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甘味角定のその後について。
今まで明確な資料は見付かっていなかった。『砂糖訓書』にも四国統一以降、彼の名は出てこない。
一説には、いなの娘を娶り、子宝にも恵まれて平穏な余生を送ったとある。また、酢氏の姫と結ばれたという説もある。
あるいは再び琉球に渡り、さらに南方に渡って王朝を築いたという奇説も伝わっている。小琉姫との間に生まれた子や孫は、数多の富を持ち帰り、そのおかげで黒糖国は長く栄えたとも。
だがそれらは、史実からこぼれた伝承でしかない。
近年、貴重な資料が見付かり、そこから新たな事実が判明した。
1489(延徳元)年3月。讃岐の屋敷にて、味醂氏の残党によって惨殺される。享年39歳。
知略に長け、武勇に優れた調味料界きっての軍師も、最期は儚いものだった。
当時屋敷には数人の下働きしかおらず、家族と呼べる者は一人もいなかったらしい。
戦乱の世に生き、裏切りや謀略のなかを掻い潜り、見事大願を成就させた男が本当に欲しかったものは何だったのか。
好いた女との、平凡だが幸せな家庭だったのではないか。
あるいはこれは筆者の穿った見方かもしれない。そうであって欲しいという願望なのかもしれない。
襲撃者のなかには、いなの息子の姿もあったとされている。
(Fin)