22. 親友
加筆修正の結果、また完結まで一話延びました…
どうして文字数は増えていくの…_:(´ཀ`」 ∠):
今のところ、全26話の予定です。
夕飯を食べてお風呂に入るまでの間、私はぼんやりとナツを見ていた。
ナツは、リビングのなかの柵で囲まれた場所を自由に動き回っている。日に日に大きく重たくなるナツは、生後半年が近づく今、人間でいうと十四歳くらいになるらしい。あと半年もすれば、ナツの方がお兄ちゃんになってしまうだろう。
私は、なにも変わらないのに。
ブブッ、とガラケーが震えた。叶乃果だった。液晶には、「大丈夫?」という短い一文。エスパーかなにかと思った。
彼女は、どこまで見えていたのだろう。
私たちの間に報告義務なんてものはない。けど、だからこそ、曖昧に誤魔化したくはなかった。でも、なんて返信をすれば良いのか……。
ガラケーを握りしめて、じっと壁を見た。
結局、なにも思いつかないまま、「次、お風呂に入る人~」と呼ぶ声に、私は「はーい」とこたえた。
お風呂から上がると、叶乃果からまたメールが届いていた。靴下を履いたように、足だけが白い黒猫の写真だった。それ以外に、本文もなにもない。たった、それだけのメール。なのに、彼女の気遣いと優しさが透けて見えて、私は急いで部屋に戻った。
ベッドに腰掛けて、「今、電話しても良い?」と送ると、すぐに「いいよぉ」と返事が来た。待ってくれていたんだ。私は急いで、通話履歴から叶乃果を探す。通話ボタンを押すだけなのに、妙にドキドキして、手にはじんわりと汗を掻いていた。
胸に手を当てて深呼吸をする。なにを話そう。なにから話そう。考えれば考えるほど、第一声に悩む。そうこうしているうちに、ガラケーがブブッブブッと震えた。着信だ。ディスプレイに表示された叶乃果の名前を見て、慌てて通話ボタンを押した。
「こんこん~」
「こん~。私からかけようと思ったのに、ごめんね」
「ううん、全然良いよ〜。むしろ、わたしこそ、ごめんね〜。なんか気になっちゃって、かけちゃった」
いつもの、ちょっとお茶目な彼女な声が心地良い。「靴下にゃんこ、見た〜? 可愛いよねぇ〜」なんて他愛もない会話が続く。おかげで、気持ちがちょっとだけ落ち着いてきた。
「あの、さ。六十里さんなんだけどさ」
「ん〜? なんかわかったの〜?」
「うん。いや、真実がわかったわけじゃないんだけど……」
「うんうん」
「私さ、もう少し六十里さんを信じてみようかなって思うんだ。誘拐もね、もしかしたら、特例措置? みたいなのが出るかも知れないと思ってて。だから、納得するまで、追いかけてみようと思うんだけど」
「良いと思うよ〜。花菜が誰を信じるかは自由だもん。ただ、危ないことだけは、しないで欲しいけどね〜」
「うん。あとね、私、進路変えようと思ってて」
「あ、そうなんだ〜。良いじゃん、良いじゃ〜ん。どこにするの〜?」
「それが、わかんないんだよね……」
「えっ? どういうことぉ?」
私はクマ先生と話したことを、叶乃果に話した。
逃げたいとか家族とか、そういう言葉は使わずに、ただ適切な援助ができる社会福祉士を目指したいこと。だけど、社会福祉士になるための学部は文系なこと。理転は出来ないから、諦めたほうが良いのか悩んでいること。
締めそびれた蛇口がこぼす水滴みたいに、私の言葉は次から次へとこぼれ落ちていった。
「社会福祉士って、はじめて聞いたかも~」
「私も、知らなかった」
「だよね~。で、花菜は、社会福祉士になりたいの~?」
「うん。やりたいことに近い気がするんだ……」
「そっか〜」
電話の向こうで、カチャカチャと音が鳴り始めた。パソコンで勉強でもしているのだろうか?
