山賊にジョブチェンジ!王太子妃?人違いでは?
「ああっ、イライラが止まらない!」
私は突如、そう叫びました。ああ、勘違いしないでくださいね。突如というのはつまり、周りの愚かな人々にとってみればのお話で、私にとっては当然の帰着というか訪れるべき臨界点だったと言いますか。
とにかく、それは起こるべくして起こったことなのです。
「は……?」
へらへらと私に謝っていた王太子は、ぽかんと間抜けな表情で私を見つめました。執務室がやけにがらんとして見えます。
「なによ。」
「え?なによって……。」
王太子は後ろで控えていた側近に振り返り、自分を指して尋ねます。
「俺に言ったのか?」
「はて、私には判断しかねます。」
「一目瞭然でしょ。」
私は腕組をしながら言いました。
「聞こえてるぞ、声を抑えろ。」
「恐らく殿下の声が原因だと……。」
「どっちもすっきりはっきり聞こえるわよ!」
「ご、ごめん。」
はあ、と思わずため息をつきます。
私はイライラを抑えるためについた癖で、眉間をこねりました。ああ、イライラが止まりません。もう限界です。
「もう限界、私王太子妃なんてやめる。」
「えっ。」
「俺に宣言しているのか?」
「はて、私では分かりま」
「そうに決まってるでしょ!」
私はそう叫ぶと、キッと彼らを睨みつけました。
それから髪に絡みついていた金だかパールだか知りませんが、とにかくギラギラしてずっと目障りだった装飾品を次々と取り除いていきます。邪魔と言ったらありゃしませんでした。髪の毛をまとめるという役割はこいつらにはないのです。ただ私の頭髪をギラギラさせるだけなのです。
私は次に、手に張り付いているような意味の分からない薄さの手袋を外しました。ガサガサして気になるし蒸れるし邪魔だったのです。実に実用的ではありません。私はついでに意味が分からない細さのヒールも脱ぎ捨てました。
「おい、彼女は何をしている?」
「はて、わた」
「捨ててるのよ!財産も身分も、なにもかもをね!」
私は仁王立ちになり彼に向き合いました。間抜けな顔も見るのがこれで最後だと思うと、ほんの少し可愛く見えなくもな、いえ、見えない!間抜け面にイライラします。
「今日で王太子妃はやめる!それで……えーと……。」
私は王太子妃と真逆の立場を連想しました。
髪の毛に装飾をしなくてもよく、手は素手でよく、コルセットも絶対外したいですからね、あとストレスを解消できるような精力的な現場で、仲間がおり、自然に触れあえる……。
「山賊!」
「は?」
「山賊になるわ!山賊にジョブチェンジ!」
私は王宮に響き渡る様に大声で叫びました。
ことの起こりは、ある晩餐会が終わった日の夜更けでした。私は翌日の来客の確認を終わらせ、疲れた体で自室へと向かっている途中、執務室から光が漏れ出ていることに気が付きました。
彼、つまり私の夫である王太子は繊細な精神です。それなのにまだ仕事をしているのかと心配になり、そっと扉の隙間から部屋をのぞき込みました。本来はよくないことなのでしょうが、疲れているであろう彼に余計な気を回させるのはなによりも避けたいことでしたから。
彼は窓の方を向き、つまりドアに背を向けて椅子に座っていました。そばに立っているのは側近でしょうか、部屋は薄暗く、私は目を凝らさなくてはなりませんでした。
「はあ、お前は最高だ……。」
夫の艶やかな声が確かに聞こえました。体の陰になっていてよくわかりせんが、彼の右手は側近の腰を撫でまわしているように見えます。
(えっ……)
「はあん、王太子殿下ぁ。」
側近が今までに聞いたこともないような高い声を出しました。到底自然には聞こえないしむしろ薄気味悪かったのですが、王太子は何も言わずに右手を動かし続けます。
「ふふ……可愛い声だな。」
私はそこで耐え切れなくなり、彼の執務室を後にしました。あの声を可愛いと言っているその感覚は許容しがたく、それに許せなかった。
(仕事をしろ仕事を!たくさん溜まってるでしょうが!!!!)
あの日から私のストレスフルな日常が始まったのです。
彼は夜な夜な、側近といやらしい雰囲気を楽しんでいるようでした。王太子のメイドを懐柔し様子を探らせたところ、二人はどうやら腰を触り合うなどよくわからない遊び程度で満足しているようでした。
え?浮気を許すのかって?いやですね、許すも許さないも……。貴方は少し恋愛小説の読みすぎです。世の中の愛がすべて性的なものであるはずもありません。私は殿下の生まれの良さと育ちの良さとルックスの良さを信頼しているだけですよ。
それらがよければ大方上手くいくというのがこの世界のルールですからね。
まあとにかく、王太子は側近に夢中のようでした。来る日も来る日も腰を触り合う二人。いえ、好きにしたらよいのです。噂は私がもみ消してあげましょう。しかし、自分だけ自由にしすぎではないでしょうか?
