序
とある町の外れ。「五芒星」と掲げられた看板のある建物の前に一人の少女がいた。
彼女の名前は蔦谷縁。ごく普通の中学生である。縁は一通の手紙に導かれ、この場所に辿り着いていた。差出人は「五芒星 店主桔梗」。
彼女は勿論、差出人であるその人物を知っている。だからこそこうして足を運んだのだ。
縁は扉のドアノブに手をかけると、ゆっくり深呼吸をして中に足を踏み入れた。
チリン、と乾いた鈴の音がして、部屋の奥にいる人物と対面する。
「久しぶりだな、星。」
事の発端は少し前に遡る。
ある新月の日だった。
縁は、学友の莉子と共に、とある場所を訪れていた。
「ねえ、やっぱり危ないよ。帰ろう?」
「何ビビってるの?幽霊が怖いんでしょー?」
「そんなんじゃなくて…。」
夏の定番、肝試しというやつだ。やはり学校という場所には噂の一つや二つは当然ある。その噂の一つに、彼女らが訪れていた廃屋敷があるのだ。複数人からの又聞きで最早誰が言い出したのかわからない証言によれば、誰もいない筈のこの屋敷の窓に人影が映るらしい。別の話では人を喰らう化け物がいるとか何とか。
「小学生でも今どき信じないような噂の真実!この目で見るまで絶対帰んないからね‼︎」
莉子にグイグイと背を押され、縁は玄関扉を潜る。その瞬間、風向きが僅かに変わった。
振り返ると、先ほどまで開いていた扉が閉まっていた。音など一つも立てず、縁が建物に入った瞬間に、だ。不可能であろう。となれば莉子ではあり得ない。押したり、引いたりするが扉はびくともしない。壁を押しているかのようだ。次に彼女は扉を叩いたり叫んだりして、外にいる筈の莉子と話す事にした。が、全く持って反応がない。
ここから脱出は不可能だと早々に諦めて、屋敷内の窓から脱出する事にした。ここは廃洋館である。すぐに出られるだろうという予想は直ぐに裏切られる。
あまりに綺麗すぎるのだ。外観からして、この建物はもっと汚くてもいい筈なのに。どう見たって埃一つもない。土足で入るのは憚られたが、ここは廃屋なのだと思い出して結局土足で上がった。
上がって直ぐの右手には階段があって、反対側には扉。外から見た感じ、窓は大体一部屋に一つはありそうだったので取り敢えず中に入る。
中は居間のようだ。机の上には湯気が立つ一人分の食事が置いてあった。「おかしい」と一人呟き窓を見る。窓には木の板が打ち付けられていた。見たところ、木は新しく到底外せそうにない。縁は綺麗に回れ右をすると廊下へ引き返した。昔から何かと巻き込まれ体質ではあるが故に、順応は早い。開かないものは開かないのだ。ここが開かなければ別の所を探せばいい。
廊下に戻ると、とても食欲をそそる香りが漂ってきた。事実、縁は夕食を食べる前にこの場所に来たので、花の蜜を求める蝶の様に匂いの発生源へと足を運ぶ。
はっと気がついた時にはもう部屋の前だった。中からは鼻歌の様な誰かの声が聞こえる。
幾ら腹が減ろうと、危機感は働くわけで。
縁は扉の音が鳴らぬ様にそっと、少しだけ開けて中の様子を伺った。
そこには「ナニカ」がいた。
彼女の持ち得る語彙では、黒い人形の人ではないナニカが原型を留めていない何かを調理している、と説明するのが限界である。まあ、それは彼女が冷静であれば、の話であり、現状把握が全くできていない彼女の脳は限界を迎えていたため、彼女の頭の中は「逃げないと死ぬ」という生存本能で埋め尽くされていた訳だが。
ので、その本能に従い逃げ隠れる場所を探すべく走り出した。その際に鳴った僅かな音に反応したのだろうか。扉からの鼻歌が消え、代わりに呻き声が聞こえてくる様になった。
走って、走って、走って。
体感ではもう数分は走った。なのにまだ前方に見える扉に辿り着かない。あのナニカを見るまでは、ものの数秒で行く事の出来る廊下を挟んだ反対側の部屋の筈だった。それがいつのまにか、長い廊下の様になってしまっている。
縁は何度か足を滑らせながら、やっと扉まで辿り着いた。だが安心するのはまだ早い。こうしている間にもナニカはジリジリと近寄ってくるのだ。
扉を開け、中に入る。偶然にも鍵が掛かるタイプだったので鍵を掛け一息。
だがこれでは根本的な解決には至っておらず、更にはナニカが扉を打ち破って入ってくる可能性も否めない。部屋を見回してみる。
机、椅子、棚、ベッド、クローゼットがある。
取り敢えず時間稼ぎという名のバリケードを作ろうと、机を扉の前まで引き摺った。
この部屋には窓がないらしい。以前本で窓がないと申請が通らないとかどうとか見た記憶のある縁は首を傾げるが、ないものは仕方がない。代わりに机やクローゼットを漁って武器を探す。見つかったのはプラスチック製の玩具のバットのみだった。無いよりはマシだと自己暗示を掛けクローゼットの中に入る。
実際には数十秒と言った所だろう。だが彼女にとっては数分、数時間と経ったような気がしてならない。
強烈な破壊音がしてナニカの呻き声が一層強くなる。
縁は、玩具のバットではなく、祖母から貰った小さな御守りを握りしめ、祖母の言葉を思い出していた。
『貴女の名前は善い人と巡り逢えますようにと付けたのよ。ただ、縁はいいものだけとは限らない。もしも、命が危なくなるような縁に巻き込まれてしまったら、これに強く願いなさい。』
彼女が必死に祈る中、クローゼットの扉は振動し、大きな音を立て続ける。呻き声は直ぐそこだ。
パキリ。
御守りの中にあった硬いものが割れた。
