第2話
ケイの引っ越しを知ってから二日後に、私はエムに連絡を取っていた。
その時の私はわがままに当日会うことを要求して、でも彼女はそれを受け入れてくれた。
きっと、彼女には見透かされている、と思う。
でも別に嫌な気はしなかった。
その日は渋谷で会うことになった。
エムと渋谷にいるのは初めてのことだった。
私は建設中のビル群の中を隣で彼女が歩いているのを見て、百貨店の中を背筋を伸ばして歩いているのを見て、きっと二十年前に人々が思ったのと同じ感慨を抱いた。
「ケイが、横浜に引っ越すの」
私はエスプレッソの前でそう切り出した。
「もう、止められないみたい」
彼女はコーヒーの上に浮かんだアイスクリームを食べようとしていた。
そう、と彼女は言った。そしてスプーンでアイスを掬って口に運んだ。
「どう、するの? 引き留められないのなら」
スプーンを口から離しつつ、彼女は私を見つめた。
澄んだ焦げ茶色のその目は、心の中まで入り込んでいくようだった。
私は答えに窮した。
彼女の前で作りものの返答をするわけにはいかなかった。
けれど私の心は分裂的で、本心と呼ぶには小さすぎる、霧のかかった感情しか見当たらなかった。
「わからない」
私は正直に答えた。
「もう、わからない」
「横浜に行ってしまえば? あなたも」
彼女は私を見据えたまま、そう言った。
その瞬間、私に渦巻いたのは、全てを消し去ってしまうような暴風だった。
私は彼女についに見放されてしまったのだと感じた。
その瞬間に、私の中のほとんどすべてが塗りつぶされていくのがわかった。
彼女に拒絶されるのは、彼女だけに拒絶されるのとは違うのだ。
私は泣いていた。泣き始めていた。
気付いたのは、肩に触れる手だった。
「ごめんなさい、そんなに反応するとは思わなかった」
エムの申し訳なさそうな声が聞こえる。
「まさか、あなたがそこまで」
「今日は出直すわ」と彼女は言った。
「また、今度ね」
そしてエムはカフェを出て行ってしまった。
コーヒーフロートの、コーヒーの部分だけを残して。
私は今日も伊勢崎線に乗り、浅草で降り、銀座線に乗り、渋谷に向かった。
地下鉄の新線ができるという張り紙を車内で見て、私は通勤の短くなるだろう期待より、虚しさの方をよっぽど強く抱いた。
街の土台に、掘れるだけ穴を開けていって、それを得意顔で自慢するなんて、何だかバカらしいことのように思ったのだ。
同期が一つ昇進していったのを知った。
彼は名古屋出身で、横浜にある私立大学の卒業生だった。
私から見れば、彼は特別に優秀とは思えなかった。
少なくとも、私の課ではエスの方が仕事のできるように思うし、リーダーとしての素質もずっと高いと思う。
それとも、それは私の邪推だろうか?
斜に構えて事象を見てしまっているだけなのだろうか?