ええ、彼は本当に仕事が遅い。私がどれだけ彼の仕事を肩代わりしていると思っているのですか。
それでも我慢してきたのは、彼がその頭を何度も地面にこすりつけ謝罪することで、私の優越感を満たしてきたからでした。そうです。私よりも生まれが良く育ちが良くルックスがいい人間なんてこの国では数えるほどしかいませんからね。私は幸福感でいっぱいでしたよ。
しかし側近といちゃいちゃしているとなると話は別です。つまりこういうことでしょう?
「仕事はあの女に任せておけばいいさ。俺が頭を下げれば満足するからな。それより今日も腰を触らせてくれよお……。」
「ああん、殿下素敵(高い声)」
そんなのが許されるでしょうか?彼の土下座は、彼が高いプライドをもっているからこそ意味があるのです。国で一番の権力者であると自負しているにも関わらず、私に頭を下げざるを得ない。ああ!こんなに気持ちいいことがあるでしょうか。
その均衡が崩された気がしました。
彼がそれから何度土下座をしてきても、私が仕事で抱えたストレスは解消されないままになりました。簡単にイライラするようになったのです。
私は王宮の廊下をずんずんと突き進みながら、まだ見ぬ自由へ思いを馳せます。山賊……素敵です。金銀財宝には興味がありませんが、仲間と自由に動き回り、時に国を相手に逃げ回り、金品を返してほしくば土下座しろと言う……。おや、他国には私よりも身分が高い人がたくさんいるではありませんか。
これこそが私が追い求めていた生き方なのではないでしょうか?
「お待ちください!」
後ろから叫び私を追いかけてきたのは、私のメイドです。彼女は私が幼いころからいろいろと世話をしてくれた思い入れのある人でした。
「髪の毛!ぼさぼさでございます!みっともない!」
「ああ、大丈夫よ今切るから!」
「はあ?!」
「私、山賊になるの!」
私が満面の笑みで伝えると、彼女はぽかんとして歩みを止めました。私は気にせずに城門へと急ぎます。どうか彼女のこれからが実り多い日々になりますように……。
「お待ちください!」
私を待ち構えていたのは王宮に勤める宰相、文官、大臣たちでした。
「山賊になるとはどういうことですか!」
「邪魔よ!どかないとひどい目に遭うわよ!」
国の中枢を支えるとあっても、彼らは所詮温室育ちのおぼっちゃまです。悲鳴をあげて左右に分かれ、道を開けました。
「貴方がいなくなったらどうすればいいんですか!」
「書類、溜まっちゃいます!」
「王太子が可哀そうです!」
「戻ってきてください!」
全く、幼い時から他人に頼りっぱなしだった彼らは発想自体が貧弱なのです。私は仕方なく啓示を授けてあげることにしました。
「山賊になりなさい。」
彼らはぽかんとしていました。フ、どうやら彼らに道を示してしまったようですね。そうです、思った通りに生きるのです!生まれやルックスや、そういったつまらない基準を凌駕した存在になるのです。
「でも!僕たちになれるでしょうか!?」
一人の若造が叫びました。私は一瞬立ち止まり、彼らを振り返って断言します。
「なれるわ!なりたいと思う心があれば!」
静寂の後、彼らがワッと歓喜する声が聞こえてきました。堅苦しいフリルやぴちっとしたベストを脱ぎ捨てているようです。そうです、自由に生きなさい!
私はついに城門を出て、石造りの橋を渡ります。ここを出れば自由、私は山賊です。
「王太子妃!」
遥か上方から私を呼ぶ声がしました。それは王太子です。窓から身を乗り出し、私に手を振っています。
「俺は彼と幸せになっていいんだろうか!」
私は今日一番の笑顔を彼に見せました。仕事ができない彼。大事な場での挨拶を噛む彼。どうしようもない人でしたが。長年連れ添ってきただけあって、彼の成長に感動したのかもしれません。
「せいぜい軽い頭で考えなさい!どうしたら彼を幸せにできるのか!」
彼は思い切り頭を下げてバランスを崩し、側近に慌てて引き上げられていました。全く不器用な人です。
私は振り返りませんでした。土下座などもう不要です。私は土下座を待つのでなく、自分から土下座を迎えに行くこととしましょう。
それからその国は山賊王国と呼ばれるようになる。社会機構が崩壊し一時は混沌となったその国だが、やがて下賤ながらも明確なルール下で活動する山賊集団が現れ、やがて軍隊へと形を変えていった。軍隊は強大な軍事力によって国を支配し、領土を広げていったのである。
ただし、特筆すべきはその成り立ちではない。山賊王国が滅ぼした国は多数あるが、そのどの国の支配者も処刑されることはなかったのだ。史実によれば土下座で終わらせたとか、そうじゃないとか……。
とにもかくにも、奇怪な国が生まれた理由は今もなお分かっていない。