#10の裏側
寒風が吹き抜け、雨粒が打ち付けられる三年生寮の屋上に、美月と里崎、北原に久井本の四つの人影があった。気温はかなり低かったが、風上に久井本がいて防いでいてくれるので、美月はそれほど風雨に体温を奪われておらず、また四人とも学校指定のジャージ姿だが、美月と里崎は安物の合羽を羽織っているので、その働きもあった。この四人を除く生徒は今、全員が学院の正門と車両用出入り口に集結しており、食物のありがたさを外部の方々にも教えてあげましょう計画の最終段階の開始を待っていた。虚弱体質設定があり、後方支援向きな美月はとにかく、里崎と久井本まで後ろに下げられているのは、補助役に徹するためである。北原は、もともと荒事向きでは無いことに加え、調理部部員たちが担っている使鬼を使った通信係が必要なのでこの場にいる。ただ、本心としては直接、畑を潰した連中に鉄槌を下したがっているのが伝わって来た。
「始まった」
北原が他の三人に向かって告げた。声の大小は普通だったが、風雨に遮られて小さく聞こえた。眼下の闇夜の中、百に迫る人影が一斉に蠢き始めた。
生徒たちは五つの組に分かれている。車両用出入り口からは三つの組が出た。一つは出入り口前に停められているワゴン車を取り囲み、静止。一つは、坂道を少し下り、連中の下方への逃亡を阻止する位置に着いた。一つは逆に坂道を上り、テント群に向かった。正門を乗り越えて出た二組は、一つは坂を下ってテント群に向かい、下から来る組と合流しつつ、テント群の周りを包囲する様子を見せた。残る一つは正門の前にあるワゴン車に取り付いた。
始動からすぐ、事が起きた。坂道を上るということで、正門側より少し早めに出発し、テントに向かった生徒たちの動きが、テントで休んでいるものに気付かれたようで、さっと懐中電灯と思しき光が走った。その光に目が眩み、先頭にいた生徒の足が止まった。すぐにその後ろにいた二人の生徒が光源に向かって坂を駆け上り始めたが、光は僅かに上下すると、正門とは道路を挟んで逆にある山の中に消えていった。テント群に向かった二つの組の役割は、テントで寝ているものたちの身柄の確保と、テントの解体である。逃げ出したものがいる場合の対処は、別の組、坂を少し下ったところで待機している生徒たちに託されていた。連絡が飛び、その組に参加している一人、八重樫が反応した。
「ちっ」
舌打ち一つを残して、八重樫は山の中に飛び込んだ。同時に、三年生寮の屋上で待機している久井本にも合図が送られた。追跡用の犬の形の使鬼が発現し、八重樫の後に続いた。
正門前のワゴン車に取り付いたのは、坊坂、藤沢を含む棒・槍・杖術の部の部員たちに、剣術部、柔術部に所属する生徒たちであった。このワゴン車を『セミプロ』三人が塒にしていることは判明していたので、腕に覚えのある生徒たちが揃えられたわけである。ワゴン車を取り囲むと、腕力に自信のある生徒たちの手によって、四つのタイヤの側面に一斉に研ぎ澄まされた錐が差し込まれた。錐で小さな穴が穿たれること数度、穴がまとまり、大きくなったところでその穴に小刀が捻じ入れられた。裂傷が出来たタイヤから、一気に空気が漏れ始めると共に、がくんと車体が下がった。四つ同時に空気が抜けて、車体が落ちれば上出来だったが、さすがにそうはいかず、四隅がひとつひとつ少しずつずれて、下がる形になった。当然、その分振動があるわけで、目を覚まして下りてくるものがいないか、ワゴン車を取り囲み、扉の前を固めている生徒たちは固唾をのんで見守っていたが、美月が仕込んだ睡眠薬はしっかり効果を発揮していたようで、起きて来るものはいなかった。
車体が完全に沈み込み、四つのタイヤが、役に立たない状態にまでなったのを確認すると、運転席側の窓硝子にガムテープが張られ、硝子が飛び散らないよう施された。柔術部の部員の一人が金槌を振り下ろすと、割れた窓硝子がガムテープにくっついてだらりと垂れた。開いた穴から手が差し入れられ、扉が開錠される。生徒の一人が車内に滑り込むと、寝袋に包まれて間抜けた寝顔を晒している人相の悪い男たち三人を跨ぎ越し、後部座席の扉を開いた。三人は生徒たちによって寝袋から引きずり出され、寝袋は車外に放り出された。外で待ち受けていた生徒が寝袋を手際良くゴミ袋に詰めていく。寝袋の次は服、服の次は下着で、三人はあっという間に真っ裸にされた。薬で眠らされていても寒さは感じるらしく、もはや野外と変わらないまでに下がった車内の気温に、眠りこけたまま身を震わせていた。更にカーテンが外され、その他の身にまとえるような布地の類いは、全て車内から取り払われ、放り出された。荷物に加え、点在するガムの一枚に至るまでの食品、飲料の全てと、液体を掬えるような容器は全て撤去された。
