陰湿な芸術
翌日。
私は一人、早朝の荒れ地に立っていた。
昨晩は興奮してなかなか寝付けなかった。布団に入ってからも、天井の木目を敵に見立てて、脳内で何度も何度もシミュレーションを繰り返したのだ。
変数の定義、ループ処理の最適化、例外処理。夢の中でさえデバッグを続けていたおかげで、寝不足のはずなのに、今の私の頭の中はこれ以上ないほど冴え渡っている。
脳内で、魔法の設計図が完成する。
矛盾なし。手順よし。実行開始。
私はカッ、と目を開けた。
「並列処理・無限連鎖!!」
私の中の邪悪な厨二病心が疼き、それっぽい名前をつけて高らかに叫ぶ。
特訓初日、「紅蓮の炎よ」と叫ぶだけで顔から火を出していた、あの純情な私はもういない。来る日も来る日も荒れ地で何万回と絶叫し続けた結果、私の羞恥心はきれいさっぱり消し炭になったのだ。
今の私なら、たとえ渋谷のスクランブル交差点のど真ん中で「闇の炎に抱かれて消えろ!」と叫べと言われても、真顔で、いやむしろドヤ顔でやり遂げる自信がある。
人間、恥を捨てれば無敵だ。
もう何も、コワクナイ……。ふはははは!
私が叫ぶと同時に、手の中のアルミ玉がブゥンと低い唸りを上げた。
まるで何千もの命令が一斉に起動したような感覚。私の手から離れた魔力が、自分の意志とは別の「独立したプログラム」として動き始める。
シュシュシュシュシュシュッ!!
私の周囲に展開されたのは、巨大な火球ではない。小指の先ほどの、米粒のような極小の火の玉。それが百、いや千個。
まるで夏の夜に発生した大量の羽虫の群れだ。チリチリと燃える光の粒子が、私の周りを不気味な羽音を立てて旋回している。それらが一斉に、標的である大岩に向かって殺到した。
ボボボボボボボボッ!!
一発一発はデコピン程度の威力しかない。当たっても熱いだけで、火傷すらしないかもしれない。
だが、それが一秒間に数十発、休みなく、同じ箇所を削り続けるとなれば話は別だ。
「雨垂れ石を穿つ」を早送りで再生しているようなものだ。岩の表面が瞬く間に赤熱し、削り取られていく。
制御も何もない、総攻撃だ。
「うわ、きもちわるっ」
自分で出しておいてなんだが、動きが完全に虫のそれだった。集合体恐怖症の人が見たら卒倒するかもしれない。
だが――結果は歴然だった。
数秒後、そこにあったはずの巨大な岩は、塵一つ残さず消滅していた。
実行時間、約三十秒。
魔力消費、通常の火球魔法の半分以下。外部《アルミ玉》からの供給に頼り切っているため、私の燃費は驚くほど良い。コストパフォーマンスは最高だ。
「……くくく」
誰もいない荒れ地で、私は肩を震わせた。
「すごい……。質より量作戦、大成功じゃないか」
……ただ、技名は考え直した方がいいかもしれない。「マルチスレッド・インフィニット」は格好いいが、この動き、どう見ても虫の群れだ。
羽虫の群れ……。バグの群れ。SEとしては胃が痛くなる単語だが、敵にバグを押し付けると思えば悪くない。うん、そのまんまだが、こっちの方がしっくりくる。よし、名前は「バグ・スウォーム」に決定だ。
相手が倒れるまで攻撃を止めない、ブラック企業の業務命令みたいな魔法。派手さはない。美しさもない。
だが、極めて合理的で、陰湿で、慈悲がない。
「ふふふ……これだよ。私が求めていたのは、この『えげつなさ』だよ……」
私は誰も見ていないのをいいことに、悪役のような笑みを浮かべて悦に入った。
自分の性格の悪さが、魔法の効率に直結している。その事実がたまらなく愉快だ。ああ、見える。この魔法を食らった敵が、あまりの鬱陶しさに発狂する姿が。
私の脳内では、すでに最強の魔法使いとして君臨する自分の姿が再生されていた。
早朝の荒野。
ボサボサ髪のアラサーの女が、何もない空間に向かって一人でニヤニヤと笑い続けている。
