#05の裏側
私物のジャージの上下に麦わら帽子。長靴に手ぬぐいを首に掛けて、いかにも農家といった出で立ちの『調理部の至宝』こと二年生の調理部部員、北原勉は日課である畑の確認をしに、今朝も校舎の裏側から続く、細い山道を登っていた。片方には毎日しっかり付けている生育日記がある。太り肉で、運動が余り得意ではない北原は、一歩一歩坂道を進むたびに息を荒くしていたが、結構な食い道楽でもあるので、いずれ美味しく頂ける畑の作物を見極めに行くのは少しも苦ではなかった。
調理部が管理している畑は二つある。山の下側にある方が規模が大きく、普段使う農機具が仕舞われている物置もその手前にある。そちらに向かいつつ、今朝はやけに金木犀の匂いが強いなと、内心で首を傾げた。下の畑の片隅に金木犀が自生していて、このところ満開になり凄まじい匂いを撒き散らしているのはもちろん知っていたが、それにしても甚だし過ぎた。台風の接近に伴い、夜に強い風でも吹いて花が散ったのかと考えつつ足を動かし、畑にたどり着いて、絶句し、立ち尽くした。手に持っていた生育日記がばさりと土の上に落ちた。
畑は半分は既に収穫を終えていた。残りの半分に、『秋の味覚大祭』と称される例年行事の焼き芋大会のためのサツマイモが植えられていたのだが、それが見るも無惨な状態にされている。たわわに実っていた芋たちが掘り出され、砕かれ、破片となり、青々とした葉は千切れ、踏み付けられて土と同化している。北原はよろよろと進んで、倒れ込む様に膝をつき、畝だった箇所を手で探った。ざっくりと、刃物に類するようなもので割られて細分化された芋を手に取り、呆然として辺りを見回した。風が吹いて、強い花の香りが北原の周りを巡った。花弁がほとんど落ちた金木犀の木と、穴が開いた害獣対策用の網が目に入った。北原は、半ば放心状態で網に近づくと、開けられた穴を見、指先で探って、間違いなく鋭利な刃物で切られたものだと結論付けた。北原は振り返って再度もはや畑ではない荒らされた土地の有様を眺めた。
運動場まで戻って来るまでの記憶はなかった。北原は覚束ない足取りで、細道を下ると、校舎を回り込んで運動場にまで歩みを進めていた。そちらに足を向けた理由は、とにかく誰かと話をしたかったからである。朝も早いこの時間であっても運動系の部活の生徒たちが朝練をしていることは皆知っていた。幸いというか、同じ調理部ながら、毎朝個人的な鍛錬をしている一年生部員の八重樫が、様子のおかしい北原をすぐに見つけて、走り寄って来た。
「先輩、大丈夫ですか!」
八重樫の顔を見、声を聞いた瞬間、北原はその場に崩れ落ちてしまった。八重樫は慌てて北原の体を支えた。金木犀の香りが微かに漂って来た。
「畑、畑が…」
北原の顔は蒼白だった。その様子を見た大多数のものは、畑で死体を発見したのだと勘違いしてしまうような、絶望的で、悲壮な表情だった。八重樫は北原を支えて、武道場の前の水飲み場まで歩かせると、それを背にして座らせた。
「畑が、酷いんだ」
北原は再度つぶやくと、縋るような目で八重樫を見た。八重樫はざっと北原を眺めて外傷が無いことを確認し、ただ精神的に衝撃を受けているだけだと判断すると、立ち上がった。
「ちょっと、待っていて下さい」
八重樫の言葉に北原はうなずき、そのまま項垂れた。八重樫は全速力で校舎の裏の小道に向けて走り出した。
しばしの間があった。正門の向うに停められた白いワゴン車のスピーカーから、何かしらの音声が流され始め、終了するくらいの長さであった。ワゴン車が陣取った当初は、何を言っているのかと生徒の間でも話題になったが、内容が支離滅裂で正常者が考えたものに思えない、ということが周知されて以降は、自動車や列車の走行音や、工事の騒音と同じ扱いになっていた。その音声が絞られて、ワゴン車と正門の間に立っている連中が撤収し始めたときだった。北原は校舎の影から凄まじい速度で駆けてくる八重樫に気が付いた。八重樫は北原の存在など忘れ去っているようで、一声掛けて来ることも無く、そのまま運動場に突入した。砂塵が立ち、小石が跳ねた。
「てっめえらああっ!」
八重樫が上げた絶叫とも雄叫びともつかない大声に、運動場で朝練をしていた棒・槍・杖術の部員たちがぎょっとして、運動場を横断する八重樫を見た。八重樫は真っ直ぐに正門に向かっていた。きっちりと閉じられ、鍵が下ろされている正門のその向うにいる連中が動揺したのが遠目にも分かった。北原は今になって、八重樫が上級生にも知れ渡るほどの短気の持ち主だったことを思い出した。青くなった北原は、慌てて立ち上がって八重樫を追った。
実際問題として、足の遅い北原が追いついたときには全てが終わっていた。八重樫は門の向こう側にいるものたち相手に暴力沙汰を起こす前に、棒・槍・杖術の部員たちによって取り押さえられた。八重樫も結構な猛者なのだが、いかんせん小兵なので、重量級に押し倒されると動き様がないのだった。それでも八重樫は暴れ続けたが、八重樫と同じ組の藤沢と坊坂という二人の生徒に腕と脚を抱えられ、その身体は宙に浮いた。
「てめえらっ!許さねえっ!畑の落し前、ぜってえ、つけさせてやる!」
手と脚は拘束されたが、口はまだ自由が利いた。八重樫の言葉に、北原は不意に畑の有様を思い出し、涙が溢れ出て来て、気が付くと、八重樫と似たような内容を門の向うに向けて叫んでいた。もっとも、感情が昂り過ぎた影響で、呂律が回らないは息継ぎが上手く行かないはで、言葉になっていなかった。同じ二年の生徒たちが、北原の両腕を取ると、問答無用で校舎に向けて歩き出した。体重はあれど腕力のない北原はされるがまま、引きずられて行った。