ああ、もう駄目だ。彼女が諦め掛けたその時だった。ナニカの断末魔の叫びと思われる声が聞こえて、クローゼットを叩く音も呻き声も消え失せた。代わりに、こちらを心配するような女性の声がする。
「大丈夫か?」
縁は出るべきか否か迷った。理由は単純。外にいるであろう女性が本当に人間なのかを確認する術がないからだ。もしかしたら人間の声を出せるナニカかもしれない。そう思うと外には出る事ができない。
「…いないのか?」
縁が迷っている間に何故か声の主は部屋の外へと出て行ってしまったようだ。困惑しながらクローゼットの戸をゆっくりと開ける。表面は傷だらけで、もう少しで命が危なかったと実感がじわじわと湧いてくる。
玩具のバットを手に、廊下に戻る事にした。
右手側に扉があり、そこに入ってみる。見た感じここが一階の最奥のようだ。
そこは洗面所のようで、廃屋のはずなのに生活感がまだ残っていた。扉を潜ってから幾度となく感じる違和感に目を背けつつ、縁は出口やこの場所の異常の手掛かりがないか棚を探る事にした。
棚の中には洗剤やタオルといった一般家庭にあるようなものしかない。特に期待はしていないが、風呂場に入る。
浴槽には水が張ってあり、蛇口からは水の滴る音がたまに聞こえる。窓は換気が出来る小さいもので、高い位置にしかない。やはりここには特に何もなさそうだ。
浴室を出ようとした縁はふと、足を止める。どこからともなく、先程聞いたナニカの呻き声らしきものが聞こえる気がするのだ。余りにも強烈過ぎて一部分だけ思い出してしまっているのだろうか?そう思う事にして廊下に出る。
まだ全く脱出の兆しがないが、まだ二階があるじゃないかと無理矢理思考を前向きにする。二階から落ちたからといって、死ぬわけではあるまい。頭から落ちる訳じゃないし。
来た時よりも長くなっている気がする廊下を歩いていると、キッチンの戸が開いた。
ナニカかと思った縁は身構えるが、中から出てきたのは二十代前半の女性だった。長い髪をひとまとめにしていて、肩からは茶色のショルダーバッグを下げている。
先刻クローゼットで聞いた声の主だろうか?
彼女はこちらの姿を認めると、駆け寄って来た。
「怪我はないか?」
「え、はい。」
「よかった…。私は祓い屋五芒星の桔梗という。今から、信じられないような巫山戯た話をする。でもどうか最後まで聞いてほしい。」
曰く、ここは神の住まう場所なのだと。
曰く、その神をどうにかしないと出られないのだと。
本当に信じられない程馬鹿馬鹿しく、どうかしてると思う。
けれど縁は桔梗の言葉を信じる他ない。
何故なら、桔梗は彼女の祈りに応える様に現れたから。彼女の信頼する祖母の御守りに祈った結果、桔梗が現れたからというそれだけで、縁はケロッと信頼してしまうのだ。少し前にも述べた通り、順応は早い。チョロいとも言う。
「…ありがとう。ところで君はどうやってここに入ったんだ?」
「…さあ。開いていたから入れたんですけど…。」
「まあいい。付いてきてくれ。」
また長さが変化している廊下を歩き、階段を登る。
そこは前にいる桔梗の顔すら見えない闇だった。文字通り一寸先は闇である。それもそうだ。ここは廃屋で、新月の夜なのだから。
そこでふと気がつく。一階も電気は付いていなかった筈だ。だって、廃屋で電気が通ってる筈もないのだから。では何故、闇に紛れるナニカの黒い姿がハッキリと見えたのか。ここまでで廊下の長さが度々変わっていたりするし、きっと神域と言うものは不思議空間という奴なのだろう。深く考えるのをやめ、桔梗を見つめる。彼女はゴソゴソとショルダーバッグを漁っていた。そしてその中から紙切れをこちらに差し出す。
「火を使った灯りを想像してこれに息を吹きかけてくれ。」
火を使った灯り、と言われても馴染みがない。縁の脳裏に浮かんだのは数ヶ月前に見た映画で出てきたランタンだった。
フッと息を吹きかけると、煙とポンという軽い爆発音がして、次の瞬間にはランタンが縁の手に収まっていた。
何がなんだか分からず困惑する縁を尻目に桔梗は同じ物を作り出し廊下を歩き出していた。慌てて追いかけ、原理を尋ねる。流石に彼女が出した物だから説明出来る筈だ。
「桔梗さん、あの紙なんなんですか!?」
「…五行の札だ。」
ボソリと呟くように返答が返ってくる。
「ごぎょう」
「昔、中国に五行説という説があった。科学が広まった今でもメジャーかは知らないが、万物は木・火・土・金・水の元素で成り立っているというものだ。それに倣った札。異常空間限定で、五行関連のものが作れる。」
だから電気じゃなくて火なのか、と納得をしていると二階最初の部屋に着いた。
ゆっくりと扉が開かれ、中が見えるようになる。中には大量の棺があった。
縁が固まっている中、桔梗はお構いなしに中に入っていく。そして何を思ったか、棺の蓋を開け始めた。
「ちょ、桔梗さん!?何やってるんですか!?」
「何って、調べ物だが。」
呆れた様に、至極当然の様に告げるが。
「普通じゃない!」
「[[rb:こんな場所 > 神域]]で常識が通ると思ってはいけない。こういう物の中に本が入っている事なんてザラにある。」
そういうものなのか、と遠い目をした縁だが、桔梗の言葉に呼び戻される。
「と、言うわけで手伝ってほしい。」
「え」
「ここの蓋を開けるだけの簡単なお仕事だ。何か不味い物が見えても多分大丈夫だろう。」
