命の買い取り価格
オリジナル魔法の完成から、さらに数週間。
決戦の日は、雲ひとつない快晴だった。
王都へ向かう馬車の中、ガタゴトという車輪の音だけが響いている。
向かいに座るソロンは、窓の外を流れる景色を静かに見つめていた。今日のために整えられた深紅のローブが、彼の威厳を一層際立たせている。
「……アオイよ」
ふいに、ソロンが口を開いた。視線は窓の外に向けたままだ。
「わたしがなぜ、隠居生活など送り、弟子を取ろうとしなかったか……話していなかったな」
「え? ああ、そういえば。研究に没頭したかったから、としか」
「それは表向きの理由だ」
ソロンは一度目を閉じ、深く息を吐いた。
「かつてわたしは、ギルドでSランクの冒険者として活動していた」
「え、Sランク……!? そうだったんですか?」
Sランク。国家戦力級の化け物揃いと言われる最高位だ。伝説の魔法使いと言われるだけはあるが、まさかそこまでとは。
「その頃のわたしは傲慢だった。自分の魔法に絶対の自信を持ち、名誉と力を求めて戦場を駆け回った。……多くの者を殺めた。魔物だけではない。敵対する国の兵士、盗賊、あるいは邪魔をする者。この手は、お主が想像する以上に血で汚れている」
淡々と語るその声には、自嘲のような響きがあった。
「だが、ある日――わたしの慢心が仇となった。魔の始祖の手がかりを追ってSランクダンジョンに入った。そして魔族の襲撃を受け、妻を……そして、当時目をかけていた一番弟子を、わたしの魔法が間に合わず、目の前で失ったのだ」
「……っ」
言葉が出なかった。
聞く機会のなかった家族の話題に触れたと思いきや――。最強の魔法使いが、一番大切な人を守れなかった。その絶望は計り知れない。
「妻は、決して弱い女ではなかった。弟子もまた、才能溢れる若者だった。それでも……あの圧倒的な悪意と暴力を前には、彼らの障壁など薄紙も同然だった」
ソロンが膝の上で、拳を強く握りしめる。
「あっけなく死んだよ。人の命など、どれほど魔力を高めようとも、壊れる時は一瞬だ。……わたしは恐ろしかったのだ。またわたしの目の前で理不尽に命を奪われるのが。自分の指導不足で、未来ある若者が死んでいくのを見るのが。もう二度と、あの喪失感に耐えられる気がしなかった」
だから、孤独を選んだのか。
誰とも関わらず、誰も教えず、ただ一人でいれば、失う痛みもないから。
「アオイ。お主は高ランクのギルドの報酬や、宮廷魔導士の給金がなぜあれほど高額か分かるか?」
「えっと……専門職で、技術が必要だから?」
「違う。あれは『命の買い取り価格』だ」
ズシリ、と重い言葉が響く。
そうか。そういうことか。以前聞いた冒険者の報酬額は、現代日本のサラリーマンの年収を一回の依頼で稼ぐような額だった。夢がある話だと思ったけれど、それは「ハイリスク・ハイリターン」なんて生易しいものじゃない。
死ぬ確率が極めて高いからこその値段。
強さを誇る妻や弟子ですら死ぬ世界。明日は我が身。報酬は、いつか散る命への手付金に過ぎないのだ。
「アオイ。わたしはお主に、かつての弟子のような最期を迎えさせたくない。……だが、お主は進むと決めた。ならばわたしは師として、最後まで背中を押そう。あのような悲劇を繰り返さぬよう、厳しく指導したのはそのためだ」
「先生……」
私は胸が締め付けられるような思いで、その言葉を聞いていた。
ただの偏屈なじいさんだと思っていた人が背負っていた十字架。そして、異邦人の私を気遣ってくれる不器用な優しさ。
ふと、自分のことを振り返る。
命を懸けてでも守りたい存在、か。
……私には、そういう相手がいたことがない。
別に、機会がなかったわけじゃない。学生時代も社会人になってからも、告白されたことは何度かあった。同僚から「もったいない」と言われるくらいには、悪くない話もあったと思う。
