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お前ら!武器屋に感謝しろ!  作者: ポロニア
第六章 竜鱗の盾
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第99話 命の価値 優しさのゆくえ

「どうした!? どこか怪我でもしたのか!?」


 早く手当を、と思い駆け寄ったが、血を流していたのはセハトでは無かった。肩を震わせる少女の腕には、血に濡れて息も絶え絶えな猫が抱えられていた。


「クロスボウか……」


 猫の背中に突き立った太く短い矢は、「ボルト」と呼ばれるクロスボウ専用の矢だ。それは、不運な猫の肩口から喉元までを貫き通し、赤く濡れた尖端を覗かせていた。

 俺の跡を追ってきたアッシュは、セハトの様子を一目見て事態を察したようだ。(むご)い、と一言だけ発したまま言葉を失い立ち尽くした。


「後は任せてパブロフのとこに行ってろ」


 俺はそう言いながら、猫を抱きかかえるセハトに手を差し伸べた。気の毒だが、どう見ても手遅れだ。苦しまずに済む方法を、俺はいくつか知っている。

 だが、傷ついた猫を抱いてしゃがみ込んだまま、セハトは無言で首を振り続けた。


「気持ちは分かるが、それ以上は苦痛が長引くだけだ」

「分かってる。分かってるよ。だから……ボクが」


 猫を抱きしめる細い腕が、少しだけ動いたように見えた。

 地に横たえられた猫は、俺の目には昼寝をしているだけのように見えた。ただ、柔らかな体毛を汚す血と、背に刺さった矢だけが穏やかな風景には余計だった。

 (うずくま)るセハトの頭に手を乗せただけで、俺にはかける言葉が見つけられない。

 血の気の引いた青白い顔。真っ赤に充血した目。地に爪を食い込ませ、音が鳴るほど奥歯を食いしばるセハト。慰め、落ち着かせる事が出来るのは相棒のパブロフだけだろう。

 パブロフを呼ぼうとしたその時、「ギャアァ!」と獣の悲鳴が聞こえた。この声には聞き覚えがある。猫がケンカする時の叫び声と同じだ。


「――っ! 近いぞ!」


 俺は、猫の叫び声が聞こえた方向に向き直り、身を低くした。猫を撃った奴はクロスボウを持っている。


「狩人でしょうか?」


 アッシュも腰を落とし、買ったばかりの盾のストラップを外しながら訊いてきた。


「いや、仮に試し撃ちだとしても、まともな狩人は猫なんか撃たない。犬猫なんか撃っても恥を掻くだけだ」

「では、何の為にこんな事を?」

「矢は肩から喉に抜けていた。背後から見下ろすようにして撃ったんだろう。かなり近くから撃たないと、この角度には矢が刺さらない」

 

 樹上から撃ったのなら話は別だが、わざわざ木の上から猫を撃つようなヤツはいない。そうなれば答えは一つだ。

 俺は、こんな時勢に不殺生なんて甘っちょろい考えは持ち合わせていない。だが、遊びや暇つぶしで生命を奪って良い道理は無い。


「……許せない」


 俺の気持ちを代弁するようにセハトが呟く。


「飛び道具が相手だ。落ち着いてくれ」


 だが、セハトは俺の制止を振り切り、茂みを飛び越す勢いで駆け出して行ってしまった!


「あっ、おい! 待て!」


 しまった! 思いの外に直情的な性格だったか。いや、動物と共に暮らすホビレイル族にとって、動物を惨殺されるのは親友を惨殺されるにも等しい。セハトの性格を読み違えた俺のミスだ。