世間一般的に考えて、それは大丈夫じゃない。自分の知る常識からドンドン離れていく桔梗の発言に若干どころかドン引きしている縁だが、何だかんだ言って彼女はチョロいので結局桔梗を手伝い始めた。この際自分の常識は廃屋の外に置いてきた事にした。
数分して桔梗がいきなり立ち上がった。
「今のところ何も見てないか?」
「はい。」
急にどうしたのだろうと縁が困惑していると、桔梗に手を引かれる形で部屋の外へと出る事になった。
「どうしたんですか?」
「…まあ、大丈夫だ。問題ない。今対処し辛いものが出てきただけだからな。」
それを世間では大丈夫じゃないと言う。
ある程度の空気は読める縁は流石に口を閉ざした。
「ああ、あとちょっとはここの手掛かりになりそうな物はあったぞ。部屋に着いたら回収するが、読むか?」
こちらを見ずに差し出す手にはいつの間にか本が握られていた。それをそっと抜き取ってページを捲る。
『 ——教について
これを読んでいるのは無関係の人間か、関係者か。恐らくその頃には俺は死んでいるだろうからどうでもいいが。
俺はこの宗教を始めた内の一人だ。始めはいつものオカルト体験の延長線で、こんな大きな事にするつもりはなかった。』
そこで部屋に着いたらしく、縁は桔梗に頭からぶつかった後するりと本を回収されてしまった。読めた文字が少な過ぎて今回の廊下は短かったという事しかわからないが、先程の部屋の反対側だったらしい。
「さて、この部屋は…。」
扉を開けると桔梗が中に入り、部屋の正体がわかる。
誰かの寝室。一階とは違いベッドが二つある事から夫婦の部屋だろうか。それにしては質素すぎる気もしなくはないが。
桔梗が机の中を漁り、動きを止める。
「…なるほどな。これも読んでみるか?こっちは読めたものじゃないが。」
桔梗から投げ渡される手紙をなんとかキャッチして中を見る。
開いた瞬間文字化けした文章が目に入る。文字化けしていない箇所を探すのが大変なくらいだ。チラリと桔梗を見る。彼女は読めたのだろうかと疑問が湧いた。
「言ったろ。読めないって。」
「桔梗さんも読めないんですか?」
「私は読めない。家に読める奴はいるが。神域だから概念が歪む。さっきみたいな本が稀だ。」
なんだそれ。文字化けの元の文章が読めるなら便利すぎる。そしてどんな家なのだろうと。
この部屋にはこれ以上無さそうなので部屋を出ようとノブに手をかけたとき、桔梗に後ろに引っ張られた。
そして開いた扉の先にいたのは、ナニカだった。
「前に出てくるなよ。『式神—弍方—九尾ノ狐』」
ナニカが部屋に侵入しようとした瞬間、金色のものが出てくる。ナニカは押し潰され、黒い粒になり消えた。
先程は動きが速すぎて金色のものとしか認識できていなかったが、それは狐だったらしい。尾が九つに分かれている九尾の狐というやつだ。
狐は尾を振ると桔梗の手の中へと吸い込まれていった。
縁が不思議な現象に驚いていると、桔梗から説明が入る。
「式神だ。最近は漫画とかにも出てる気がするが。」
「あ、確かに。」
縁は最近友達に勧められた漫画を思い出す。
「本来式神と言えば大体鬼神を使役する呪術だ。で、有名なのが安倍晴明の十二神将。ここまではネットとかで調べれば出てくるだろう。」
奥の部屋に向かって歩きながら話を聞く。先は見えないので今回は長めなのだろう。
「私の家に伝わるのは、先程例に挙げた漫画に近しいものだ。式、という特殊な紙に霊力を込めて仮の肉体を作り、そこに神や妖の分霊を降ろす。端的に言えば神降ろしだな。」
「霊力や分霊ってなんですか?」
「話せば長くなるが…、まあ大丈夫だろう。霊力は人によっても宗派によっても扱い方が違うが、家の場合は五行を元にした人間が元来持つ、自然を大切にする心となっている。だから他の解釈は知らないが、うちの解釈で行けば誰でも使える力という事だ。」
廊下はまだ続く。まるで真実から遠ざけたいかのように。
「分霊はまあ、神の分身のような感じだ。神そのものではないから、式が消えても本体に帰るだけだな。…まだ続くか。他にはないか?」
「えっと、どんなお家なんですか。」
「別に代々祓い師をしているだけだ。文字化けが読めるとかそういうのはただの才であって、できたから偉いとかそんなんじゃない。やっと着いた。」
二階で最奥の部屋らしい。キイと音を立てて扉が開く。
図書館の様な、独特な香りがした。どうやらここは書斎らしい。壁には本棚があって、見える壁はほぼ無い。
桔梗は本棚の本の背表紙をなぞり見始めたので、縁は奥にぽつんと存在している机を見る事にした。
綺麗に整頓され、埃は一つもない。ここは廃屋なのに。
引き出しを触るが全部鍵が掛かっており、仕方なく机上の書類を広げる。
その中に封のしてある手紙が出てきた。差出人の欄は「机の引き出しの開け方」。封を切って中を見る事にした。
中は文字化けしていない様で、普通に読むことができる。肝心の開け方の方は普通に鍵の在処が書いてあった。
「桔梗さーん、入り口の扉の隣の本棚の、上から四段目、右から三番目の本を取ってくれませんか?」
「これでいいか?」
桔梗から本を受け取る。見た目よりも軽く、振るとコツンという音がする。本ではなく箱の様だ。中にはアンティーク調の鍵が入っていた。マスターキーだろうかと、一番上の引き出しから順に開けていく。
結局中身があったのは一番下の引き出しだけだった。中には紙が二枚。この家の設計図だろうか。縁はこういうのを見るのが初めてだが、それでも違和感を覚えた。所々、廊下と繋がらない部屋があるのだ。それを伝える為に桔梗の方へと向かう。