でも、私はいつも断ってきた。
理由は単純だ。恋愛に割くリソースがあるなら、その分コードを書きたかった。デートの約束より、推しゲーの発売日の方が重要だった。誰かと人生を共にするイメージが湧かないまま、気づけばアラサー。このまま生涯独身で、猫でも飼って気ままに生きていくんだろうな、と思っていた。
後悔はない。私が選んだ道だ。
だからこそ、ソロンが語る「喪失」の重さは、私には本当の意味では分からないのかもしれない。
でも――分からないからこそ、その痛みを抱えてなお生きるソロンの姿は、尊く見えた。
「ありがとうございます。私、絶対に合格してみせます。先生の顔に泥は塗りません」
「うむ。その意気だ」
ソロンはいつもの不敵な笑みを浮かべたが、すぐに表情を引き締めた。
「それと、アオイ。協会では決してお主の出自を明かすな」
「出自……ですか?」
「お主が『異世界から来た』などと言えば、好奇の目で見られるだけでは済まん。研究材料として拘束されるか、あるいはスパイとして処分される可能性すらある」
私は息を呑んだ。
これまで姉やソロンには普通に話していた。彼らは信頼できる「身内」だったから、何の疑問も持たなかった。
でも、協会という巨大組織の中では――私は「得体の知れない異物」になりかねない。
「田舎の山奥出身ということにしておけ。詮索されたら、わたしの名前を出せ」
「……分かりました」
気を引き締めなければ。私は小さく頷いた。
ソロンは話題を切り替えるようにパチンと指を鳴らした。しんみりした空気はこれでおしまい、という合図だ。
「では、試験の流れを最終確認するぞ。準備はいいな?」
「はい、バッチリです」
私は脳内のホワイトボードを呼び出した。
「協会認定試験のフローは二段階。一次試験は『魔力測定』、二次試験は『実技』ですよね」
「そうだ。まず一次の魔力測定だが、水晶に手をかざして魔力量と出力を測る。ここではどうする?」
「アルミ玉は使いません。あれを使うと測定器が爆発して賠償問題になるので」
「……協会の測定器はわたしの寄付で作ったものも多いからな。壊されるとわたしの財布が痛む」
それは困りますね、はい。
私は右手の親指にはめた指輪を示した。
「先生にもらったこの『循環の指輪』だけで挑みます」
実はこの数週間、アルミ玉という「超強力吸引ポンプ」を繋いで特訓し続けたおかげで、私の体には思わぬ副産物が生まれていた。
強制的に大量の魔力を通され続けたことで、私の魔力回路――血管のようなもの――が無理やり拡張され、太く、頑丈になっていたのだ。
今まで細いストローで必死に吸っていたのが、いつの間にか太いタピオカ用ストローに変わっていたような感覚だ。
重い重りを背負ってトレーニングしていた選手が、重りを外した瞬間に驚くほど軽く動けるようになるのに似ている。今の私なら、アルミ玉なしでも、以前とは比べ物にならないほどスムーズに魔力を練ることができる。
「アルミ玉のおかげで、魔力を循環させる『感覚』と『太さ』が体に叩き込まれましたから。この指輪の補助があれば、今の私でも『そこそこ優秀な魔法使い』程度の数値は出せるはずです」
「うむ、それでいい。問題は二次試験だ」
ソロンの声が少し低くなった。
「実技試験で、お主のオリジナル魔法を披露するわけだが……いいか、アオイ。その『アルミ玉』は、絶対に取り出し見せびらかす真似はしないことだ」
「分かってます。ポケットに入れたまま使います」
「分かっているならいいが……念を押しておく」
ソロンの声が、一段と低くなった。
「あれほどの触媒が存在すると知れば、協会は『研究』の名目で没収にかかる。国は『国家資産』として接収を主張する。そして闇ギルドは――お主の命ごと奪いに来るだろう」
「……っ」
