自分に自信を持つ方法、……しかしその自信はあって良いものだろうか?
(* ̄∇ ̄)ノ 奇才ノマが極論を述べる
昔から疑問に感じていたことがある。
世の中には自分に自信のある人と、自分に自信を持てない人がいる。
だが、どういうわけか自信満々な人ほど無能であることが多く、逆に自分に自信の無い人が有能であることがある。
私がこれまで出会った人で、実力に見合った相応の自信を持つ人というのは、なかなかいない。
■職場の体験
私がかつて働いていた職場で、やたらと自信に溢れる上司がいた。
「俺はリーダーシップがあって人を仕切るのが上手い」
と、自分で言ってしまうような人だ。もちろんこんなことを言ってしまう人というのは、困った人物であることが多い。
この上司も言うほど仕事ができるわけでも無く、自信過剰で高圧的な様がパートのおばちゃんに苦笑いされてたりする。
上司だからいちおう立てておこう、と気を遣われている。まともに相手にするのが面倒だ、という理由もある。
自分に自信のある無能な人、という典型的の見本のような人だった。
かたや別のバイトでは、やたらと頼られる有能なバイトリーダーという人がいた。店長が経営や店内のレイアウトなど、どうしたらいい? とよく相談していた。どっちが店長か分からなくなるほど。
ところがその人は、
「俺はリーダーの器じゃないから」
と、謙虚だった。他にする人がいないから仕方無くリーダーをやっているという感じだった。
■自己採点から見る自信
有能でありながら自信の無い人。有能では無いのにやたらと自信のある人。
人それぞれと言ってしまえばそれまでだが、どうしてこのように違うのだろうか。
これは職場で彼らを見てきた私の考察であり極論だ。
仕事で有能な人とは、よく気がつく人だと考えている。
何が問題なのか、問題の原因とはなにか。他の人が気づかないことに気付き、解決案をサラリと思い付き出してくる。
しかし、よく気がついてしまうため、簡単には満足しない。他の人が、これでよし、と終わらせてしまうようなことでも問題点に気がついてしまう。
既に終わった作業でも、ここはイマイチだった、次はこうしてみよう、こうすれば効率良くできたかもしれない、などなど改善案を思い付いてしまう。
だからこそ有能な人は回数を重ねるごとに進歩する。
上記のバイトリーダーなどがこういう感じの人だった。自分に厳しく向上心のある人。
例えばリーダーとして必要な資質が10あるとしよう。これは例えなので実際にリーダーに必要な資質はいくつあるかは置いておく。取り敢えず10あるとする。
有能なバイトリーダーの場合、この人の自己採点で10点中8点だったとする。端から見れば、8点もあれば十分で5点しか無い店長が相談に来るのも当然か、ともなる。
しかし、バイトリーダー本人は、
「リーダーとはグループ全体に責任を持つ立場であり、求められる資質が10あるなら、全て備えるべきだ。自分は8つしか無くてまだまだだ」
という感じで自分に厳しく、求めるリーダーの理想像が高い。
こういう人は有能だが自信過小となりがちになる。
かたや上記の無能で自信過剰な上司の場合。
この上司の場合、リーダーに必要の資質とは3つしか無い。本当は10あるのだが、残り7つもあることに当人が気がついていない。
気がついて把握しているものが3つしか無いのだ。
気がついて無いものは存在しないのと同じ。
なのでこの上司が自己採点すると、3点満点中で自分は3点。だから満点だ。完璧だ。自分はリーダーの資質がある、と自信を持つことになる。
そして自分の仕事の結果にも、問題のあるところに気がついて無い。だから、何も問題が無いのだから自分の仕事にミスは無い、完璧だ、となっている。
改善すべき点にも気がつかないので進歩も無い。毎回、いい仕事をした、と満足し自信を積み重ねていき、さらに自信過剰となっていく。
有能な人は有能であるが故に自信過小になりがちで、無能な人は無能であるが故に自信過剰になりやすい。
実力に見合った自信を持つ人がなかなかいないのは、こういうことではないだろうか。
■自動車運転の自信
日常的に車を運転する人のアンケートで、興味深い調査結果があった。
「あなたは平均よりも運転が上手いか?」
この質問に対し、自分の運転技術は平均以上と回答した人は、全体の約70%。
平均以上が70%もいる、という時点で自己採点の甘い自信過剰が含まれていることが分かる。平均以上の運転技術が無いにもかかわらず、平均以上と自信を持つ人は、自信が無い人より多いことになる。
MS & AD基礎研究所は全国のドライバー1000人を対象に『自動車運転と事故』をテーマとするアンケート調査を実施した。
年齢別に自動車の運転について、
『かなり自信がある』
『ある程度自信がある』
『自信がある』
『あまり自信はない』
『自信はない』
5段階評価で答えてもらうアンケート。
年齢で見ると『自信がある』と回答した人は、
20~29歳が49.3%
30~59歳が40.0%
60~64歳が38.0%
65歳からは運転に自信を持つドライバーの割合は増え、80歳以上では72.0%が『運転に自信がある』と回答している。