もし誰かが通りかかったら、魔物よりも真っ先に通報されるレベルの不審者っぷりだったが、幸いにして目撃者はいなかった。
私はしばらくの間、岩が消えた空間を見つめながら、勝利の余韻に浸り続けた。
それからの一週間は、地獄のような魔法の微調整の日々だった。
本来、午後からは家事手伝いに精を出すのが私の日課だ。居候の身として、当然のことだ。だが、この一週間だけは特別だった。ソロンから課された「一週間以内にオリジナル魔法を作れ」という無理難題をクリアするため、私は姉に頭を下げて家事を免除してもらったのだ。
姉は「受験前の追い込みみたいなものでしょ? 家のことは気にしないで良いからね」と、快く送り出してくれた。
その優しさに甘えさせてもらった結果――私は文字通り、寝食を忘れて没頭した。かつて日本で、無心でアルミホイルを叩き続けたあの夜のように、今は無心で頭の中でコードを組み続けた。
私は来る日も来る日も、荒れ地で「羽虫」たちを飛ばし続けた。
ソロンから告げられた最終試験の内容は、「わたしとの模擬戦」だという。つまり、岩を砕けるだけでは不十分だ。動き、考え、反撃してくる「人間」を相手に、この魔法を機能させなければならない。
最初は、ただ真っ直ぐ飛ぶだけだった火の玉に、「追尾機能」を追加した。
『相手が右に動いたら、右に曲がれ』
いわゆるホーミング機能だ。これで逃げ回る相手にも当たるようになった。
だが、これには欠陥があった。相手が盾や壁の裏に隠れると、火の玉は最短距離を行こうとして、障害物に真正面から突っ込んで消滅してしまうのだ。
そこで三日目には、ついに「障害物回避」のロジックを組み込んだ。
『進路上に障害物を検知したら、迂回ルートを再検索しろ』
これにより、盾で防がれても、その裏側へ回り込んで背中を刺すという、まるで「消しても別の場所に出現するポップアップ広告」のような、極めて性格の悪い動きが可能になった。
五日目には、「時間差攻撃」を実装した。一度に全部ぶつけるのではなく、あえてタイミングをずらして波状攻撃を仕掛ける。相手が防御を解いた瞬間を狙って次弾が襲う仕組みだ。
頭が焼き切れそうだった。文字通り、脳みそが沸騰しそうになる。千個の火の玉の軌道を並列処理で管理し続けるのは、私の脳内CPUを常に使用率100%で回し続けるようなものだ。
毎晩、姉の家に帰ると玄関で力尽き、泥のように眠った。夢の中でも火の玉の座標計算をしていたせいで、朝起きると寝言で「x軸補正マイナス2……」と呟いていたらしい。姉に「何の呪い?」と本気で心配された。
けれど、不思議と苦ではなかった。
自分の頭で考えたロジックが、現実世界でその通りに動く。
その快感は、かつて初めて自分で組んだプログラムがエラーなく動いた時の喜びに似ていた。
そして魔法開発を始めてから一週間後――実践形式の最終試験の日がやってきた。
相手はソロン本人。手加減ありとはいえ、伝説の魔法使いと戦うなんて自殺行為だ。
だが、それ以上に私の足を重くしていたのは、別の感情だった。
――人に、魔法を向ける。
岩や木を燃やすのとは、わけが違う。たとえ訓練でも、目の前の「人間」に向かって攻撃魔法を放つ。その事実が、私の心にブレーキをかけていた。
「躊躇うな」
私の逡巡を見透かしたように、ソロンが言った。
「今日のわたしは『敵』だ。容赦すれば、お主が死ぬ。……実戦では、その一瞬の迷いが命取りになるぞ」
厳しい声だった。けれど、その奥には弟子を思う温かさがあった。
私は深呼吸をして、アルミ玉を握り直した。
――そうだ。ここで撃てなければ、本番でも撃てない。
覚悟を決めろ、私。
「羽虫の群れ」
「ぬぅ……ッ!?」
ソロンが重厚な防御障壁を展開する。どんな魔法も弾き返す鉄壁の守りだ。
