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祝祭  作者: のっぺらぼう
8/22

#08

スピーカー付きのワゴン車の横、門に近い側で泥酔した日比野(ひびの)が横になって眠り込んているのを見留めた瞬間、星哉(せいや)の腹は決まった。理沙(りさ)と老婆に挟まれ、胎児のごとく体を縮込(ちぢこ)ませ、静かに寝息を立てている日比野の、目立つ長い髪と顔の部分を隠す様に、脱ぎ捨てられていた上着をさりげなく、掛ける。星哉のその行動を善意と受け取ったのか、お礼を言って来た理沙に軽く会釈を返して立ち上がると、ワゴン車をぐるりと回り込み、門とは逆側にある窓を叩いた。カーテンと窓がすぐに開いた。

「日比野さんが、鍵を取ってこいと」

星哉が思った通り、その言葉に(タン)は、昨日の今日ということで疑わず、窓から面倒臭そうに鍵を渡してくれた。大体の場合、車内には手越(てごし)もいるのだが、このときには(タン)しかおらず、手越は一つのテントの前で、足達(あだち)慶斗(けいと)たちを相手に何かを話していた。星哉は、冷たい風が吹いているというのに汗が(にじ)んでいる顔を不審に思われたり、強く打っている心臓の音が他者にまで聞こえやしないかと恐る恐るテントの合間を抜けて、坂道を下って行った。手越は一瞬だけ、顔を星哉の方に向けたが、特に気に掛けた様子もなかった。別のテントでは初老の男二人が眠っているらしく、酷い(いびき)が聞こえていた。

道を(ふさ)ぐワゴン車の扉を開けると、それだけで酒の匂いが鼻をついた。この状態で検問に引っかかったら、間違いなく飲酒運転を疑われると思いつつ、星哉は運転席に乗り込んだ。取り敢えず、車を道路に平行に戻すことから始めなければならなかった。


息苦しさを感じた日比野は目を開けた。頭部に何か布地が掛かっていることを鈍い頭で理解すると、手で払いのけつつ、起き上がった。金属製のマグカップがブルーシートの上に転がっている。かなり前に空になっていて、内側の液体が蒸発し切っているそれを取り上げ、ワゴン車の側面に手をつき、体を支えつつ、ゆっくりと移動を開始した。ワゴン車の後部を回り、顔を上げたところで、ちょうどこちらを向いた手越と目があった。

「日比野?あんた。ワゴン車で寝ないのか?」

眉をひそめて問い掛けられ、日比野は、顔に掛かる髪の隙間から、どんよりと濁った瞳を手越に向けると、肩を震わせて笑い出した。真っ赤な唇がびくびくと動いた。

「お日様が照っているのは、あたしの幻覚じゃあないわよねえ」

手越の眉がぴくりと動いた。

「…鈴村に車の鍵を取りに来させなかったか?」

「はあ、鈴村?って誰…ああ、分かった。何であいつ?あいつに鍵を持って来させたことなんてないわよ」

会話を聞いていた足達の喉から、微かに空気が漏れるような音が響いた。続いて、風がテントを揺らす音と、(いびき)に混じって、はっきりと自動車のエンジンを始動させる音が響いた。手越と足達は、一目散に走り出した。


食料品店の搬入を邪魔した際、(タン)は苦もなく滑らかに、道路と垂直状態にワゴン車を停車させていたが、その状態から九十度回転させ、道路に沿う形に戻すのは至難の業であった。前輪が道路から落ちて土の地面の上にあるので、アクセルを(ゆる)く踏んだだけでは土を削り、下草を跳ね上げただけで終わった。効かせ過ぎて車体が飛び出し、前方の樹々に衝突するのではないかと、冷や冷やしつつアクセルを踏み込み、(わず)かに前進させつつハンドルをきるが、そこで大きな石か倒れた立木でもあったのか、前輪が微かに浮き上がる感触があり、車体が戻ってしまった。きゅるきゅる、という(かす)かな音が、焦る星哉の耳に(さわ)った。

その音に混じって、左手から金属音と衝撃が響き、星哉は運転席で跳び上がった。初めの大きな一撃に続き、がんがんと、助手席側の扉と窓が叩かれている。そちらを見た星哉は、憤懣(ふんまん)やる方ないといった表情の手越、足達とまともに目があい、顔を強ばらせた。

