表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
バス停の記憶  作者: ユト
12/27

12. 解けない呪い

 叶乃果についていくように向かった大学は、思ったよりも人で賑わっていた。

 よくあるビルなのに、あちらこちらに角度違いで密集しているせいか、スマートな巨人の国に迷い込んだ気分だった。

 叶乃果の隣を、ただただ歩いた。「今日も暑いね」とか、「この大学、○○分野に強いんだって」とか話す叶乃果に、私は適当に相づちを打つ。コンクリートがジリジリと日射しを照らし返して、暑かった。

 オープンキャンパスに来ているというのに、私は、なんの感情も湧かなかった。夢も希望も将来も、たくさんのビルからは、なにも見えなかった。それよりも、隣で平然と歩く彼女が気になってしかたなかった。愚痴一つ、泣き言一つ、こぼさない叶乃果。

 ふと、彼女と視線が合った。


「花菜、どうしたの? 疲れちゃった~?」

「あ、うん。ごめん、そんなことはないんだけど」

「どっちだ~」


 叶乃果はプッと笑う。


「ごめん」

「全然、気にしないで良いよ~。興味ないのに、付き合ってくれて、ありがとね」

「……ごめん」


 どんな顔すれば良いのかわからなくて、どんどん、私は下を向く。


「花菜、大丈夫~? なにかあった? 近くにファミレスがあったから、そこ行く?」

「……叶乃果は、もう見なくても良いの?」

「わたしは大丈夫~。雰囲気とかは、大体わかったから、もう満足だよ~」

「そっか。なら、良かった」


 私は立ち止まって、空を見た。かすれた青に、綿菓子みたいな雲がちぎれて泳いでいる。いつもと変わらない、東京の夏の空。なのに、どうしてか、ひどくせまいと思った。人工的に切り取られた、息苦しい空に見えてしかたなかった。


