2 王子気どりのカボチャ
シトルイユがカボチャを被るようになったのには、理由がある。
パンプキンス公爵領では、秋に豊穣の祭りが行われる。
収穫を祝って踊ったり、魔物除けの意味があったのだが、近年では子供たちが仮装し、家々を巡ってお菓子を貰うという行事へと変質していた。
子供たちが各々、魔女や悪魔、勇者などに仮装するのだ。そして、「お菓子をくれないと、イタズラしちゃうよ!」と言って、大人たちを脅かす。
仮装の中でも、一番目立つのはやはり、カボチャである。大きなカボチャをくり抜いたジャック・オー・ランタンを被った子供は、注目の的になれる。
十二歳になったシトルイユは祭りで魔女の仮装を披露した。貴族も農民も一緒になって行う祭りは賑やかで、毎年の楽しみである。この日ばかりは、パンプキンス公爵も、シトルイユが市井の子供たちと遊ぶことを許可した。
ココア色の髪を三つ編みにして、羊の角のようにクルクルとお団子にしたスタイル。真っ黒な衣装や帽子、可愛い箒もお気に入りだった。貴族の仮装にしては少し地味だったが、大いにはしゃいだ。
「お菓子をくれないと、イタズラしますわよ?」
祭りの決め台詞を言いながら、シトルイユは子供たちの仮装の列へと加わっていった。貴族の令嬢ということで気を遣う子供も多いが、仲が良い小間使いも一緒だったので気にしない。
お気に入りの魔女娘衣装を揺らして、シトルイユはお菓子の入った籠を持って走る。ドレスより身軽で、どこまでも行ける気がした。
だが、ふと、列に加わらない少年の姿が目に入る。
子供たちの中で、一番目立つはずのジャック・オー・ランタンを被った少年。立派なカボチャは重いのだろう。フラフラとした足取りで、木陰に隠れて、こちらをじっと見ているようだった。
カボチャを被っているというのに、恥ずかしがっているのだろうか。シトルイユは気になって、カボチャのそばに駆け寄った。
「ねえ、素敵なカボチャさん。そんなところにいないで、こちらへ来てはいかが?」
シトルイユはカボチャに話しかけた。すると、カボチャは驚いたように肩をビクンと揺らし、シトルイユをまじまじと見つめてくる。
「勝手に入っても、大丈夫なのかい?」
見たところ、シトルイユより少し年上のようだが、慣れていないのだろうか。カボチャは困った様子で問いかけてきた。どこか、別の領地から来たのかもしれない。
シトルイユは得意になって、「ふふん」と笑った。
「大丈夫よ。なんなら、わたくしが手を繋いで差し上げましょうか」
冗談半分で、シトルイユはカボチャの前に手を差し出した。すると、カボチャは嬉しそうにシトルイユの手を掴む。
「わたくしは、シトルイユ・パンプキンスですわ。あなたのお名前は? 素敵なカボチャさん」
「え、その……君は……」
そう名乗ると、カボチャはしばらく、困ったように黙っていた。もしかすると、シトルイユが貴族の令嬢なので辟易しているのかもしれない。
「……カボチャのままでいいよ」
やや間を開けてそう言うので、シトルイユはおかしくなって噴き出した。
「わかりましたわ。では、カボチャの王子様。お祭りへ一緒に参りましょ?」
クスリと笑うと、カボチャの中で少年も笑った気がする。二人は手を繋いで、子供たちの列へと加わった。
踊ったり、笑ったり、お菓子を貰ったり。
パンプキンス公爵領の祭りを堪能して、魔女娘とカボチャは楽しい夜を過ごした。
疲れた二人は賑やかな祭りの列から外れて、森へと続く川のそばに腰を下ろす。
「カボチャの王子様は、どこからいらしたの?」
気になって、シトルイユは問う。
「……近くだよ。今日は、みんなにヒミツで来たんだ」
「ヒミツですか。ミステリアスなカボチャ様ですのね」
よくわからないが、シトルイユはにっこり微笑んでみた。おかしなカボチャだ。
しかし、言葉遣いや立ち振る舞いから、農民などではないことはわかる。他領から来た貴族の令息か。名前を隠す理由はなんだろう。
「今日はありがとう、シトルイユ。楽しかった」
カボチャの下で少年が笑った気がした。
「わたくしも、楽しかったです」
「初めて体験したよ。こんなに同年代の者と遊んだこともなかったし……よかったら、また誘ってくれるかい?」
列には入れなかった自分を誘ったシトルイユに感謝を述べているのだろう。
シトルイユは少しばかり得意になりながらも、視線を落とした。
「わたくしが祭りに参加出来るのは、今年が最後なの……婚約者が出来ましたの。だから、来年からは王都に住むのですわ」
だから、この地の祭りに参加するのは、今日が最後だ。
あまり考えていなかったが、急に感慨深いものが湧いてくる。今更になって、もっと楽しんでおけばよかったと後悔してきた。