「下りろ!」

手越がそう言っているのが口の動きで分かった。星哉は目を精一杯見開いて、汗の吹いた顔を前方に向けると必死でアクセルを踏み込んだ。前輪が埋まったのかエンジンの音だけが響いて、車体が動かない、と思った瞬間、もの凄い勢いで車が飛び出した。シートベルトをしていなかった星哉の体は一旦、座席に押し付けられたあと、前方につんのめり、前頭部が窓に、胸部がハンドルに打ち付けられた。車は、発進したものの動き過ぎて、木にぶつかっていた。ヘッドライトのガラスが(くだ)けた音と、ボンネットがへこんだ金属音が響いた。星哉は強打した額をさすりつつ顔を上げかけ、髪を後ろから掴まれ、力(まか)せに引かれて、()()った。星哉の喉から悲鳴が漏れた。バックミラーに、殺気立った足達の顔と、開いた後部座席の扉が映し出されていた。後部座席の扉に鍵を下ろしていなかったらしい。

星哉はアクセルを踏むのを止め、ハンドルから両手を話した。助手席側から手越の怒鳴り声が聞こえて来た。

「エンジンきって、下りてこい」

星哉は髪を掴まれたまま、眼球だけ動かし位置を探り、右手を伸ばしてエンジンをきり、鍵を抜いた。運転席側に回った手越の身振りに(こた)えて、扉を開錠すると、手越に腕を掴まれて運転席から引きずり下ろされた。髪を掴んでいた足達の手が離れるのが遅れたため、髪の毛が数本と頭皮が一部、足達の手に残った。星哉はそのままワゴン車の後部を回って坂道を数歩上にいったところまで引きずられ、そこで突き飛ばされてよろめき、道路に両手と膝をついた。

「どういうつもりだ?車泥棒として警察に突き出されたいか?」

手越の低い声が響いた。

「違います!盗むつもりなんて、そんな…」

警察、の言葉に、星哉は慌てて反論したが、語尾が弱くなった。いくら否定しようと、自分のしたことが明らかに車両の窃盗未遂であることは、はっきりと自覚出来た。

「はっ!こいつ、頭おかしくなったんじゃないですか?昨日も猿見ただけで騒ぎ出すし」

「あれは、猿じゃない…」

ワゴン車から下りて来た足達に吐き捨てられ、弱々しげに星哉はつぶやいた。実際、今ではあれが猿ではなかったと断言出来た。だったらなんなのか、と言われると返答に困るのだが。

「待ってくれ!」

手越や足達が、その後何を言うつもりだったか、何も言わないつもりだったのかは不明だが、どちらにせよ突然響いた大声に、足達と手越、星哉も声が上がった方を見た。張られたテントの合間から、日比野や若い男たちがこちらを見ていた。声を上げたのは慶斗だった。

「鈴村さん、あんた、綾乃に頼まれて来たんじゃなかったのか!」

「いやそうですけど…」

妙にきらきらと輝かせた瞳と共に叫ばれて、星哉は軽く引きつつ、口の中でもぞもぞと言った。

「なのにどういう言うつもりで綾乃の期待を裏切るんだっ!」

『…』

「確かにここは不便だ!でも、綾乃のために、とは思わねえのか!」

慶斗の声はもはや絶叫だった。言葉に合わせて、限界まで見開いた目から涙が(したた)り落ちた。慶斗の周囲にいる若い男たちが、手を叩き、指笛を吹いた。唖然としている星哉だったが、手越と足達にしてもこのような反応は予想外だったらしく、毒気を抜かれた顔で、慶斗を見やっていた。

「…真下(ました)、こいつを、テントの方まで連れていって、お前のその説教を聴かせておけ」

「もちろんス!」

一番始めに我に返った手越の指示に、慶斗は顔を輝かせてうなずくと、無償の愛であるとか、献身がどうとか、その手のことを延々と演説し始めた。若い男たちは星哉の周囲を取り囲むと、立つ様(うなが)し、慶斗も加えてひとかたまりになって、坂道を上って行った。

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