第26話
それから私はどことなく街の輪郭にうすら寒さを感じるようになってしまった。
綺麗に舗装された青いアスファルトも、そこから伸び立ち並ぶ白い巨塔も、人一人では到底敵わないような巨大で精密なシステムがそこに存在していることを誇示しているみたいに思えたのだ。
そしてそのシステムは本来の領域である西日本を超えて、今や日本列島を完全に包み込もうとしている。
それ自体は一切変わらないままで。
正直に言えば、誰がどう見ようと連邦政府のシステムは共和国のシステムより遥かに自由で、高潔で、美しいシステムだ。
連邦に組み込まれる方が共和国の中で生きることよりもよっぽど歓迎すべきことだろう。
もちろん私もそれは知っている。
でも、だからこそ怖くなったのだ。
存在を肯定するしかない完成されたシステムが、私たちを――少なくともその過去を――疎外しようとしている。
そして私は同時にもう一つの真実にも気付くことになった。
一宮で出会った人々が私を避けなかったのは、私の過去を受け入れた上で一人の人間として認めてくれていたわけではなかったのだ。
ただ単純に私のバックボーンを知らなかっただけなのだ。
そしてその一週間後に、私は一宮を出て東京へと戻ることになる。
私は渋谷の道玄坂にある東京支社へと配属され、越谷の実家から通うことになった。
ケイは一宮の中央駅までわざわざ私を見送りに来てくれた。
「本当に帰るのか?」
新幹線のホームに並んで立ちながら、彼は私にそう尋ねた。
私が無言で頷くと、ケイは一度小さくため息を付き、それから私の髪を撫でた。
彼は人前ではそういうことをしない人だったから、少し驚いたことを覚えている。
もちろん嫌なわけでは決してなかった。
「半年後には俺も帰る。元気にな」
「あなたも。……ねぇ、もし私が病気になったら帰ってきてね」
「考えておく」
ぶっきらぼうなその返事を聞きながら、私は笑った。
きっと私が本当に病気になったら、彼はすぐに駆け付けてくるだろう。
気のない返事は、彼なりのちょっとした強がりなのだ。
その次の日から私は再び北東京出身の北東京の住民になった。
越谷は私が一宮に行って帰ってくるまでの半年間に何も変わってはいなかった。
建物は古いまま、私は人々に避けられたままだ。
それでも私はまだその方がよっぽど居心地が良かった。
少なくともここに住んでいる人は知っているからだ。クロパトキン作戦も、共和国も、そして統一後の日々も。
それは誰も喜んでは語りたがらない歴史の一側面であり、重い沈黙の中で息づいている事実だった。
私はここではその沈黙のために忌避されている。
全く違う出自を持ち、そんな風に扱われる理由など一つもないはずのエムも同様に。
けれど、少なくとも北東京の人々はコンテクストを共有しているのだ。
一宮では私は誰にも避けられることはない。でも、彼らはコンテクストを決して共有しない。
彼らはただ彼らの論理と歴史だけを見ている。そして彼らの論理と歴史の中に共和国の要素は一つもないのだ。
社会主義や名目上の完全雇用を達成しろなどとは誰も言わない。
けれど例えば連邦では女性の就業率だってずっと低いままだ。今や共和国にあった要素は共和国にあったというだけの理由でみんな否定されるのだ。
私たちが知っている歴史も文化も、私たちの存在も、きっともうじき忘れ去られるだろう。
一宮にいると私はその思いから逃れられなくなった。
東日本で生きるということは、将来的に忘れ去られるということなのだ。
私たちは連邦が規定する『日本人』から外れた存在なのかもしれない。
日本の歴史とは連邦の歴史であり、ダウンフォール作戦と高度経済成長と冷戦の勝利=統一という華々しいものなのだ。
そして私はそれと相反する思いを抱くことになった。
もし一宮が共和国の歴史を共有したとすれば、私は一体どうなるんだろう?
実際問題として一宮は素晴らしい街だったのだ。
そこにいれば私は人に避けられることもなければ、歓迎されることすらある。
けれどそれは単に彼らが私たちの歴史を知らなかっただけの話なのだ。
彼らがもしそれを共有したとすれば、私はきっと一宮でも北東京と同じような扱いを受けることになるだろう。
それを想像すると辛くなった。
世の中のことは全て変わり得るのだ。どんなにあり得そうにないことであろうと。
そして変わる時には全てが急に変わるのだ。徐々にということはあり得ない。
この二つから導き出されることはたった一つだった。
私は西に行くべきなのだ。東で起きたことが次の世代には全て忘れ去られることを祈りながら。
そして自分自身も西の文化へとどっぷりと浸かり、東のことは綺麗さっぱりと忘れるべきなのだ。
ダウンフォール作戦の悲劇から目覚ましい高度経済成長、悲願の統一を成し遂げる華々しい歴史こそ、一宮の人々が、西の人々が、統一後の連邦が決めた日本人の歴史なのだから。
《《ダウンフォール以後の世界》》に生きること。
これが私たちに唯一残された道だった。
共和国の歴史を引き摺ることは許容されない。
なにせ私たちは西主導の統一に合意した身で、東のインフラを刷新するのに連邦政府は湯水のようにお金を使い、そして旧共和国の領内の失業率のせいで連邦の経済が足を引っ張られているのだから。
連邦の抱えていた歴史こそが正しく、共和国にあったものは全て間違っているのだ。
悔しいけれど、私にはもうこの世界観を受容することしか許されてはいなかった。
そしてこの世界観を半ば受容しながら、私はそれでも北東京に住み続けることを選んだ。
私の祖母や母が苦しみながらも生き抜いた共和国という国の記憶を、私はどうしても捨てることができなかったのだ。
たとえそれによって自分がどれほど痛みを受けることになっても。




