6. 暗号と疑い
石柱の柵は境界線みたいだと思った。実際、結界みたいなものなんだと思う。
アスファルトの狭い歩道と、境内の土とがはっきり分かれている。
問題の鏡は、鳥居のすぐそばの柱に立てかけられていた。
手のひらに収まるほどの小さな鏡だ。
しゃがんで、鏡を拾い上げる。
鏡面には、数字が書かれてあった。
「『2 ② 14』?」
「おい、女子高生! 鏡の下、なんか落ちてんぞ!」
ちょっと離れたところにいる、六十里さんが声を張り上げる。
「山田です。ってか、なんでちょっと遠いんですか!?」
六十里さんは、神社の敷地ギリギリのところに立っていた。
「そりゃ、おまえ。女子高生とおっさんが並んでしゃがんでたら、ヤバいだろ! 絵面的にも警察への連行待ったなしだぞ!」
「いや、わかりますけど。もうちょっと近くに来てくれません? 話しにくいんですよ! それに、この方が目立ちますって!」
納得したのか、しぶしぶと彼が二歩分、近寄った。
でも、まだまだ遠い。
「もっとです! もっと! あと五歩、頑張ってください! 逮捕されそうになったら、庇ってあげますから!」
なんで、私が応援しているのか。
ようやく手の届く距離まで来たと思ったら、六十里さんは祈るように手を前で組んでいた。
「なにしてるんです?」
「間違っても触らないという、意思表示だ。とりあえず、その紙を拾ってくれ」
地面には、見覚えのある、緑のマス目がある紙が落ちていた。
いかにも、ノートを破きましたという感じに、少しだけ懐かしさを覚える。
ドキドキしながら、二つに折りたたまれた紙切れを、そっと開いてみる。
9 ⑨ 25 1 27・20 10 25 3 9・4 9 8 16
子どもの字だった。
数字の隣には、不揃いな『あいうえお表』が書かれている。
「暗号っぽいな」
肩口から、声が聞こえた。
びっくりして振り向くと、六十里さんが飛び退いた。
「悪い」
「別に良いですけど。どうして、暗号だって思ったんですか?」
「それっぽいと思っただけだ。それよりも、山田。俺の腰が痛くなるから、ちょっと立て」
「なんか、おじさんみたいな発言ですね」
「三十を超えたら、みんなおっさんなんだよ。良いから、立て。スカートの裾が汚れそうなんだよ」
クイッと六十里さんの手が動く。
立ち上がってスカートの後ろを払っていると、「悪いんだが、これ、カバンにしまっておいてくれねぇか?」と、六十里さんが開けてない麦茶のペットボトルを差し出しだ。
「飲まないんですか?」
「ああ」
「ふぅん?」
不思議に思いながらも、鏡と紙を麦茶と交換する。
ペットボトルは、汗をかいたように濡れていた。このままバッグに入れたら、教科書とノートがヨレヨレになりそうだ。私はハンドタオルで表面を拭いてから、バッグに入れる。
いつの間にか棒付きキャンディーをくわえた六十里さんは、ジッと紙を見つめて、首を傾げていた。
「飴、好きなんですね」
「ん? ああ、禁煙の名残だ。いるか?」
「大丈夫です」
私は首を振った。
六十里さんに鏡と紙を持たせたまま、穴が空くほど二つを見比べている。
私が近づくと、見やすいように、両方ともこちらに向けてくれた。
「わかりそうですか?」
「いやぁ……。『鍵』が、この鏡なのは、わかるんだけどな」
「鍵?」
「暗号の解くために必要な情報を『鍵』って言うんだよ。もっとも、これが暗号だとすれば、の話だけどな」
「やっぱり、六十里さんは探偵なのでは?」
「残念。ただのミステリー好きの知識だ」
「つまんないの」
「現実は、平凡でつまらないものなんだよ」
六十里さんが小さく苦笑う。
「でも、それも幸せなんだよな」と続いた言葉がちょっぴり寂しそうで、私のツンと尖らせた唇は、ぺたんこに戻った。
ふと顔上げて、鳥居を見る。境内の木々は、お喋りするように、葉が揺れていた。
「そういえば、この神社って、出入り口がここしかないんですよね。なら、中に入って探す方が早くないですか?」
「それは、賛成しにくいな……」
「なんでですか?」
「俺には、これがメッセージに見えるんだよ。見付けるのは早いほうが良い、とわかってもな」
「メッセージ?」
「そうだ。良いか、山田」と、六十里さんが私を見る。
「なにか用があるなら、そのまま言葉で書けば良い。そうだろう?」
「それは思いました。なんで、こんなまどろっこしいことをするんだろうって」
「そうだな。だから、逆に考えるんだ。こんな暗号じみたことをするのは、なぜかと」
「……テスト、とか?」
呟いてから、今日の期末試験を思い出して、テンションが下がる。ついでに、進路のことも頭にちらついたので、ブンッと頭を振った。
「たしかに、そうなのかもな」
「え?」
「いや、これを解けると思ったんだろうな、あいつは」
「ちょっと、待ってください。解けるって、誰が、ですか? あいつって、これを置いてった子は知り合いなんですか?」
六十里さんは、目をつむる。明らかに、しまったと言う顔をしていた。
思えば、彼は最初から「いたずらじゃない」といっていた。足が一歩、後ろに下がる。
「嘘、ついたんですか……?」
「嘘、か。そうだな、俺は嘘をついた」
彼は懺悔でもするように、頭を前に下げた。
後から思えば、これは本当に懺悔だった。私は、彼を引き留める最初のチャンスを逃した。
私はまた一歩、後ろに下がる。手は、バッグのなかを必死に探っていた。
「ボウズは俺を見て、それを追いてったんだよ」
「それも、嘘ですか?」
「いや、本当だ。教えた名前も、本名だ。でも、信用してもらおうとは思っていない。俺が怖いなら、もう帰れ。女子高生」
今度は、彼が一歩離れる。最初に、声をかけたときの距離と同じ。いや、それよりも遠くに感じた。
(今、女子高生と呼ぶなんて、ずるい)
突き放されたのが悔しいなんて、どうかしている。
この期に及んで、私がまだ、彼を疑いきれていないのも。
「……教えてください、六十里さん」
外は蒸し暑くて、汗までかいているのに、口の中はカラカラだった。
「その鏡と紙は、あなたの指示ですか?」
「……違う」
彼はまだ、うつむいている。
「男の子とは、知り合いですか?」
「話したことは、ある」
バッグに入れっぱなしの手が、ガラケーを探り当てた。震える親指で、ガラケーを開ける。発信ボタンのすぐ下、一の数字を二回。ボタンを探る親指の感覚が、鈍い。
「あなたは、その男の子を誘拐したんですか?」
彼の口のなかで、バリンッ、とキャンディーが割れる不穏な音がした。