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第21話

 私が私の人生を振り返る時には、どうしても他者の絶望を必要とする。

 私という存在は、生きるという生命の最も基礎的な根幹を達成するためにも生贄を必要としているのだ。

 それは私の持つ宿命的な要素であり、意志がどうであれ変えることはできない。そう考えると、私は童話に出てくるような化け物とほとんど薄皮一枚だけ離れた位置にいると言っても過言ではない。彼らも生まれた時から生贄を欲するように設計されているのだから。私はほとんど受動的に罪を被ったのだ。

 だからと言って、決して同情を求めるわけではない。彼らのほとんどが物語の最後には罰されるのと同じように、私も孤独に自らの罪と向き合うべきなのだ。全てはそこから始まる。


 しかし私も随分と身軽な身になったものだと思う。

 基本的には私はもう他者に犠牲を強いらなくても生きるのに問題がなくなったからだ。

 1990年より以前の私とそれ以降の私では自分というものが変質を遂げてしまった。それは不可逆的な変化であり、そして無自覚な変化だった。私は自分自身意識しないまま何か別の存在へとすり替わったのだ。化け物から人間へ。あるいは人間として振舞うことを可能性として許諾された存在へと。

 私が化け物へと変化を遂げたのは1946年のことだった。それは私が生まれる30年以上前のことだ。

 つまり、私が生きてきた歳月とちょうど同じくらい前のことだということになる。


 その年に母は生まれ、私の国も生まれた。

 共和国のことだ。連合国によって行われた分割統治地区のうち、ソビエト連邦の担当する地区。それがほとんど同じように日本民主共和国に受け継がれた。現在の東北州と北海道、北東京の領域がそれにあたる。

 どうして1946年というずっと昔の話を俎上に載せるかといえば、馬鹿げたことにこの全てが1990年に崩壊するまでずっと続いたからだ。条約上の分割統治も、共和国も、母の生命も、私の属性も、そのどれもが一瞬たりとも変化しなかった。県や市といった地方政府すらそのまま存続した。

 だから、私の人生を考える時にこの年の影響を外すことはできない。

 例えそれが生まれるより30年も昔のことであろうと、それは生々しく残る現在でもあるのだ。


 そうであっても、私はこの年に本当に何が起こったかについて語る術を持たない。

 私はまだ生まれてもいなければ、この年を体験した祖母からも何も聞くことはできなかったからだ。そして祖母が死んだ瞬間にこの年に起きたことは固い円環の中に永遠に閉じ込められてしまった。

 私は自分を構成する一つの要素をそうやって不意に殺してしまったことになる。

 祖母が死んだ結果として、私がその年について知るには社会が持つ一般的な力を利用する他になくなってしまったのだ。そして今現在その力はかつてないほどまでに弱まり、つまり私にとってその領域とそれに所属する大きな要素である祖母のことを理解するのは極めて難しいことになってしまった。


 一体1946年に何が起きたのだろう。

 私はもちろん一般常識としてその答えを知っている。

 南からはアメリカ太平洋艦隊が数十隻の空母と数千の航空機を引き連れてついに本土へと侵攻し、北からはソ連軍が散発的な上陸作戦を繰り返していた。いわゆるダウンフォール作戦とクロパトキン作戦であり、その絶望的な状況は結局ルーズベルトが死ぬ2月まで続いた。


 でも私はそれだけのことしか知らないのだ。

 その中で祖母が何を見てどう生きたのかについて私はもう指標を失ってしまった。そしてその中で後に共和国を構成することになる市民が一体何を見てどう感じたのかについても私はもう知ることができなくなってしまった。

 私がもう共和国の人間ではないということと同様に、その人たちももう共和国の人間ではなくなってしまったからだ。グルーピングが消えてしまったことで、あったはずのグループすら永遠に失われてしまったのだ。


 つまり私は自分が知りようのないような事実に影響されながら自らの人生を歩んできたことになる。

 振り返ってみても、私の人生は妙なことに影響されてばかりだ。

 私を見る祖母の複雑な視線も、時に避けるような周囲の態度も、ケイとの間のもどかしい距離も、全てが私の与り知らないところで進んでいた。


 私の人生は爪先まで全部私自身のものだ。

 私が今ここにいるのは間違いなく私の選択であり、今の私があるのも全部過去の私の選択のお陰だ。


 しかし一方で私の人生は外力への応答として形作られてもいる。

 私の人生は全て自分のものだけれど、誰かの人生の一部でもあるのだ。

 だから自分の人生を見つめることは他者を見つめることであり、逆に言えば他者を見つめることは自分の人生を見つめることでもあるのだ。


 私はケイに尋ねられたことがある。1994年の7月12日のことだ。

 私には未だに日記を付ける癖がある。もちろん日記と言っても大したものではない。その日起きたことを大学ノートに大体一行ほど書きなぐるだけの他愛もない記録だ。

 とは言え、それを何年も連続して続けることはきっと中々できることではないのだろう。1990年に大流行した日記を付ける癖を三年間経っても続けていたのは稀有なことだった。


