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 彼について語る前に、まずは当時の情勢を記述しておく必要があるだろう。

 1467(応仁元)年4月。調味料界を揺るがす大事件が起きた。

 京を中心として、畿内きないに大きな勢力を誇っていた塩氏。その岩塩派と海塩派との間で、勢力争いが勃発ぼっぱつしたのである。

 内紛は、時を待たずして武力衝突しょうとつへと発展した。

 岩塩派5000の兵と海塩派6000の兵による、洛中らくちゅう洛外らくがい入り乱れての大激突。これにより京は火の海と化した。

 さらに火のは日本全土に飛ぶ。

 同年10月。まず坂東ばんどう・東海に多大な勢力を持つ“東の弓取り”醤油しょうゆ氏が、5000の兵を率いて岩塩派についた。

 岩塩派は大坂など洛西らくせいに地盤を持つ。つまり近江おうみ・伊勢を本拠とする海塩派は、挟み撃ちにあった格好になる。

 あせった海塩派は同年12月、中国・北九州地方を有する“西方の雄”氏と手を結んだ。

 当初「動かず」と目されていた酢氏だったが、醤油氏の台頭に触発されたのか、負けじと8000の兵を投入した。

 この両氏の参戦により、戦況はなおいっそう激しさを増した。

 1470(文明2)年6月。そこに新たに現れたのが、出羽でわ陸奥むつなどから成る北方連合の盟主味噌みそ氏である。

 北出羽の一勢力に過ぎなかった味噌氏は、姻戚いんせきによって出羽を統一。蝦夷えぞやロシアとの貿易で着実に国力を高めると、陸奥白河以北を事実上併呑へいどんし、強大な連合国を作り上げていた。

 “北方のえびす”などと中央では軽視されていた彼らが、この機に乗じて6000の兵とともに南征を開始する。

 古来よりしいたげられてきた恨みも相まってか、味噌氏はものの一年で北陸を手中に収めると、さらには常陸ひたち下野しもつけにまで侵攻した。

 窮地に陥った醤油氏は、京より兵を撤退させ、鎌倉を中心に防衛線を張る。

 これにより東日本における勢力図は、海塩派・醤油氏・味噌氏による三つどもえていを成すこととなった。

 一方、戦の長期化を嫌った酢氏も兵を撤退させて静観の構えを取った。明国との交易に力を注ぐため、これ以上無駄な戦費を消耗したくなかったからだ。

 こうして調味料界は、乱世へと突入した。

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