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バス停の記憶  作者: ユト
14/27

14. 彼の正体

「ぼくのはなし、聞いてた?」

「ごめん、聞いてなかった。どうしたの?」

「あのおじちゃん、ツイヒジっていうんだよね?」

「そうだけど、なんで知ってるの?」

「花菜ちゃんが、そう呼んでたもん」

「ああ、そっか」


 たしかに、あのとき、私は何回か名前を呼んでいた気がする。


「あのおじちゃん、ぼく、知ってたんだ」

「うん、家の鍵を見つけてくれたんでしょ?」


「ちがうよ」と言って、祐太くんは、テーブルで談笑している大人たちをチラッと見た。コソコソ話をするように、小さな唇を私の耳に近づけてくる。


「あのね。あのおじちゃん、杏里ちゃんのパパだったんだよ」

「アンリちゃん?」

「ぼくもね、さいしょ、わかんなかったんだけどね。でも、おうちにかえって、思い出したんだ。杏里ちゃんもね、六十里っていうの」

「え……?」


 たしか、六十里さんには娘がいるとも言っていたけど。


「……祐太くん。ツイヒジの漢字は、わかる?」

「わかるよ! 数字の六十に里って書くんだ!」


 元気いっぱいの声に、私はシーッと人さし指を立てた。指を当てた唇に、痛みが走る。昨日、唇から血が滲むまで噛んだのが、まだ癒えていないのだろう。

 慌てて、ダイニングテーブルに目を遣る。が、両親たちが気にする様子はなかった。勝手に盛り上がっているようで、一安心する。なんとなく、大人たちには聞かれたくなかった。


「杏里ちゃん、パパに会えたかな?」


 祐太くんが眉を下げて、首を傾げる。


「どういうこと?」

「杏里ちゃんのパパ、おうちにいないんだって」


 家にいない。離婚の文字が頭にちらついて、納得した。

 それで、あんなにちぐはぐな格好をしていたのか。肌荒れも。大人ニキビは、ストレスと食生活らしいから。

 私が黙って考えていたせいで、祐太くんは暇になったらしい。ケージの隙間から、小さな指を入れようとしていたので、慌てて止めた。


「それって、いつのことかわかる?」

「うーん、冬休みかなぁ?」

「去年の?」

「うん」

「杏里ちゃんは、あんまりパパに会えないの?」

「うん。いなくなってから、一回も会ってないんだって」

「一回も?」


 おかしい。

 六十里さんは、娘のことを大事にしているように思えた。なのに、一回も会わないなんて、彼らしくない。


「杏里ちゃんがキライだから、会わないのかな?」

「まさか! ありえない。誰がそんな嘘をついたの?」

「杏里ちゃんのママだよ」

「え?」

「杏里ちゃん、ママに『パパは、杏里がキライだからいなくなった』って、言われたんだって」


 カッと、頭に血がのぼった。

 すべての親が子どもを正しく愛しているわけじゃないのは、昨日、知ってしまった。叶乃果のお母さんの言葉で気付いてしまった。子どもが求める愛と、親が求める愛が一致するとは限らない。

 でも、だからといって、なんで、そんな嘘をつくんだ。言葉のナイフは、血が出ない分、記憶に残る。心に、留まり続ける。


 小学校に上がった頃だったと思う。

 お父さんは、「なおせないものは、壊してはいけないよ」と言った。お気に入りのキーホルダーのクゥちゃんの足が取れたときだ。犬のクゥちゃんは、足をもがれて、胴体を踏み潰されていた。


「クゥちゃん、なおる?」

「……うーん。どうして、クゥちゃんの足は取れちゃったのかな?」

「……モモちゃんとケンカしたから」


 モモちゃんは、私に意地悪してくる子だった。あの日、彼女は私に言った。

「花菜ちゃんって、みんなに嫌われてるんだよ! なのに、ヘラヘラして、バカみたい!」と。

 本当か嘘かは、わからない。ただ、そのとき、私は嫌われ者なんだと理解した。真っ白なハンカチに墨汁が一滴、ポトンと落ちた染みみたいに、私の心と同化してしまった。

 だから、高校生になった今も、心のどこかで、私は嫌われて当然なんだと思っている。

 モモちゃんは、黙っていた私が気に入らなかったのだろう。彼女は、私のキーホルダーを引きちぎって、思いっきり踏んだ。そして、満足そうにイヤらしい笑みを浮かべて、去って行った。


「モモちゃんと仲直りしたかい?」

「ううん」

「そっか……」


 クゥちゃんは、歪んでいた。私の視界も、雨降りの水溜まりみたいに溜まった涙で歪みかけていた。


「パパは、クゥちゃんをなおせないけど、新しいクゥちゃんを買ってきてあげることはできる。花菜は、それでも良いかい?」

「……イヤ。だって、クゥちゃんは、クゥちゃんだけだもん」

「そっかぁ。そうだね。ねぇ、花菜」


 お父さんは、私を抱っこして、頭を撫でた。


「花菜は、なおせないものは、壊してはいけないよ」

「テレビとか、ランドセルとか?」

「いいや。この世の大抵のものは、お金を出せば直せる。でもね、生き物の体や心、信頼は、一度壊したら、元通りになることはないんだ」

「もとどおり?」

「そうだよ。新しいクゥちゃんになっても、このクゥちゃんとは違うようにね。ちょっと難しかったかな」

「わかんなーい」

「そうだね。でも、いつか、わかるときが来るよ」


 年を重ねるにつれて、私は、お父さんの言ったことが少しずつわかるようになっていった。

 だからこそ、許せなかった。

 父親が嫌っていると植え付けたことも、自分のせいで父親がいなくなったと(うそぶ)いたことも。


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