覚悟と設計
「魔法協会の認定を受けるということは、単に資格を得るということではない。それは、この国において『力を持つ者』としての特権を得ると同時に、相応の『義務』を負うことを意味する」
ソロンの声が一段低くなった。空気が張り詰めるのが分かる。
「協会に属する魔導士は、有事の際には国の剣となり、盾とならねばならん。……お主、人を殺めたことはあるか?」
ドキリとした。
心臓が冷たい手で掴まれたような感覚。
「……いえ、ありません。私のいた世界は、平和ボケと言われるくらい治安が良かったので。喧嘩で殴ったことすら……」
言いながら、ふと疑問が湧いた。
「というか先生、そんな話今更……」
いきなり殺人の覚悟をここにきて問うてくるなんて。
「基礎も覚束ない小娘に、血の話をして何になる。ここまで来れたからこそ、今問うておるのだ」
ソロンは遠くの空を見上げた。
「この世界はそう甘くはない。お主が帰る方法を探してダンジョンに潜れば、あるいは協会の一員として任務に就けば、必ず『敵』と対峙することになる。それが言葉の通じぬ魔物ならばまだいい。だが、相手が『人語を解する者』だったらどうだ?」
ソロンの視線が鋭く私を射抜く。
「命を奪う感触は、泥をこねるのとは違うぞ。骨が砕ける音、飛び散る血の熱さ、光が消えていく瞳……それらは一度経験すれば、死ぬまで記憶にこびりついて離れん。平和な世界から来たお主に、その重荷が背負えるか?」
「…………」
言葉が出なかった。
モニター越しに敵を倒すゲームとは違う。リセットボタンはない。
生唾を飲み込む音が、やけに大きく響いた。
「……この世界の『魔族』の成り立ちを知っているか?」
沈黙を破るように、ソロンが話題を変えた。
「悪いやつら……ですよね?」
「半分正解で、半分間違いだ」
ソロンは重々しく口を開いた。
「お主の世界の物語では『魔王』なる存在が登場すると言っていたな。この世界にも、魔王と同等の存在――魔の始祖がいる。だがそれは、角が生えた怪物でも、闇の化身でもない。……たった一人の『エルフ』だ」
「エルフ……?」
意外な単語に、私は耳を疑った。
エルフは森に住み、魔法に親和性があり、平和を愛する種族ではないのか……少なくとも魔王というイメージはない。
「古の時代、最も魔力に愛され、最強と呼ばれたあるエルフがいたと言われている。彼は人間に深い恨みを抱き、人類を根絶やしにするために、ある禁忌を犯した。……生命の理を書き換える術だ」
生命の理の書き換え。
それって、科学的に言えば――遺伝子操作?
そもそもなぜ人間をそんなに恨んでいるんだ?
「彼は森の動物や魔獣を捕らえ、その血肉に呪いを刻み込み、『魔物』を作り出した。『魔族』については諸説あるが……いずれにせよ、彼らの本能には、ただ一つの命令が刻み込まれている。『人間を殺せ』――とな」
「プログラム……」
思わず呟いてしまった。
感情や恨みではなく、遺伝子レベルで殺意をハードコーディングされた生物兵器。それがこの世界の魔物の正体なのか。
「魔法協会は、その脅威に対抗するために作られた組織でもある。認定を受けるということは、その殺戮兵器たちと最前線で戦う義務を負うということだ」
風が吹き抜け、荒れ地の砂埃を巻き上げた。
平和な姉の家で家事をしているだけでは知ることのなかった、この世界の血生臭い背景。
「……今のお主なら、あえて修羅の道を行かずとも、協会未所属の『市井の魔法使い』として生きる道もある。その語学力と基礎魔法があれば、翻訳家や家庭教師として、何不自由なく安全に暮らしていけるだろう。やがて愛する伴侶と巡り合い、子を育み、温かな家庭の中で穏やかに老いていく――。血と暴力に無縁な、そんな『人としての幸福』を全うする道もあるのだ。ここで引き返すのも、賢明な選択だぞ」
問われている。私の覚悟を。
平和な日本で、ディスプレイ越しに文字を打ち続けてきただけの私が、生身の命のやり取りができるのか。
正直、怖い。足がすくむ。姉の近くで、安全な仕事をして暮らす。それはそれで、一つの「ハッピーエンド」の形なのだろう。
けれど。
