たった一人の公爵令嬢
大陸歴990年一月
父がこの世を去ってからすぐに、屋敷に家臣たちが集められ、屋敷のある公爵領の中心地、フレイガルドの教会で粛々と葬儀が執り行われた。
二度目の最後の別れから数日後、葬儀の厳粛な雰囲気からは一転、集まったフレイヘルム公爵家の臣下たちは声を荒げていた。
原因は私だ。
今日、フレイヘルム家の相続と今後について話し合うために皆が集められていた。
私は壇上の椅子に座り、両脇には家臣たちが立つ。
家臣たちのトップである家宰職を務める、メリーの父トート伯やシュネー伯、シュタイン伯といった重臣たちだ。
いずれも新興ではあるが、フレイヘルム公爵家の中では力を持つ貴族たちだ。
父とともに戦い、武勲を上げたものが父に取り立てられた家だ。すでに親の代から子の代へと移っているが、どの家も忠誠心が強い。
後継者ついては私ということは決まっている。
父は私以外に子はいない。
しかし、連中は誰が、私の摂政になるべきかで揉めている。
摂政は当主が成人していなかった場合にその補佐をする役割だ。
補佐するといっても五歳の私を支える摂政は、実質的にフレイヘルム公爵家を取り仕切ることになる。
普通ならば母親などが、務める場合が多いが、母は死に、近しい親族もいない。
ならば重臣から選ぶべきだ。
順当にいけば、ここはメリーの父である家宰、トート伯が、務めるべきだ。
トート伯は戦の経験こそないが、有能の呼び声高く、内政向きの文官タイプだ。
平時のいまならば最も向いていると言える。他の者たちもみな賛成している。
だが、そうすんなりとはいかなかった。
真っ向から反対している者が一人。ブルタール伯だ。
父と実戦を共にした者の中では唯一の現役。
戦には一筋の武人でプライドが高く、野心家だ。
ただ上に立つ器ではないともっぱら噂されている。
さっきからこいつの怒号を聞いているが、私もそう思う。
こいつは邪魔だ。過去に戻る前も迷惑した記憶がある。
後に反旗を翻すことになるはずだ。その時は許してやったが、今の私はそんなに寛大ではない。
それにもはや、フレイヘルム公爵家の当主である私に統治する能力がある以上、摂政は不要だ。
「静まれ」
興奮する皆を落ち着かせようとするが、五歳児のかわいい声では迫力が出ない。
私の声を無視するどころか耳にも入っていないらしい。
仕方がない。ここは無理にでも黙ってもらおう。
私は手元の双剣の神器クロノスを片方を鞘から引き抜くと椅子の上に立つ。
そしてそれを全身に身体能力強化の魔法をかけて、思いっきり、家臣たちのど真ん中めがけて投げる。
一直線に飛んで行った剣は鈍い音を立てて、絨毯を貫き、石でできた固い床に突き刺さる。
突然、目の前を通り過ぎた剣に驚き、みな静まりかえって、私のほうを見る。
やはり小さな体は不便だ。
二振りで一対のこの剣は小ぶりで軽いはず。
それでも五歳児の私には持ち上げるだけでも一苦労なのに投げる羽目になるとは。
「やっと静かになったか」
一息つくと椅子にちょこんと座る。
「私に摂政はいらん」
一言そう吐き捨てる。
封建制というものは厄介だ。貴族という存在は無駄な権力を生むだけで何の利益もありはしない。
分散された権力は弱くそして鈍い。集中された権力は諸刃の剣だが、強くそして鋭い。
皇帝一人が権力者であればいいのだ。
これから始まるであろう戦いを勝ち抜くためには私自身に権力を集中させる必要がある。それも早期に。
貴族という地位もはく奪してやりたいところだが、それはまだ反発が強いだろう。後回しにする。
「そんな馬鹿な。お嬢様はまだ成人していないどころか。まだ五つの小娘だぞ」
興奮したブルタール伯が唾を飛ばしながら叫ぶ。
無礼な奴だ。
あくまで忠誠を誓うのは父で私ではないということか。
トート伯たちのような利口な連中は父への恩義もあるが、結局は私をトップに据えておくのが最善だと判断しているだけに過ぎない。
ここは少し脅かしてやる必要があるな。
「口を慎め」
私はもう一度椅子の上に立ち上がる。
もう片方のクロノスを引き抜き、投げつける。
クロノスは吸い込まれるようにブルタール伯の首を貫く。
「ひいいい」
ブルタール伯の隣座る貴族たちが、悲鳴を上げる。
鮮血が噴出し、周りを赤く染め上げる
「私はルイーゼ・フォン・フレイヘルム公爵だ。お嬢様でもなければ小娘でもない」
ブルタール伯を睨む。
白目をむき出し泡吹いている。
「ふはははは。それでは喋れぬか。くははは」
ブルタール伯のあまりの情けない顔に笑いが止まらない。
こんなにも笑ったのは久しぶりだ。
「おかしくないのか。つれないな。ふふふ」
おかしい、私以外はぴくりとも口角を上げないばかりか、まるで氷のように青白く固まった表情だ。
もしや、だれも気づいていないのか。
それもそうか、戦場慣れしているブルタール伯でさえ気づいていないものに紙とペンが武器の連中にはわかりにくかったか。
「少々、遊びが過ぎたな。これは幻術だよ」
ぱちんと指を鳴らし魔術によって作られた幻を解く。
剣はブルタール伯の喉に刺さってはいない。横をかすめて後ろの壁に突き刺さっているだけだ。
この手の精神干渉系の魔術は実際には、戦場などでは役に立たない場合が多い。
これは幻だと認識されるだけで、簡単に解けてしまう。普及した後は大道芸以外にはさっぱり役に立たなかった。
この時はまだ、あまり魔術が発達していなので仕方がない。
私が使った精神干渉系の魔術は恐怖を増幅させるだけの最も簡易的なものだが、実用化は十年後だ。
魔術を解いたのでもう問題ないはずだが、皆、青ざめたままだ。文官気質の彼らには少し刺激が強すぎたのかもしれない。
「ブルタール伯、貴様からは領地と全財産を没収。一族郎党追放とする。運び出せ」
私の言うことを聞かないばかりか、暴言を吐くような人間はいらない。
公衆の面前でここまでの醜態をさらした以上、ブルタールの権威は失墜した。
前と同じように、反乱を起こす可能性もあるが、ひねりつぶせば問題ない。
さらにすべての権力と財産を奪い取る。ここまですればもう何もできまい。
「私はたった一人の公爵令嬢。そして今はフレイヘルム公爵だ。私に摂政はいらん。不服か?」
私の問いかけに皆、無言で応じる。
彼らの私を見る目は小娘を見る目から恐怖のまなざしへと変わった。
一様に跪き、首を垂れた。
だが、まだ、本当に忠義を誓ったとは到底思えない。
私は家臣たちの中にくすぶる反抗の火種を見逃しはしない。
「大変結構。クロノスもういいぞ」
私は神器、クロノスに呼びかける。クロノスはゆっくりと私の手の中に戻る。
再び剣を下へかざし、忠誠の儀を執り行う。
これで父の全権限を引き継ぎ、私は名実ともにフレイヘルム公爵となった。