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祝祭  作者: のっぺらぼう
3/22

#03

その女性が綾乃(あやの)の母の山本(やまもと)理沙(りさ)だと知った途端、慶斗(けいと)はそれはもう嬉しそうに、理沙の隣に無理矢理座り込んで話し始めた。割り込まれ、座る位置を強制的にずらされた髪の長い女性が、恐らく酒焼けしたと思われる(しわが)れた声で抗議をしたが、慶斗は無視して、理沙に話し掛け続けた。理沙はというと、綾乃の彼氏の存在を知っていなかったのか、今日来るという連絡を受けていなかったのか、怪訝(けげん)な面持ちで曖昧な相槌を打っている。髪の長い女性は、無視されたことに苛立(いらだ)った様子で、突然、勢い良く立ち上がり、その拍子に金属製のマグカップから、中の液体が(こぼ)れ出た。強い酒の匂いが立ち上り、星哉(せいや)のいる場所にまで漂って来た。女性は、手に(こぼ)れた酒を()め取ろうとして何度か失敗しつつ、(かかと)を踏み潰した運動靴を引っ掛けると、ふらふらと坂道を下って行ってしまった。

「どうも、穂高(ほだか)です」

慶斗と理沙、そして髪の長い女性の様子を、突っ立ったたまぼんやりと見ていた星哉は、不意に下方から掛けられた声に、虚をつかれた。ワゴン車のタイヤにもたれ掛かったままの、小太りの男が話しかけて来たのだと一拍置いて気付き、身に付いた習慣で、さっと会釈を返した。

「鈴村です」

名乗り返して、少し考え、その場にしゃがみ込んだ。理沙は慶斗に話しかけられているし、老婆とは何となく話しづらいものがある。足達(あだち)たちや慶斗、歌っていた若い連中などは出来れば関わり合いたくないという心情である。総じて、乗用車から降りて以降、異次元に流れ着いてしまったかのような感覚を覚えていた星哉には、まともな挨拶をしてくれた相手はそれだけで貴重だったので、話しをしたかったのだ。

「初めてですか。こういうのは」

穂高に問われ、星哉はうなずいた。

「知人に頼まれて来たんです。右も左も分からないというか…」

困惑し切っている、というのが本音だったが、出来るだけ柔らかい表現で星哉は答えた。

「すぐに、慣れますよ。僕も初めはそうでしたから」

「そういうものですか。何度くらい、参加されているのですか」

「さあ…何度目でしたか。でも、すぐに、慣れますよ。僕も、そう言われて、すぐに慣れましたし」

穂高はこくりと首を(かし)げて答えた。子供や若い女性であれば可愛らしい仕草だったが、いい年をしたご面相の余り良くない男がすると、見栄えの良いものではなかった。

「はあ」

「すぐに、慣れます」

穂高は首を六十度ほど傾けたところで固定して、付け加えた。そのまま黙り込み、顔を(はす)に傾けたまま微動だにせず、しかし目だけ真っ直ぐ、(まばた)き一つすることなく見開いて、じっと星哉を見据えている。星哉は何か喋った方が良いのか、黙っていた方が良いのか判断に困って、視線を(せわ)しなく動かした。視界に、理沙をお母さんと呼び、喋りかけ続けている慶斗の姿が目に入った。再び視線を穂高に向けると、いつの間にか穂高は星哉を見るのを止め、膝に置いた荷物に顎を乗せて、じっと門の辺りを見つめていた。居心地の悪さを感じた星哉は、そっと立ち上がると、後退し、ワゴン車の正面を回って、元来た道を逆にたどり始めた。テントの一つの前では、相変わらず初老の男性二人が、焼酎で一杯やっていて、今はその隣に髪の長い女性も加わっていた。星哉は何でもない、といった装いで三人の前を通り過ぎると、スピーカーが設置されていない方のワゴン車の横にまで歩を進めた。運転席側の扉の取っ手を引くと、しっかり施錠されている事が分かった。窓から中を(のぞ)き込むが、車の鍵は差し込まれていなかった。

「おお、にいちゃん。さっそく車泥棒かあ!」

突然響いた濁声(だみごえ)に、星哉は驚いて文字通り跳び上がってしまった。初老の男たちと女性が、にやにやと笑いながら、星哉とワゴン車を見ていた。男二人の黄色く汚れた歯と、女の真っ赤に口紅を引いた唇が、やけに目についた。本気で車を盗むつもりではないが、出来ることならこの場所から遠ざかりたいと思う心理から車の鍵を確かめた、ということを見抜かれたように感じて、星哉の顔が赤くなった。

「どうした」

赤くなった星哉の顔が、今度は一転、青くなった。門の前にあるワゴン車から、足達、(たん)、手越が順に下りて来て、手越が、そう尋ねて来たからだ。怒鳴ったわけではないが、妙に良く響く声だった。初老の男二人と、髪の長い女性はぴたりと笑みを引っ込め、それぞれ手の中の椀に視線を戻した。手越は星哉の青い顔に一瞥をくれたが特に何も言わず、足達は理沙たちに声を掛け、譚は小走りに星哉の方に向かって来た。ぎょっとした星哉は一歩後退したが、譚は星哉のことなど眼中にない様子でワゴン車の扉を開錠し、するりと運転席に座り込んだ。鍵が差し込まれる音に、星哉は慌てて、テントの張られている方に移動して、危険を()けた。譚はワゴン車のエンジンを始動させると、坂道を後ろ向きに下り、星哉が乗用車を降りた地点より少し先に行ったところで車の方向を九十度回転させ、道に対して垂直になる様にして、停車した。道幅は車一台が通れるだけしかないので、前輪は舗装された道路からはみ出ていて、土と下草を踏み付けている。ちょうど、道がワゴン車によって(ふさ)がれてしまった状態である。