彼が昇進したから、粗を探して、ケイが言ったように現実から目を背けようとしているのだろうか。
『横浜に行ってしまえば? あなたも』
心の中でエムの言葉が繰り返される。何度も、何度も。
私はついに彼女に見放されたのだろうか。
それとも、私に現実を見ろと、そう伝えたのだろうか。
私はそんな風に思って、それが自分の心が彼女の形を借りて言っている言葉でもあることに気付く。
心の底で私は、現実に目を向けるには横浜に行くべきなのだと認めているのだ。
私は中途半端なのだ。
それは自己認識としてずっと昔から持っているものだった。
そして今、気付かない振りをしていた気持ちに向き合わざるを得なくなっていた。
エスには愛嬌があった。
世の中には、笑顔を見せられれば、その人の願いを断れないだろうと思ってしまうような人が時折いるものなのだ。
彼女はそういう人だったし、そして職場の中では、私の心の中に入ってきたごく僅かな人たちの一人でもあった。
エスが東京に来たのは、就職に際してのことだったから、私はいくつかの点で彼女を助けることができた。
私は在学中ずっと都内に通っていたわけだし、地理感覚も、文化面でも、彼女よりは正確な指針ができていた。
――つまり、私は避けるべき場所や、その逆の場所がどこなのかを感覚として持っていた。
私たちにとって、東京に生きるというのは即ちそういうことだった。
知り合った頃のエスは、私と一緒に過ごすことをどちらかといえば好んでいたし、それはきっと、私といれば嫌な目に遭うことが相対的に見て少ないということに起因したものであったのだろうと思う。
東京に住むということには、ある種の慣れが必要だ。
私は、大人になってから特にそう感じる。
この雑多な街では、文化が入り混じり、それが相対化されているからこそ、ある種の共通意識が正義にすげ変わりやすく、従って、そうではない文化に対する姿勢は増して冷ややかなものになりやすい。
もちろん、それは他の地域にもきっと言えることだ。
大阪に住む人が仙台に移ることもきっと大変だろう。
けれど、大阪に住む人は東京に移る可能性の方がずっと大きいし、そして東京という街が人を吸えば吸うほど、そこはより少数者だらけの集団になっていくのだ。
エスは多数者として生きてきたはずだし、少数者としての生き方――つまりそれが東京としての生き方ということになるけれど――にきっとあまり慣れていなかっただろう。
それはきっと認めなければならないし、そして私たちは少しずつ染まることには諦めを抱かなければならない。
人が生きるというのは即ち諦めることだからだ。
つまり、私たちは認めなければならないのだ。
例えば、いま私たちの住む国は自由で、民主主義で、独立していて、賭博は禁止されていることを。
駅前の一等地の、しかも交番の目の前にあるパチンコ店に設置された大型のディスプレイが映している、自分には投票権もないアメリカの大統領選挙が、私たちの生活にリアルな影響を与えることを。
これでも、私は最近、色々なことを許せるようになった。
過去の私は、誰の目から見てもびくびくしながら生きていたし、そしてだからきっと過敏だった。
私はもう誰かから何かを言われても言い返すだけの材料を持っているし、そしてもうそれらに慣れてしまった。
例えば、私たちやエスの大学名を聞くと、大抵の人はあまりいい顔をしないけれど、私はもうそれに関して自然にふるまえるようになった。
ケイの会社は、一宮に本社を置く大手自動車メーカーのティア2だった。
私はそれに関して何も言えなかったし、エムも黙っていた。
ケイも敢えて何も言おうとはしなかった。
彼は自分の会社に最初からきっとわだかまりを抱いていたし、最初からきっと限りない期待と愛とを添えていた。
私たちはそういう能力には長けているのだ。
私はケイと横浜に行ったことがある。
彼に頼んで連れて行ってもらったのだ。
その行為に、エムのいなくなったケイをその機会に奪ってしまおうという打算が全くなかったかと言えば、それはきっと嘘になる。
私はケイが好きだったし、彼も私が好きだった。
エムと付き合っていた区間でさえ、きっと私のことも好きだったのだ、と思う。
きっとそれは私の傲慢だけれど、でもそれも少なくとも真実の一つの側面ではあるのだ。
横浜は決して汚い街ではない。
その時に抱いた気持ちを最小限にしたとしても、それは確実に言えることだった。
どの建物も綺麗だった。
几帳面に化粧されたビルの表面は、光を折り曲げて私を包むようだったし、ガラスのふんだんに使われたカフェや、贅沢な余白のある街全体のデザインは、私を感じさせるには十分だった。
私はそこに存在できる幸せを感じてすらいた。
その街は、確実に何かをそぎ落として成立していたからだ。
私はまるで昔から横浜に住んでいたような顔をして彼の手を握っていた。
彼もそれは同じで、私を間違いのないように案内しようとしていた。
そこに、彼の私への感情が伺えなかったかと言えば、きっとそれも嘘になる。
彼は私をきちんと男性らしくエスコートする義務を感じていたし、それは彼にとって私が大切な存在だからだ。
しかし、彼の恐れている間違いはきっとそれだけではなかった。
彼は驕慢にも私の愛を感じていたし、それは事実だった。
私はエスコートなんてされなくても十分だった。
けれど、それは許されざることだった。
その日にあったことを総合すれば、結局はそれだけの話だ。