表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バス停の記憶  作者: ユト
25/27

25. 過去と向き合うとき

完結までの残り3話、連続投稿します。

最後まで、楽しんでいただけますように。

 あの日と同じように、その人はバス停のすぐそばの駐車場に立っていた。前に会ったときよりも、痩せたのだろうか。背の高い柳のようで、どこか頼りなく見えた。

 一人ぽつんと道路の向こう側を眺める横顔に、メガネはない。白髪が混じってグレーになった短髪に、白のポロシャツ。黒のコットンパンツはちょっと色褪せていて、足下のダークブラウンの革靴はつま先が禿げていた。

 あの日とは何もかもが違う、ありふれた格好。それに、ほんの一瞬、私は驚いた。同時に思う。やっぱり、あれは変装だったのだと。

 一歩、また一歩。地面を踏みしめるように、私は胸を張って堂々と近づいていく。


「お久しぶりです、六十里さん」


 そう声をかけたときにはもう、手を伸ばせば彼に届く距離だった。会いたかった人が訝しむようにこちらを向く。私はなにも言わなかった。ややあって、彼の眉がゆっくりと開いた。彼の黒々とした瞳には、驚きと困惑の色が浮かんでいた。


「……おまえ、まさか、女子高生か?」

「山田です、六十里さん。今は看護師になって、そこのいちかわ子どもクリニックに勤めています」

「……そうか。……立派になったな」

「おかげさまで」

「俺は、なにもしてねぇよ」

「いいえ。今こうしているのは、六十里さんと杏里ちゃんのおかげなんです」

「全く理解できねぇが、それは光栄なこって。でも、なんで杏里が関係あるんだ? そもそも、なんでおまえが杏里を知ってるんだ、女子高、いや看護師さん」

「言ったじゃないですか。私は、いちかわ子どもクリニックの看護師だと。もちろん患者さんの杏里ちゃんとも、よくお話ししていますよ」

「つまり、杏里の過去も」

「ある程度は知っています。もちろん、あなたの過去も」


 六十里さんの目つきが、グッと鋭くなった。怒り、いや、強い警戒だ。


「へぇ? それで? なにをしに来たのか知らねえが、さっさと戻ったほうがいいんじゃないか? なんたって、俺は誘拐犯だからな」

「六十里さん。まさか、今、こうして私があなたと再会して、話しているのが偶然だと思っているんですか?」

「違うっていうのかよ」

「私が杏里ちゃんに、今日、あなたがこの駐車場に来てもらえるよう、お願いしたんです」

「はっ! なるほどな。それで、最近の杏里はずっとそわそわしてたのか。で、要件はなんだ? 脅すつもりか?」

「脅す?」


 腹立たしさに、私は拳を握りしめた。

 その言葉は、杏里ちゃんと私への侮辱にも等しかった。


「見くびらないでもらえますか? 私は真実を知りに来たんです。それと、十年前の嘘を返します」

「『嘘を返す』?」

「十年前、あなたが私についた嘘です」


 理解できないと言わんばかりの顔をして、彼はポロシャツのポケットから棒付きキャンディーを取り出した。


「初めてこのバス停で会話をしたとき、私がなんて訊いたか、覚えていますか?」

「……『ここで、なにをしているんですか?』だったな」

「そうです。六十里さんは、こう答えました。『バスを見ている』と」

「……そうだったか?」


 キャンディーの袋を破り、彼は口に咥える。


「それが嘘だと気づいたのは、あの事件が報道された後でした。あなたが見ていたのは、バスなんかじゃない。あなたの娘の杏里ちゃんだった。そうですよね、六十里渉さん」


 セミが、うるさいくらいに鳴いている。六十里さんはなにも答えない。ゴミと一緒に片手をパンツのポケットに突っ込んだ彼は、道路の向こうに視線を移した。緑色の都営バスが一台、走り去っていった。


「当時、杏里ちゃんは、あの道を通って学校に通っていたそうですね」

「……杏里が教えたのか?」

「ええ、そうです」

「……そうか。ああ、おまえの言うとおりだよ、山田。俺はバスを見ていたんじゃねえ。杏里を見ていたんだ、誘拐するためにな。これで良いだろう?」

「また嘘をつくんですか?」

「あ?」

「ここで、あんなに目立つ変な格好で五日間も立ち続けておいて、娘の誘拐を企てていたと?」

「……俺がどんな格好をしていようと自由だろ」

「六十里さんのセンスが壊滅的でも、それは自由です。だけど、おかしいじゃないですか。犯罪行為の下見で、人目につくような格好をしているなんて。実際、警察に職務質問をされたんですよね?」

「……そうだったか?」

「六十里さん」

「…………まるで、探偵だな」

「残念。私はただの看護師ですよ、六十里さん」


 フッ、と彼が自嘲気味に小さく笑った。


「懐かしいな……。あれからもう、十年も経ったのか……」

「そうですよ。十年で、私はこんなに大きくなりました」

「……でっかくなったな」

「冗談です。女性にでかいとか言わないでください。それよりも教えてください。あんな格好でいたのは、杏里ちゃんに見つけてもらいたかったからですか?」

「……残念、真逆だ。杏里にだけは、見つかりたくなかったんだ」

「それは、どうして……?」

「不利になるからだ。なによりも、杏里と少しでも話してしまえば、感情に囚われて冷静な判断ができなくなると思った。事実、俺は過ちを犯した」

「不利っていうのは、杏里ちゃんとの面会が拒否されていたからですか?」

「そうだな」 

「不利になるとわかっているのに、変装までして杏里ちゃんを見たかったんですか? 会話もできないのに?」

「ああ、そうだ」

「面会ができるまで、待つ選択肢はなかったんですか?」

「なかった」

「どうして?」

「父親が最愛の娘を見たいと思うのは、おかしいことじゃないだろ?」

「それは、そうかも知れませんが」


 なにかが引っかかった。

 たぶん、これまでの六十里さんの言葉に嘘はない。だけど、全てを話してもらえているわけじゃないのもわかる。

 ただ、一目娘に会いたかっただけなのに、五日も必要だったのだろうか。

 もう少し、あともう少しで繋がりそうなのに。

 じりじりと照りつける太陽が憎い。額に浮かぶ汗を拭う。ずっと、ここにいたら熱中症になりそうだ。

 ……ずっと? 

 かつて、六十里さんは「一時しのぎの助けなんてもんは、ただの自己満足で、無責任だ」と言っていた。そうだ。彼なら虐待されている杏里ちゃんを助けるために、永続的手段を考えたはずだ。

 点と点が、一本の線で結ばれた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