会社の裏側
様々な便利機能が発達し、無条件で信頼できる物に囲まれた生活が保証される現代はもう十分のはずなのに進化が止まることはない。今日でも新しい物、機械、製品は研究が進み、昨日よりも上位なる物が開発されて行く。
先日浅葱真も次世代のスマートフォンに機種変更をし、新たな機能を前にして驚かされていた。今では盗撮が簡単に出来る時代になり、人とのコミュニケーションも一つの機械があれば手頃に出来る。
俺自身、それが正しい進化の過程であると思っている。
ニュースでよく耳にするのは、そんな便利な時代になった今を揶揄するような言葉。
昔はこんなんじゃなかった。今は全然だめだ――と俺はよく耳にするが、滑稽な言葉として流している。懐古主義者は嫌いなのだ。
唯一俺が心配しているのは便利過ぎる現代社会において怠け者が増える事である。俺もその一人に含まれてしまうのが情けないが、外に出なくても一日を終えられる日が続くというのは危険ではないか、と考える。
今では恐ろしい程急速に技術は成長しつつある。何年と立たずに次々と新しいコンテンツが蔓延る。
その中でも、俺は時代に流されないように自身の確立というものを怠らないでいる。
流行る物を全否定する訳ではないが、人気な物に群がる集団を俺は好きになれない。
新しい物もそう。新しいからといってすぐに食いつく前に、自分が本当は何をしたいのかを見極めてから、次のコンテンツに手を出す。それこそ自身の確立だ。
新しいスマートフォンに夢中になりすぎて肩を伸ばした。真っ昼間、近くにある大学の大学生が通りを歩いている。その中に、スーツを着た中年の男性が事務所に向かって歩いてくる姿があった。見たことのない人物だが、怪しい人物とは思えない。綺麗に整った髪と身だしなみから受ける第一印象は、エリートサラリーマン。嫌らしい話をしにきた人物じゃなさそうで、安心した。
平日のこの時間は誰もが仕事をしている時間だ。彼は何をしにきたのか。
彼が玄関まで着くと、八条さんが迎えた。話の内容は聞こえない。俺は興味が失せて新しい機種へと再び目を向けた。なるほど、簡単に写真が加工できる。これなら即興で心霊写真を作ることもできそうだ。
例えば松枝の写真を撮影し、その肩の上に顔らしき何かを乗せておけば盛り上がる事だろう。素人でもできる。
また心霊の特番がつまらなくなるな。
ノック音だ。すぐに八条さんの声が聞こえた。
「お客さんだよ」
すぐに先ほどの男性の姿が浮かび上がった。失せていた興味が戻ってきた。
「どうぞ」
扉が開き、予想通りさっきの男が入ってきた。二度頭を下げながら部屋に入る。俺は椅子から立ち上がり会釈をした。八条さんが感心するような顔をした。
「この人はF&W株式会社の顧問弁護士、宮野さんよ」
聞き覚えのない会社で、そして聞き覚えのない名前でどう反応すれば良いのか迷い、結局再び会釈するだけで、俺は宮野と対面するソファーに座った。
「本日はよろしくお願いします」
宮野もまたソファーに座る。八条さんは頭を軽く下げると、すぐに部屋から出て行った。詳しい事は自分で聞け、という事だ。
「すみません、一つ質問があるんですが」
出鼻をくじかれたように宮野は固い表情を少し崩した。
「なんでしょうか」
「あなたの会社は何をしてますか」
「はあ……。いや、まず先に事件の方からお話をしてもよろしいですか」
質問が早とちりだった、ということだろうか。俺は素直に客の提案を受け入れる事にした。宮野は急いでいる風には見えなかったので、彼なりの順番があるのだろう。
「先日、オフィスの方で人が殺されました。主任の、私と同じくらいの年代の人物です。死因は絞殺。凶器は分かりませんが、おそらく人の手による物かと」
「それは警察の見解ですか」
「いえ、その事なのですが」
宮野は何も用意されていない机の上に手を置き、声を低くした。
「警察に通報するのは、少々厄介でして」
厄介の意味を考えたが、宮野はすぐに言葉を続けた。
「うちの会社は良い方向で成長を続けています。その最中に起こる殺人というのは成長を止めかねない。なのでここは内密に、外部に漏らさないようにということで事態の方は進んでおりまして。今日こちらへ足を運ぶのも苦肉の策といった所でした」
「つまり、警察には知らせないが、犯人を探したいと」
簡単な事を長々と話し、しかもくだらない事を言ってくれたもので、退屈を感じ始めていた。これならまだ、魔女が出た、と言われた方が面白味があって良い。大人の裏を見るのはつまらない。
「倫理的に許されない事は重々承知しているつもりです。ですが、会社側はこう望んでおられるのですから、私の役目は会社に有益があるように務めるだけ。この場合、確かに殺人は大きなスキャンダルになるでしょうから、外部に漏らすのはなるべく避けたいと考える会社の事を優先しました」
