2.淡い光に導かれて
それを見た時、ソフィアはこう思った。
私は遂に頭がいかれてしまったみたい。
ソフィアはそれまで自分はまだまともである。そう心のどこかで思っていた。周りには自分より酷いものが多く、看護師達はいつもそちらを優先していて、ソフィアはいつだって後回しだった。それをソフィアは少し寂しいと思っていたが、同時に自分はまだましな方だと思い、安心していた。
例え、少し幻聴が聞こえようと、頭がおかしいと言われようと、ソフィアは自分がまともだとそう思っていたのだ。
大丈夫。私はまだ大丈夫。
そう思っていたのに。
ソフィアは目の前に浮かぶそれを見る。それは例えるなら光そのもののようだった。キラキラと淡い桃色に輝き、それは楽しげに宙を舞う。
まるで生きているように。自由に。
ソフィアが触ろうと手を伸ばすと光は避けるように高く舞った。
「私、やっぱりどうかしちゃったみたい」
みんなが言っていた事は正しかった。
ソフィアは膝を抱え、座りこむ。彼女は思ってしまったのだ。自分はまともでないと。そうだとしたら、ここに入れた彼女の母親の判断は正しかった事になる。
お前はおかしい。そう言われ続けた。そしてその通りだった。
「私、おかしかったんだ」
だからあんなにもお母さんに嫌われたのだろうか? だから家族になれなかったのか。
わからない。
そこまで考えて、ソフィアは考えるのを止めた。
ソフィアは考えるのが嫌いだった。いくら一生懸命考えても、答えが出る事はなかったから。
考えれば、考えるだけ、わからなくなっていったから。
だからソフィアは考えるのが嫌いだった。そのうち、ソフィアは物事を深く考えるのを止めた。そういうものだと思って受け入れた方が考え続けるよりはるかに楽だったからだ。
だから、ソフィアは自分がおかしいという事実をただ受け入れた。
私はおかしい。そう、おかしいんだ。それじゃあ、しょうがない。
ソフィアは顔を上げる。もう、考えるのを止めたので、俯いている理由がなかった。
ソフィアが顔を上げると、すぐ鼻先を先ほどの光が通り過ぎた。光はキラキラと鮮やかに輝く。
綺麗だ。
キラキラと星のように輝くそれはとても綺麗で、それを見ていると、気分が少し明るくなった。
「貴方、とっても綺麗ね」
ソフィアの言葉に光は嬉しいのか、くるくると周りを舞った。光はしばらくソフィアの周りを舞った後、部屋の扉へと向かう。
おいで。
そう言われている気がした。ソフィアはゆっくりとベッドから降りる。
部屋を出てはいけない。そう言われていた気がしたけど、もうどうでも良かった。
だって私、おかしいんだもの。頭のおかしい人は言いつけなんて守れない。
ソフィアは光を追いかけ、扉へと向かい、開ける。それに光は嬉しそうにキラキラと光る。光はくるくるとその場を回ったあと、扉の外へと出て行く。ソフィアはその後を追いかけた。
光はやはりソフィアにしか見えていないようだった。廊下で何人もの人とすれ違ったが、誰一人、光に注意を向ける者はいなかった。光はふわふわと宙を舞い、ソフィアを導くように進んでいく。やがて光はある扉の前で止まった。
何の変哲もない扉だ。ソフィアがその前まで来ると、光はキラキラ輝き、そして扉に向かって行った。
「あっ!」
ソフィアが止める間もなく、光は扉とぶつかり、そして消えた。残されたソフィアは扉を呆然と眺める。
どうしよう。
あまりうろついてはいけない。
ここに来た当初ソフィアはそう言われた。ここにソフィアがいるのを誰かに見られれば何かいわれるだろう。もしかしたら騒ぐ人達のように拘束されてしまうかもしれない。あるいは、暗く狭い部屋に閉じ込められ、二度と出してもらえないかもしれない。
ソフィアは一瞬、ほんの一瞬戻ろうか迷った。しかしすぐにやめた。
どうせ戻ったところでここにソフィアの居場所はない。
ソフィアは目の前の扉のノブに手をかける。光がこの先に行ったのではと考えたからだ。ゆっくりとノブを回す。本来なら鍵がかかっているはずの扉はどうゆう訳か簡単に開いた。そして扉の先の光景を見て、ソフィアは小さく息をのんだ。
扉の先は外に繋がっていた。そんなことがある訳がない。この扉は外に行く扉ではないし、ソフィアの部屋は一番高い階数にある。外に続く扉があるはずがなかった。それでも、扉の向こう側は間違いなく外だった。
地面が見える。霧に覆われてそこがどこかはわからなかったが、扉の向こう側から流れるのは、外の冷たい空気に違いなかった。
「あ……」
霧の中からあの光が現れた。ソフィアが来るのを待っているかのように、その場でふわふわと浮いている。
ソフィアは少しだけ迷った。行くか行かないかで迷ったのではない。裸足で外に出でもいいかという事をだ。
このまま裸足で外、歩いたら、痛いよね。
ソフィアは痛いのは好きじゃなかった。だから注射も嫌いだった。
ソフィアは少しだけ悩んで、でもすぐに決めた。
答えは決まっている。
しょうがないよね?
靴はあの部屋に置いてきてしまった。今から取りに戻ったら、光はいなくなってしまうかもしれない。それに……
頭のおかしい私は、裸足で外を歩くのがお似合いかもしれない。
そんな奇妙な考えにいきつき、ソフィアは迷わず扉の先へと一歩、足を踏み出した。
足の裏に触れた地面はひんやりと冷たかった。ソフィアがそのまま数歩進むと扉は音を立ててしまった。
「閉まっちゃった」
まあ、いっか。
ソフィアは一度だけ扉の方を振り返ったが、すぐに前を向く。前を向くとあの光がキラキラと光り、また進み始めた。ソフィアはその後について歩き出した。