 最善の手を思いつく前に、大きな白い影が猛然とセハトの後を追いかける。まずい、パブロフの白い巨体は森の中では格好の標的だ。

 考えている暇は無い。俺は、傍らに立つ勇者風の青年に頭を下げた。


「頼む。力を貸してくれ」

「元よりそのつもりです」


 アッシュは力強く応えてくれた。まだ出会って数時間しか経っていないのに「こいつが味方にいれば何とかなる」、そんな気にさせる頼もしい青年だ。

 俺とアッシュが並んで走りだしてから数分もしないうちに「ヒギャアーッ!!」と、長く尾を引く絶叫が森の中に響き渡った。


「男の悲鳴、でしたね」

「すぐそこから聞こえたな」


 森の中を歩く事さえ慣れていない俺たちでは、走る速さもたかが知れている。先を行ったセハトどころかパブロフの影すら見つけられない。その代わりに、草むらの中を悲鳴を上げながら転げ回る男を見つけた。場末の酒場で良く見かける風体の若い男だ。

 

「めっ、目が! 目がぁっ! 助けてくれ! 誰か来てくれぇ!」


 掻き(むし)るように顔を押さえた男の両手の隙間から、大量に血が流れ出ている。溢れだす血液を必死で押し留めようとしているようだが、全く無駄な行為に思えた。

 アッシュが草に埋もれていたクロスボウを拾い上げ、俺に向かって掲げてみせた。

 何度か頷き返してから、派手な服装の若者の腰に留められた、これまた派手なデザインの矢筒から矢を一本抜き出した。猫の背に刺さっていた矢と同じ物だ。

 俺は、顔を抑えて地に転がる男に歩み寄り「これは大変、酷い怪我だ」と、極力優しい声色と口調を使って話しかけた。


「なんて気の毒に。すぐに手当てをしなくては」


 怪訝な顔をしたアッシュを左手を上げて制し、「いやぁ、貴方は運が良い。私は神聖術師ですよ」と、男を落ち着かせるために(うそぶ)いた。

 男は獣のような荒い息を吐きながら「おお、神様。ありがとうございます」と、何度も何度も口にする。目をやられて動転してんのか、そもそも知恵のステータス数値が低いのか、都合良く森の中に親切な聖職者が訪れる不自然さには気が回らないようだ。


「最初に断っておきますが、私は『知恵と真実の神』に仕える(しもべ)です。貴方の治療のために、怪我をした理由を正しく教えて下さい。嘘偽りは治療の妨げとなるのです」


 アッシュは、なるほど、といった顔で(うなず)き、長剣の柄に手を掛けた。いつでも斬りますよ、といった意思表示だろう。

 俺は、(なお)も男を安心させるために「神よ、この傷ついた哀れな若者に慈悲を」とか、どうとかこうとか祈りみたいなのを適当に呟いた。すると、男は疑うことを知らないようにペラペラと喋り始めた。


「見たことがねぇガキが走ってきて『猫を撃ったのはお前か』って言うもんだから、『だったら何だよ』って言い返したんだよ」

「……それからどうなりました?」

「わかんねえ。なんか光ったと思ったら、目が痛くて開かねえんだ。頼む、早く治してくれ」

「焦らずに。貴方はこの森に何しに来たのでしょうか?」

「この先に屋敷があって、そこをアジトにしようって(かしら)が決めたんだ。なぁ、痛ぇんだよお。早く楽にしてくれ」

「そうですか、リーダーがいるのですね。それで、猫撃ったのは貴方ですか? 正直に言わないと、私はここから即、立ち去ります」

「ニャーニャー近づいてきてウザかったんだ。オレ、猫嫌いなんだよ」

「そいつは気が合うな。俺は、お前みたいのが嫌いなんだよ」

 