桔梗は背表紙が文字化けしていない本を数冊持っていた。彼女が持っているのはショルダーバッグだけの筈だが、前の部屋で見つけた本なども含めてどこにしまっているのだろうか。
「桔梗さん、これ…。」
「!!」
縁が設計図を見せると、半ば奪い取る様にしてそれを持っていく。
「…これは不味いな…。急ぐぞ。」
また手を引かれる形で部屋の外へと出る。今度は早足だ。何が不味いのだろうと縁は訊ねる。
「あの設計図には階段が二箇所、私達が登ってきたものとこの辺りに一つ、存在している。」
桔梗はそう言いながら地面を探っている。ふと、手の動きが止まり、不意に立ち上がった。また手を引かれ、今度は来た道を早足で進む。
「どうしたんですか!」
「あそこは駄目だ。階段はあったがアレの巣窟になってる。」
アレが何を指しているのか察して口を閉ざす。が、それは一瞬の事で、次にはまた疑問が湧いてきた。
「なんで階段があってそこにソレがいるってわかったんですか。」
「階段はあそこに隠し扉…が、あったからで、アイツらは独特な邪気みたいなのを放ってるんだ。それを感じたから。」
「じゃあ、なんで階段が二つあるのが不味いんですか。」
縁の疑問は止まらない。それに逐一答える桔梗も桔梗だが。
「輪廻…円環だ。人の魂は輪廻という円環に存在している。一種の永久機関という奴だ。ぐるりと一周する道が一本、神域内でできている、という事はだ。それはもう永久機関と言っても過言じゃない。つまりはアレが永久的に湧き続け、私達は死んでも死なず永久にここから出られないということだ。」
「…ここから出られないんですか。」
「問題ない。私は祓い師、本職だぞ?何があっても君は絶対に殺させない。不安にさせる様な事ばかり言って悪かった。一般人が巻き込まれてるのは初めてでな。すまない。」
急に桔梗の背中が頼もしく感じた。縁の知る常識から外れていようと、ちょっと厨二病くさいなと思っても。ここでは縁の頼れる唯一の大人なのだ。
階段を降りて廊下に出る。一階に降りると、忘れかけていたナニカの呻き声が聞こえるようになった。
「『霊刀—無銘藤四郎』ここからは走るぞ。」
桔梗がどこかから短刀を取り出すと走り出した。縁も追い掛ける為に駆け出す。
少しすると先程降りてきた階段からナニカが落ちてきた。決して速くはないが遅くもない速度で追いかけてくる。
桔梗はそれを短刀で霧散させる。が、更にナニカが湧いてくる。まるで彼女らがこの先に行くのを食い止めるかのように。
走れど、走れど奥が見えない。何だか漫画で出てくるループする廊下を歩いているようだ。
「『式神—弍方—九尾ノ狐』乗れ!」
後ろから金色が走ってくる。縁はなんとかそれによじ登る。
初めからこうすればいいのではと桔梗を見る。
「…式は霊力消費が激しいんだ。流石に思う心だと言っても使い過ぎてはそれが尽きてしまう。」
そういうものかと納得し、前を見る。
九尾の狐に乗ってからは、ぐんぐんと先へと進んでいく。やっとの事で奥の、洗面所までたどり着いた。風呂場に入ると狐は桔梗の手に吸い込まれ消える。狐の上に乗っていた縁は突然の事に受け身も取れずそのまま地面に落ちる。シンプルに痛い。
痛む箇所をさすりながら桔梗を見ると、入り口の扉に何やら文字の書かれた札らしきものを貼り付けていた。
「これが破れるまではゆっくりできる。それまでに元凶を見つけて討伐するからな。」
そう言い、また床を触る。引っ掛かりがあったようでそれを持ち上げると、床のタイルが剥がれ地下へ下る階段が現れた。それを数段降りた所で縁に声がかかる。
「すまないが少しだけ待っててくれ。」
もうすっかり桔梗を信用しきっている縁はその言葉に頷きそっと地面に座る。呻き声が大きく聞こえるから速く戻ってくるといいなと思いながら。
三分程度、経っただろうか。桔梗が階段を軋ませながら顔を覗かせた。
「今のところ地下の方が安全なようだ。ついてきてくれ。」
桔梗の言葉に従い、縁は足を滑らせないように慎重に階段を軋ませ降りる。
階段を降りた先は、地上の空間とは打って変わって日本家屋の廊下のようだ。
「…ランタンの火、消えそうだな。新しい札だ。それが消えたら使ってくれ。」
新しい五行の札を手渡される。だが、縁はその札に違和感を覚えた。五行の札に文字は書いていなかった筈だ。初めて見た時、ただの紙切れとしか思わなかったのだから。
桔梗はそんな縁を気にも留めずに歩き出した。迷わず廊下を歩いていく。縁は感じた違和感を頭の隅に追いやり、その背を追いかけた。
数分、途中にある部屋に目もくれず、桔梗はどこかへと足を進める。一方で縁は言い知れぬ不安を感じていた。本当に目の前にいるのは自分の知る桔梗なのだろうか。
目的地に着いたようで桔梗は掛け軸を弄っている。するとかたりと音がして掛け軸の横が開いた。桔梗はこちらをちらりとも見ずにその奥へと進む。
縁は躊躇した。この桔梗が本物なら、そんな事はせずに何も考えずついていく所だっただろう。だがしかし、この桔梗は本物かどうかわからない。
初めは五行の札、初見では全くわからない掛け軸の仕掛け。そして何より、ここに来るまでに数分かかったのだから往復したら三分以上かかる筈。それなのにこの部屋の位置を把握して掛け軸の仕掛けを作動させた。何かがおかしいのだ。チョロい縁も流石に考える。
チリン
縁の足元で鈴の音がした。そちらを見れば、デフォルメされた丸っこい小さな狐がそこにいた。仄かに発光している。サイズ感的には近所のお姉さんが飼ってる小型犬。わかり辛くても仕方がない。縁の咄嗟に出るこのサイズはそれしか存在しないので。