しかし、私の魔法は無理に突破しようとしない。ブンブンとその周囲を飛び回り、障壁の魔力が薄くなっている「継ぎ目」を自動検索し、そこから一匹、また一匹と侵入していく。
完璧な防御など存在しない。どんなシステムにも必ず「穴」がある。
私の火の玉たちは、まるでハッカーのようにその脆弱性を突いていく。
「ええい、鬱陶しい!! 目の前をチョロチョロするな!」
ソロンが苛立ち、迎撃の大魔法を詠唱しようとする。
だが、そこが狙い目だ。顔の周りにまとわりつく火の玉。チリチリとした熱さ。耳元での不快な羽音。それらがソロンの集中力をゴリゴリと削いでいく。
魔法には詠唱が必要だ。そして詠唱には、高度な集中力が必要だ。
例えば、超難解な数式を解いている最中に、耳元で蚊がプ~ンと飛んでいたらどうなるか? 計算なんてできるわけがない。イライラしてペンをへし折りたくなるはずだ。
私の魔法は、ダメージを与えることよりも、相手の「精神を逆撫でし、魔法を使わせないこと」に特化していた。
「どうだ私の羽虫の群れは!?」
私は叫びながら、さらに追加の火の玉を展開する。
結果、ソロンが本気でブチ切れて、町ごと消し飛びそうな「爆裂魔法」の構えに入ったのを見て、「ごめんなさい! 死ぬ!」と私が土下座し、我に返ったソロンから終了の声がかかった。
ドォォォォン……と、遠くで私の魔法の残滓が弾ける音がした後、荒れ地に静寂が戻った。
「…………」
「…………」
気まずい沈黙。
ソロンは乱れたローブを払い、煤けた髭を手櫛で整えながら、大きく、深いため息をついた。
「……見事だ」
ソロンは杖を下ろして唸るように言った。彼の額には、うっすらと脂汗が浮かんでいる。
「最初の一撃、少し躊躇っておったな。だが、途中から吹っ切れた。よくやった」
見抜かれていた。私は苦笑いを浮かべた。
「……正直、まだ慣れません。人に向けて撃つの」
「慣れる必要はない。その重さを忘れた時、魔法使いは怪物になる。しかし……この魔法は虫が苦手な相手には効果覿面であろうな……。生理的な嫌悪感を煽り、思考を阻害する。なんとも気味の悪く、そして性格の悪い魔法だ」
「最高の褒め言葉として受け取っておきます」
「ふん。……だがな、アオイよ」
ソロンは表情を引き締め、私を真っ直ぐに見据えた。
「これはまぐれではないな。千を超える火球の制御、自律行動、そして波状攻撃。ただ魔力を垂れ流すだけの『暴力』とは違う。これは計算され尽くした『技術』だ」
彼は私の手の中にあるアルミ玉に視線を落とし、そしてまた私の目を見た。
「道具の力はあるだろう。だが、その演算を指揮したのはお主の頭脳だ。ここまでの術式を論理的に組み立て、実戦で運用するなど……Fランクの雑用係どころか、宮廷魔導士でも容易にはできん」
「先生……」
「お主はもう、立派な魔法使いだ。胸を張れ」
その言葉が、何よりの卒業証書だった。
私は深く息を吸い込んだ。胸の奥が、じんわりと温かくなる。
認められた。努力が報われた。日本で培ったSEとしての知識と、この世界で学んだ魔法。全く別のものだと思っていた二つが、今ここでカチリと噛み合った気がした。
借り物の力だけじゃない。自分の頭で考えて、組み立てて、掴み取った勝利だ。
それがこんなにも嬉しいものだなんて、知らなかった。
「……ありがとうございます」
私が頭を下げると、ソロンは照れ隠しのように鼻を鳴らした。
「さて、これで準備は整ったな」
ソロンはニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべ、王都の方角――魔法協会の本部がある空を杖で指し示した。
「行くぞアオイ。お主のその『陰湿な芸術』で、堅物な試験官どもの度肝を抜きに、殴り込みといこうではないか」
「あ……はい、師匠!」
私は相棒であるアルミ玉をギュッと握りしめ、力強く答えた。




