#05
シンデレラであればもうすぐ魔法の解ける時間だったが、星哉を取り巻く状況は魔法によるものではなく、ただの現実の一端だったので、劇的に変化することはなかった。星哉は、手越からきつく申し渡されたため、必死で歯を食いしばってい笑い声こそ慎んでいるものの、楽しくて仕方がないといった表情の慶斗たち、若い男五人と足達と共に、暗い山中をそろそろと進んでいた。一応、先頭の足達が足元を懐中電灯で照らしているが、それ以外の明かりらしい明かりは、黄色く輝く半月のみだった。それも、生い茂る山の樹々と、今年最後にして最大と言われている台風が九州地方の沖合に来ていた関係で、切れ切れに飛ぶ雲にしょっちゅう隠されている。片手にワゴン車に積まれていたシャベルを持った不安定な状態で、暗く、足元の危ない山を歩きながら、星哉は、自分は一体何故にこのようなことをしているのかという哲学的な命題を考え続けていた。
ふと、甘ったるい香りが、星哉の鼻をくすぐり、思考を中断させた。何か分からないが、強い匂いを放つ花が咲いているらしい。樹々など全て黒い影としか見えないが、星哉は顔を巡らせ、何となく匂いの元を探したが、探し出すより早く、先頭の足達が歩みを止めて、振り返った。懐中電灯の光が上に向けられた。ちょうど足達の頭の高さ辺り、斜面の上に、光に照らされて細い合成樹脂の網が浮かび上がった。
新興宗教団体の財源の一つが植えられているという畑は、建て売りの一戸建てが十戸建てられる程度の広さで、周囲は真新しい害獣避けの網が張り巡らされていた。足達は斜面に手をついて体を支え、躊躇なく、鋏を入れ、それを切っていった。少々手間取ったものの、成人男性がくぐり抜けられる程度の空隙を作ると、まず足達がくぐり、星哉たちも、シャベルやつるはしを片手に続いた。
足達が懐中電灯を上下させて畑の部分部分を照らし出した。半分は既に収穫が済んでいたらしく、作物らしきものはなく、新しく造られた畝があるだけだったが、半分には弱い光の下でもはっきりと分かるほどに青々とした葉が茂っている。星哉は、それがどう見てもサツマイモの葉に見えることに不安を覚え、足達を見た。足達は星哉の内心など気に留めず、懐中電灯を持っているのとは逆の手を目の前にかざし、手首の腕時計をじっと見ている。その腕時計が微かな電子音を立てた。午前零時の時報だった。数拍遅れて、宗教団体の施設の門の前、星哉たちが今いる場所とは建物と運動場を間に挟んでいる位置に停車されたワゴン車のスピーカーが流している抗議文と、それに混じった拡声器の音声が遠く聞こえて来た。足達はくっと小さく笑うと、期待に目を輝かせ、うずうずしている若い男たちに向かって、軽くうなずいた。
「よし、やれ」
足達の短い指示に、若い男たちは、我先にと畝を踏みつけ、葉に飛びついた。振り上げられたつるはしやシャベルの先が、葉と土に突き立てられ、明らかに土以外の何かに当たった音が響く。一動作ごとに、きゃはきゃはと、幼稚園児がはしゃぐような声が上がった。
「何やってんだ、お前もやれ」
そんな慶斗と若い連中の有様を、突っ立ってぼんやりと眺めていた星哉の脚に、足達が蹴りを入れた。
「でも…」
サツマイモではないのか、と尋ねかけて、足達の怒気を含んだ視線をまともに受け、星哉は黙り込んだ。一歩、二歩、恐る恐る畑の畝の間に足を進めると、スコップをそっと、葉の間に差し込んだ。
「ひゅうっ!」
「!?」
呼気とも、雄叫びともとれない音を口から発して、若い男たちのうちの一人が、中腰になっている星哉の背に飛びつき、乗りかかるような形でぶつかってきた。星哉は前のめりにつんのめって、土に差し入れたスコップで全体重とぶつかって来た男の勢いを支える形になった。土の中の作物を砕いた感触が手に伝わると同時、結局支えきれなかった体が、スコップを抱えるような形で、土に突っ込んだ。土の上に押し倒された星哉は、土まみれになりながら、足達や慶斗、その他の若い男たちが、げらげらと笑う声を聞いた。星哉は両手をついて起き上がると、怒りを込めて全員を睨んだが、より一層笑い声が大きくなるだけだった。恥辱と怒りに顔を赤く染めながら、星哉が立ち上がり土を払っていると、笑いつつ慶斗がその片腕を掴んだ。
「すっずむら、さあん、こっち!」
揶揄する口調で掴んだ腕を引っ張る。振りほどこうとしたが、もう一人、別の若い男に逆の腕を掴まれた。抵抗むなしく星哉はそのままずるずると、畑の隅の方に引きずられて行った。靴が、葉や畝を踏み潰し、土に汚れた。
「はあい、ここね!」
星哉は少し前に嗅いだ、甘ったるい匂いの源を知った。月明かりのみにも関わらず、その甚だしい匂いで存在を主張している金木犀の木の下に、星哉は連れて来られたのだ。慶斗ともう一人の腕を掴んでいた男は、星哉を木の下に立たせ、同時に手を離して飛び退いた。星哉が何か言うより、するより早く、金木犀の木の裏にいた別の若い男が、幹を思いっきり蹴った。黄色い月光に照らされた金色の花が散り、ばさばさと、星哉の全身に降り掛かった。その様子を見て、慶斗は腹を抱えて笑い出した。他の連中も、もちろん笑い転げている。