私は、ポケットの中にあるアルミ玉を、服の上からぎゅっと握りしめた。硬くて、冷たい感触。これが、私をここに連れてきた。そしてこれが、私と日本を繋ぐ唯一の物理的な接点だ。
もし、ここで「安全」を選んだら。私は一生、夜空を見上げるたびに後悔するだろう。日本の両親はどうしているだろうか。やり残したことは。その未練を抱えたまま、見ないふりをして生きていく。
それは、バグを放置したままシステムを稼働させるようなものだ。いつか必ず破綻する。
それに何より――。
「ここで逃げるのって……単純に、かっこ悪くないですか?」
ソロンが片眉を上げた。
「かっこ悪い、か」
「はい。なんか、悔しいじゃないですか。言葉も分かるようになって、こんなすごいアイテムも手に入れて、伝説の魔法使いにも出会えた。お膳立ては揃ってるのに、ビビって逃げ出すなんて」
私は震える膝を隠すように、ニッと強がりの笑みを浮かべた。
「せっかくなら、行けるところまで行ってみたいんです。私がどこまでやれるのか」
それは、SEとしての意地でもあり、一人の人間としてのプライドでもあった。中途半端なまま終わりたくない。やるなら徹底的にやりきりたい。
「それに……先生。私、あなたに地球を見せてあげたいんです」
「……!」
「口だけじゃ説明しきれないんです。あの便利な世界を。空飛ぶ鉄の塊も、夜でも光り輝く街も。先生にもその景色を見せられるかもしれない。……少なくとも私はそのために今まで頑張ってきましたよ」
私の言葉に、ソロンはしばらく呆気にとられたような顔をしていた。
しかし、やがて肩を震わせ、愉快そうに声を上げて笑った。
「クククッ……! 大きく出たものだな」
彼は満足そうに口元を歪め、杖を強く握り直した。
「よろしい。その意気や良しだ。恐怖を知らぬ者は早死にするが、恐怖を抱えたまま、それでも格好つけられる奴はしぶといぞ」
ソロンはくるりと背を向け、夕日に染まる荒れ地に向かって杖を振り上げた。
「生き残るために、そして堅物な協会の審査員どもを黙らせるために――お主だけの『最強の魔法』を完成させるのだ。覚悟はいいな?」
「はい!」
私は大きく頷いた。
迷いは、もうなかった。
「よし。ならば話は早い」
ソロンは腕を組み、何かを計算するように宙を見つめた。
「魔法協会の認定試験は年に一度。本来ならば、お主にはあと数年ほど基礎を叩き込んでから受けさせるつもりだった」
「数年……」
「だが、あのアルミ玉の出現で状況が変わった。あれほどの触媒があれば、通常の修練期間を大幅に短縮できる。それに……」
ソロンはニヤリと口角を上げた。
「お主の飲み込みの早さは、正直予想以上だ。この魔力制御の習得速度。凡人と切り捨てるには惜しい才能がある」
「お、おお……? 褒められてる……?」
「調子に乗るなよ。まだ『原石』に過ぎん」
ソロンは咳払いをして、真顔に戻った。
「次の認定試験は1か月後だ。ギリギリ間に合う。……お主のそのひねくれた性格と、異世界《地球》の知識を融合させて、オリジナルの攻撃魔法を生み出してみろ。期限は一週間。残りの三週間で仕上げの調整をする」
「性格がひねくれてるは余計ですけど……。あと1か月でできるものなんでしょうか」
「できない者に試練は課さん。とりあえずやってみろ」
ソロンは難題を言い残し、転移魔法で去っていった。
荒れ地に一人残された私は、途方に暮れてその場に座り込んだ。
「いやいや、ほんとに去っていったじゃん。……いきなり作れと言われてもなぁ」
1週間――。けっこうシビアだ。
私は思考を巡らせる。オリジナル。自分だけの魔法。料理の基礎を教えたから自分だけの創作料理を作ってみろと言われているものに近い。言葉にするのは簡単だが、どうしたものか。
――まあでも、私にはアルミ玉があるし。
ふと、楽観的な考えが頭をよぎった。
このチートアイテムの性能は、既に実証済みだ。姉の家を半壊させ、ソロンの魔力測定器に悲鳴を上げさせ、ちょっと着火しようとしただけで周囲三メートルを火の海にした。ミスリル銀を超える魔力伝導率。この世界の常識をぶち壊す、反則級の触媒。
