線香の匂い
ゆめゆめ忘れなさるな、先祖を大切にな。
辻占の婆が言ってから、どうしても、天井の染みが祖母に見えてたまりません。
この村はいつも線香の匂いがしている。
坂道を駆けあがると、祖母の香りがしてきて、凌霄花に蟻がたかっている生垣を目撃する。
母も唄う。祖母も唄う。微かなぬくもりが、頬を掠めた。
鰯雲を見つめる黒猫が、不吉に横切ってゆく。
赤い着物を羽織った娘が、鼻緒が切れた、恐山で飴を貰ってこようと、
禍々しい唄を謡って四辻に消えていった。
風がどこからともなく吹いてきて、シャボン玉が、ふわふわ飛んでいます。
宿場町とは、どうしてこう不思議なのでしょう?母の唄声が聞こえる。
散歩をしたら、夕暮れが黄金色で、とても綺麗だった。
猫じゃらしの帆が、金色に輝いて風に揺れている。
風は涼しく、日差しは暖かく。
日中の暑さのほとぼりの冷めた焼けた後のような風は、昨日の雨の水の匂い。
どこか、懐かしい、母の子守歌を思い出す。小さな路地の西日指す山の町並みの中。
中秋の名月を夢枕に、子供達のシャボン玉の吹き抜ける宿場町を思い出す。
綺麗な兄の手を齧ったら、赤い櫻の花弁と血が噴き出してきて、
蟻地獄に堕ちて、地獄の釜の中で真っ逆さま。
さっき曲がり角を曲がった佳人を追いかけたんですが、坂道で姿を見失った。
さては狐か鬼か。
歯の欠けた下駄は、語る。
夢の中で坂道を登っていた。
滴る汗。蝉の鳴き声。
道端のお地蔵様の瞳が何故か恐ろしくて、ごめんなさいと何度も謝りながら。
両手をそっと見て見たら、血まみれなのだ。
ああ、そうだ、私はさっき、殺してしまったのだ。父や母を。
櫻の木の根元で眠っている、あの人魚の肉を喰らってから、私はおかしい。
娘が、恋するあまり、蛇龍になってお坊様を釣鐘に閉じ込めて焼き殺してしまったという話。
人の恋情というものは怖いもの。
鬼の化身となった娘を倒すために、鬼やらいが呼ばれて、後には塵が残るのみ。
娘の魂は成仏できただろうか?
鬼やらいは風車を手渡すと、辛そうな顔で去っていった。
宿場町の片隅。