「倫理にかなう事をするのが探偵の仕事なので、引き受けられかねますけどもね」
「いえ、事実を申し上げますと、会社の方は大きく社会に貢献できる立派な企業に成長する事は間違いありません。社会というのは都合の悪い事を一切排除しなければ生き延びれない。綺麗ごとだけで成立する会社なんてありません。むしろ、そんな会社こそ信用を失うでしょう。そうは思いませんか」
新しく買ったスマートフォンが鈴の音を鳴らした。季節は少し遅く、風鈴の音だ。既に涼しい部屋の中で鳴っても、あまり魅力を感じない。
「失礼します」
八条さんから、受けろ、と一言メールが来ている。
スマートフォンをすぐに閉まって、宮野に向き直った。
「で、なんでうちに。他にも探偵事務所なら多くあるでしょう」
「顧問弁護士が会社の近くにある探偵事務所を使っているだけで、もしそれが外に知られれば問題となるでしょう」
つくづく思うのは、こうやって準備や下回りのよくできる企業に限って小さな問題をよく起こす。今朝の携帯で見たニュースにも、大企業の株価がどうのこうの、と書いてあったが社内で何かあったに違いない。
「じゃあ具体的にどうぞ。この紙にご記入ください」
宮野が書いている間、おおよそ扉のすぐ近くで聞き耳を立てていたであろう八条さんとの軽いお話をする事にした。宮野には断りを入れて、扉の外へ出た。
予想通り、八条さんがスマイルを浮かべて待っていた。
「偉いじゃない。全然乗り気じゃない顔だけど」
宮野に聞こえないように扉から離れた。
「汚い事の手伝いをさせられるのは慣れてないんですよ。潔癖症なんで」
「探偵が綺麗な仕事ばかりしてると思ったら間違いだよ。殺人事件の依頼だって、犯人に仕返しをしたいと思う被害者の心の闇が生み出した物なんだよ。浮気調査もそう。探偵は言い換えると、人の心の闇を消し去るために存在する、魔物狩りだね」
言い換える必要があったのだろうか。
「建前はそれくらいにして、本当は何が目的なんですか」
「あっはっは、ちょっとね」
八条さんは耳に近づいて、一言、まさに心の闇を告げた。
「お金がさ」
耳を離そうとしたが、八条さんが指で摘んできた。強制するような痛みだ。
「結構恵んでくれるらしいからさあ」
「八条さん。俺はそういうのがちょっと嫌いなんですけど」
「だめね。お金が汚い物だと思ってたらそれもまた、間違い。お金は崇高な物よ? お金がないと何もできない。これから浅葱君が救うであろう人たちを救う事すらできなくなる。なぜなら事務所が潰れちゃうからね」
「はあ」
ようやく耳が解放された。容赦を知らない痛みで、若干後を引いている。無駄に暖かくなった耳たぶは、この時期に必要性を感じない。
「こう見えてお金には気を配ってるの。よろしくね、真」
「突然下の名前で呼びますかね」
八条さんと離れ宮野のいる部屋に戻った。彼は筆を置いており、背筋を伸ばして考え事に耽っていたようで、俺が戻ると座りながら顔をこっちに向け会釈をした。
同じように俺も、心は最初よりは篭ってないが頭を下げ、ソファーに座った。確かに宮野や八条さんの言う事は筋が通っている気がするが、まだ許したくない気持ちを持っている。まだ大人になりきれていない証拠だろうか。
紙に目を通すと、一切の感情が切り取られた用紙のように思えた。典型文が連なっている。
おおよそ事件の事は頭に入れることができた。十行程使って書かれているが、要するに、四方八方から監視の目が行き届き、さらにその監視は年中休むことなく続けられ、死角すらないオフィス内でなぜ被害者は死に、誰が殺したのか、ということだ。更に動機も掴めてないらしい。
死因は絞殺。死亡したのは一昨日の今ごろ。朝出社した時は生きていて、昼休みを過ぎた所で死亡したという。ならば、昼休みに殺されたと考えるのが道理だ。
「指紋が分かればすぐに犯人も分かると思うんですけど。警察はすぐにやりますよ、そういう科学的な調査」
「いえ、この会社の場合エリート揃いですから、指紋がつくことはすぐに分かるでしょう。手袋を着用したと考えられますよ」
警察を呼びたくないという単純な目的の言い訳を的確に選んでいる性格を見れば、弁護士という仕事は間違っていないように思える。
ところで、エリートこそ小さなミスに気にしなくなるというのは、どうやら本当の事らしい。
「あの二つ程お願いがあるんですが」
「はい」
「会社の事について教えてほしいのと、名刺があったら見せてほしいんですが」
宮野は慌てて名刺入れを鞄から取り出した。こういう所は面白い人であるな、と思った。