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バス停の記憶  作者: ユト
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3. 変な人

 電車に乗ること、三十分。

 三鷹駅で降りた私は、バスに揺られていた。

 夕方前のバス内に、人は少ない。

 ちょっとだけへたった椅子に座り、ぼんやりと外を見る。

 窓越しに見えていた背の高いビルはどんどんと遠ざかり、代わりに住宅と緑が少しずつ増えていく。

 アパート、スーパー、一軒家、アパート、生花店、ドラッグストア――。のぼりがパタパタと小さくそよいで、気持ちが良さそうだ。


 プシューと気の抜ける炭酸みたいな音がして、後ろのドアが開く。

 新緑色の校帽を被る小学生たちの、無邪気で楽しそうな声が聞こえてきた。子どもたちは、狭い歩道をキャッキャと声を上げて走っていった。

 ほんの少し前まで、私も小学生だったのに、今はやけに遠くに感じた。

 バスがブロロと低く鳴いて、また走り出す。

 見慣れた町並みは、いつもと変わらない表情を浮かべて、過ぎ去っていく。


(叶乃果は、まだ将来を決めてなくても普通と言ってくれたけど。ちゃんと考えないと、いけないわけで)


 コツンと、窓に頭をつける。ガラスがひんやりと冷たくて、気持ちが良い。


(私は、なにがしたいんだろう……。私に、なにができるんだろう……)


 目を閉じて、バスの振動に身を任せる。暑くもなく、寒くもなく。ウトウトと、まどろみかけたとき、車内にアナウンスが響いた。


 ――次は、神明社前。神明社前でございます。


 ハッと、意識が戻る。ショボショボする目を開けて、急いで降車ボタンに手を伸ばした。

 ピンポーンと、軽やかな機械音が鳴る。


 ――次、止まります。


 ホッとして、背もたれに体を預ける。危うく、寝過ごすところだった。

 バスはゆっくりと減速して、止まった。

 バスを降りて、一歩。ムワッとした熱気と夏のはじまりの独特な香りが、私を覆う。青さと微かな甘さがもったりと混ざったような、不透明な空気をスーッと思いっきり息を吸って、ちょこっと体を後ろにひねった。

 バス停のすくそばの駐車場には、今日も白いハイエースと紺のコンパクトカーが止まっている。ジッと、道路の向こうを見ている男の人も。


「やっぱり、今日もいる」


 誰なのかも、何をしているのかも、知らない。挨拶をしたこともない。

 歳は、二十代半ばから三十代に見える。お父さんみたいに、お腹がぽっこり出てないから、若いんじゃないかと思う。身長は一七五センチくらいで、足も長い。スタイルだけなら、ちょっとしたモデルや、スポーツ選手にも見える。


 ただ、なんか、変なのだ。ちぐはぐ、とでもいえば良いのか。

 どこか陰鬱そうで、真面目そうな黒縁メガネ。なのに、着ているのは、陽気なアロハシャツに濃紺のスキニージーンズで。マッシュルームヘアは、せっかくきれいなライトブラウンに染めているのにキシキシしていて、ビーチサンダルを履く足は白い。腕は日に焼けているから、足だけ日焼け対策をしているとかじゃ、たぶんない。


 チャラそうな見た目なのに、背筋はピンと伸びて、やけに姿勢が良いし。なによりも、ポケットに片手を突っ込んで、棒付きキャンディーを舐めているのが、全然、似合わない。

 雨の日も、曇りの日も、晴れの日も。

 期末試験のはじまった今週の月曜日から今日まで、ずっと、ああやって立っている。

 あの人に声をかけていたバスの運転手さんも、一昨日には無言になった。

 ストーカーか、と警戒した日もあった。でも、ストーカーにしては堂々としすぎていたし、目立ちすぎると思った。なにより、あの人は自分の世界に浸っているように見えた。

『危ないことをしたら、ダメだからね!』という、叶乃果の声が脳裏によみがえる。


(危ないことはしないよ、叶乃果。でも、)

