20. 裁判記録
誤字脱字報告に感謝しているポンコツ人間です。今回、スマホでの修正が多かったので、誤字脱字が多いかも知れません。見付けたら、ぜひ教えてあげてください|ω・`)
改めてパソコンに向き直り、キーボードに手を置く。
静まり返った部屋は、少しずつ私の頭を冷静にさせた。
私が求める真実とは、一体なにか。改めて考えてみる。
彼が嘘をついていなかったという証拠が欲しいのか。でも、これを証明できるのは本人しかいない。一人で悩んで、考えたところで答えは出ない。
じゃあ、六十里さんは悪くなかったのだと証明したいのか。それも少し違う気がする。だって、誘拐が犯罪行為なのは間違いない。そんなことは、成人していなくたってわかる。彼が間違いを犯したのは事実だ。
……ちょっと待って。
六十里さんはアンリちゃんのお父さんだ。赤の他人じゃない。なのに、誘拐犯になる。
なんで?
きっと、ずっと引っかかっていたんだと思う。だから、とっさに脳裏に『親権誘拐』という単語が浮かんできたのだろう。『親権』問題で、起きた『誘拐』をくっつけただけの造語を。
恐るおそる、キーボードを叩く。検索窓に入力してみる。
コンマ数秒で表示された検索画面には、親権についてのサイトと誘拐喚起のようなサイトが並んでいた。ほとんどが弁護士のサイト。六十里さんが起こしたのと似たような事件は、ぱっと見は見当たらなかった。
だけど、むくむくと膨らみ始めた私の疑問は治らなかった。だから、とりあえず、片っ端から目についたものをクリックしてみた。なにか、真実に近いものをかすめている。そんな感覚が私を突き動かした。
何件も何件もクリックしては戻るを繰り返す。
離婚調停中に、子どもを連れ去られたというのはあった。でも、連れ去った側の話はない。離婚後の話もない。
検索の仕方が悪かったのだろうか、と言葉を変え、組み合わせる単語を変え、検索を繰り返す。諦めや徒労が頭にちらついても、手は止まらなかった。
そうするうちに、ようやく自分が求める真実の輪郭が見え始めた。
ああ、そうか。
私は、彼の罪を認めても、六十里さんを否定したくないんだ。甘いと言われても、バカだと言われても良い。目の前で裏切られるまで、私は信じたい。
単調な作業を繰り返し、目が疲れ始めた頃、ようやく一つの記事に出会った。それは十年近く前の事件で、親権を持たない父親が実子を誘拐したというものだった。六十里さんとよく似ていると思った。ところが、意気揚々と読んでみたら、肝心の事件の詳細は書かれていなかった。
ようやく開けた宝箱が、空っぽだった。瞬間、そんな気持ちになった。でも、罠よりはマシかも知れない。うん、きっとそうだ。
気を取り直して、検索を再開する。ターゲットは事件の内容。暗中模索で五里霧中のさっきまでに比べたら、楽勝だと思った。
が、全然ヒットしなかった。
検索サイトに「甘いぞ、小娘」と言われているようで腹が立った。しゃらくさい。
記事に出てきた単語を打ち込んでいくだけじゃダメなのかも知れない。でも、それ以外の調べ方を私は知らなかった。愚直に進めるしかない。ここまで来て引き返したら、私がすたる。
検索ワードを増やして、増やして、消す。
もう、私と検索サイトの根気比べに近かった。
だから、当たりページを開いたとき、私がどうやって辿り着いたのかも、わからなかった。ただ、当たりだということだけが、直感でわかった。
これまであったような、イラストや花なんかは一切ない。カラフルな文字も見やすい見出しもあおり文句もない。ただ、事件番号や事件名、裁判年月日など素っ気ない文字が並ぶだけのサイト。
それは、裁判所のサイト内にある裁判例結果詳細だった。
監護、行為態様、阻却。
見慣れない言葉のせいか。それとも、感情の見えない文字列のせいか。そこにある文章は、氷のように冷たく、突き放されているように感じた。
めげずに、全文と書かれたところをクリックする。
文章は横書きだった。これなら読みやすいかもしれない。という甘い考えは、四行目で早々に砕かれた。三行目までは、主文・棄却・理由という単語が並ぶだけだったのに、本題に入ったとたん、目がすべった。とにかく言い回しが、すごくまどろっこしかった。
ほんの一瞬だけ、叶乃果と一緒に読もうか。と、いう考えが頭にちらついた。けど、すぐに甘えを取っ払うように頭を振り、奥歯を噛んだ。
ダメだ。これは、私の問題なんだ。
理解できそうなところだけでも、読もう。叶乃果に頼るのは、どうしてもダメだったときだけにしよう。
私は頭が痛くなりながら、読み進めた。