 その日、私は日記を彼に見つかってしまった。

 いずれにせよ、いつかは起きることだったと思う。私はケイを何度も自分の部屋に招いていたし、そのどこかのタイミングで日記を机に置いてしまえば、彼の興味がそこに集中しただろうことは簡単に予測できることだからだ。

 基本的に私は彼に対して脇が甘いのだ。


 ケイがそれを見つけたのはすぐのことだった。

 机の上に「1994」と書かれたノートが一冊放り出されていたのだ。

 それが日記帳だと察するには十分だったと思う。


「日記?」

 彼はそう訊いた。

 私が自分の犯したミスに頭を悩ませながらそうだと答えると、ケイはあろうことかそのノートをパラパラとめくり始めた。一瞬焦って取り返そうとしたが、もうすでに手遅れだと気付いて諦めた。

 ただ、彼はそれを熟読しているわけではなく、理解するというよりはむしろただ文字を追っているだけに見えた。


「毎日付けてるのか? 1990年から?」


 それはどちらかというと確認するような響きの方をよく含んでいた。

 私が頷くと、彼は感嘆するような口調で言った。


「すごいな。僕は半年しか続かなかった。それでも長い方だと思っていたが」


「私は適当に付けているだけだから。日付と一行だけ」


「続いているだけで驚嘆に値するよ」


「別に難しくない。私は低血圧だから、少し早く起きて前の日の日記を付けているだけ」


「低血圧だから?」


「そう。ある種の魔法なのよ。日記を付け終わる頃には動けるようになっているの」


 それは事実だった。日記を付けるために頭を動かすのは悪くないことなのだ。

 それでも彼は私の言葉を聞くともう一度感嘆するように息を吐いた。それから軽く首を振り、「少しでも早く起きることが耐えられないんだ」と言って笑った。

 ――彼はきっと低血圧ではないのだ。


 結局その後も私はそうやって日記をつけ続けた。

 決して続ける理由があったわけではない。単に止める理由が見当たらなかったのだ。

 使うのはどうせ他に使い道も浮かばないような朝の時間と、一年に一冊だけのペースで消費されていくノートだけだ。それは私にとって長いこと有益でもなければ有害でもない習癖だった。

 だから止め時を失ったまま今までその習慣は維持されてきた。


 私の日記は極めて個人的なものだ。

 もちろん個人的でない日記など存在しないし、もし個人的な要素のない日記を書こうとすればそれは単に数字だけが並ぶ帳簿のようなものにしか過ぎなくなるだろう。

 それでも私の日記は普通の日記に増して個人的だった。

 毎日一行だけでまとめられた出来事はその日に起こったことのほんの僅かで、それを読むだけで得られる情報量はほぼ無に近接しているからだ。


 それでも私はそれを日記として使うことができる。

 人の記憶というのは不思議なもので、きっかけさえあればそれに関連する記憶を掘り返すことは格段に容易いことになるのだ。

 私はそうやって一行の記録からその日にあったことを一つずつ辿ることができる。

 だからそれは言うなれば索引に等しい。私はその索引を頼りにして自分から情報を取り出すのだ。


 物事が雑多に記録されている広い空間と、それを正しく取り出すための地図。

 私と私の日記はそんな風に役割を分担する。だからそれは極めて個人的なものなのだ。

 私以外にこの日記を使いこなすことはできないし、逆にこの日記は私以外の人が使うようには作られていない。


 だから基本的にはこの日記にはほとんど意味はないのだ。

 私には思い返したいような過去の記憶なんてほとんどないのだから。

 そして、思い返したい記憶はこんな目録を振りかざさなくても済むような位置に陣取っているのだ。

 暗い森の手前、陽の差す場所に。


 それでも私はこの習慣に今は感謝している。

 もしこの習癖がなければ、私はこの半年間の記憶を掘り返すことにきっと恐ろしく苦労しただろうからだ。

 人生の中で日記を付け始める時期などほぼ決まっている。大学に入ってからわざわざ敢えて付け始める人などほとんどいないし、社会人になってから付け始める人などもっと稀有だ。

 だから、私は1990年の自分に感謝する他ないのだ。

 彼女が作ったこの習慣が、20年以上も経った今になってやっと役立とうとしているのだから。

 こうして私は私の人生に対してこんな風に振り返ることができる。

 彼女が私をそのスタートラインへと導いたのだ。


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