7.不器用な優しさ
あまりにも大きな声に思わずソフィアは耳を塞ぐ。おそらくツヴェルフは慣れているのだろう。それに微動もしない。ツヴェルフは申し訳ありませんとタイムに頭を下げ、それからソフィアの方を見る。
「それで、どういたしましょうか?」
ツヴェルフのその言葉にタイムは頭を抱える。
「どうもこうもない! 元の世界にさっさと返せ! 罪人でもないし、勝手に裁く訳にもいかない!」
どうやら自分の事について話し合われているらしい。さすがにソフィアもそれぐらいはわかった。詳しくはわからないが、どうやらここは来てはいけなかった場所らしい。
悪い事しちゃったな。
ソフィアはほんの少しだけ自分のした事を後悔した。別に迷惑かけるつもりじゃなかったのだ。
ただ、なんとなくあの場所にいたくなかった。あそこではソフィアの望むものはけして手にはいらない。だから光に来るように促された時、何の未練もなく、あそこを出ることができた。
だからと言って別にあそこを出たかった訳じゃない。現にソフィアはあの日、光に導かれるまであそこから出ようとはしなかった。
出る方法がなかった訳じゃない。出てもいく先がわからなかったのだ。だからあの光が導いてくれたとき、ソフィアは迎えが来たような気がして嬉しかったのだ。
たとえそれがおかしくなったことで見えた幻影だとしても。
タイムと向かいあって話していたツヴェルフがふと顔をこちらに向ける。ツヴェルフはソフィアをまじまじと見て、それから少し小さな声でタイムに尋ねる。
「どこかの手のものという事は……」
「あり得んだろう。いくらなんでも、あんな頭の弱い奴を使うとは考えにくい」
「あの、ちょっと言い過ぎでは?」
ツヴェルフが困ったような笑みを浮かべタイムを見るが、彼は動じない。それどころか、本当の事を言って何が悪いと開き直る。その態度にソフィアはむっと頬を膨らませる。
確かに頭は良くないけど。
「そんなにはっきり言わなくてもいいのに……」
ソフィアの言葉にタイムは鼻で笑う。
「そう思うなら少しは賢く見えるように振る舞うんだな。もっともそれすらお前のその小さな脳では無理だと思うが」
「うう……」
何だか凄いバカにされている気がする。
とはいえ、あながち間違いでもないので反論もできない。賢く見えるような振る舞いなど、いくら考えてもソフィアにはわからなかった。
「あの、ご主人様。女性にそのような口をきかれるのはあまりお勧め致しませんが」
さすがに見かねたのかツヴェルフが苦言を呈す。しかしそれにやはりタイムはバカにしたように笑う。
「これのどこが女性だ? 子供の間違いだろう?」
そう言って、タイムはソフィアを見下ろす。つられてソフィアも自分の体を見た。
確かにソフィアの身体はまだ女性というには幼すぎた。手足が細く、小柄で、胸の膨らみもほぼなく、全体的に発育不足な印象が否めない。
「年齢に関係なく女性はそれなりに扱うべきですよ」
「そうか。なら今後はそうしよう。覚えていたらな」
さらさら覚えておく気はないようだ。その様子にツヴェルフは小さくため息をつく。
「後で後悔してもしりませんよ」
「私が何を後悔するんだ? そもそもな……」
タイムはそう言いながら、ソフィアに近づく。そばまでくるとソフィアの髪を触り、顔をしかめた。
「そもそもその髪はなんだ? お前は森の中にでも住んでいたのか?」
そう言って、はねている髪をタイムは手ですいて直す。やや乱暴であったが、その手は思いのほか優しく、ソフィアは嫌がる事もなく、そのまますかれた。
「身だしなみぐらい整えようという気はないのか?」
「えっと……」
全く思ってなかった。タイムにそう言われるまで、ソフィアは全くそんな事を考えていなかった。
あそこでは誰もそんな事気にしなかったのだ。