途中、頭から湯気が出て、脳がカラカラになっていく錯覚さえ感じた。濃厚なミルクティーに、ミルクチョコレートが欲しかった。ラムネでも良い。とにかく、糖分が欲しかった。
それも、裁判官の補足意見というものに触れるまで。ある一人の裁判官の主張に、私は惹きつけられた。
――別居中の夫婦の一方が,相手方の監護の下にある子を相手方の意に反して連れ去り,自らの支配の下に置くことは,たとえそれが子に対する親の情愛から出た行為であるとしても,(中略)家庭裁判所による解決を困難にする行為であるといわざるを得ない。
(中略)子の福祉という観点から見ても,一方の親権者の下で 平穏に生活している子を実力を行使して自らの支配下に置くことは,子の生活環境を急激に変化させるものであって,これが,子の身体や精神に与える悪影響を軽視することはできないというべきである。
(中略)本件のように,別居中の夫婦が他方の監護の下にある子を強制的に連れ去り自分の事実的支配下に置くという略取罪の構成要件に該当するような行為については,たとえそれが親子の情愛から出た行為であるとしても,特段の事情のない限り,違法性を阻却することはないと考えるものである。(最二小決平成十七年十二月六日刑集第五十九巻十号一千九百一頁)――
一連の文書を読んで、はじめて感情のある文章に触れた気がした。同時に、私は無性にホッとして、嬉しくなった。
叶乃果は信用して良い大人は珍しいと言っていたけれど、この文章の奥には、たしかに信用したいと思える大人がいた。それが、嬉しかった。
やっぱり親であっても、連れ去りは特段の事情がない限り、違法らしい。不思議だけど、そういうものなのだろうと思うしかない。それよりも気になるのは、特段の事情だ。特段の事情が認められれば、合法にもなりうるということなのか。
例外のない規則はない。
特段の事情に『虐待』は入るのか。
そもそも、どうして六十里さんに親権は認められなかったのだろう。
なんで離婚したら、親権が片方だけになるのか。
なんで、なんで、なんでに、脳が占められていく。
ここ最近、鳴りを潜めていた好奇心も、温泉のようにポコポコと湧き上がってくる。
さっそく、『親権 父親』と調べてみた。
知りたい答えが出るのは、早かった。
「育児は母親優先のものだから」という理由で、父親が親権を取る確率は、一割にも満たないらしい。それならば、と『父親 育児 参加』と検索してみる。これで父親の育児参加の割合がわかるだろうと思ったのだ。ところが出てきたのは、妻による育児を手伝わない夫の愚痴だった。
私は頭を抱えた。ゴシップも人の暗部と結婚の闇も見たいわけじゃない。だから、そっとブラウザを閉じて、目を閉じた。
私は大人の苦労も社会の怖さも、まだ知らない。未成年だから。だけど、意志も希望も主張もある。保護されるむずがゆさはあっても、誰かの所有物じゃない。
なにかあったときに、家族以外に頼れる人を知らないのは、未成年だからだと思っていた。一人前じゃないから。だけど、もしかしたら、大人も知らないのかもしれない。
ふと、叶乃果の言葉を思い浮かべる。彼女のお母さんは、おばあちゃんを世話するようになってから、変わってしまったと言っていた。でも、もしも、もしも頼れる人がいて、どこか頼れる場所を知っていたら、なにか違ったんじゃないだろうか。そしたら、叶乃果やアンリちゃんにしわ寄せが来ることもなくて――。
突如、光が見えた気がした。
私は、パソコンの電源を落として、席を立つ。
興奮を抑えつけてグッと伸びをすれば、ふあぁと欠伸が出た。酸素が足りないらしい。ついでに、目がシパシパして、肩と首が痛いことにも気が付いた。
グルングルンと腕と首を回しながら、ぼんやりと思う。
女子高生の私にできることなんて、たかが知れている。でも、大人なら、きっと違う。違うと言える未来を、私は選びたい。
物語のハッピーエンドは、いつも人生の途中だ。恋愛も、冒険も、青春も。じゃあ、人生のハッピーエンドは? きっと、死ぬ瞬間だ。
六十里さんたちの人生がハッピーエンドになるかも、ハッピーエンドにできるかも、わからない。たぶん、難しいと思う。だけど、もう二度と、同じような事件が起こって欲しくない。叶乃果のような目に会う人も、いて欲しくない。
壁の時計を見れば、最終下校時間まで、あと二十分あった。急いでバッグをつかんで、私は部屋を出る。目指すは、職員室。クマ先生だ。
どの学部に進むのが良いなんて、まだわからない。でも、あやふやな気持ちで書いた進路調査票を直したかった。
判決は実際のものを引用しています。
読むのが大変でした…




