だ?」
背筋が凍る。馬車の中でのソロンの言葉が蘇った。
『協会では決してお主の出自を明かすな』――。
「え、あ、その……田舎の、山奥でして……」
「ほう。山奥。君は特徴的な顔つきをしているが具体的にはどこの地方だ?」
「ええっと、もっと遠くの……その……」
やばい。詰められた。
冷や汗が背中を伝う。どうする。誤魔化しきれるか?
「おいおい、わたしの可愛い弟子を虐めるな、副支部長殿」
割って入ったのは、いつもの不敵な笑みを浮かべたソロンだった。
「ソロン様……」
ソロンが私の肩を抱き寄せ、男を睨み返す。
伝説の大賢者の威圧感に、さすがのキリヤさんも一歩下がった。
彼は薄く笑い、興味深そうに私を一瞥した。
「面白いものを見せてもらったよ、ユズリハ君。……いずれ、ゆっくり話がしたいものだね」
キリヤさんは優雅に敬礼し、踵を返して去っていった。
その背中を見送りながら、私は小さく安堵のため息をついた。
あの美貌といい、有無を言わせぬオーラといい……やっぱり、只者じゃなかったな。
「た、助かりました……出身聞かれて焦って……」
「気にするな。あれは優秀だが、妙に嗅覚の鋭い男でな。……何を考えているか分からんところがある。まあ、わたしの名前を出せば大抵の輩は黙る。今は気にするな」
ソロンはニカっと笑い、私の背中をバンと叩いた。
「さあ、帰るぞアオイ! 今日は祝いだ。高い酒を用意させろよ!」
その夜。姉の家では盛大な宴が開かれた。
テーブルには姉の手料理が所狭しと並び、義兄のエイランさんがどこからか調達してきた高級ワインの栓が次々と抜かれていく。
「合格おめでとう蒼! すごいよ、本当に魔法使いになっちゃうなんて!」
「我が家から魔法協会の魔導士が出るなんて……鼻が高いよ。本当におめでとう」
姉は涙ぐみながら私のグラスにワインを注ぎ、義兄はすでに顔を真っ赤にして拍手している。
私は注がれた赤ワインを一気に煽った。
「くぅぅ~っ! 美味しい! 五臓六腑に染み渡るぅ! ……あれ? 姉ちゃんたちも飲むの?」
私が尋ねると、姉とエイランさんは顔を見合わせて照れくさそうに笑った。
「今日は特別だもん」
姉がグラスを掲げる。その心遣いが嬉しくて、また酒が進む。
日本にいた頃、仕事の打ち上げで飲むことはあったけど、こんな風に「自分のために」祝ってもらったのは、いつ以来だろう。
そして上座には、我が物顔でボトルを抱えるソロンの姿があった。
「うむ、良い酒だ! これなら合格祝いとして認めてやろう!」
「先生、飲み過ぎですってば」
私は呆れつつも、心の底から安堵していた。
宴が盛り上がった頃、私は改まって姉と義兄に向き直った。
「姉ちゃん、エイランさん。今までお世話になりました」
「え?」
「資格も取れたし、これからは協会の仕事とかギルドで稼げるようになる。いつまでも居候して迷惑かけるわけにはいかないから……そろそろ、自分でしっかり稼いで家を出ようと思う。まずはギルドで簡単な依頼から受けてみることにするつもり」
私がそう切り出すと、姉は少し寂しそうな顔をしたが、すぐに優しく微笑んだ。
「そっか……。そうだよね、蒼には蒼の人生があるもんね」
「うん。でも、王都近辺にはいるつもりだし、顔は見せに来るから」
「当たり前! 困ったことがあったら、いつでも帰ってきていいんだからね。お金がなくなっても、お腹が空いても、ホームシックになっても。ここは蒼の家なんだから」
「……うん。ありがとう」
姉の言葉に、視界が滲む。
この世界に来て、右も左も分からなかった私を受け入れてくれた家族。その温かさが、明日への活力になる。
「ククク、湿っぽいのは似合わんぞ。ほれ、飲め!」
「飲みますとも! 今日はとことん付き合ってくださいよ師匠!」
「おお、お主のその『陰湿魔法』の完成祝いだ、飲み干せ!」
「陰湿じゃありません! ロジカルです!」
酔いが回ったソロンが、ふと思い出したように言った。
「そういえばアオイ。協会に登録されると、公式の『称号』が授けられるのは知っておるか?」
「称号? 二つ名ってやつですか?」
「そうだ。試験の成績や魔法の特性をもとに、協会が正式に授ける。以後、ギルドの依頼書にも公文書にも、その称号が記載される」
私の目が輝いた。
称号。二つ名。それはすなわち――異世界ファンタジーの醍醐味ではないか。
「ど、どんなのがあるんですか!?」
「そうだな……『紅蓮の魔女』とか『氷結の狙撃手』とか。有名どころでは『嵐を呼ぶ者』なんぞは大陸中に名が轟いておる」