ワゴン車の周りの生徒たちもまた動いていた。三年生の生徒が運転席のレバーを引き、給油口が開けられた。生徒の一人が持参の空のポリタンクを開いた給油口の前に置いた。灯油用だが、誰もそこまで拘っていない。同じく灯油用の手動のポンプが給油口から差し入れられ、腱鞘炎になりそうな手の動きが繰り返され、ワゴン車からガソリンが抜かれた。ガソリンタンクがほぼ空だと確認されたところで、別の生徒が分厚いビニールで出来た袋を持ち上げた。元々は畑で使う肥料が入っていたが、今入っているのは砂と土だった。袋の口が給油口に当てられ、一旦空になったガソリンタンクは、砂と土で満たされた。
その辺りで、生徒の一人がテント群の周辺にいる生徒たちに知らせに向かった。テント群を取り囲んでいた生徒たちが、ぞくぞくとテントで眠っていた男たちをワゴン車に運んで来た。無人になったテントが解体され、荷物と共にゴミ袋に詰められていく。運ばれて来た男たちの服も全て取り払われると、車内は十一体の全裸の死体が折り重なって積まれているような異様な光景になった。最後の一つのテントが解体されると、薬物が仕込まれた飲料水用のポリタンクから、まだ少し残っていた水が抜かれた。
「あと、一人、追跡中だけどどうする?」
「もう一台のワゴン車が来るまでは待つ」
生徒の一人の問い掛けにこの場の責任者が応えた。
正門前のワゴン車を取り囲んでいた生徒のうちの一人は、脱がされた衣服をゴミ袋に詰める作業をしつつ、服を探っていた。ズボンの一つから車の鍵を見つけると、その鍵を傍らの三年生に渡した。三年生は鍵を受け取ると、直ちに坂道を下り、車両用出入り口の前に停車しているワゴン車にまで来た。正門前と違い、こちらでは生徒たちが車を取り囲んでいるだけであったが、三年生が真っ直ぐ近づいて来るのに気付くと、ワゴン車の周りから素早く離れた。三年生は運転席に乗り込むと後部座席を振り返り、横たわり、ほとんど動かない三人分の人体を確認するや、エンジンを始動させ、慎重に車体を方向転換させた。車体の正面が坂の上に向くと、そのまま正門前まで移動させる。道路を塞いでいたワゴン車は、正門前のワゴン車と並行する形に停め直された。初めにこちらのワゴン車を取り囲んでいた生徒たちと、正門前のワゴン車での担当する作業を完了していた生徒たちが一斉に群がった。程なく、もう一台と同じ様にタイヤの空気は抜かれ、ガソリンタンクは空にされた。唯一違う点は、女を裸に剥くのは不味いという判断から、こちらのワゴン車で寝ている三人の着衣は奪われなかったことである。それ以外、毛布にカーテン、食品、酒、水が飲めるような容器と荷物は全て持ち出された。薬物は置いておかれた。
この処置が完了した時点でもまだ、逃げた一人は捕まっていなかったため、逃亡者については別扱いするという決定がなされた。次の指示が飛んだ。畑の周りに張られていたのと同じ、害獣対策用の網が二巻き、持ち出され、一つが、空気の抜けたタイヤの下をくぐらされた。もう一つは正門横の金網に片端が結びつけられ、道路を渡って逆の傾斜に生えている樹々を支柱代わりにして、二台の車体をぐるりと取り囲む形で張り巡らされた。タイヤの下をくぐらされていた網の片端は、車体を囲む網の上端を越え、車体の上部を通過し、張られた。二つの網の境目がしっかりと結びつけられると、二台のワゴン車は、四方と上下を網で封じられ、さながら檻の中に閉じ込められた様相になった。網を張り終えると、解体されたテントや車内やテントから撤去された物品の入ったゴミ袋が、ワゴン車の下の網と地面の間に詰め込まれた。目の前にあっても、内側からは、手にすることが出来ない位置である。
生徒たちが苦労しながら網を張っているのを、他の調理部部員の使鬼を通して眺めていた北原は、八重樫から使鬼を通して送られた合図に気付いた。混乱を頼む、範囲は追跡用の使鬼がいる箇所、とのことだった。北原が久井本に伝え、久井本は、追跡用の使鬼がいる位置を、三年生寮の屋上からの距離と方角で里崎に教え、里崎がその場所を指定して混乱を発生させた。里崎の使う、他者を混乱させるという術は、範囲指定で作用するのだ。ただ普通に使うと作動時間が数分かその日の体調によっては数十秒しか保たない。そのため美月は、里崎が術を行使する間中、里崎の集中力と疲労の回復をひたすら行うという役回りを担った。美月にも限界があるのに加え、疲労の回復というのは傷や怪我の治癒に比べて効率が悪いので、せいぜい数分が十数分に延びる程度だったが、それでも逃亡者の足を止めさせるには効果があった。というより、混乱し、自分の周辺の状況を正確に認識出来なくなった逃亡者が、本能的にか自分が良く知っている場所、つまり元いた場所に戻って来てしまったので、実に役に立ったと言える。その代わり、刻々と変わる相手の位置に合わせ、何度も範囲を訂正し直した里崎と、回復をし続けた美月の疲労は大変なものになった。
結局、最後の一人は、八重樫と同じ、逃亡を阻止するための組に参加して、害獣の捕獲に使用する網射出機を携帯していた代田によって捕らえられた。