『ついてきてください。』
狐が喋った事に目を白黒させていると、ぽすぽすと叩かれる。
『早くしないとあいつが戻ってきてしまいます。』
「待って、貴方は何。」
『祓い屋五芒星の店主、桔梗様から言伝を預かっております、管狐です。』
管狐とは?という疑問で頭の半分くらいが埋め尽くされるが、桔梗というワードにはきちんと反応し、ついていく事にした。
『僕は桔梗様に案内を頼まれました…が。』
管狐は急に立ち止まり、こちらを不安気に見る。
『申し訳ありません、恥ずかしながら詳しい場所を聞くのを忘れてしまいまして。』
その姿が愛らしく感じて縁は管狐を抱えて歩き出した。わからなければ手当たり次第探せば良い。すっかり順応していた。
取り敢えず、と、出てきて目の前にあった部屋に入ってみる事にした。
一面赤い部屋。その赤の意味を深く考えるのをやめ、押し入れを触る。ガラガラと音を立てて人骨と思われるものが雪崩れてくる。
ヒッ、と喉から引き攣った音がする。ヒュッ、ヒュッと音が続いて息が苦しくなる。まるで息の仕方を忘れてしまったみたいに。
『大丈夫、大丈夫です。僕がいます。死なせることは絶対にしません。』
小さな身体で一生懸命に縁を慰めている。それを視界に入れた縁は猫吸いの如く管狐の腹に顔を[[rb:埋 > うず]]めて思い切り息を吸い込む。「ふにゅー!?」という様な声が管狐から聞こえた気がしたが、今の縁に気にしていられる余裕はない。精神を数字で表す事ができたなら、彼女の精神値はマックス100からいきなり20くらいになってただろう。
『大丈夫ですか?』
一分程して縁は落ち着きを取り戻した。立ち直りが早く、猫吸いの力は偉大といったところか。
「ありがとう…。えっと、部屋出るね。」
まだ少し気持ち悪いが最初程でもない。部屋を出てまた廊下を歩き出した。
「管狐って名前あるの?」
『僕の自身の名前ですか?うーん、考えたことありませんね。何しろ管狐は僕だけですので、呼び名に困る事はなかったんです。』
「じゃあ、管狐だから…、くーちゃん。」
『くーちゃん……。ありがとうございます…!』
管狐は「くーちゃん、くーちゃん」と反芻しながら尻尾をパタパタと振っている。
暫くすると、また扉が出てきた。開けようとすると管狐がするりと腕から降りて扉を擦り抜けて中に入っていく。
『大丈夫そうです!』
そして戸から頭だけ出してこちらを覗いた。縁は管狐の気遣いに感動した。こんな気遣いができるなんてくーちゃん天才…。
中に入るとそこは普通の和室だった。机と棚と、普通に生活していたのだろうかと思える程に普通。ここは元から地下にあった物だろうか、それとも神域の不思議ぱわーで増設されたのだろうか。
机の上には紙が置いてあった。
《神は死んだ。
哲学的な話ではない。言葉のままの意味だ。我々は間違ったのだ。
多くの信者はまだ知らない。愚かな事だ。私は封印をしようと思う。「アレ」が動くようになれば、被害を被るのは信者だけではない。あの神を殺したのは我々信者の責任だ。いや、信じていないから信者と形容していいのかわからないが。兎に角、自分達が引き起こした事だから、自分達で決着をつける必要がある。封印をするための生贄は我等で事足りる。
アレを外に出してはいけない。これが読まれる様な事もあってはならない。
もしも、これを読む人がいたのなら。
頼む。
「アレ」を葬り去ってくれ。
アレも元は一人の人間だ。
だが、それと同時に神である。
信心の強い者が祈りを込めて攻撃すればアレを傷つける事ができる筈だ。
頼む。
アレを決して外に出さないでくれ。》
今日、桔梗に会って初めて不可思議な体験をした縁には、この紙の内容の殆どが理解できない。そういえば、棺桶の部屋の後に読んだ本に、宗教がどうとか書いてあった気がしなくもない。神や信者と出てくるのはそれと関係しているのだろうか。桔梗に見せれば何かわかる事があるだろうと、小さく折り畳んでポケットにねじ込んだ。
また管狐を抱えて歩き出す。
『あの。』
「どうしたの、くーちゃん。」
『貴女の事はどうお呼びすれば良いですか?』
そういえばと、縁は自分が名乗っていない事に気がついた。
『えっと、こういう神域では真名…本名を名乗ってはいけないんです。ですので、こう呼んで欲しいみたいな名前…ありますかね。』
本名を名乗ってはいけないというのは初耳である。言ってくれなかった桔梗に後で文句の一つでも言おうかと思ったが、言うタイミングがなかったと思い直す。
『なさそうですね…。では、星様とお呼びしてもよろしいでしょうか?』
「いいけど…どうして?」
『星の瞳、という花の名前から。』
「綺麗なの?」
『人にもよると思いますが、僕は綺麗だと思います。』
それから少し歩いていると、奥から声が聞こえた。
「どこだ、出てこい。急がなければいけないんだ。」
桔梗の声だ。だが縁は違うと感じた。抑揚が無く、声に感情が籠っていない。
走って近くの部屋に滑り込む。
『…ここは!桔梗様が近いかもしれません!』
ぴょんと腕から飛び降りて、くるくると自分の尾を追う犬の様になる。
ならばこの部屋に隠し部屋でもあるのだろうか。あの偽物が開けた通路の様に。
取り敢えず箪笥を上から順に開けてみる。
一段目、何もない。二段目、ない。三段目にそれはあった。三桁の数字を入れる絡繰の様だ。
『星様、これ!』