また、旅行サイト『エアトリ』が、20代から70代の男女772名を対象にした調査からは。
自動車事故を起こした割合
『運転に自信がある人』 56.8%
『運転に自信がない人』 37.1%
自動車事故に巻き込まれた割合
『運転に自信がある人』 53.9%
『運転に自信がない人』 37.1%
また、土日祝日などの休日に、『事故を起こした・巻き込まれた』経験がある人の中で運転の自信の有無を調べた結果では、
『運転に自信がある人』 41.5%
『運転に自信がない人』 10.8%
運転に自信がある人の方が運転に自信が無い人より、事故を起こす、事故に巻き込まれることが多いという結果が出た。
事故が起きて欲しく無い行政や警察などから見れば、ドライバーは運転に自信を持って欲しくは無い、となるだろうか。
自動車を販売したい業界から見れば、運転に自信を持つドライバーが増えた方が自動車も売れる、となるだろうか。
社会は矛盾と妥協で出来ている。
事故を起こしたく無ければ運転技術に自信過剰となってはいけない。
自動車とは見方を変えれば殺傷力のある兵器。都市部においては拳銃よりも暗殺に適した武器になる。
だからこそ猟銃のように免許が必要なものになる。
取り扱いの危険なものだからこそ、安心して使いたい心理から思い込みで自信を持ちたくなるのかもしれない。
■自信と誇りに満ち溢れた会社
私がかつて派遣で働いていたとある電子部品の工場では、上司や上層部がおかしな自信を持っているところがあった。
どうやらそれまで勤めていた職人が、もうこの会社についていけないと数人まとめて辞めたらしい。人手不足から私を含めて数人の派遣がその工場で働くことになった。
しばらくその工場で働いていると、ここはヤバイと分かってくる。以前からそこで働いていた人と話をして、だんだんと内情が分かってきた。
職人たちが辞める前の製品。不良品の為に損失した原材料費、その1年間の総額が約70万円。
これが職人たちが辞めてから1年後、私たち派遣がマニュアルを見ながら仕事をしてからは、不良品の為に損失した1年間の原材料費。
約160万円。
わずか1年で2倍以上に増えてしまった。これは原材料費だけで、不良品を作るためにかかった人件費や電気代などは含まれていない。
この職場の問題点というのが、上層部の自信過剰だ。
辞めた職人たちというのが原材料費約90万円分の部品を、なんとか手を入れて検査に合格する水準へと直していた。そのやり方はマニュアルには入っていない。
マニュアル通りに作れば一定数できてしまう不良品について、その職人たちは会社の上層部とまともに話もしていなかったようだった。
これは余談になるが、口下手な職人が後継に何も伝えずに辞める。かつての部品や製品を作れる人がいなくなる。
昔は作れたが今は作れなくなった、というものが製造業ではわりとある。
さて、この工場ではマニュアルを作った上層部は、自分たちの仕事ぶりは完璧だ、とでも思い込んでいたらしい。現場を見ないままなぜか技術力に謎の自負がある。
かつての職人たちはそれを上司に分からせる説明をするのが無理と考えたか、それとも話すだけ時間の無駄と判断したか。
その職人たちは空気を呼んで上司のミスを、上司に気がつかれないように勝手に直していたようなのだ。
上司は己のミスを知らないうちに知らないところで直される。だから気がつくことができない。ますます自分の仕事にミスは無い、と自信をつけるようになる。
部下は腹の中で上司をバカにして笑いながら、面従腹背と毎日の仕事を続ける。
この間違った気の遣い方から上司は現場のことが分からないまま自信満々に。現場の人たちは上司に見つからないように勝手に直す、と悪循環が続いていく。
空気を読む人が多い職場ではわりとあることだ。この間違った気の遣い方は、事の大小の違いはあれどこの問題が皆無であった会社というのは、私はほとんど見たことが無い。中小企業あるあるのひとつではなかろうか。
人手が足りない、時間が足りない、と残業の多い職場ほどこの悪循環は酷くなる傾向がある。
この工場では1年で不良品にかけた原材料費が2倍になってしまった。上層部は慌てて原因を調査したのだが。その調査結果が、
『最近の若者は仕事の集中力が足りない』
『派遣は仕事が雑だ』
実に上層部の自信と自尊心を傷つけない見事な調査結果である。どうやら製品の作り方とマニュアルには問題が見つからなかったらしい。
そして私がこの会社に勤めて苦笑してしまったのが、この会社では毎朝、朝礼で社員と派遣、全員で社訓を唱和するのだ。
その社訓の中の1文は、
『業界トップの技術力に誇りをもって、』ウンヌンカンヌン。
業界トップ(笑)
だがこの会社が業界トップを自称するのも仕方が無いのかもしれない。
失われた30年、という言葉がある。バブル景気の終わりから経済が低迷した30年を揶揄する単語だ。
この工場は昭和の頃は最新の設備のあった業界トップの工場であったのだろう。その時代から見ると電子部品というのは、より小型化し精密化している。時と共に小さくなっている。その分、設備と技術力が求められるのが現在。
この会社は30年という時間が失われてしまったので、今もまだ業界トップと信じていたのだろう。
■自信を持つ方法とは?