「す…っげ!ひっでえ、臭え!トイレのあれだな!」
笑い声に混じって、誰かが言った。笑い声は更に大きくなった。星哉は顔を真っ赤にして拳を握りしめた。憤怒の余り、その拳がわなわなと震えていたが、誰も気にしていなかった。
「っく…ぶは…おい、ちゃんと…畑、つぶせ、って…」
笑いつつ、足達が指示を出した。若い男たちは、はあい、と戯けた返事をしつつ、シャベルやつるはしを振り上げ、まだ残っている青々とした葉を叩き潰し、畝を掘り起こして行った。
どうやって、テントのところまで戻って来たのか、星哉には記憶がなかった。だが、取り敢えず戻って来て、金木犀の花弁まみれになった上着や、土まみれの靴は脱いで、寝ていたらしい。午前四時前、まだ暗い中、星哉がやたら元気のある慶斗にテントから引きずり出され、はっきりしない頭で周囲を探ると、靴と上着が道路に放り出されていた。それを見ると、昨晩の慶斗たちから受けた仕打ちがはっきりと思い起こされ、星哉は口の中で悪態を吐き続けつつ、花弁や土を払った。午前四時の定例行動は、慶斗と若い男たちのうち二人と星哉、そして理沙以外は参加していなかった。おざなりに太鼓を叩いていると、それ以外の時間帯のものと比べると小規模ながら、抗議文の読み上げが終わる。星哉はテントに戻り横になったが、一旦、おかしな時間に目覚めさせられたのと、慶斗たちに対する怒りとで目が冴えてしまい、なかなか寝付けず、うとうとし掛けた頃には次の定例行動の時間になっていた。
慶斗は、午前四時からずっと起きていたらしく、妙に興奮していた。この時間には老婆や穂高も起き出して、参加するべく準備をしていた。星哉は寝不足の体を抱えつつ、穂高から渡された太鼓を受け取り、門の方を向いて、一瞬で目が覚めた。運動場にはジャージ姿の男たち十人ほどが出て来ていて、星哉がぎょっとしたことに、男たちは長い棒を手にし、一斉に、あたかも眼前にいる敵を倒しているかのような捌きを見せていた。
「戦闘訓練だな。何と戦うつもりかは知らんが」
背後から手越のつぶやきが聞こえて来た。ジャージ姿の男たちの標的が自分たちではないことを祈りつつ、星哉は穂高の振るタンバリンに合わせて太鼓を叩き始めた。
理沙が、拡声器でお定まりの、息子を返せ、という叫びを終え、ワゴン車のスピーカー音が小さくされたところだった。スピーカーから流れる音声もかくやというような大音量の怒声が響いた。
「てっめえらああっ!」
星哉たちに加え、運動場にいた男たちが一斉に声の主を見た。一人、ジャージ姿の少年らしき小さめの人影が、砂塵を巻き上げ、凄まじい速さで運動場を横切り、真っ直ぐ門に向かって突進して来ていた。まだ顔の判別が出来るかどうかと言った距離にも関わらず、とてつもない殺気を感じ取り、星哉は思わず一歩後退し、背中をワゴン車にぶつけてしまった。星哉以外の、座り込みをしている面々もそれは同じだったようで、微かな悲鳴とざわめきが起こった。が、すぐに収まった。運動場にいたジャージ姿の男たち数人が、突進する少年に横手から体当たりを仕掛け、一人が成功して、少年を転ばせたのだ。もっとも地に這った少年は、すぐに体当たりを成功させた男の手を振り払うと、立ち上がった。しかし、既に迫っていた別の男たちが、少年を再度地面に押し倒した。少年はなおも暴れ続けていたが、最終的にプロレスラー並の体格の男が少年を羽交い締めにし、別の男が足を捕まえ、建物に運ばれて行った。
「てめえらっ!許さねえっ!畑の落し前、ぜってえ、つけさせてやる!」
少年のやや甲高い声が響き、悪態が聞こえた。少年が暴れている間、もう一人、こちらは小太りで、麦わら帽子に肩にかけた手ぬぐいという、農夫です、と全身で主張しているような男が、門に向かって泣き喚いてたが、こちらも両腕を一人ずつに縛められ、引きずられて行った。何を言っていたのかは分からなかった。
一瞬の沈黙の後、慶斗が吹き出した。
「あれ、そうっすよね。気付いたんスよね」
慶斗につられたらしく、若い男たちが笑い出し、だんだんと声が大きくなり、爆笑になった。星哉には理解不能だったが、慶斗はとてつもなく面白いと感じているらしく、片手で腹を押さえ、もう片方の手でワゴン車の側面をばんばん平手で叩いて笑い転げている。辺り一帯に響く大きな笑い声に、少年と小太りの男を囲んで建物の方に戻っていくジャージ姿の男たちが振り向いた。複数の目に睨め付けられ、星哉は背をワゴン車に押し付けたまま軽く仰け反ってしまった。慶斗たちは気付いているのかいないのか、意に介さず、なおもげらげらと笑い続けていた。