管狐が口に咥えて持ってきたのは名刺サイズの紙だ。頭を撫でた後に口から抜き取りそれを見る。
[壱玖陸]
一度見たことがある気がしなくもないが、そんな縁には[[rb:壱 > いち]]しか読めない。大人しく管狐に読んでもらう事にする。
「くーちゃん、これ読んでほしいんだけど。」
『上から、一、九、六ですね。』
「ありがとう。」
箪笥の絡繰を今教えて貰った数字に合わせるとカタカタと音がして箪笥の横の壁が開いた。管狐を抱えて中へ足を踏み込む。
『すんすん…。星様、何か呪具は持っていませんか?』
呪具、と言われても一般人の縁にはわからない。まあ呪いっていう字が入ってるし、禍々しい危ない物なのかなくらいの認識である。それで構わないのだろうが。
「呪具ってどんな?」
『具体的には小箱や札、人体の一部なんかがそうです。』
何か物騒なものが混じっていた気もするが、その言葉で桔梗(?)に渡された文字の書かれた札を思い出し、取り出す。管狐が発光していたからか、今の今まで忘れていたのだ。
『それですよ!捨ててください‼︎』
縁が地面に捨てようとした、その時。札から煙が出てきて視界が覆われた。
少しして視界が晴れる。体に異常はなさそうだが…。
『御無事ですか!?』
「なんともなさそうだけど…。」
『万が一があっては大変です!後で桔梗様に診てもらいましょう。』
縁は頷くと奥に進み出した。引き戸があって、それをスライドさせると狭い部屋が現れる。左側に続いており、その終端には階段があった。そこまで歩き、管狐を抱えながら慎重に階段を登る。
階段を登った先には、札がぺたぺたと貼られた扉があった。
『…この先です。桔梗様はここにいます。申し訳ありませんが、星様。この札を外してもらってもよろしいでしょうか?』
管狐を床に下ろして札に手を触れるとピリッと静電気の様に痛みが走った。
全部剥がし終わると管狐がするりと中に擦り抜け入って行った。
縁も中に入る。
そこはテレビでたまに見る祭壇の様な、禍々しいそんな場所だった。一階にこんな場所があっただろうか?
そして奥には桔梗がいた。
「やっぱり来てくれた。管狐、案内ご苦労。君、ここを開けてくれてありがとうな。内からは開かなかったんだ。かといって管狐は札に触れる程強くないし…。」
『桔梗様、大変なのです!先程星様が呪物の煙に包まれてしまいまして…。』
「成る程、体に異常は?動き辛いとか、痛むとか、変形したとか。」
また物騒な事が混じっていた気がする。似た物主従といったところか。
「特にはありません。」
「…そうか。ちょっと触るぞ。」
額を触られる。ヒヤッとする感覚に身じろぎするが、手は直ぐに退けられる事はなく。少ししてから退けられた。鏡がないから自分で見る事はできないが、何かあるのだろうかと触ってみる。
「後で見ればわかると思うが、そこに青いマークが出ている。」
青色のマーク?と首を傾げた。
『魔法陣というものに似ているのではないでしょうか?十芒星に色々な呪言が書かれております。』
十芒星がどんなものなのか全くもってわからないが、魔法陣と言われればなんとなく想像はつく。
「厄介だな…。まあ、今日明日で害を成すものではない。急いで行くぞ。」
そういえば、と先程ポケットに仕舞ったメモを桔梗に手渡す。神は死んだとかいうやつだ。
「…ふむ、君は中々運がいいらしい。こんなにはっきり読めるものは本当に少ないんだ。ありがとうな。」
桔梗の手に管狐が吸い込まれ消える。そのまま部屋を出て地下の廊下に戻る事にした。
この廊下も長いこと長いこと。来た時よりも圧倒的に時間がかかってしまった。
「多分この先です。」
十数分前に偽の桔梗が開けた穴の前に、二人はいた。その先は暗く、道幅は人一人でギリギリといったところだ。
桔梗が先頭になって狭い道を進む。
これまた数分、ただひたすらに真っ直ぐ進んでたどり着いたそこは、ステンドグラスから光が差し込む教会だった。この光は一体どこから入ってきているのだろうとか場違いな事を考える。テレビドラマで見たことのある教会よりも広くて、一種のホールの様な感じだ。
「ここに来ていたか。」
桔梗の声が背後からして振り返る。
「合流してしまったのか。まあ、いい。私がアレの解放をしよう。」
偽物の桔梗が何かを呟くと、ゴオッと音がして空間に穴が開く。
「封印は完全に解いた。後は」
黒くて大きな人形が、偽物を包み込むようにして這い出てきた。その黒い体は光を完全に吸い込み深淵と化していた。ブラックホールを見ている様な—実際見た事があるわけないが—感じだった。
「ようやく『神』のお出ましだな。君、下がっててくれ。私がやる。」
言われた通りに縁は壁ギリギリまで下がり、桔梗を見る。桔梗は風呂場に行く途中でも使用していた短刀を手に、人形に突っ込んでいく。ちらりと見えた顔は、縁が今までの人生で一度も見た事がない様な、色々な感情が綯い交ぜになった顔だった。
人形の攻撃を飛んで交わして、斬撃をそのままの勢いで入れる…筈が、擦り抜けて全くダメージが入っている感じがしない。効果音が入るならピョンからのスカッ。攻撃直後の無防備な桔梗に向かって人形の攻撃が飛んでくる。転がるようにして避けているが、付近の壁は深く凹んでいた。こちらは干渉できないのに向こうが干渉できるのは全く持って卑怯である。だが神と言うのはそういうものでもある。昔話でもよくある話だ。
今度は九尾の狐との連携攻撃らしい。式神ならば何か手があるのだろうか?
