21. 私のやりたいこと
修正をしていたら、分量が長くなったので、二話に分けました;
全24話→全25話に変更です。すみません!
形だけのノックをして、職員室のドアを開ける。ひんやりとした空気に混じり、インスタントラーメンの美味しそうな匂いがした。
「クマ、じゃない。熊原先生、いらっしゃいますか?」
「あら、山田さん。熊原先生、生徒さんが呼んでますよー」
女の先生が窓に近いデスクに声をかけると、今にも崩れそうな山積みの書類から、クマ先生の顔がにょきっと現れた。
「お? 山田じゃないかぁ。どうしたんだぁ? もうすぐ、下校の時間だぞぉ?」
「クマ先生、今、いいですか?」
「おお、いいぞぉ。どうした、どうしたぁ」
クマ先生の近づくと、食欲を誘うジャンクな匂いがいっそう強くなった。
「あの、進路希望調査票って、書き直すことできますか?」
「おお、良いぞぉ。たしか山田は、理工学部の数学科だったなぁ。変えるのかぁ?」
「はい」
「どこにするんだぁ?」
「まだ学部は決まってないんですけど」
「おお? じゃあ、やりたいことが見つかったのかぁ?」
「えっと、やりたいことっていうか。困ったときに、相談してもらえる人になりたいなって」
口から出てみれば、私の言葉はわたあめよりもホワホワしていると思った。案の定、クマ先生のつぶらな瞳がスッと細くなる。
私は慌てて両手を振る。
「えっと、そうじゃなくて。いや、違わないんですけど。でも、シスターとかそういうんじゃなくて、実際に動けるっていうか。大富豪とかでもなくて、いや、なれたらいいんですけど、大富豪」
「落ち着け、山田ぁ。ちゃんと聞くから。そういう人になりたいっていう、理想像じゃないんだよなぁ?」
「理想像ではあるんですけど、実際に助けられる人になりたいんです」
「んー? そもそも困ったときって、たとえばどんなだぁ?」
「えっと……逃げられないとき、とか?」
クマ先生が訝しそうな顔をしている。それもそうだ。でも、良い例を出そうと思っても、どうしても叶乃果やアンリちゃんのことがチラついてしまう。
「逃げられない?」
「逃げられないっていうのは、家族とか家とか学校とか、そういうのから逃げられないってことで」
「山田は、あー、なんか、家や学校でつらいことにでもあっているのか?」
クマ先生は心配そうに黒くて太い眉を下げるので、私はまた両手を振って否定した。
「私は、全然、幸いにも大丈夫なんですけど」
「本当かぁ?」
「はい、本当です」
気まずい、沈黙が降りる。
なんとなく、他の先生からも見られているようで居心地が悪い。
「先生、よくわからないんだがなぁ。心理カウンセラーとは違うんだよな?」
「違う、と思います。心理カウンセラーも大事だと思うんですけど、私がしたいのは具体的に困ってる人の役に立てるというか。手札を教えてあげられるっていうか」
「手札?」
「手札です」
「うーん……。その困っている人っていうのは、誰だ?」
「……子ども? いや、大人もです」
「性別や年齢、国籍は関係あるのか?」
「性別や年齢は関係ないです。……国籍は、わからないです。考えたこともなかったし、まだ、今は誰も助けられないので」
クマ先生が腕を組んで考える。
「実際に動けて、助けられるなぁ。具体的には助けるって、なんだ? あしながおじさんとも違うんだよなぁ?」
「違います。私個人が私財をうって、助けるとかじゃないくて。現状の改善をしたり、脱出するためには、こういう方法があるよって教えてあげられるような人です」
話していくうちに、ふわふわのわたあめだったものの輪郭が見えてきた気がした。そうだ、私は具体的にこんな支援がありますよって、教えてあげられる人になりたいんだ。可哀想だねっていうだけの観客じゃなくて。
「弁護士か?」
「近いかも知れないです! でも、もっと敷居が低いやつが良くて」
「熊原先生。割り込んで申し訳ないんですが、山田さんがなりたいのって、児童相談員や社会福祉士みたいな感じじゃないかしら?」
助け舟を出してくれたのは、クマ先生を呼んでくれた先生だった。「あー!」と納得するクマ先生と違い、私は首を傾げる。
「あの、児童相談員とか社会福祉士って、なんですか?」
「児童相談員はね、困っている子どもやその家族の相談に応じて、解決のために動く職業よ。社会福祉士は、そうね。困っている各家庭や個人に対して適切な支援を行ったり、場合によっては行政や色んな機関をつなぐ人、みたいな感じかしら。私は祖母が痴呆で施設に入るときに、お世話になったのだけど、ぼんやりとしかわかってないの。だから、自分で調べてみるのが良いと思うわ」
「ありがとうございます! 熊原先生! 私、社会福祉士になりたいです! どこの学部に進めば良いですか⁈」
「そういうだろうと、今、調べてたんだけどなぁ。どうやら、福祉学、社会福祉学、心理学のどれかを出る必要があるみたいでなぁ」
「福祉学……? 福祉学って、理系だと何学部になりますか?」
「すまん。先生も分からなくてなぁ。なにしろ、福祉も心理も文系だからなぁ」
「文系……」
やっと見つけた道が、土砂崩れで塞がれたようだった。
「ちょっと、家に帰って、調べてみます……」と、絞り出すので精一杯な私に、クマ先生は眉を下げて頷いた。
「そうだなぁ。うちはカリキュラムの問題で、文転はできないしなぁ。親御さんとよく相談してなぁ」
「はい……」
職員室を出て、白色灯に照らされた廊下をトボトボと歩く。大人しく理工学部に進むしかないのだろうか。せっかくやりたいことが見つかったのに……。
消化できないやるせない気持ちが、私の背後にくっついていて、のしかかる。
ふと、リンリンと虫の音が聞こえて外を見る。空はとっぷりと夜に沈んでいた。あんなにうるさかったセミは、もう逝ってしまったのか。気づけばとっくに聞こえなくなっていた。