「遠回りはしたくない感じ〜?」
「え、浪人とかってこと?」
「う〜んと、そうじゃなくてね。花菜は社会福祉士について、もう調べた?」
「ううん……。憧れだけ強くなりそうで、調べてない」
「あ〜、それはわかるかもぉ。んとね、社会福祉士って、各機関に繋ぐ役割をするらしいんだけど〜」
「うん」
「医療機関も、当然そのなかに入るみたいでねぇ。ここからは、わたしの提案なんだけど。看護師とかは、どうかな~って。小児科とか」
「看護師……?」
落胆と困惑が声を通して、叶乃果に伝わったのがわかった。「まぁ、そういう反応になるよね〜」と笑った叶乃果は、そのまま話を続ける。
「あのね、ん〜と、なんて言えば良いのかなぁ〜。たとえばなんだけど、どんな施設でもお世話になる人って、まずは病院に行くんじゃないかな~って思うんだよねぇ。ほら、早朝にジョギングしているようなおじいちゃんが入るイメージって、あんまりないでしょ〜?」
「それは、そうだけど。でも、それは私のしたいことじゃないと思うんだ。考えてくれてるのに、こんなこと言ってごめんなんだけど」
「うん、全然良いよ〜」
「え?」
「でもねぇ、花奈。ちょ〜っとだけ考えて欲しいんだけど、困っている人と各機関を結ぶのが仕事なら、社会福祉士が病気や人体、医療機関を知っていても良いとは思わない? ち、な、み、に。看護師と社会福祉士のダブル資格を取る人もいるらしいよ~」
「え⁈ そんなことができるの?」
「できるらしいよぉ。ただ社会福祉士の資格を取るのに、一年くらいは掛かるみたいだけどね〜。でも、これなら文転できなくても狙えるんじゃないかなぁ?」
「たしかに……。あれ? でも、なんで、叶乃果がそれを知ってるの?」
「それはもちろん、今、調べてるからだよ~」
ふっふっふ~、と通話口から笑い声が聞こえてきた。彼女のドヤ顔が目に浮かぶようだ。まったく、本当に彼女はかっこいい。
「それにさ〜、看護師も良いと思うんだよねぇ。食いっぱぐれないし〜」
「判断基準、そこなの?」
「大事なことですよ、花菜クン。でも、なによりも、花菜って看護師に向いてる気がするんだよね~」
「そうなの?」
「うん。なんだかんだ世話好きだし、責任感もあるでしょ~。よくわからない行動力もあるし~」
「そうか、も?」
「そうなんですよぉ。なんと言ってもさ〜、誰かのためになりたいって考えるところが、花菜のすごいところなんだよね~」
「それは、別に普通じゃない?」
「普通じゃないんだな~。だって、わたしは誰かのためになんて、思わないもん。わたしが一番、他は二の次。自己中だからね~」
自虐交じりの軽やかな口調。以前なら、聞き流していた言葉も、どうしてか今は受け入れられなかった。たぶん、六十里さんと叶乃果がタブって見えたからだと思う。
彼女もまた、自分のトゲで自分を傷つけているのだと。
「叶乃果は、自己中じゃないよ。いっつも、私を心配してくれるじゃん」
「それは、花菜がわたしを心配してくれるからだよ~。ギブアンドテイクってやつですねぇ」
「それなら、私は叶乃果から貰い過ぎだと思う。高校で初めて声をかけてくれたのは叶乃果だったし」
「それは、たまたま席が前後だったからだよ〜」
「たまたまでも、私は嬉しかった。わからない問題はいつも教えてくれたし、高一のときからずっと仲良くしてくれてる。今回だって、関係ないのにずっと付き合ってくれた」
「……花菜って、たまにすごい眩しいよね〜。そういうところ、本当、尊敬する」
「私は別に普通だよ。てか、ギブアンドテイクだろうが、自己中だろうが、どうでもいい! 叶乃果は、大事なとみゃ、友だちだもん!」
うん、噛んだ。
なんで、こんなときに噛むんだ私。
もう恥ずかしいやら、情けないやら。ぶわっと顔に熱が集まってくる。そとそも友だちとか改めて言っちゃったけど、気持ち悪いとか思われてたら、どうしよう。でも、クラスメイトだと遠い気がするし、なんか寂しい。
電話口の向こうは、静まり返っているし。ああ、もう、穴があれば入りたい。
心臓が痛いと胸を抑えていると、突然、大きな笑い声が聞こえてきた。
「……叶乃果さん?」
「と、とみゃだち~!」
「はぁ〜??!」
アニメの悪い魔女が笑うみたいに、ヒィヒィという声が聞こえてくる。どうやらツボに入ったらしい。逆さまにして、ひっくり返してやろうか。
「ちょっと、叶乃果さん?!」
「ごめん、ごめん。だって、今、決め台詞みたいだったのにッ。ンフッフフ、ヒィ。と、とみゃだちって」
「笑い声、怖いんですけどぉ!」
「いや、本当、こんなに笑ったの久々で。フヒヒ。あ〜!息、くるしィ~! ハァ~、もう、すごい青春してる気がする~。アオハルすごいねぇ〜」
「ハイハイ、スゴイスゴイ。叶乃果さんは、落ち着きましたかぁ?」
「うん、うん。落ち着いた、落ち着いた~。ンフ、もう、大フハッ丈夫~フッフフッ」
「全然、ダメそうなんですけどぉ。もう、また明日ね。今日は聞いてくれて、ありがと!」
「あ、待って、待って」
「ナーンデスカー?」
「カタコトとか、やめてやめて。はぁ〜、うん。わたしは、花菜のこと、親友だと思ってるよぉ~! それだけ! じゃあ、また明日~」
プッ、と通話が切れた。
言い逃げ、ずるい。
また顔がほてってくる。嬉しい、恥ずかしい、怖い。でも、嬉しい。
パタパタと顔を仰いでいたけど、いよいよ耐えきれなくなって、ベッドにダイブした。布団を頭から被って、「……私だって、親友だと思ってるよー、だ」と呟く。余計に恥ずかしくなって、一人で悶えることとなった。
次の日。
クマ先生は、『医学部看護学科』と書き直した希望調査票を、すんなりと受け取ってくれた。「おお、良いんじゃないかぁ? がんばれよぉ」と言いながら。
目標が決まったら、ひた走る毎日だった。歯学部を目指す叶乃果は、二年生の冬くらいから勉強漬けになっていった。彼女に聞けば大抵の問題は解き方を教えてもらえるくらい、叶乃果はがんばっていた。途中で、志望校の再検討をすることもあったけれど、無事に私たちは卒業して、それぞれの大学に進んだ。
私の進学先は都内だったが、叶乃果は東北の大学の歯学部に進んだ。結局、高校を出てから、私たちがルームシェアすることは一度もなかった。
めまぐるしく変わる環境のなか、私は適応することに必死だった。だから、忘れていた。いや、もしかしたら忘れたふりをしていたのかも知れない。
六十里アンリちゃんという、最大の被害者のことを。学生の私には、なにもできないという言葉を免罪符にして。