「ミスリル銀を超える伝導率など、この世界では『ありえない』のだ。ありえないものを持っている者は、排除されるか、利用されるか。どちらにせよ、お主の自由な冒険者ライフは終わる」
背筋が冷たくなった。
私はポケットの上から、硬いアルミ玉の感触を確かめた。
日本では100円で買えるアルミホイル。それがこの世界では、私の命を狙う理由になりかねない。
「かつて、ミスリル銀の原石を発見した冒険者がいた。……三日後に行方不明になった。……アルミ玉は手の中に隠し持ち、衣服越しに魔力を通せ。お主の魔法なら、それで十分機能する」
「こわっ……了解です。……しかし、国宝級のブツをポケットに突っ込んで試験受けるって、心臓に悪いですね」
私が苦笑すると、ソロンは意地悪く口の端を吊り上げた。
「ククク、バレなければただの石ころだ。堂々としておれ。それに、武器をこっそり隠し持って不意打ちを狙うなど、お主のあの『陰湿な』魔法にはおあつらえ向きではないか」
「陰湿って言わないでくださいよ。合理的と言ってほしいです」
軽口を叩き合っているうちに、馬車がゆっくりと停止した。御者の「着きましたぜ」という声が聞こえる。
馬車を降りると、そこは王都の中心に鎮座する『魔法協会本部』の前だった。見上げるような、巨大な石造りの神殿。
入り口には大理石の柱が立ち並び、賢そうなローブ姿のエリートたちが、分厚い魔導書を片手に行き交っている。魔法で浮遊する本を従えている人もいた。
空気すら違う。知性と魔力と、あと高級な紅茶の匂いがする。お偉いさんの巣窟だ。
一方、私はというと。
魔法使いが着るような機能的なローブではなく、姉から借りた質の良い絹の外出着に身を包んでいた。繊細な刺繍が施された淡い空色のドレスコートは、どこからどう見ても「良家のお嬢様」の装いだ。
ただ、無理を言って「左側のポケット」だけは深めに加工させてもらった。その中には、あの「家庭用アルミホイル玉(圧縮率MAX)」が握りしめられている。
この場において、私の格好は完全に浮いていた。
「……場違い感が、やばい」
胃が痛くなってきた。
周りの受験者たちは皆、使い込まれた魔導具を携え、一目で魔法使いと分かる威厳を纏っている。私だけが、今から優雅なティーパーティにでも向かうかのような、ふんわりとした恰好で左手をポケットに突っ込んでいるのだ。
「胸を張れアオイ。お主の隣にいるのは誰だ?」
今日は正装に身を包んだソロンが、ニヤリと笑った。金糸の刺繍が朝日を受けて輝き、指には高価な宝石の指輪が光を弾いている。
彼が歩き出すと、周囲の空気が凍りついたように静まり返った。
「あ、あれは……ソロン様!?」
「生きる伝説がなぜここに!?」
「隣にいるのは誰だ? あのポケットに手を突っ込んで背中を丸めている女は……」
ヒソヒソ話が聞こえてくる。私は緊張で手汗がすごいことになっている左手を、さらに深くポケットに押し込んだ。
すると、それを見た周囲の受験者たちがハッと息を飲んだ。
「見ろ……あの左手の構え」
「ああ。いつでも魔法を放てるように、ポケットの中で印を結んでいるのか……?」
「いや、隠蔽しながら魔力を練り上げているんだ。あの脱力感……達人の域だ。只者ではないぞ」
盛大な勘違いが発生している。勝手にレビュー★5つけないでほしい。
すいません、達人じゃなくて、手汗でアルミ玉が滑らないか心配してるだけです。あと、これ見つかったらヤバいんで隠してるだけなんです。
でも、もう引き返せない。
「行ってこい。そして見せてやれ。異邦人の『妄想力』とやらを」
ソロンに背中をバンと叩かれ、私はつんのめるように前へ出た。
「……はい!」
私は深く息を吸い込み、ポケットの中の相棒を強く握りしめた。
帰るための一歩。
まずはこの重厚な扉をこじ開けて、ランクへの切符をもぎ取ってみせる。
私は顔を上げ、エリートたちの視線の中を堂々と歩き出した。