結果から言えばこれも失敗だった。桔梗の攻撃は相変わらず擦り抜けるし、九尾の狐は霧散した。
桔梗は苦虫を嚙み潰したような顔をして、式神を呼び出す。今度はキメラの様なものが出てきた。
結局キメラも二の舞だったが、桔梗は人形に擦り傷をつける事ができた。たかが擦り傷だがされども擦り傷。今まで傷がつけられなかったどころか触れられもしなかったのだから、大きな成果である。
しかし。いきなり触れない物が触れるようになったからか、手応えが違うらしく、体制を崩してしまう。
そこを人形の出した触腕が襲い、桔梗は壁に叩きつけられてしまった。
縁の足元まで桔梗の短刀が滑り込み、人形は桔梗に興味を失ったかのように此方へと近づいてくる。
縁は慌てて短刀を拾うと走り出した。
既に許容範囲をとっくに超している脳をフル回転させ何が有効なのかを必死に考える。
ふと、『信心の強い者が祈りを込めて攻撃すればアレを傷つける事ができる筈だ。』という言葉を思い出した。そういう事なのだろうが、祈りとはどんな祈りなのだろうか。祈りならなんでもいいのだろうか。
思考に集中していたからだろうか、瓦礫に躓いて転んでしまった。
これでは追いつかれてしまうではないか。そう思い後ろを振り返るが、人形の動きは停止していた。よく見れば足に紙がくっ付いている。こんな事できるのは一人しかいない。桔梗だ。
「私の事はいい、逃げろ!」
逃げろと言われても、と満身創痍の桔梗を見る。
「恐らく神域はこいつじゃない。さっきの奴のせいだ!だから、出られる。」
そういう事ではないのだが。
元より、縁に桔梗を置いて出るという選択肢はないのだ。それ程までに桔梗に絆されていた。
なら縁が取るべき行動は一つしかない。ありったけの祈りを込めて人形を攻撃し、撃退すること。
一度でも攻撃を食らえばどうなるかは、縁でも既に桔梗の状態を見てわかっている。それを理解しているから、手も足も震える。だが足は止めない。
これまでずっと歩き続け疲弊している筈の足が、驚く程スッと動く。先程まで離していた距離を今度は着実に詰めていく。
動けるようになった人形の触腕を間一髪で避け、それによって降ってきた瓦礫もなんとか避ける。瓦礫によって人形は縁を認識できなくなったようだ。そのまま踵を返して桔梗の方へと向かっていく。
縁は瓦礫に攀じ登ると、そのまま飛びかかった。
たかだか人間の助走なしの跳躍力じゃあ、世界記録でも三メートル七十三センチ。縁と人形までの距離は全く持って埋まらない。だが何を根拠に思ったのか、縁はできる気がした。
踏み切る右足に思い切り力を込めて地面を蹴る。
その時だ。何が起きたか縁は高く飛び上がった。優に四メートルは越していた。
何がなんだか縁本人にも理解できていなかったが、これ幸いとばかりに短刀を振り上げる。
桔梗への感謝、自分の身や桔梗身の無事、コレを倒さなければという決意、色々なものをそのまま刃に乗せ、落ちる勢いのままに人形に振り下ろす。
人形は形容し難い叫びを上げて一刀両断された。その跡には塵一つ残らない。
滅茶苦茶な思いを乗せまくったが、どうやら祈りには十分だったらしい。縁はゆっくり立ち上がると、桔梗に駆け寄った。
「大丈夫ですか!?」
「ああ、問題ない…。が、すまない…。」
「大丈夫ですよ!肩貸しますから外に出ましょう?」
「…そうだな。それ、返してくれ。」
短刀を桔梗に返却すると、立ち上がるのを手伝いそのまま外へと歩き出した。
廊下は普通の建物程度の長さに、いくつか部屋は減っており、老朽具合も一番初めに見た外見と一致していた。
階段を慎重に登って、一階に。
着いたところは勿論風呂場だが、植物に侵食されており、ここも随分と朽ちている。
「これが本来の姿だ。元凶が消えたから元に戻ったんだよ。ありがとう、後は一人で行ける。」
そう言うと桔梗は手をゆらりと振り、風呂場の外へと出ていった。
呆けていた縁だが、ハッとしてすぐに部屋を出る。
しかし、そこにはもう桔梗の姿はなかった。
代わりに学友、莉子の姿がある。
「こんなところにいた!!もう、吃驚したんだよ!?玄関に入った瞬間消えちゃうんだから…。」
外ではそんなことになってたのか。でも神域って不思議空間だったよね。と、一人で納得している縁に莉子は怪訝な顔をする。
「何一人で納得してるの?でも、縁が消えちゃう以外怪現象起こらなかったし…。取り敢えずあの噂達は嘘って事だ!縁は何か変なもの見かけた?」
尋ねられて先程までの奇妙で面白い体験を思い出すが、それは秘密にしておこうとそっと口を閉ざす。
「ううん、なーんにも。私はこの場所をぐるぐる歩き回ってたんだ。」
「なーんだ。面白そうな話でも聞けるかと思ったのに。じゃ、帰ろっか。」
「うん。」
そんな濃すぎる一時間ちょっとが、二人の出会いだった。
「さて、本当の名前を聞いておこうか。縁は強ければ強い程今回は都合がいい。」
「蔦谷縁です。」
縁が名乗ると桔梗は目を見開く。何か驚く様な事でもあっただろうかと縁は首を傾げた。この名前自体は珍しい訳ではないだろう。
「縁だな。私は天守結。管狐から聞いてるとは思うが、神域内で真名を名乗るのは禁忌でな。仕事中という事もあって、源氏名を名乗らせてもらった。」
桔梗改め結は縁に席に座る様に勧める。
「今日呼んだのは、あの場所についての事だ。」
結が後日あの場所で、もう一度調査したところ、二階に見ていない部屋があったらしい。
他にも、隣の部屋に続く隠された扉など、それらの事や本などの資料を総合して考えた桔梗の意見はこうだ。
ある青年四人が遊び半分で幼い子供(親戚の子?)に降霊術を試し、成功してしまう。そこで調子に乗った青年らはその子供を神とした新興宗教を立ち上げ、信者を集めて金稼ぎをする。だが、信者が信者であったのは初めだけで、段々と賭け事の為の溜まり場になった。仮にも神であったその子供は信仰心を失い堕ちて妖になり、それに気づいた青年の一人が信者の大量虐殺と自身の命という贄を捧げて不完全な神域と封印を施し、あの日の状態になった。という事らしい。
「神の完全なる封印は不可能だと考えて封印を施した訳だ。それと建物の不思議な構造のお陰で、あれだけ元信者だったナニカが沸いても外には一切の被害がなかった。まあ、ここまではいいんだ。正直今までの私の依頼にあった事のあるレベルだから。」
あんな凄いものの相手を他にもした事があると遠回しに伝えられ縁は固まる。あんなに苦労して倒したアレを…?
