#06の裏側
学院の調理師の一人であり、責任者である佐藤は朝食の時間が終わり一息吐いた厨房から出ると、まだ清掃前でところどころにゴミの散らかっている食堂の席に移動した。普段は他の調理師たちと共に後片付けをするのだが、今日に限っては特別である。既に閉め切られた食堂だが、テーブルの幾つかを生徒たちが占拠していた。食材や調理器具の購入代行を請け負ったり、献立の提案を受けたりすることで顔も名前も知っている調理部の部員一同の他に、食堂で顔を見たことがあるだけの生徒たちが十人ほどいた。調理部の部長、月岡が、棒・槍・杖術の部というこの学院独特の部活の部員たちだと紹介してくれた。調理部の部員たちに比べると、さすが体育会系と言うべきか、体付きががっしりしている生徒が多い。細身の月岡だが、そのような生徒たちを前にしながら一向に臆すること無く、佐藤を迎えると立ち上がり、堂々たる口調で宣言した。
「それではただいまより、変更を余儀なくされた第四十六回秋の味覚大祭の準備の一環として、食物のありがたさを外部の方々にも教えてあげましょう計画、第一回会合を始めます」
調理部と棒・槍・杖術の部の部員たち、及び調理場の責任者によって、極秘計画の第一回会合が持たれてから半日が過ぎた頃、寮の自室で土曜の午後をまったりと過ごしていた美月は、同室の藤沢と組委員の坊坂によって夕食準備中の食堂に拉致された。二人の顔付きから、悪いことが起こっている訳ではないとは分かってはいたが、理由は話せないと言われた上に数週間前に同じ状況から吊るし上げに遭った身として、内心戦々恐々として歩を進めた。連れて来られた、本来生徒たちは入れない時間帯の食堂には、棒・槍・杖術の部の部員たちに加えて、調理部の部員たちが一堂に会していて、重々しい雰囲気が漂っていた。
「調理部の畑が荒らされたことは知っているね」
難しい顔をした上級生に囲まれ少々引き気味の美月に、美月の困惑など全く気にしていない調理部の部長が口火をきった。
「はあ、聞いています」
単に畑の件だけならそれほど話題にならなかったかもしれないが、八重樫が正門の外の煩い連中に特攻しかけて、棒・槍・杖術の部の部員たちに取り押さえられたことで全校生徒が知るところになり、連中に寮を追われた三年生の中からは何で止めたのか、という意見も出されたりしていた。
「それで、敢えなく肥料に変わったお芋さんたちの追悼と敵討ちの計画が進んでいる。今ここに集まっているのはその賛同者たちだ。犯人たちを力で叩きのめすだけなら簡単だが、それだけでは駄目で、食べ物を粗末にするというのがどういうことか、徹底的に味わってもらおうと考えている。で、君にも強力を仰ぎたい」
月岡の言葉に、室内の生徒たちが一斉にうなずいた。美月はぐるりと周囲を見渡し、その場にいる全員の表情を良く確認した。一見すると不機嫌そうなのだが、単に真剣なのだと気付いた。直接被害を受けた調理部が計画を率いているのは当然として、棒・槍・杖術の部の部員たちが勢揃いしているのは、敵討ちに賛同しているというより、すぐ手が出る八重樫を見張り、いざというときには制止するためだと思われた。調理部の上級生部員たちがどれくらい腕っ節が立つのか美月は知らないが、筋肉の付き方を見たところ余り鍛えていないことは分かった。棒・槍・杖術の部は、部長の久井本が八重樫の幼少期からの友人であることに加え、級友に部員が多い。勝手をさせないための人材が揃っていた。「…ええと、この面子が揃っているのに、何故わたくしが必要なのでしょうか?」
美月は疑問を素直に口にした。そもそも食べ物を粗末にした意味を味わわせるために何をするのか分からなかったが、治癒能力者の美月が参加を促される理由は更に分からなかった。
