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第27話

 歴史には仮定はない、と人は言う。


 私はそれに完璧に同意する。

 結局のところ、人の生きる世界はただ現実の中でしかない。

 どんなに思考を重ね、無理のない仮定の下で精密なモデルを作ったところで、所詮それは形而上の存在にしか過ぎない。

 そして人はその中で生きることを許されていない。


 それでも、私たちは仮定を置きたくなる生き物なのだ。

 そもそもそんな言葉が広く流通しているということ自体が、そのことを証明している。

 論理的に考えれば何の得もない思考実験を人はしがちなのだ。

 だからそれを咎める言葉も生まれ、育つ。

 もしあの時に何かをすれば、あるいはしなければ、私はもっと別の人生を送っていたのではないかと。


 私にはいくつかそんな風に後悔することがある。

 たとえば高校生の時にケイを振ってしまったことだ。


 私は中学の時からずっと彼に告白されることを夢見ていた。

 あるいは、私が告白して許諾を貰うことも、それと同様に。


 実際問題としてはとてもバカバカしい話だ。

 高校二年の秋に私はどうしようもなく焦っていて、早く答えが聞きたいと願ってしまった。

 あるいは私はケイを単に好きでいることに飽きてしまったのかもしれない。

 好きでいて交際しているか、もう交際の見込みがないのならば好きでいることを止めてしまいたいと、そう願ったのだ。


 私はある時にケイに尋ねた。

 もし好きな人がいるなら、あなたは告白するのか否かを。


「例えば、どれくらい好きなんだ?」


「山よりも高く海よりも深くよ。当たり前でしょう? 一体それ以外にどんな恋があるというの?」


 彼は暫く考え、それから一度だけ深く頷いた。


 私はその日泣いた。

 私はもちろん彼に告白されたことがなかったからだ。


 単純なことだ。彼は恋した人には告白するのだとするなら、私には恋をしていないということだ。


 そして私は彼を好きでいることを止めようと思った。

 それから二週間が経ち、私は自分の心を冷やすのに成功し始めていた。

 彼が私に告白したのはちょうどその時だった。

 私がようやく自分が彼を好いていない世界に慣れ、そしてどうしてあんな風に鮮烈に泣けたのかわからなくなった頃に。


 今思えば、きっと彼が告白したのは私がそんな風に問いを投げかけたからなのだ。

 彼はそれほど要領の良いタイプの人ではない。前に立ちはだかった問題に対処することで、ようやく自分らしい対処の仕方を習得するような、そんな人なのだ。


 だから私たちはすれ違った。

 一つの同じきっかけのせいで、彼は告白すると決心し、私は心を冷やし切ったのだ。

 だから私はケイを振ってしまった。


 本当にバカバカしい話だけれど、私たちは確かにそうやってすれ違った。

 そしてそれは大学時代にエムがケイと付き合い始めるまで全く変わらなかった。


 私たちはその時までずっと友達であり続けた。

 ――ケイと同じ大学に通うために私は高校時代の最後にそれまでには到底考えられなかったくらい必死に勉強したが、私はそれでも彼への恋心は冷やし切ったと考えていた。


 私は時々考える。

 もしあの時にケイの告白を受け入れていたら、私の人生は一体どう変わっただろうか。


 もしかしたら、私はまだエムと友達でいられたのかもしれない。

 ケイと私がもし付き合っていたにしろ付き合っていないにしろ、きっとその関係は当時の私たちのそれよりずっと単純だったはずだからだ。


 でも結局のところ、私たちが生きているのはその世界ではない。

 私が生きているのは過去の私が下らない理由でケイの告白をふいにした後の世界なのだ。

 だから私はきっと過去の自分の愚かさを見据え、今の自分がそんな風に愚かな選択をしないように考えるべきなのだ。もし何かを仮定することに意味があるなら、その意味はその思考からやっと生まれるものなのだから。


 でも時に人生には無益な時間も必要とされる。

 私たちはいつも頭を精一杯回転させ、必死に働くようには作られていないのだ。

 だから私は時には感傷に囚われることを自分に許している。それはもちろん誰かから見れば愚かなことかもしれないけれど、そもそも人が人の人生を評価すること自体、それと同様に愚かなことだと私は思う。


 私は時々考えることがある。

 そもそもソ連が東北を、米国・英国・中国がそれ以外の地域を統治したというのは、あくまで偶然に過ぎない。

 ソ連はもしかすると東北より山陰の方をよっぽど攻めたかもしれないし、そうしたら統治地域はもっと西に変わっていたのかもしれない。


 そしてもしそうだったとしたら、その地域は私たちと同じ扱いを受けたのだろうか?

 地域の歴史は大多数の日本人の抱く歴史に塗りつぶされ、ほとんど農業しか産業が残らないような状況にさせられるのだろうか?


 もしそうだったとすれば、日本人という言葉にはそれほど意味がないように私には感じられる。

 もしそうなら、その言葉は同じ民族だという連帯意識の萌芽というより、ただ少数の人々を抑圧するのに便利で曖昧な集団をでっち上げることの方により多く使われるということだからだ。

 そしてもしそうでないとするなら、日本人という言葉はただ日本に住む人々に使われるものではなく、その一部の主流の人々を指し示す記号であるということなのではないだろうか?


 しかし何にせよ、もう日本には一つの国しかない。

 昔の連邦政府も、昔の共和国も今は存在していないのだ。ある意味で可能性は失われたのだ。


 だから私はもう何も考えないことにする。

 少なくとも日本列島に住んでいる人々の上には、統一された政府が被さっているのだから。


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