 スチールの入ったブーツの爪先で若者の下半身を思いっきり蹴りとばすと、男は「グギャアッ!」と短い悲鳴を上げた後、うんともすんとも言わなくなった。


「用は済んだ。さ、早く行こう」

「おや、止めを刺さないのですか?」


 先を急ごうと促す俺に、アッシュはさも意外そうな顔で訊いてきた。


「時間が惜しい。目が見えなくても助かるんなら、それこそ神の思し召しさ」

「なんと慈悲深い。だが、それも一理ありますね」


 俺たちはピクピクと痙攣し続ける男を、その場に残して先を急いだ。


「セハトは何を使って、あいつの目を切り裂いたんだろう」


 走りながらアッシュに訊いてみた。刃物ですれ違いざまに斬りつけたのだろうか? 違う。先ほどの派手な男とセハトの身長差からして考え難い。俺の疑問にアッシュが答える。


「地下では拾った小石や煉瓦を投げつけています。急所を狙って投げるので、意外に侮れない攻撃なんです」

「なるほど。ホビレイル族らしい戦い方だ」


 俺たちが向かう木立の先に建物が見えてきた。足を止めて辺りの様子を窺う。セハトは、パブロフは無事だろうか。


「どれくらいの人数がいると思いますか?」


 今度はアッシュが訊いてきた。俺は長剣の留め具を外しながら質問に答えた。


「さっきのが歩哨だとすれば、相当にお粗末な人員だ。そっから考えても、大した組織とは思えない。ただ、ぎゃあぎゃあ悲鳴を上げてたからな。当然、気付かれていると考えよう」

 

 手首を痛めたのが悔やまれる。いつもの調子では長剣を振るえそうにない。

 ベストのポケットを手で探った。手持ちの魔術儀典プセウド・エピグラファは三本。「第一位魔術・睡眠」、「第二層錬金術・銀の鎖」と、戦闘をサポートする魔術の巻物が二本だが、残るもう一本は強力な広範囲攻撃魔術、「第五位魔術・炎の塔」の巻物だ。これだけあれば何とかなるだろう。

 装備を確認していると、木立の向こうから怒鳴り声や悲鳴が聞こえてきた。アッシュは声が聞こえた方へ鋭い視線を向けた。


「屋敷の方から人の争う声が聞こえます。戦闘は僕に任せて下さい」


 そう言って、アッシュは長剣を抜き放って駆けだした。

 アッシュの実力は未知数だが、彼には「出来る子」特有の雰囲気がある。武器に例えたら「斧槍(ハルバード)+2」って感じだ。その威容で見る者を感嘆させ、突いて良し、払って良しの普遍的万能武器ユニバーサル・ウェポン。正しく騎士に相応しい。

 俺は、先に駆け出したアッシュの後を追いかけるようにして走り出した。


 ***


「たっ、助けてくれ!」

「悪魔だ! ば、化物だ!」


 かつては庭園だったであろう荒れ果てた広場に駆け付けた俺とアッシュは、口々に(わめ)きながら逃げ惑う、血に塗れた男たちの様子に目を見張った。

 七、八人の男たちが、空を飛び回る無数の「何か」に追い回されている。銀色に光る小さな「何か」を避け損ねた男の肩口がバックリと開き、そこから血が噴き出した。堪らず転倒した男の上に容赦なくパブロフが覆い被さる。シンナバルといえば巨犬の首にしがみ付いたままだ。


「何だ? 何が起きている?」


 目を凝らしても、日の光を受けて輝く「何か」の正体は判別出来ない。だが、男たちを切り裂き、追い回すそれ(・・)は武器であるのは間違いないようだ。

 輝く軌道の一つを目で追うと、尾を引く残像が木立の中に吸い込まれていく。その「何か」が飛んで行った先に立ち並ぶ木々の合間にセハトの姿が垣間見えた。


「セハト! もう十分だろう! 後は俺たちに任せろ!」


 俺は森に向かって叫んだが、返事の代わりに新たな三つの「何か」が木々の間から放たれた。笛のような不思議な音を立てて飛ぶあれは……銀の円盤?


「あの男、見覚えがあります。僕が壊滅させた盗賊団の幹部です」


 アッシュが指差した先では、一際人相の悪いヒゲ面の男が頭を抱えて、パブロフと円盤から逃げ回っている。

 ヒゲ面男は、「くぉら! どけぃ!」と喚き散らし、逃げ惑う仲間を突き飛ばして屋敷の中へ逃げ込んでいった。


「こんな事になったのは、あの男を取り逃がした僕の責任です。追わせてください」

「分かった。セハトは俺が何とかする。そっちは頼んだぞ」


 軽く頷いたアッシュが、グローブを嵌めた拳を突き出した。総合戦闘科のアレか。懐かしいな。

 拳と拳が触れ合った瞬間、アッシュは髭面の後を追って走り出した。屋敷に向かう赤い外套の後姿を目で追ってから、俺は凶器が飛び交う広場に飛び出した。


「パブロフ、もういい! 止めろって!」


 男の頭をマルカジリにしてブンブン振り回しているパブロフに、俺は体当たりをするように飛びかかった。思いがけない攻撃に驚いたのか、パブロフは咥え込んだ男の頭を放り出し、俺に向かって魂が消し飛ぶような威嚇の吠え声を上げた。

