19. IfはIf
安定の誤字脱字人間です|ω・)
誤字脱字の報告、感謝です(*´人`)
「それはそうなんだけどね~。でも、アンリちゃんは違うでしょ~? ツイヒジさんがいるんだもん。なんで、奥さんは親権を渡さなかったのかなぁ?」
「虐待するとは、思ってなかったんじゃない?」
「離婚前から、その気があったのにぃ~? わたしたちは、買ってから、好みじゃなかったお菓子じゃないんだよ~? だいたい出産するのは女だけど、育てるのは二人でしょ~? うちは両方アレだったけど、片方がマシなら親権の性別なんて関係ないって~。腎臓だって、片方でなんとかなるっていうじゃ〜ん」
叶乃果が、バタンと机の上に突っ伏す。長くてきれいな髪が、クラゲみたいに広がった。
あれ以来、叶乃果は家族のことを、ちょっとずつ話してくれるようになった。少しでも、叶乃果の体に染みついたドロが取れると良いなと思う。それはそれとして、両親を腎臓にたとえるのは、どうなんだろう。その感性は好きだけど。
「でもさ、腎臓も片方になったら負担が大きくなるんじゃない?」
叶乃果の首が起きた。机に生首が乗っかっているみたいで、ちょっとしたホラー状態。
その体勢で、カタカタとキーボードを打つ。相変わらず、器用だ。
「ん〜。腎臓は、一個でも大丈夫なんだって~。ほら」
突然表示された腎臓の解説ページに、私は、「すごいね、腎臓……」としか言えなかった。
「どうすれば、ハッピーエンドになれたんだろうねぇ。そういえば、今、アンリちゃんはどうなってるんだろう? お母さんと暮らしたまま、学校に通ってるのかな~?」
「……どうなんだろう。わかんない」
祐太くんとは、夏休みに会ったきりだ。
お母さんなら、次に来る日を知っているかもしれない。でも彼に会ったところで、アンリちゃんの状況を聞く気にはなれなかった。
祐太くんはアンリちゃんがいなくて、寂しいと言っていた。だけど、「可哀想だけど、学校に来なくてよかった」という人たちのなかにいて、彼女が幸せだとは思えなくて。
「……結局、六十里さんがバス停にいたのって、やっぱり下見だったのかな?」
「誘拐の?」
「うん……」
「ん〜、どうなんだろうねぇ? 花菜は嘘つかれたのが気になってるの〜?」
「それは、ある」
「でも~、『俺は、これから虐待されている娘を助けに行くんだ!』って言われたら、ヤバい人だって思わな~い?」
否定できなかった。実際、六十里さんの見た目は怪しかったし、そんなことを言われたら、間違いなくドン引きしていたと思う。
「じゃあ、もし、私が通報してたら、誘拐事件は起きなかったのかな……」
「そしたら、アンリちゃんの虐待は知られないままで、今もずーっと苦しみ続けていたんじゃないかなぁ?」
「じゃあ、」
「花菜~」
生首から人間に戻った叶乃果が、私を見る。
「Ifは、If、だよ? ただの女子高生にできることなんて、な~んもない」
「それは、そうだけど。でも、」
「大体さ〜、大人だって役に立たなかったわけでしょ〜? まあ、大人になんて期待してないけど」
私は何も言えずに、視線を落とす。
頼りない私の手。
やきもきした気持ちをなだめるように、スカートを握りしめた。
「もしも、もしもだよ? 誘拐事件を起こさせずに、アンリちゃんへの虐待も止める。なんてことができたとすれば、週刊誌に暴露した人くらいだと思うんだよね〜」
「六十里さんに近い知り合いってこと?」
「そうそう。ま、その人でも無理だったわけだけど。だからね、花奈が後悔? とか、気負い? することなんてないんじゃないかな~」
叶乃果が慰めてくれてるのはわかる。
たしかに、その通りかも知れない。でも――。
「親は足かせじゃない」と私が言ったときの、六十里さんの顔を思いだす。あのとき、彼からは今にも壊れそうなコンクリートのような不安定さが滲み出ていた。あの人は、どんな思いで聞いていたのだろう。つらかったんじゃないだろうか。気づいていれば、誘拐を思いとどまるきっかけくらいにはなれたかもしれないのに。
「でも、ま、わたしは、ここまでにするよ~」
「……え?」
「わたしは、ツイヒジさんがどんな人物なのか知りたくて、調べてたけど。もう、だいたい満足しちゃった」
「え、ごめん。私、無理に付き合わせてた?」
「ううん、そんなことないよ~。でも、たぶん花菜は、真実が知りたいんだろうな~って思ってた」
叶乃果の言うとおりだった。私は、事件の真相を知りたかった。それは、六十里さんを疑ってしまった罪悪感や、なにもできなかったことへの贖罪や自分への言い訳みたいなところもあったのだと思う。
「超有名な名探偵は、『真実は、いつもひとつ』っていうけどさぁ。わたしは、真実って、人の想いの数だけあると思うんだよね~」
「人の数だけ」
「そう。事実は一つなんだけど。だからさ、花菜が知りたい真実は、きっとツイヒジさんしか知らないと思うんだ」
「でも、六十里さんにはもう、」
その先の言葉は、言えなかった。
言ったら、もう二度と会えない気がして。
「うん。だから、花菜が満足するまで調べるのが一番なんだと思う。それには、わたしがいない方が良い」
「そんなこと」
「そんなことあるんだよ〜。そんな顔しないで、花奈? だぁいじょうぶ。もちろん、話は聞くし、手伝ってって言われたら、手伝うから。でもね、満足する真実に辿り着くのは、一人の方が良い」
叶乃果の意図はわからなかった。いつも私の先を行く彼女。請えば、答えを教えてくれるかも知れない。でも、それはきっと違うのだ。それに満足したという彼女の時間を、これ以上、奪いたくはなかった。
「……わかった。ありがとう、叶乃果」
「どういたしまして」
叶乃果が、ふわりと優しく笑う。
「それじゃあ、今日は部活に顔を出そうかな~。ランニングしてから、素振りしよ~」
「あれ? 剣道部って、ランニングするの?」
「うちはするよ~。あと、部活対抗リレーに出ることになったからね~」
「あの、百メートル走の?」
「そう~。防具で走るとか、本当にイヤ~」
「あー。去年の体育祭でも、剣道部は竹刀をバトンにして、防具で走ってたね」
書道部は体育着に筆という、なんとも身軽な格好だったというのに、全員運動不足のせいか、ビリ争いに興じていた覚えがある。
「あれ、本当に地獄なんだよね~。やっぱり、サボろうかな~。ここで、マンガとか」
「叶乃果さん? さっきまでの良い雰囲気が台無しでしてよ?」
「あら、嫌だ。もちろん、冗談ですわよ~。はぁ~」
深いため息を吐きながら、叶乃果は重たそうに腰を上げる。
「行きますか~。なんかあったら、いつでもメールしてね~」
「うん、ありがと」
ひらひらと手を振る。
「また明日」と言って、私は叶乃果の背を見送った。