「まず、畑を潰したのが誰かということだが、間違いなく門の外で叫んでいる連中だ。今日の午前と午後に調理部が主体となって、連中の偵察をした結果、金木犀の花が付いた服、芋と葉の破片と肥料が付着した靴を確認した。昨日増えた男たちのものだ。ちなみに連中は全部で十五人。うち三名が女性。三名が、恐らくセミプロだ」
月岡が、机の上に幾枚もの紙を広げて説明してくれた。十五人分の全身と顔の特徴を捕らえて描いた絵があり、文字で注釈と、判明しているだけの名前が加えられていた。その他に、ワゴン車の車種やナンバープレート、テントの配置図、誰がどのテントを利用しているかなどの情報があった。何でも偵察は、調理部部員が一人一体、同じ形式の視覚のみに特化した使鬼を作り、その使鬼たちを連携させることで、使用者全員が使鬼たちから得た視覚的な情報を共有する、という形式で行われたらしい。授業でそもそも使鬼を発動させることさえ出来なかった美月からするとかなり高度な技ではないかと思えたが、最終形態としては一人で複数の使鬼を扱うものだそうで、一人一体しか動かせないのはまだまだ未熟の部類だと言われた。絵は、そうして集めた情報から上手い調理部の部員が描いたのだが、これも念写という形で見たままを写真や動画に反映させるのが究極的な形とのことだった。
「セミプロ…?」
情報収集の方法はとにかく、美月はその言葉が気になって、問い掛けた。
「反社会組織の準構成員ってこと」
八重樫が軽い調子で言い出した言葉に美月はぎょっとした。連中が何者なのか深く考えたことがなかったが、危険な話しになるとは思っていなかったのだ。
「春に産廃捨てたやつ、いたろ。あれの関係だよ。いいゴミ捨て場見っけ、と思ったら反撃食らって怒っちゃったのと、学院を追い出せばこの山に捨て放題だから、それを狙っているわけ。ついでに言うと、この辺り選出の県議と癒着していて、警察がなかなか動かないのはそのせい。今のところ被害は騒音と車のガラス一枚だしね」
生徒たちの間で正体が何なのか、あれこれ噂されている連中の素性を簡単に明かされて、美月は拍子抜けした。
「そう、警察が動かないのが困る。畑の件にしても、子供の作った畑くらいで、といなされて終わりだと思われる。そういうわけで、食べ物の大切さをしっかり教えるのは当然として、警察にも本気で動いてもらう必要がある」
月岡は一旦、言葉を切ると、机の上の資料から、一枚の絵を取り出した。毛布を被って、拡声器を手にした中年女性が描かれていて、ヤマモト・リサ、と名前が書かれていた。
「この女はしょっちゅう薬を飲んでいる。袋は薬局のものなんだが、中の薬のパッケージが、ショッキングピンクに黒のドクロマークが書かれた安っぽい紙で出来ているんだ。病院から処方される薬でそんな見かけのものがあると思うか?」
「脱法ドラッグですか?」
美月は思ったことを正直に口にした。月岡はうなずいた。
「そう。そう思われる。で、現物を取り上げて、連中がこんなの落しましたよ、って警察に渡せば、今のこのご時世を考えれば、動かざるを得なくなるだろう」
「そこで須賀の出番」
八重樫が言いつつ、別の紙を一枚、示した。こちらも女性と思しき服装だが、長いスカートを穿き、長い髪で顔がほとんど見えておらず、唇だけが描かれたその姿は、新手の都市伝説と言われても納得出来そうだった。酒浸りの酔っ払い、と注釈だ付いていた。
「この女に化け、車両出入り口の前に停めてあるワゴン車の鍵を開けさせて、中に置いてある薬を持ち出して欲しい」
「須賀なら、女のふり、楽勝っしょ」
八重樫は相変わらず軽い口調だった。美月は無言で八重樫を睨んだ。ふりも何も、美月が実は女性だと、学院の生徒で唯一知っているのが八重樫だった。つまりこの場合、美月に拒否権がないのだった。八重樫は美月に睨まれたところで一向に堪えた様子も無く、一見すると人懐っこい笑みを顔中に浮かべている。
