雪の季節
連投最後。
藤井葵、新井桃菜の話。
葵視点。
雪って色々考えさせるよねって話。
雪は嫌いだ。
冷たいし、積もれば滑る。
数日前から降り始めた雪を前にそんなことを思う。
「葵、どうしたー?」
「……なんでもねえよ。今行く。」
目の前の友人に適当に返事をして俺、藤井葵は歩き出す。大学に入って3年目。大学に入ってすぐに知り合った、たまに遊ぶくらいのその程度の友人。
ため息とともに白い息を吐き出す。暖かい息は空から落ちてくる白い雪を包み込み、あっと言う間に水滴に変えてしまう。それを見ているだけで言いようのない感情が浮かんでくる。自分の息でも雪は溶けるんだなとかそんなくだらないことを考える。
本当に、雪は嫌いだ。
「んだよ。ほかに話す相手もいねえの?」
『うるさいなー。ほかに誰も電話出てくれないんだから仕方ないじゃん』
「いや、電話に出る出ないじゃねえんだけど……」
大学で友人と別れ、帰宅すると急にスマートフォンが着信を告げた。その相手の言葉に小さくため息をつきつつ、部屋の電気をつけるとそこには雑多に物が転がった部屋。ゲームだったり、漫画だったり。全部こたつの中でもとれる位置にあるところがなんとも言えない。
「で、何か用?」
『いや、用ってほどでもないんだけどさー』
「切るぞー」
『いや!ちょ……!待って待ったお待ちください!』
こちとらそこまで暇でもないのだが。大慌てで止める中でも少し口調でふざけてくる相手、新井桃菜の根性に少し感心しつつ、しょうがねえなと言ってこたつに入り込む。ちなみに灯油は昨日から切れている。配達予定は明日。しくじったと思う。部屋の中なのに普通に10度を下回るのはどうなのだろうか。
「別に急ぎの用もないし、少しなら付き合ってやるよ。」
『なんで偉そうなのさー。直接会ったときはいっつもみんなにいじられてるくせに。』
「電話に付き合ってやるのはこっちの気分次第だからな。」
『ういーっす。どうもっすー。』
この野郎と頬を引きつらせつつも、心が少し温まるのを感じる。高校の時に特に仲の良かった5人。その中の1人と会話するだけでこんな感情を抱くなんてなと少し笑う。まあ、特にノリのいい桃菜相手だからかもしれないが。あの無口な蓮花や今やお互いに違う相手を見つけてリア充となっている柚斗、咲良の元カップル相手だと逆に心が荒みかねない。
「で、本当になんの用だよ。」
『んー……って言っても本当に少し声聞きたかっただけなんだよねー』
「んだよ、それ……」
なんだろね。と言って電話の向こうで笑う桃菜に合わせて、こちらも小さく笑う。たまにあることだ。昔は連絡をよくとっていた。それこそ高校卒業して大学入ったばかりのころは毎週のようにみんなで電話をしていたものだ。それもまあ少なくなっていったのだが。
『だってみんなほとんど連絡とらなくなっちゃったしさーつまんなーいー!』
「しょうがねえじゃん。もとから連絡とるようなタイプじゃないやつ1人と彼氏or彼女持ち2人だろ。」
『それでもさー……』
やっぱちょっと寂しいじゃん。そう言う桃菜の声は本当に少し沈んでいて。ちょっと意外に思う。そしてちょっと意外に思うと同時にちょっと安堵している自分がいる。
そんな自分に気が付かないふりをしつつ、思ったことを口にしてみる。
「お前、基本的に人と仲良くなるの得意だろうよ。別に寂しがるほどのことか?」
『……やっぱ電話する相手間違えたかなー』
「切るぞー」
『待って待ったお待ちになって!』
「おお、若干のアレンジ」
そのまま同じことをするあたしではないのだよ。そんなことをどや顔が見えるような声で言っている桃菜を無視しつつ、冷え込む部屋の寒さにこたつにできるだけ潜り込む。部屋の気温は今更変わったわけじゃないはずなのにな。と少し思う。
『……別に人肌恋しいとかそんなことじゃないよ。』
「だろうな。」
『ねえ……』
先ほどまでのふざけていた声色から少しトーンが落ちる。その瞬間に思い出す。部屋の中のくせに、吐く息の白さに目が眩みそうになる。ちらりと窓に目を向ければ外側の縁に雪が積もっていて。
