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バス停の記憶  作者: ユト
10/27

10. 解決方法はひとつじゃない

「でも、悪いな。俺には、できない」


 私は耳を疑い、男の子は小さく息を呑んだ。


「なんで? ぼくがおじちゃんをあやしい人って言ったから? だから、いじわるするの?」


 男の子の目に、薄い水の膜がかかる。


「そうじゃない」


 六十里さんは、ゆっくりと首を振る。彼の声は、じんわりと温もりをもっていた。


「俺みたいな素人が手を出すと、子ネコの命が危ないんだよ。だから、消防庁、一一九番に通報するのが一番良い」

「じゃあ!」

「さて、ボウズ。おまえ、子ネコをここから出したあと、どうするんだ?」

「え? どうもしないよ?」


 クリッとした目をぱちぱちとさせて、男の子は首を傾げた。


「それじゃあ、子ネコを助けたことにはならねぇぞ?」

「なんで?」


 私も、男の子の気持ちと同じだった。

 今、この可哀想な子ネコを助けることが以外に、なにをすることがあるんだろう?


「ボウズ、さっき、この子ネコをつかんだって言ったな?」

「うん」

「こいつは、たぶん、ノラネコだ。まだ、子ネコのこいつは、一匹じゃ生きていけねぇ。それは、わかるか?」

「うん、わかるよ。おかあさんネコがいるんだよね?」

「そうだな。でも、おかあさんネコはな、人間が触った子ネコ、人間の臭いのついた子ネコを育てねぇんだよ」

「そうなの? じゃあ、この子は、どうなるの?」

「どうなるだろうな。ただでさえ弱ってるんだ。もしかしたら、すぐに死んじまうかもな。それか、カラスに狙われて、エサになるかも知れねぇ」

「そんな……」


 私の口からは、自然と絶望が漏れていた。

 生態系から見れば、六十里さんの言っていることが至極当然なのはわかる。でも、感情が追いつかない。


「だから、言っただろう? ここから出しただけじゃ、助けたことにはならねぇって。で、ボウズ。おまえは、どうしたい?」

「おじちゃんは、かってくれないの?」

「俺は、飼えない」

「じゃあ、おねえちゃんが」


 男の子の顔が私に向く。


「おい、ボウズ。頼ることは悪いことじゃねぇ。が、自分はなんもせずに、誰かにやってもらおうっていうのはいただけねぇ」

「じゃあ、どうすれば良いの?! ぼく、かえないもん!」

「なら、このまま帰れ」

「え……?」

「助けることができねぇなら、帰れ」


 なんて残酷な提案をするんだと思った。同時に、六十里さんらしくないとも思った。

 言葉に詰まる男の子の代わりに、私は訊く。


「それって、この子ネコを見捨てるってことですか?」

「見捨てるとは、ずいぶんな言いようだな、女子高生。俺は、自然の摂理に任せると言ってるだけだ」

「目の前に、命があるのに?」

「そうだな。でも、その命に責任が持てないんだろ? なら、関わるべきじゃねぇ。一度飼ったら、責任持って最後まで面倒を見ましょうっていうだろ? 一時しのぎの助けなんてもんは、ただの自己満足で、無責任だ」


 六十里さんの顔は、苦しそうに(ゆが)んでいた。

 きっと、彼はまた、自傷したのだ。

 いらだつ彼の息遣いも、トゲのような言葉の余韻(よいん)も、濁った夏の空気と混ざって溶けていく。男の子の泣き声と、か細い子ネコの鳴き声と、うるさいセミが不協和音を奏でていた。