「花菜?」

「……私、東京を出たいかも」


 わずかな沈黙が、流れた。


「……それも良いね~。東京を出るなんて、考えたこともなかったよ~。花菜とルームシェアするのも、面白そう~」

「たしかに。でも、私、トースト焼くくらいしか出来ないよ?」

「なら、わたしが目玉焼きをつくってさしあげよう~。花菜サンは、ソース派かな? 醤油派かな?」

「砂糖」

「ウソでしょ?」


 顔を上げて、叶乃果を見る。彼女のぱっちりとした目が、さらにまん丸くなっていた。


「さて、どっちでしょう?」

「絶対、ウソでしょ~! え、まさか、本当?」

「一緒に、ルームシェアすることがあれば、教えてあげるよ」

「はぁ~?! じゃあ、花菜もわたしと同じ大学に決定だからね」

「それは、無理。だって、叶乃果の方が頭良いし。とりあえず、ファミレス行こうよ。喉乾いちゃった」


 私は、ビルの群れから抜け出すべく、歩く。

 いつの間にか、セミの鳴き声が聞こえるようになっていた。

 ちょっとだけ前を進んでいた叶乃果を追い越したところで、彼女に声をかけられた。


「花菜サンや。ファミレスの場所は、ご存じなのかな~?」

「……案内、よろしくお願いします、叶乃果サマ」

「うむ。よろしい」


 叶乃果は腕を組んで、大きくうなずく。


「……ちょっとイラッとしたから、頬、ムニムニしても良い?」

「なんで~?!」

「暑くて?」

「八つ当たり、やめてくださ~い」


 口を尖らせた彼女と並んで、歩くこと十分。

 地下鉄駅近くのファミレスに入った私たちは、チャラリラララ、チャラリラララと軽快な音に迎えられた。


「涼しい~。生き返る~」

「わかる~」


 冷たい空気に乗って、甘辛いソースや揚げ物、お肉の香ばしい匂いが流れてくる。

 店員さんに、「二名。禁煙席でお願いします」と伝えると、すぐに店の奥に案内してくれた。

 まだ十二時になっていないせいか、店内はまばらに席が埋まっているだけだった。

 ソファに座って、メニューを見る。

 キュルルッと可愛い鳴き声がしたと思ったら、隣の叶乃果が恥ずかしそうにお腹を押さえていた。


「叶乃果さんは、小動物をお腹にお飼いで?」

「そうなんですの~。とっても可愛らしいんですのよ~」


 オホホ、と叶乃果が手を口に当てて、笑う。


「あらあら~。じゃあ、今度、うちのナツと遊んでいただけますぅ?」

「まあ! 喜んで~。って、そういえば、ナツくん、元気~?」

「元気、元気。まだ、あんまりケージから出せないんだけどね。でも、体重は順調に増えてるよ。明日は、祐太くんが初めて遊びに来るんだ」

「そっか~。落ち着いたら、わたしもナツくんに会いに行っても良い?」

「もちろん。あ、ねぇねぇ、マンゴーのかき氷だって。期間限定。美味しそうじゃない?」

「美味しそうだけど、お昼ごはんを食べようよ~。花菜は何にするの?」

「う~ん。冷製パスタかな? 安いし。叶乃果は?」

「わたしはね~、がっつりスタミナ丼か、お肉増量サーロインステーキかで悩んでる~」

「めっちゃ食べるね。お腹減ってたの?」

「うん。朝ご飯、食べられなかったからね~。あ、スタミナ丼、にんにくだ。サーロインにしよ~。ピンポン、押して良い?」

「うん」


 私たちと同じ年くらいの店員さんに注文を告げ、メニューを一つだけ残してもらった。


「……ねぇ、叶乃果」

「ん~?」

「叶乃果は、いつ、進路決めたの?」

「ん~、いつだろう? 手に職をつけたいと思ったのは、中学生くらいだったけど~」

「早くない?」


 中学の頃なんて、部活と塾で精一杯で、手に職をつけたいなんて、私は考えたこともなかった。


「そうかな~? 医者の息子とかは、医学部を目指すとか言ってなかった?」

「ごめん。そういうのは、あんまり知らないかも。私の中学の同級生たちは、サラリーマン家庭ばっかりだったし。うちもそうだけど。叶乃果のお父さんって、お医者さんだっけ?」

「ううん。うちは、自営業」

「なんで、そう思ったの? ……って、これ、聞いても大丈夫そう?」

「花菜って、優しいよね~。そんで、隠し事が下手で不器用」

「え、そうかな?」

「顔に出てるよ~。朝のことが気になるって」


 また、言われた。


「私って、やっぱり顔に出やすいのかな……」

「もしかして、気にしてた?」

「うーん。気にしてたっていうか、六十里さんにも言われたから」

「あ~、ツイヒジさん。結局、あれから一度も会ってないんでしょ?」

「うん……」


 叶乃果は心配するだろうけど、私はやっぱり、もう一度、話したかった。


「あ、サーロイン来た~!」


 振り向くと、パスタとステーキを運ぶ店員さんが見えた。

 ゴロッとアボカドが転がり、ツナがピョコピョコと生える冷製パスタが私。

 ジュウジュウと、迫力のあるお肉がいい音を響かせるのが、叶乃果。大盛りのライスも、彼女のだ。

 テーブルに置かれて、すぐ、叶乃果がナイフとフォークを取った。


「うちの母親って、専業主婦なんだよね~」

「う、うん?」


 戸惑いで、パスタを絡めていた手が止まる。私は、彼女の言葉を待った。


「だから、逃げられないの」

「逃げられない?」

「自由になれない」


 細長く切り分けられたステーキが、叶乃果の小さな口に放り込まれた。


「なにから?」

「わたしたち家族から、かな~?」


 家族から、自由になるって、どういうことなんだろう。あんまり、ピンと来なかった。

 私は、パスタを食べる。思ったよりも、脂っこくて、食欲が失せた。


「一昨年、父親のおばあちゃんが亡くなったんだけど」

「それは、えっと、ご冥福を」

「祈らなくて良いよ~。わたし、あの人キライだったもん。会う度に、飽きもせずに説教と愚痴と自慢話を垂れ流すんだよ~。すっごい、イヤだった~」

「それは、ちょっと嫌だね……」

「でしょ~? わたしが小学校三年生の頃に、おばあちゃんは足を骨折してね、一緒に暮らすことになったんだけど。父親は、おばあちゃんの世話をぜ~んぶ、母親と私に任せたんだよね~」