 猛獣の怒りの咆哮に本気で噛み殺されると思ったが、俺の顔を確認したパブロフは、正気を取り戻したかの様に大人しく尻尾を振って擦り寄ってきた。


「セハト、もう止めろ! 俺の話を聞け!」


 姿の見えないセハトに大声で呼びかけると、「フォーン」と不気味な音を上げて頭上から円盤が迫ってきた。大丈夫だ、落ち着いて軌道を読めば打ち落とせる。

 長剣の柄に手を掛け円盤を抜き打とうとしたその時、ズキリッと手首に鈍い痛みが走った。まずい、手首を痛めていたことを失念していた!

 狙いを定めた猛禽類のように襲い来る円盤の速度から、今から回避行動を取っても直撃は避けられそうにないと判断した。俺は咄嗟にパブロフとその背のシンナバルを庇い、円盤に背を向けた。

 だが、円盤が俺の背を切り裂くよりも早くパブロフの背から赤い影が飛び出した!


「シンナバル!?」


 俺が叫ぶ声と金属がぶつかり合う音が、同時に森に木霊(こだま)した。

 くるくると前転して四つん這いになったシンナバルに駆け寄ると、少年は人懐っこそうな目で俺の顔を見上げた。

 どうやら鋼鉄の腕で円盤を叩き落したようだ。俺はシンナバルに感謝の気持ちを表すために、とりあえず頭を撫でておいた。ぐるぐると喉を鳴らすシンナバルに怪我は無さそうだ。


「無事、みたいだな」


 ふぅーっ、と息を吐いてから地面に落ちた円盤を拾い上げて空に翳した。穴の開いた小皿のような円盤、これは「リングスライサー」っていう珍しい武器だ。婆ちゃんから聞いた事はあったが見るのは初めてだ。

 円盤の穴に指を引っ掛けて回し、遠心力を利用して飛ばす、非常に取扱いの難しい飛び道具、それがこのリングスライサーだ。恐ろしい事に円盤の縁は研ぎ澄まされた薄い刃で出来ている。あのセハトがこんな物騒な武器を扱えるとは驚いた。

 未だに空を切り裂く無数の軌道を目で追うと、全ての円盤は森の中の一点に消えて行った。俺はそこに向かって大声で呼びかけた。


「セハト! 聞こえるか!」


 広場には俺たち以外に立っている者はいない。痛みに呻き、地に倒れ伏す男たちの他に、矢傷を負った数匹の猫が弱々しい鳴き声を上げている。これを見てセハトは逆上したのか。


「こいつらはお尋ね者の一味だ! とっ捕まえて風紀委員に突き出せば賞金が出る!」


 相変わらず返事は無いが、円盤の攻撃は止んだ。聞こえていると受け取って話を続けた。


「懸賞金でここの猫を助けよう。こいつらを殺しちまったら賞金は半額だ」


 俺とシンナバル、そしてパブロフが見守る中、生い茂る木々の間からセハトが歩み出た。

 とぼとぼと歩いてくるセハトを、俺は黙って見守った。パブロフが一歩前に出たが、彼は思い直したようにその場に座って飼い主を迎えた。


「ボクのした事は……間違ってるのかな」


 表情を失った顔で、セハトは独り言のように呟いた。

 その問いはパブロフに向けたのか。

 それとも俺に向けられたのだろうか。


「俺は命を弄ぶ奴を許せない。だから、お前は正しい事をした。俺はそう思う」


 俺の返答を聞いた途端、セハトは顔をくしゃくしゃにして泣き出した。空に向かって泣き続ける少女の姿を、パブロフとシンナバルが、じっと見つめていた。

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