「連中に直接接触するわけだし、他人のものを持ち出すわけで、法に引っかかると言えば引っかかる。だから、もちろん謝礼というか、報酬というか、そういうものを用意している」月岡は真剣な眼差しで真っ直ぐ美月を見据えて言った。「具体的に言うと、焼きたらこの食べ放題になる」
「…確かに、好きですけど」好物を誰かに言った覚えが無い美月は首を傾げた。「調理部で手に入るものなんですか?」
月岡は首を振った。
「佐藤さん、食堂の責任者のひとと話しがついている。前に業者が仕入れを間違えて、お願いだから引き取ってくれって言われて、たらこその他の海産物が食べ放題になったことがあっただろう。あれをもう一度やってもらう」
「食品の搬入を邪魔されたからさ。余計な仕事を増やされたってことでは、調理部の次の被害者は食堂の調理班なわけ」
この計画には食堂の調理師たちも一枚噛んでいるわけである。生徒たちだけなら若気の至りとか子供のやったこと、でごまかしがきくのだが、大人が関わってしまっうと、最悪そちらに全ての責任が行く訳だが、調理師たちは覚悟の上なのかと、美月は少々心配になった。とはいえ、自分の状況の心配の方が重要だった。もとより断れないのだが、それでも美月は、その女の姿が描かれている紙を取り上げて眺め、外見だけなら似せることは可能だと思えてから、承諾した。
あっという間に机の上に、化粧品や鬘、誰が縫ったのか腰回りにゴムを入れた長いスカートが用意された。化粧品は、毎年学院祭の女装コンテストで使用するので倉庫内の冷蔵庫に仕舞われているが、どうやって持ち出して来たのか分からなかった。鬘はその学院祭で美月が女装した時に使ったもので、面白がって欲しいと言い出した二年生に譲ったが、借りて来たらしかった。
夕食を取り置いてくれることを頼んで、美月は月岡と八重樫、久井本に藤沢、坊坂という面々と車両出入り口に向かった。他の生徒に女装姿を見られる訳にもいかないので、そこで準備である。ズボンの上からスカートを身に着け、靴を運動靴に履き替え、乱した鬘と口紅で扮装する。月岡から、相手は始終酔っているので歩く時はよろよろと、声は分からないが、酒量の多さからして酒焼けしているだろうから裏声で、と演技指導らしきものが入った。動きに関しては、アルコール依存症かその一歩手前の父親を持つ美月は簡単に再現出来たが、このようなところで役に立つことに複雑な気分だった。
「余計な連中が来たら、正門側で騒ぎを起こして引きつける」
他の計画に参加している面々の内、棒・槍・杖術の部の何人かは正門の近くで潜んでいた。
「まずいと思ったら、山側に逃げてくれ。こいつで追跡して迎えに行くから」
連中に聞かれない様に潜めた声で、久井本は傍らの黒い犬らしきものを撫でつつ言った。形としては日本犬だが、体高が美月の胸元にまである、久井本の使う使鬼で、追跡が得意とのことだった。
「…酒浸りさん、テントの一つに入り込んだきり、出て来ない。あと、そこのワゴン車のところに、昨日来た奴が一人でメシ食ってる。そいつが使える」
他の調理部部員たちと協力し、使鬼で連中を監視している八重樫がつぶやいたのは、その場に待機すること一時間ほど経過したときだった。他の四人と顔を見合わせ、美月は深くうなずいた。月岡は無言のまま、制服のポケットから茶色い液体が入った小瓶を取り出した。蓋を開けると強い酒の匂いが立ち上った。
「これも食堂から?」
美月が小声で尋ねると、月岡はうなずいた。未成年に酒を渡すのは相当まずいだろうに、食堂の調理班が本気で協力してくれているのが良く分かった。美月はその酒を香水よろしく手首に振りかけて匂いを付けた。
「健闘を祈る」
小声で言って、月岡は南京錠を開けた。