 誰も救えない。誰も救われない。

 こんな解決方法を、六十里さんの答えを認めちゃいけない気がした。

 ハリネズミ(六十里さん)が傷つくのを見るのは、もう嫌だ。

 考えろ、私。

 おでこを拳でグリグリしていると、フッと叶乃果の言葉が流れ込んできた。


『花菜って、好奇心と行動力の塊みたいなところがあるんだもん』


 そうだ。ここで立っているだけの傍観者なんて、私らしくない。


「……帰るぞ、ボウズ。おまえの親が心配してる」


 大きな手が差し出される。男の子は、まだ迷っているようだった。

 六十里さんは、小さな手を強引に、でも優しくつかむ。


「山田も、帰るぞ。ここまで付き合ってくれて、ありがとな」

「嫌です」

「……は?」

「嫌」

「おまえ、俺の話を聞いてたよな?」

「聞いたけど、納得してません」

「屁理屈がすぎるだろ、女子高生」

「六十里さんは、この子ネコの運命を言っていたけど、それは確率の問題、ですよね?」


 彼は呆気に取られたような顔をしていた。

 ちょっと胸がすく。


「放置すれば、死ぬ確率が増す。救出しても、死ぬ確率は高い」

「……そうだ」

「なら、私が飼う。飼えないって言われたら、里親を探す」

「おいおい。親に相談せずに勝手に決めて、やっぱり無理でしたってなったら」

「ならない。私は、子ネコじゃないし、子どもじゃないから」

「でも、未成年だ。保護者が必要な存在だ」

「うん。でも、親は足かせじゃない」


 六十里さんの顔が強張り、体がビクッと動く。

 男の子は、六十里さんの手を握ったまま、心配そうに私たちを見ていた。

「両親を信じてるんだな」


 彼が何を言ってるのか、と私は理解できなかった。

 そんな私を見て、六十里さんは笑った。くしゃっ、と折り紙をシワシワにしたみたいな顔で。寂しそうな、傷ついたような目で、彼は笑っていた。


 私はわかってなかった。

 もしもこのとき、私が彼の心が読めたなら、私は彼の力になれていただろうか。それとも、「帰れ、女子高生」とあしらわれていただろうか。どうすれば、彼らに手を差し伸べることができたのだろう。どうすれば、手を取ってもらえたのだろうか。後悔は、消えない。

 彼は、ポケットに手をつっこんで訊く。


「……わかった。本当に、良いんだな?」

「うん」


 彼の視線をまっすぐに返したまま、うなずいた。

 六十里さんは深くため息を吐いて、スマートフォンを取り出す。


「おねぇちゃん、ありがとう!」


 男の子は、太陽のような笑みを満面に浮かべていた。つられて、私も微笑む。

 どういたしまして、というのは、なんか違う気がして、ちょっと考える。


「きみ、名前は?」

小畑(おばた)祐太(ゆうた)!」

「ゆうたくん、うちで飼うことになったら、遊びにおいで」

「良いの?!」

「良いよ」


 私は笑う。六十里さんの表情も穏やかで、嬉しかった。

 喜びと不安が、責任と希望が、私を見ている気がしたけど、別によかった。肩に乗っかった重責は、自分で選んだからなのか、不思議と嫌じゃなかった。


(まずは家に帰って、それから動物病院に行って。お金は、これまでのお年玉で足りるかな?)


「十分くらいで、消防士たちが来てくれるってよ」


 電話を終えた六十里さんが言う。


「もう、だいじょうぶなんだよね!」

「たぶんな。ちゃんと救出してくれると思うぞ」


 私と男の子は、子ネコの前にしゃがみこんだ。

 さっきまでか細く聞こえていた鳴き声が、今は、この子ネコが生きている証だと思えるほど、力強く感じる。

 六十里さんは雑草地に立ったまま、鳥居の向こうを見ていた。


(明日もバス停に行こう。それで、子ネコのことを報告しよう。六十里さんも喜んでくれるそうだし) 


 雑草が不快なことも忘れて、私はちょっとだけ先の未来に浮かれていた。

 明日も明後日も、当たり前のように六十里さんに会える未来を信じていた。

 そんな日が来ないことも知らずに。


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