表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

Page.5

 甘味角定のその後について。

 今まで明確な資料は見付かっていなかった。『砂糖訓書』にも四国統一以降、彼の名は出てこない。

 一説には、いなの娘をめとり、子宝にも恵まれて平穏な余生を送ったとある。また、酢氏の姫と結ばれたという説もある。

 あるいは再び琉球に渡り、さらに南方に渡って王朝を築いたという奇説も伝わっている。小琉姫との間に生まれた子や孫は、数多の富を持ち帰り、そのおかげで黒糖国は長く栄えたとも。

 だがそれらは、史実からこぼれた伝承でしかない。

 近年、貴重な資料が見付かり、そこから新たな事実が判明した。

 1489(延徳元)年3月。讃岐の屋敷にて、味醂氏の残党によって惨殺される。享年39歳。

 知略にけ、武勇に優れた調味料界きっての軍師も、最期ははかないものだった。

 当時屋敷には数人の下働きしかおらず、家族と呼べる者は一人もいなかったらしい。

 戦乱の世に生き、裏切りや謀略のなかを掻い潜り、見事大願を成就させた男が本当に欲しかったものは何だったのか。

 好いた女との、平凡だが幸せな家庭だったのではないか。

 あるいはこれは筆者の穿うがった見方かもしれない。そうであって欲しいという願望なのかもしれない。

 襲撃者のなかには、いなの息子の姿もあったとされている。


 (Fin)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