電話口の向こうの桃菜の姿がこの時、特に鮮明に浮かんだ。その表情も何となく細部までわかる気がした。
『みんな、わすれ……』
「忘れてねえよ。」
だから、桃菜のことばを遮って告げる。普段の元気で、ノリのいい、明るい彼女の声ではないこんな落ち込んだ声はかき消す。
今の桃菜の表情を見たくないから、思い出したくないから。
「忘れるわけねえだろ。あんな変な奴らと変な関係。」
『……えーあたし変じゃないよー』
「筆頭で変だっての。」
少し笑いながら言ってやると、桃菜もそうかなあと言って笑って返す。
そうだ。忘れるわけない。忘れない。忘れられるわけがないのだ。少なくとも自分は絶対に忘れないだろう。あの時のことも。みんなとの関係も。
『こんなにお茶目で可愛らしくて純粋な少女のどこが変だっていうのだ!』
「……全部じゃね?」
『あ、やばい。こころ折れる音がした。』
「弱いな、おい。」
ガラスのハートなんだよー!と言う桃菜にどこがだよと小さく笑って返しつつ、内心で思う。
(知ってるっての。)
『……で、こんな夜中に電話かけてきたわけ。』
「そういうこと。っつうかこっちの電話に出るならあいつの電話出てやれよ。」
仕方ないでしょ、忙しかったんだから。と悪びれもせずに相変わらず感情の見えづらい声で言う蓮花にあっそと答える。きっと蓮花なりの理由でもあったのだろう。でないとなんだかんだで優しい彼女が親友ともいえる桃菜の連絡に出ないはずがない。
先ほど電話を急にかけてきた桃菜との通話を切り、続けて蓮花に電話をかけた。柚斗にかけてもよかったのだが、今の時間はもしかしたら彼女といちゃついてる最中かもしれないし。
「じゃあよろしく。暇なときに連絡してやってくれ。」
『それはいいけど……本当にあんたが教えてくれたって言わなくていいのね。』
「別に言う必要もねえだろ。」
用件も伝え終わり、そう言ってこたつから抜け出す。少し話しっぱなしでのどが渇いたので水でも飲もうとキッチンの水道の蛇口をひねって水を出す。コップに注いだ水を一気に煽ると、再度口を開く。
「別に意味のないことならしない方が無難だろ。」
『意味はあるんじゃないの。どうでもいいけど。』
「どうでもいいならいいだろ。」
『……まったくうちの男どもは……』
小さく呟かれた言葉は聞こえないふりをして。すると蓮花の電話口から何か大きな音が聞こえてくる。
「おお、雷。そっち雨か?」
『まあね。いい迷惑よ。』
だろうなと小さく笑って返す。用件は終わったはずなのにこんなくだらない会話に乗ってくるところを見るに、蓮花も懐かしく思ってくれているのだろうか。感情を表に出すことの少ない蓮花はいつも一緒にいて静かだったけど、それでも楽しかったと思ってくれていたのだろうか。
『興味ないけど聞いてあげるわ。そっちも雨?』
「質問の前フリとして最低じゃねえかそれ。雪だよ。」
『……それは過ごしづらいことこの上ないでしょうね。』
「まったくだよ」
少し空いた間は恐らく察してくれたからこそのものだろう。そして踏み込まずに話題を終えようとしてくれているのも蓮花の優しさだ。きっと。
「じゃあ、もう遅いし。切るぞ。」
『ええ。次は年末かしらね。』
「できればみんな会えるといいけどな。」
『期待しないでおくわ。』
そう言う蓮花に一応期待しとけよ、そこはと苦笑して返す。最近はみんな忙しくて集まれていないから、今年の年末年始はみんな実家に帰ってくれば久しぶりの再会となる。
『……まあ一応楽しみにしてるわよ。』
「おう、またな。」
珍しく素直に楽しみにしていると言ったことに驚きつつ、ふうと息を吐く。水を飲んで変わるかなと少し思ったが、やっぱり吐く息は白くて。目に眩しかった。
昔のことだ。高校の時、今でも親友と呼べる5人で仲良くいる記憶が一切ない期間。すっぽりと抜け落ちている空白の期間。その間に忘れられない記憶はある。
その時も確か呼び出されたのだ。あの時は直接会うことができたので、学校近くの公園だったが。雪が降る時期はもう終わっていたが、積もった雪はまだしぶとく残っていたような季節。
『もう……みんなで一緒にいれないのかなぁ……』