「シトルイユ……その婚約者だけど――」
言いかけて、カボチャが言葉を止めた。そのときになって、シトルイユも初めて気配に気づく。
森の方から、二人を見つめる視線がある。暗闇に浮かぶ禍々しい紅い光を見て、シトルイユは冷や汗が流れるのを感じた。
森の闇から這い出たのは漆黒の毛並みを持つ狼だった。
ただの狼ではない。大人の背丈よりも大きく、屈強な身体を持った二足歩行の狼――ウェアウルフ。この辺りに住む魔物の一種だった。しかも、かなりの上級魔物である。
「どうして、こんなところに……ウェアウルフは普段、森から出ないのよ」
普段は森の奥に生息しており、滅多に人前に姿を現さないはずの魔物が現れて、シトルイユは身を硬直させてしまう。
シトルイユは貴族の娘だ。それなりに魔法の素養も教養もあった。下級魔物程度なら、退治したこともある。
だが、この辺りで一番危険だと言われている魔物を前に、動くことが出来なかった。言い知れない威圧感と恐怖が、シトルイユを縛りあげているようだ。
「シトルイユ、逃げて!」
カボチャが素早く立ち上がる。
「召喚する! 紅蓮の炎、地獄の業火で焼き払え! 地獄の番犬・ケルベロス!」
カボチャが詠唱すると、魔法陣が現れる。本来、魔法陣は地面などに描いて使用するものだ。この少年はあらかじめ紙に描いた魔法陣を携帯していたらしい。
紅い魔法陣が空中に現れて、空間を捻じ曲げながら眩い光を放った。そこから、三つ頭を持つ大きな犬が現れたので、シトルイユは目を見開く。
召喚魔法だ。シトルイユでは、とても呼べないような上級の召喚獣を、カボチャ少年は易とも簡単に呼び出してしまった。この魔力量は並大抵ではない。
彼はいったい、誰なのだろう。疑問が強まる。
「行け、ケルベロス!」
カボチャが命じると、ケルベロスがウェアウルフに襲いかかる。魔物と召喚獣は絡み合うように互いに噛みつき、死闘を繰り広げはじめた。
「シトルイユ、行こう!」
この隙に逃げるつもりなのか、カボチャ少年がシトルイユの手を掴む。だが、シトルイユは上手く動くことが出来なかった。
足が竦んで動けない。シトルイユに向かって、ケルベロスから逃れたウェアウルフが突進する。ケルベロスが低い咆哮をあげながら追いかけるが、間に合わなかった。
「くそっ! 風よ、戒めの刃となり、彼の者を斬り裂け! エアロブレイド!」
魔法の詠唱と共に、爆発的な風が起こる。
刹那、風の刃が形成され、ウェアウルフを襲う。
刃は袈裟にウェアウルフの身体を斬り裂いた。だが、浅い。絶命させるには到底及ばない一撃である。
ウェアウルフの血液が飛沫となって散り、少女に降りかかった。
結論、少年は選択する魔法を間違えたと言えるだろう。彼は知らなかったのだ。
ウェアウルフの生き血には毒がある。触れた者を呪う邪悪な血液なのだ。不用意に怪我を負わせることは命取りとなる。
その血を、シトルイユは頭から被ることとなった。
「シトルイユ!?」
「え、え……なに……?」
ケルベロスがウェアウルフに噛みつき、身体を引きずっている。その凄まじい戦闘すら、背景のように感じてしまった。
ウェアウルフの血を被った自らの身体を見下ろして、シトルイユは呆然とする。
手に降りかかった血液が煙のようなものを上げながら蒸発していく。代わりに、禍々しく紅い紋章のようなものが浮かびあがった。その現象は血液を浴びた身体の至るところで発生し、丸みを帯びた白い頬にも紅い紋章が刻まれる。
「いや……なにこれ……なんですか、これ」
混乱して呟き、シトルイユは自分の身を抱き締めた。少年が必死で浄化魔法を詠唱しているのが聞こえる。けれども、それも耳に入らなかった。
「シトルイユ、ごめん……ごめん!」
少年の悲痛な声だけが耳の奥に反響する。
いつの間にか、少年の被っていたジャック・オー・ランタンが足元に置かれていた。ぼんやりとした視界の中に、見たことがない少年が浮かぶ。
カボチャを脱いだ少年。艶やかな金髪に、美しい碧い瞳を持った彼は、誰だろう。
しかし、その正体が誰であっても関係ない。
「見ないで……ください……」
シトルイユは呪いの刻印が浮かびあがった顔を両手で隠した。だが、気休めにしかならない。
「いや……いや!」
辺りを見渡し、シトレイユはとっさに、少年が脱いだカボチャを持ち上げた。そして、外界から自分の顔を隠すために、カボチャを被る。
見られたくない。こんな姿、誰にも見られたくない。
必死で呼びかける少年の声も聞かずに、シトルイユは殻に閉じこもるようにカボチャの中で泣いた。
カボチャを被った少年が、自分の婚約者であるキュルビス王子だと知ったのは、翌日のことだった。