だったら簡単じゃないか。審査員の前で、ドカンと一発、超巨大な火球でもぶちかませばいい。この規格外のアイテムで、規格外の威力を見せつける。それで終わりだ。楽勝。ヌルゲー。アルミ玉パワーでゴリ押しすればいい。
翌日。私はその安直な考えを実行に移した。
「フルスタック・ファイアァァァ!!」
アルミ玉が白熱する。
……我ながら恥ずかしい技名だが、異世界なので許される。
周囲の大気から魔力が渦を巻いて流れ込み、私の掌の中で臨界点を超えた。
渾身の力で放った火球は――巨大、なんて言葉では足りなかった。
小屋どころか、砦がすっぽり収まるほどの灼熱の塊。放った瞬間、熱波が私自身の肌を焼き、足元の砂が硝子のように溶けて固まった。空気が歪み、遠くの景色が蜃気楼のように揺らめく。
轟音と共に、その巨大な火球が標的の岩へと突き進む。
――しかし。
「遅い」
いつの間にか背後に立っていたソロンの声と同時に、私の首筋にソロンの指先の先端が触れた。
「……は?」
振り返る間もなかった。私が火球を放った瞬間、ソロンは私の死角に回り込んでいたのだ。
「今の発動、何秒かかった?」
「え……?」
「五秒だ。アルミ玉に魔力を集束させ、圧縮し、形成し、照準を定め、発射する。その五秒間、お主は完全に無防備だった」
ゾッとした。
遠くで、私の火球が岩に着弾して派手に爆発している。閃光。轟音。岩が蒸発し、クレーターが穿たれる。威力だけなら、間違いなく一撃必殺だ。
だが、それを放った本人が、発動前に死んでいては意味がない。
「そのアルミ玉は確かに規格外の触媒だ。だがな、アオイ。規格外の力を扱うには、規格外の制御時間がかかる。威力が上がれば上がるほど、お主の隙は大きくなる。……分かるか? そのチートアイテムは、諸刃の剣なのだ」
「で、でも、当たれば一撃で……」
「当たればな。だが、お主の火球は遅すぎる。あの程度、熟練の冒険者なら余裕で躱す。そして躱された後、魔力切れで棒立ちのお主を、どう料理するかは相手次第だ」
ソロンは腕をおろし、呆れたようにため息をついた。
「一発の大技に全てを賭ける戦い方は、博打と同じだ。外せば終わり。そんな綱渡りを、お主は毎回やるつもりか?」
「…………」
反論できなかった。
「それに――」
ソロンは呆れたように首を振った。
「これのどこが『オリジナル』だ? ただの火球を大きくしただけではないか。こんなもの、魔力さえあれば誰でも撃てる。お主でなければならない理由がどこにある?」
その言葉が、胸に突き刺さった。
確かにそうだ。私は「アルミ玉の力」を見せただけで、「私自身の魔法」なんて何も見せていない。
アルミ玉の威力は本物だ。あの火球の破壊力は、きっとこの世界でもトップクラスだろう。だが、その圧倒的な力を引き出すために、私は五秒も棒立ちになっていた。
チートすぎるが故に、制御に時間がかかる。
強すぎるが故に、隙が生まれる。
これでは、私はただの「すごい道具を持った凡人」だ。道具の性能に振り回されているだけ。使いこなしているんじゃない。使われているんだ。
そんな「ヌルゲー」気分でいた自分が、急に恥ずかしくなった。
この世界は、ゲームじゃないのだ。リセットボタンはない。
「道具に頼るのは悪いことではない。だが、道具の使い方を間違えれば、宝の持ち腐れどころか自滅するぞ。……もう一度考え直せ。お主の強みは何だ? アルミ玉の特性を、どう活かす?」
ソロンはそれだけ言い残して、再び転移魔法で消えた。……この人、説教だけしてスッと消えるの好きすぎない?
私は焦げた地面に座り込み、しばらく呆然としていた。
……考え直せ、か。
私の強みは何だ? 巨大な一撃を放つパワーか? 違う。それは「アルミ玉の」強みであって、「私の」強みじゃない。
ソロンは「お主でなければならない理由」と言った。私だけが持っていて、他の魔法使いにはないもの。
私自身の武器は――。
私はアルミ玉を握りしめ、改めて思考を巡らせた。
……オリジナル魔法。火や水などの属性魔法を組み合わせて作るオリジナルもあれば、単色に絞って作るものとのことだが、ここ数日の特訓で痛感していることがある。
――正直、水魔法って弱くね?