「かっこいい……! じゃあ私のは!?」
「まだ審議中だろう。近いうちに通知が届くはずだ」
「うわー、楽しみ……! 『論理の魔女』とか? あっ、『千の火を操る者』もいいな……!」
ワイングラスを抱えたまま、妄想が止まらない。
「――ちなみに先生の称号って何なんですか?」
ソロンがワインをぐいっと呷り、不敵に笑った。
「『万象の大賢者』。……まあ、名前負けせん程度には働いてきたつもりだ」
「か、かっこよすぎません!? ずるいです!」
「ハッハッハ! お主もいずれ、誇れる二つ名をもらえるさ」
師匠の豪快な笑顔に、私はますます期待を膨らませた。
結局、その夜はソロンと義兄に付き合わされ、記憶が飛ぶまで飲み明かすことになった。
翌朝。
二日酔いの頭を抱えながら、私はベッドの上でぼんやりと考えていた。
窓の外には、見慣れた異世界の空が広がっている。
ネットもない。スマホもない。コンビニも、電車もない世界。
最初は絶望した。不便すぎて死ぬかと思った。けれど、私はここで「生きる術」を見つけた。
まさか、日本で培ったSEのスキルが、魔法の世界で役に立つなんてね……。
人生、何がどう転ぶか分からない。
コードを書く代わりに、魔術式を組む。バグを潰す代わりに、魔物を潰す。
やることは変わったようで、根っこは同じだ。ポケットの中のアルミ玉を握りしめる。
私には、この最強のアルミ玉と、プログラミング思考がある。
昨日の「バグ・スウォーム」だけじゃない。もっと色んな魔法が作れるはずだ。
自動追尾する氷のミサイルとか、敵の足元にだけ摩擦係数ゼロの沼を作って転ばせるとか、風魔法で敵の鼓膜にだけ黒板を引っ掻く音を再生し続けるとか。
「ふふふ……開発意欲が湧いてきた。次は何を作ってやろうか」
夢は広がる。私はこの世界で、最高の魔法エンジニアになってやるのだ。
そんな希望に燃えていた私だったが――。その夜、とんでもない事実を知ることになる。
私は姉の家のお風呂を借りていた。
湯船に浸かり、「ふぅ~」と一息ついた時だ。
首から下げていた『魔導通信石』が、カッと熱くなり、青白く発光し始めた。
「熱っ!?」
なんだ、いきなり。緊急招集か? まさか魔族の襲撃?
身構える私の脳内に、無機質な女性のアナウンスが直接響いてきた。
『――業務連絡。業務連絡。合格した新規魔導士の登録が本日付で完了しました』
「え、あ、はい。お疲れ様です」
思わず素っ裸で返事をしてしまう。
『登録証は後日発行されますが、取り急ぎ、ギルドにて認定された公式の「称号」をお知らせします』
「称号!? きた、ついに来た!!」
昨夜の宴でソロンから聞いた、あの二つ名だ! 『論理の魔女』? 『千の火を操る者』? 来い、かっこいいやつ来い!
期待に胸を膨らませた次の瞬間、アナウンスは告げた。
『氏名:ユズリハ。称号――【蟲使い】』
「はあああああああああ!?」
浴室に私の絶叫が響き渡り、お湯が波打った。
「ちょ、何ですかそれ!? 『蟲使い』って! 確かにバグ・スウォームって名付けたのは私ですけど!? あれは火魔法だし! リアルな虫じゃないし! なんで蟲使いになるんですか!?」
『……』
「ねえ聞いてます!? 違います! あれは火の玉です! 計算で動かしてるんです! 私が求めていたのは『論理の賢者』とか、そういうやつです!」
私は石に向かって叫んだ。
だが、石は無機質に光るだけで、返事はない。
「……これ、一方通行なの!?」
そうだ、説明の時に言われた。「メッセージが響く」と。こちらから話せるとは一言も言われていない!
待って、それより今、私の位置情報とかどうなってるの? 知られてる? GPS付き? この石、もしかしてカメラ機能とかないよね?
「ちょ、まさか見えてないですよね!? 私今、真っ裸なんですけど!? ねえ!!」
風呂場で裸のまま、ペンダントを握りしめて叫ぶ女。客観的に見て地獄絵図だ。
『以上、登録完了のお知らせでした。これからの活躍を期待します』
「期待しないで! 名前変えて! せめて『火球使い』とかにしてよぉぉ!!」
ブツン。
通信は無慈悲に切断された。
後には、静まり返った浴室と、絶望に打ちひしがれる全裸の「蟲使い」だけが残された。
湯船に沈み込み、天井を見上げる。
せっかく異世界で新しい人生を始めようとしてるのに、これから一生「蟲使い」って呼ばれるのか。
「……解せぬ」
私の呟きは、湯気の中に虚しく消えていった。