「外に出かけるつもりじゃなかったし」
「それはそうだろう。その格好で出歩いたら色々と問題だ」
そう言ってタイムは呆れたようにソフィアの着ている服を見る。何の飾りげもない白の上着に白のズボン。あそこでソフィアがずっと着ていたものだ。
当然、外を出歩けるような格好ではない。
「全く、本当にどこから来たんだか」
そうタイムが言いかけ、ふと止まる。
「おい。それは何だ?」
「え?」
ある一点を見て、タイムは眉間に皺を寄せる。視線の先を追うとそこにはソフィアの足があった。
「あ……」
忘れていた。
ここまで格好や容姿にこだわるのだ。当然靴にもこだわるだろう。もっともソフィアは靴さえ履いていないのだが。
「まさかお前のとこでは靴をはく習慣もないのか?」
タイムが呆れたようにそう言う。それにソフィアは慌てて首を振った。
「これは……その……」
「その?」
「靴がなくて」
「お前は靴も持ってないのか?」
「そうじゃなくて」
靴はあった。ただ取りにいかなかっただけだ。そうソフィアは答えたがタイムはそれにますます訳がわからなそうな顔をする。
こんな事ならちゃんととってくれば良かった。
ソフィアは少しだけ後悔した。
「よくわからんが、靴もとりにいかず裸足で外に出たのか?」
「うん」
「なんて奴だ」
タイムは額に手をやり、深々とため息をつく。それからソフィアに座れとぶっきらぼうに言う。ソフィアは黙ってそれに従った。タイムはソフィアの足を軽くもつと、その表面にできた傷を見る。
「見ろ。裸足で外を歩くからこのざまだ。歩いていて少しは痛いと思わなかったのか?」
「思ったけど」
「思ったならどうにかしろ。深く切っているじゃないか。貴様の頭はそれぐらいの事さえ考えられないのか?」
そう悪態をつきながらも、ソフィアの足に触れるタイムの手は優しかった。そっと、なるべく痛まないようにして、傷口をひとつひとつ丁寧に見ていく。
「痛むか?」
「うん」
「全く。どうしてこうも面倒ごとばかり増えるんだ」
そう言って、タイムはまたため息をつくとソフィアの足から手を離す。そして今度はソフィアの背と膝の裏に手を回す。
「え?」
ソフィアが止める暇もなかった。あっという間に彼女の細い体は持ち上げられ、いともたやすく横抱きにされる。
突然の事に声も出せず、固まるソフィアをよそにタイムは顔色一つ変えずにそのまま運ぶ。
その行動に驚き、固まっていたのはソフィアだけではない。ツヴェルフもまたしばらく固まっていたが、事の次第をようやく飲み込むと慌てて声を上げる。
「あの、ご主人様。それは、その、いったい?」
ツヴェルフのその問いかけにタイムはやはり冷静に淡々と答える。
「見ればわかるだろう。裸足で外をうろつく馬鹿者を運んでいる」
「いえ、あの、そうでなく……と言うかいったいどこに?」
「怪我しているなら治療せねばならないだろう」
「そうですが。何もその運び方は……」
「何だ? 台車でも持ってきてその上に乗せろとでも言うのか?」
「あー、もう、いいです」
何を言っても無駄だと思ったのだろう。ツヴェルフは疲れたような表情をして、縋るような視線をソフィアに向ける。さすがのソフィアもこれはおかしいんじゃないかと思ってはいた。
思ってはいたが、何がおかしいのかまではわからなかった。しばらく考えて、ソフィアはやっと思い至った事を口にする。
「えっと、重くない?」
「重くない」
「そっか」
じゃあ、このままでも問題ないかもしれない。
そんなソフィアの様子を見て、ツヴェルフだけがどうしたものかと頭を抱えた。そんなツヴェルフをよそにタイムはそのまま、ソフィアを横抱きにしたまま、来た道を戻る。
こうされては、ソフィアはもう逃げる事もできない。とりあえず暴れて落とされでもしたら嫌なので、大人しく運ばれる事にした。