「問題なのは縁、君自身だ。」
「ええ!?」
思わず大声を出す。自分が問題とは何事だと。
「君、私の閉じ込められた部屋に来る直前、呪いを受けただろう。アレと、もう二つだ。」
ああ、と縁はやっと思い出した。後半が濃過ぎるのである。そんな煙に包まれた一瞬など覚えてられない。それともう二つ?縁には全くもって覚えがなかった。
「もう二つは取り敢えず置いておこう。呪いについてだ。アレは君の命や霊力を対価に、君を守っている。比率は1:99くらいだからあの時は放っておいたが、これから先はそうもいかない。」
1:99とかいうほぼ霊力を取られているに等しい比率を出されてもピンとこない。後命も取られているが大丈夫なのだろうか。
「『視る』のは得意ではないんだが、多分命は一時間かけて一秒分とかそんなものだ。ほぼ害はない。だが、霊力は成人直前あたりに凄く揺らぐんだ。そうなるといきなり死ぬ可能性も否めない。だから、ここ暫くは霊力定着と安定の為の指導を行いたいと思う。」
「わかりました…?」
流れに押されて返事をするが、あまりわかっていない。そういうところもチョロいのだ。
「二つ目。君、一瞬だが膨大な霊力を使っていたが、体に以上はないか?」
勿論、そんな記憶は全くない。
「神と対峙した時、君飛んだだろう。その時だ。右足に凄まじい量の霊力が流れているのを視認した。」
「あ、あの時ですか。」
高く飛べたからおかしいとは思ったが、神域って不思議空間だからなー、で済ませてしまっていたので少し驚いた。
「初めてであんな膨大な量を使っているのは見た事がないし、普通そんなことしたら筋肉やらが傷つくんだが。」
「なんともないですね…。」
「…先程話した呪いのおかげかもしれない。最後。本当に申し訳ない。」
地面に降りて結が土下座をする。
訳が分からず困惑するが、取り敢えず席に戻って解説をしてもらう事になった。
「…、最後のアイツ、君が留めを刺しただろう。というか、ほぼ君が一から倒したと言っても相違ない。…堕ちているとは言えど、神殺しをさせてしまった。」
そう言うなり俯く結。神殺しというのは字面からしても不味いのだろう。だが、それを選んだのは縁であり、結が責任を感じる事はないと、そう思った。
「神を殺したのは私の意思です。だって、あの時結さんを置いて一人で逃げる事だってできた。結さんはその選択肢を提示した。それを跳ね除けたのは私。えっと、だから結さんが気負う事はないんじゃないかなって思います。」
「…神殺しの罪は、赦されない。その神自身に許されなければ誰も許してはくれない。そんな咎を君が背負う必要は全くなかった。それに、君が今回巻き込まれたのだって私が原因の一端を握ってる。」
「…どういう事ですか?」
「私の名は、結ぶと書いて結と読む。君の名は恐らく、縁と書いて縁だろう?私の名は…家業に関わる事なく良縁を結ぶという願いの元付けられた。のに、その願いを裏切って私は家業に関わる仕事をしている。元々、結ぶだけの名前は何らかの術師には不向きなんだ。悪いものとさえも縁を結び、解く事はできない。今回は、君の名前も相まって余計その力が働いたのだろう。」
「やっぱり結さんが責任感じる事はないです!だって、あそこに行ったのは私だし、家業に関わりたいと思って実行する事は悪じゃない。それに、結さんが今このお仕事していなければ私多分死んでましたよ?でも、結さんがいたから今こうして地面を踏んで、呼吸して生きていられる。結さんには感謝こそあれど、恨んだり怒ったりする事はあり得ません!」
「…だが、やはりそれにしたって神殺しは重過ぎる。死後には、死ぬより苦痛な事が待っているし、輪廻にだって還れない。」
「今生きてるからいいじゃないですか。それに、今死んだ後のこと考えてどうするんですか?」
「それは、そうなんだが。」
「結さんだって、私がやらなければ神殺し、してたじゃないですか。」
「私はもう別に、変わらない。もう何柱も殺してきた。」
「なら痛み分け?って事でこの話は終わりです!」
結は不服そうだし、その不満は尤もなのだが、縁にそれは伝わらない。
「そういえば、霊力安定の指導?それって何やるんですか?」
「あそこで五行を元にした人間が元来持つ、自然を大切にする心と言っただろう?その心を鍛える。だからまあ、まずは森の中でランニングとかだな。」
もう縁に何を言っても無駄だと諦めたのか、結も直ぐに切り替えた。
「えー、走るんですか…。」
「滝行とかでもいいが、そっちの方がキツいぞ?」
「…ハシリマス。」
そんなこんなで今回の事件は幕引きを迎える。
だがこれは序章。彼女らの事件記録最初の一ページに過ぎない。
小説家になろうへの投稿は初めてなので、何か問題等ありましたら御指摘をよろしくお願いします…。