星哉がただその光景を眺めている間に、手越とワゴン車の運転席の譚以外の全員が、星哉の傍らにまで下って来ていた。穂高が、行きますよ、と声を掛けて来た。星哉には何が何だか分からなかったが、星哉の横を通り過ぎ、道を(ふさ)ぐワゴン車の方に向かって行く一団の後に、取り敢えず付いていった。坂を少し下り、ワゴン車の手前まで来て、星哉はこの施設のもう一つの出入り口の存在を知った。こちらは門扉ではなく、施設の周りを囲っているのと同じ金網の引き戸になっていて、(かんぬき)と南京錠で閉じられていた。理沙たち、先行して来ていた一団は、その出入り口の存在は既に知っているのであろう、特に気にも留めずに、ワゴン車の後部を回って、向こう側に行ってしまった。星哉も慌てて後に続いた。

星哉は、ワゴン車の向こう側に出たのとほぼ同時に、自動車の走行音を耳にした。まだ遠いということが、その響き具合から分かるが、何分他に機械音などしてこない山奥なので、鮮明に聞こえた。しばしの間は音だけだったが、すぐに坂道を登ってくるトラックが見えた。と、向うも道を(ふさ)ぐワゴン車と、星哉たちに気付いたらしく、速度を落として徐行運転になり、そろそろと近づいて来て、会話が交わせるほどの距離になったところで、停車した。運転手が顔をしかめたのが、フロントガラス越しに見えた。トラックの運転手は、窓を開けると顔を外に出して、こちらを見た。何か、話しかけて来ようとしたのは明らかだったが、向うが言葉を口にするより早く、肩にかけた毛布の下から拡声器を取り出した理沙が、雑音混じりで叫んだ。

「息子を、返せ!」

耳から入り、頭の芯にまで突き抜けた大音量に、理沙の隣にいた星哉は鼓膜が破裂したのではないかと一瞬疑った。軽く跳び上がった星哉のことなど、誰も気にせず、理沙に続いて、こちらは拡声器無しに若い男の一人が、ラップ調で何か叫んだ。星哉は若い男が何を言ったのかは分からなかったが、仲間内では伝わっていたらしく、他の三人から拍手と指笛が起こっていた。

「アマネを、返せ!」

再び理沙が叫んだ。続いて今度は髪の長い女がどこからか持ち出して来たタンバリンを大仰(おうぎょう)に鳴らし、老婆が、どうみても僧侶が墓の前で念仏を唱えるときにならす携帯用の(りん)を、ちいん、ちいん、と何度も鳴らした。

「息子を、返せ!」

『子供たちを、返せ!』

どうも、理沙が拡声器で一言言って、後に何かしら続ける、という手筈になっているらしい。今度は二人の初老の男と穂高が、百円ショップで売っている合成樹脂製のメガホンで叫んだが、泣きたくなるくらい棒読みだった。

理沙の第一声に、この場で唯一星哉と同じくらい驚いていたトラックの運転手は、一旦顔を運転席に引っ込めていた。停車した直後に比べて、かなり困惑していることがありありと分かった。一旦、車から下りて話しをしようと思ったのか、扉の取っ手に手を掛けているらしい動作が見えたが、思い直したのか、再度窓から顔を出しかけた。だが、髪の毛の幾筋かが外の空気に触れたくらいのところで、びっ、という音が響いた。同時にトラックのフロントガラスに蜘蛛の巣が張られた様に亀裂が入った。その向う、慌てて顔を引っ込めた運転手の顔が青くなっていた。その顔が、一瞬、木の枝に(さえぎ)られて見えなくなった。投げつけられた木の枝が、ちょうど運転手の顔の正面のフロントガラスに当たったのだった。

「ひょうっ!」

謎の雄叫びが上がった。初めの第一投が誰だったのかは分からないが、今は慶斗と若い男たちが、ワゴン車の周辺に落ちている木の枝や葉、生えている草を引き抜いて、投げつけ始めていた。タンバリンがもの凄い勢いで打ち鳴らされ、競う様に(りん)が鳴らされた。理沙はもう連続で、ただただ、返せ返せ、と拡声器で叫び続けていた。不意にそれらの音に、エンジン音が混じった。トラックの運転手は、窓を閉めるより先に、エンジンをかけ直して、後進し始めていた。後ろ向きで走らせているとは思えないような速度で、トラックの姿が小さくなり、樹々の間に消えて行った。

歓声が上がり、拍手が巻き起こった。慶斗も混じった若い男たち五人が笑いながら踊り出し、それ以外の者たちも、つられてげらげらと笑い出した。星哉はただ呆然と、その場に立ち尽くしていた。

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