 入道雲のようにムクムクと膨れ上がった好奇心に、今は従ってみたかった。

 スクールバッグからガラケーを取り出して、一一〇をプッシュする。これで、通話ボタンを押せば警察に繋がる。

 これで、とりあえずは、よし。


 ガラケーを持ったまま、バッグに片手を突っ込んで、深呼吸。

 心臓はバグバグと鳴っている。

 不安と興味が、天秤の上でグラグラと揺れている。


 一歩、また一歩。なんてことない顔をして、三十歩くらいの距離を縮めていく。なんだか、だるまさんが転んだでもしているみたいな気持ちだった。

 私と相手の人の腕が伸びてもぶつからない距離まで近寄っても、その人は微動だにしなかった。


「なにしてるんですか?」


 がっちりとした肩が、ビクッと上に跳ねた。

 ギギギと音が鳴るんじゃないかと思うほど、ゆっくりと太い首が動く。私を見る、メガネの奥の切れ長の目はくぼみ、隈ができていた。左目には小さな泣き黒子があり、目尻には小さなシワ。唇はカサついて、右耳にはピアスの痕が二つあった。

 思ったよりも年上かも知れない。

 それはともかくとして、変な人に不審そうに見られるのは、不本意だった。


「月曜日からずっといますよね。なにか用事でもあるんですか?」


 無言。


「誰か、待ってるんですか?」


 返答なし。

 その人は何事もなかったように、また道路の向こうを見つめはじめた。どうやら、無視を決め込むらしい。私はバッグからガラケーを取り出した。


「警察は、お好きですか?」

「は?!」


 太い首が、ぐるんと回る。そんなに早く動けたのか。

 私が開いたガラケーを見せつけると、彼の目がまん丸くなった。それで、少しだけ私の溜飲が下がる。


「冗談ですよ」

「おまえ、いい性格してんなぁ……」


 初めて聞く彼の声は、心地よい渋みのある音をしていた。


「やっと、こっちを見てくれましたね」

「いや、家に帰れよ。知らない人には、声をかけないのが常識だろう」

「声をかけられてたら、走って、そこの小児科に行って通報してました」

「容赦ねぇな……。でも、それで正解だ。ってことで、帰れ。あぶない人には、近寄るな」


 犬でも追い払うように、棒付きキャンディーでシッシッとされる。


「嫌です」

「なんでだよ」


 彼は、ボサボサの頭に手をやって、ピタリと止めた。


「あ、なんか困ってんのか? バス代がねぇのか? それくらいなら、貸してやれるぞ」

「いりません。話しかけたのは、ただの好奇心なんで」

「怖っ! 最近の女子高生、怖っ! もっと、危険感を持とうぜ?」


 体を引きながら、ほどよく筋肉のついた二の腕をさする。それが、彼の見た目にあってなくて、ちょっとおかしかった。


「女子高生とおばさんは、無敵なんですよ? 知らないんですか?」


 私は、ジッと彼を見る。

 先に目をそらしたのは、彼だった。腕と背筋が、ゆっくりと伸びていく。カクンと太い首が下に向き、「はぁ」とカサついた唇から、ため息がこぼれた。


「……なんだっけ、質問」

「誰かの取り立てですか?」

「なんで、質問が物騒になってんだよ!」


 その人は空を仰いで、メガネの上から両手で顔を押さえる。メガネに皮脂がついちゃうんじゃ?と思っていたら、案の定、彼の手の外れたメガネは曇っていた。


「言いにくいことなのかもって、質問を変えてみたんですけど。ダメでしたか? あと、メガネ、汚れてます」

「斜め上の気遣いを、どうも。けど、残念だったな。俺はただ、バスを見てただけだ」


 彼はメガネを外して、アロハシャツの裾でレンズをゴシゴシと拭く。「あ、全然、きれいにならねぇ!」という声が聞こえた。


「それだけ、ですか?」

「そうだよ」


 ちょっと予想外だった。


「バスを見るために、五日間もここに立っていたんですか? え、もしかして、実はレアなバスが走ってたりするんですか?」

「レアなバスって、なんだよ?」

「……タイヤが光る、とか?」

「いつの時代のデコトラだよ!」


 彼はうつむいて、吹き出すように笑った。


「じゃあ、無類のバス好きとかですか?」

「全然」

「え?」


 いつの間にか視線を戻したその人は、キャンディーをガリッと噛んだ。


「……こっちはさ、バスが時刻表通りに来るだろう? でも、本当にそうなのか。ちょっと知りたくなったんだよ」

「はあ……」


 すごく、どうでもいい理由に、あやうくガラケーを落としかけた。ドキドキしてお化け屋敷に入ったら、何も出てこないうちに終わってしまったような、そんな気分だ。

 やっぱり、変な人だった。そう思うのに、心のどこかで親近感が湧いていた。

 知りたいという欲求に弱いのも、知りたくて行動するのも、私と一緒だったから。


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