これだ。
高位の魔導士になれば「水龍」だの「大津波」だの、化ける属性だとは聞いている。けれど、初心者の私が放ったところで、それは所詮「勢いのいい水鉄砲」に過ぎない。魔物に水を浴びせてどうする。洗濯でもしてあげるつもりか? 濡れた敵が風邪を引くのを待つのか? 「三日後に肺炎で死ぬ」とか、そんな遅効性の攻撃魔法は求めていない。殺傷能力が低すぎる。
水魔法が使えるようになった時に一瞬、「魔法で出した水をボトルに詰めて、『天然水』として売りさばけば大儲けできるのでは?」という悪巧みも脳裏をよぎった。ラベルには「大賢者ソロン監修」とか書いておけば完璧だ。
しかし、ソロンに相談したら即座に却下された。水魔法の原理は「大気中の水分を急激に冷却・凝縮して集める」というもの。つまり、空気中に漂う塵や埃、雑菌までも高濃度でギュッと凝縮した液体なので飲み水ではない。
おまけに、魔法で無理やり形を保っている水は、体内に入って魔力が切れると不安定になり、内臓を刺激するらしい。つまり、「飲んだら腹壊す」だ。
そういえば以前、砂漠で干からびそうになった時、通りすがりのフードを被った女性が魔法で出した水を恵んでくれたことがあったが……。
極限状態だったこともあり、あの時の彼女は後光が差す女神様に見えたものだ。フードの影から覗く深紅の瞳と、甘く不思議な香りと共に差し出されたあの水筒は、まさに命綱だった。
……まあ、今思えばその数時間後に錆びた牢屋の中で盛大にお腹を壊してのたうち回ったのは、十中八九、魔法で生成された水を飲んだせいだったのだろう。
けれど、去り際に彼女が見せた、あの艶やかで神秘的な微笑み。あそこに微塵も悪意がなかったことだけは信じたい。
――また会えたら、お礼が言いたい。
水魔法は一旦避けるとして――。風は見えない刃として使えるが、イメージが難しい。単純かつ明確に、相手にダメージを与えるなら――やはり「火」だろう。
それも、ただの火じゃダメだ。認定試験の審査員の度肝を抜き、かつ実戦で生き残れるような、私だけの火。借り物の力じゃなく、私の思考で組み上げた、私だけの武器が必要だ。
ソロンは「妄想力」だと言った。イメージを構築し、現象を定義する力だと。
火を想像する。燃え盛る炎。でも、私にはソロンのような芸術的なセンスはない。「燃えろ!」というパッションだけで炎を操る感覚派でもない。
私は、どうやって魔法をイメージしている? 現象を定義する……構築する……組み立てる……。
――それって、やっぱり。
……プログラムを組むのと同じだ。
脳内でスパークが走った。そうだ、私はシステムエンジニアだ。曖昧な「熱くなれ!」とか「敵を倒せ!」みたいな仕様がふわっとしている案件ほど、後で炎上する。
もっと論理的に。システムとして魔法を構築するんだ。
私は目を開け、空中に見えないホワイトボードを幻視する。
まず、問題点の洗い出しだ。1発に全ての威力を込めるのは賭博に似たようなもので、リスクがついてまわる。ならば分散させれば良いのでは――?
私の手元には最強の道具――アルミ玉がある。特性は「直結」と「無抵抗」だ。
私が「1」の力でバルブをほんの少し開ければ、こいつは抵抗ゼロで勝手に「100」の魔力を外から引っ張ってきて吐き出す。バケモノみたいな高圧ポンプだ。
なら、私が無理をして自分の魔力で「100」の大技を作る必要はない。
私がやるべきは、指先だけで制御できる最小単位の「1」のスイッチ操作だけ。
――威力の供給は、道具《アルミ玉》に丸投げすればいいんだ。
私の仕事は、一発を重くすることじゃない。「回転数」を稼ぐことだ。質より量。一発のホームランではなく、マシンガンのような連射でねじ伏せる。
一秒間に百回。いや、千回。
魔力が尽きるまで、あるいは相手が倒れるまで、ひたすら小さなスイッチのON/OFFを自動連射させ続ける。
これだ。
イメージが、カチリと音を立てて嵌った。
頭の中に、緑色の文字列が滝のように流れ落ちる感覚。魔力の流れが、回路図に見える。逃げ場のない、圧倒的な弾幕。いわゆる「数の暴力」だ。
ソロンは言った。イメージが全てだと。私にとって一番鮮明で、一番信頼できるイメージは、神への祈りでも熱き魂でもない。積み重ねた論理だ。
指先が熱くなる。アルミ玉が、私の思考に呼応して、かつてないほど激しく脈打ち始めた。
出来る。
これなら、私にも組める。
ニヤリと笑みが浮かんだ。
「……見えた」