「なんで?」

「専業主婦だから。女だから。おばあちゃんの世話は、女の役目なんだって。バカみたいな話だよね~? 誰の親だよって。でも、それを見て、わたしは食いっぱぐれない国家資格を目指そうって思ったんだ。それなら、いつでも離婚できるし、女でも一人で生きてけるでしょ~?」

「でも、だからって」


 あんな言葉を投げつけて良い訳がない。


「良いんだよ~。あの人は一生逃げられないけど、わたしはまだ逃げられないだけだもん。だから、今は、平和に穏便に生きるんだ~」

「あれが、平和で穏便なの? 叩かれたのに?」

「いつものことだもん」


 叶乃果は、平然とお肉を平らげていく。それを見て、わかってしまった。叶乃果にとっては、本当に、あれが『普通』で『当たり前』なんだと。

 六十里さんは、人々の努力と歴史で『普通』は成り立っていると言っていた。けど、我慢や理不尽の上に立つものもあるんだ。誰かが、変えないといけないことも、きっとある。

 でも、今の私には、なにもできない。どうすれば良いのかも、わからない。かける言葉ひとつ、思い当たらない自分が情けない。


「花菜がつらそうな顔をしなくても、良いんだよ~。花菜は優しすぎるからなぁ。だから、話しにくかったんだよね~」


 叶乃果が、くしゃっと笑った。ああ、そうか。ようやく気が付いた。

 これは、つらいのを押し殺して、笑っている顔だ。

 私は、自分の両頬を叩く。パンッと良い音が鳴った。


「ごめん、叶乃果。もう大丈夫。話してくれて、ありがとう」

「花菜? え、どうした~?」


「不甲斐ない自分に、活を入れたの。叶乃果が、私が危ないことに巻き込まれるのは嫌って言ってくれたみたいに、私は、叶乃果がつらそうな顔をしてるのは嫌だよ。だから、頼りないかも知れないけど、これからは色々話してくれると嬉しい。言いたくないことだったら、言わなくてもいいけど」


 言葉を一個ずつ考えながら話していたら、ちょっとグタグタになってしまった。せめて、嫌な思いをさせてなければ、良いんだけど……。沈黙が怖い。

 私は、そそくさとパスタを食べるのを再開した。ちらっと叶乃果を見ると、彼女は、感情をそぎ落としたビスクドールみたいになっていた。ステーキを二切れ分残して、フォークとナイフを持つ手も止まっている。


「……叶乃果?」

「……ごめん、花菜。わたし、つらそうだった?」

「うん。顔は笑ってたけど」

「わたし、可哀想だと思う? ひどいと思う?」

「……すごいと思う。かっこいい」


  叶乃果の目が、ゆっくりと大きくなっていく。


「かっこいい?」

「かっこいい。百合みたいに、まっすぐに咲いてるみたいで、かっこいいよ」


 ポロッと雫が一滴、叶乃果の頬をつたった。


「わたし、おばあちゃんが死んだとき、ホッとしたの。これで、ママは落ち着いてくれるかも知れないって。最低だって、わかってる。でも、ダメだった。他人がいるときだけは、昔のママに戻るけど、それだけだった。わたしが一番、家族を捨てたがってる。捨てる理由があるんだって思って」

「叶乃果……」

「ごめん、花菜……」


 叶乃果の目から溢れる涙は、こぼれ落ち続けた。私はなにも言えなかった。唇を噛みしめる。ただただ、彼女が落ち着くのを見守ることしか、できなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