隣で桃菜がそう言うのを呆然と見ていた。一緒にベンチに座って、少しふざけるように話していたら桃菜がそう言ったのだ。いつも笑顔の彼女が、いつも明るくてノリのいい彼女が見せるその表情はとても寂し気で。でも、その表情に、言葉に、自分は一瞬言葉を発することができなくなった。ただ何かを言おうと動かす口から白い息が吐き出されるだけで。
『あたし、みんなでいるの……好きなんだけどなぁ……』
『みんなで?』
『うん、5人で馬鹿みたいにはしゃいで。5人で笑って。』
そんな関係が大好きなんだよ。そう言って桃菜は弱弱しく笑う。いつもの快活な笑顔は見る影もなく。とても似合わない笑顔に見えた。奥の方に見える雪も相まって儚げに見えた。だから、
『バーカ』
『痛っ』
だから、無理やり言葉を発した。気持ちを無視することで無理やり言葉を発して、桃菜の頭を軽くはたいた手で彼女の頭を少し撫でる。文句を言おうと口を開きかけた桃菜はその動作に驚いたように口をパクパクさせて何も言えなくなっていた。
その様子が可笑しくて、可愛くて。
『今ちょっと気まずいくらいで話さなくなるような関係じゃねえよ。』
『でも……』
『あいつらもすぐに話すようになるだろ。もとから無駄に仲いいやつらだし。』
そう言ってベンチから立ち上がると足元に残っていた雪が少しはねた。最初に落ちてきたときには真っ白な雪は、今はもう泥と混ざってしまっていて。それが嫌に気に障る。その雪の塊から目を背け、口を開く。
『心配すんな。大丈夫だって、きっと。』
『……普段から口調が悪いだけで何もできないのによく言うね。』
『うるせえよ。』
『でも、ありがと。』
少し気恥ずかしそうに言う桃菜に、そっぽを向いて、おうと小さく答えた。
雪は嫌いだ。
冷たくて、積もると滑る。
次の日も降り続ける雪を見つめつつそんなことを思う。
『5人で馬鹿みたいにはしゃいで。5人で笑って。そんな関係が大好きなんだよ。』
(それじゃあ……しょうがねえよなあ……)
ため息の色はやっぱり白。空から落ちてくる雪はその息で溶けて消えて、道路に落ちても溶けて消える。その儚さを何となく黙って見つめる。雪は儚い。儚いから嫌いだ。その儚さが思い出させるから嫌いだ。
道の端に積もって、泥と混じってしまっている。濁った、汚いその色も嫌いだ。濁って、でも溶け切らないで残るのが嫌いだ。まるで自分を見ているみたいで、嫌いだ。
唐突にスマートフォンが電話の着信を告げる。
その発信相手に小さく笑みをこぼす自分が嫌いで、好きで。どういう感情を抱けばいいのかわからなくなる。
「どうしたよ?」
『いや、特に用はないんだけど……』
「切るぞー」
『嘘嘘!待って待ってください待てやこらー』
「なぜ強気。」
何となく?となぜか疑問形で返してくる桃菜に小さく笑う。きっと昨日電話した後にあのおせっかいな蓮花が余計なことをしたのだろう。視線を先ほどまで見ていた雪の塊から逸らす。
『そっち雪降ってるんだって?さむそー。かわいそー。』
「雪と泥が混ざってて最悪だっての。なあ……」
『あれ?なに?』
思ったよりも浅い反応だったのか。少し拍子抜けしたというような桃菜に向って言う。
「この雪、ちゃんと溶けんのかなぁ」
『春が来ないわけないじゃん!大丈夫大丈夫!きっとその泥だらけの雪も溶けて春の栄養になるんじゃない?』
「……適当だろ。」
『まさか~』
明らかな棒読みにため息をついてからそっかぁと息を吐く。
春の栄養。上手く言えてるようで全くきれいじゃない感じがなんとも桃菜らしいというかなんというか。
「……早く溶けねえかなぁ……」
『あたしは雪は好きだけどなぁ。』
「雪合戦だろ。」
『正解!』
無邪気に電話の向こうで笑う声を聴きつつ、いつか溶けるといいなと思う。
いつか溶けて、次の栄養に。5人でいることを望んでいるのは自分もなのだから。逃げるわけにもいかないのだからどうしようもない。いつかこの、2人で電話している時間で笑顔になってしまう自分を嫌うこの濁って溶け切らない気持ちだけ溶けてなくなってしまうまで待とうと思う。
すぐに次も投稿予定。
時間かかってもちょっとずつ書き進めていこうと思う。