自信を持つ方法というのは書籍になったり、また様々なコンテンツで解説されたりする。世の中には自分に自信をつけたい人が多いらしい。そんな人の為に自信をつける方法は開発され紹介される。
中には筋トレをすることでテストステロンというステロイドホルモンの分泌量を増やす、これで自信が持てる、というのもある。
奇才流の自信を持つ方法とは、問題に気がつかないこと、だ。分かりやすく言えば、
『私は毎日、金属バットで素振りをしている、だからサッカーが上手い』
と自信を持つ人がいるとする。この人は自信をつけるためには金属バットの素振りを勧めるだろう。素直な人は言われた通りに金属バットで素振りをすることで、サッカーが上手くなると信じたりするだろう。しかし、
『金属バットの素振りとサッカーの技術は、関係無いんじゃないか?』
と、気がついてしまう才能のある人は、同じ方法論で自信をつけることはできない。
気がつかない人は間違った方法論を積み重ねて、その経験を自信の根拠にしたりする。だが気がついてしまう人にはその方法論は役に立たない。
かつて日本が原子力発電を推進した頃は、原子力発電所は安全だとか、原発の安全は国が保証するとか、言われていた。
福島の原子力発電所が爆発した後には、想定外という言葉がよく使われた。
地震も津波も想定外、ならば安全に自信が持てるという見本でもある。
そこに問題があると気がつかなければ、誰もが自信を持てることになる。
■過去語り
私はカルト三世、いわゆる宗教2世になる。子供のころは周りに自信を持つ大人が大勢いた。
その自信の根拠とは、
『毎日、お経を唱えている』
『教祖の教えの通りにしている』
と、いったものだ。しかし彼らは躾と虐待の違いにも気がつかないような人たちだった。細かい違いに気がつかないからこそ、おかしな教義にハマったのかもしれない。
自分に自信のある人たちだったが、人としてどうかしていると子供心に感じていた。
■終わりに
自信過剰な人は本人だけが自信を持ち活動的になる。周囲に迷惑をかけながら、そのことに気づくことも無く。
自信を持った結果に人に嫌われ、寂しい晩年を過ごすことになる。そんな人を見てきた。
極論だが一言、言わせてもらうなら。
自分に自信しか無い人とはお近づきになりたくない。
そして、自信の根拠となるその人の知識や知恵、技術や思想など見抜けるようになりたいものだ。
インターネットの発達からフェイクニュースが個人でも発信できる時代。ニュースの真偽を見抜く眼力が必要なように、人のフェイクプライドも見抜く観察力が必要な時代なのかもしれない。
■追記
2022年 11月3日
感想の返事を書くに本文を読み直していたところ、書き忘れていたことに気がつく。遅ればせながら追記する。
これは私が以前にとある寺のお坊さんから聞いた話。
「裸足で歩けばいろいろなことを足の裏で感じる。小石を踏めば痛いと分かる。
靴を履けば踏んでも気がつかない。
心に靴を履けば人を踏んでも分からない。
そして、人は靴を履く生き物だ」
たまには裸足で外を歩いてみてはどうだろうか。
BGM
『Numb Encore』
Jay-Z & Linkin Park